イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

パセリ政治ローズマリー&タイム

2009-01-27 00:11:41 | 世相

オバマ大統領の就任式の模様や、直後の世論調査での支持率報道など見るにつけ思うのですが、オバマさんよりずっと前、特に1992年にクリントンさんが当選した頃でしょうか、「どっち党の誰が当選するにしても、国民が自国のトップを、セカンド(=副大統領)とセットで、直接選んで投票して決めて、決まったら満場の喝采で誇りを持って迎えるんだから、アメリカは進んでいるよなあ」とイノセントに思った時期が月河にもありました。

当選時クリントンさん46歳、アル・ゴアさん44歳、2人とも長身で体格がよく(白人男性としては普通なのかもしれませんが)、まあ二枚目と言ってもよく、ひるがえって当時の日本のトップと言えばヨーダ…ではなく宮沢喜一さん73歳だったことも相俟って、“アメリカ(の民主主義政治)はいいなぁ”の感がひとしおだったのだと思います。

実際には大統領&副大統領候補に有権者が直接投票するわけではなく、各州上下院議員数と同数の“選挙人”を選ぶことになっているそうですが、とにかく「国民が自分の意思でトップを選び、選んだら、ミーハーなくらい賞賛しリスペクトしヒーロー、スター扱いする」というところが見事に日本と対照的な気がしたのです。

日本でも、就任当初の安倍晋三さんや、最初の総裁選の頃の小泉純一郎さんなんかは地元の街頭だけでなく、地方遊説でも結構な人気がありましたが、“国民がみずから選んだ”ということに裏打ちされた人気というより、“TVで話題のアノ人をナマで見たい”という物見遊山的な気分が半分は混じっていたと思う。

それ以外は、○○さんが総理になりましたと聞いても、国会に登壇しても「へぇー」「ふーん」ならまだましなほうで、ヘタしたら半笑い、「けっ」としか世間の人は反応しなかった。リスペクトや、ましてや熱狂とは真逆です。

日本では、衆参両議会議員をそれぞれの選挙区から選ぶまでは確かに直接投票で、その結果でどこの政党が過半数を取るかを決めるまでは関与できますが、その先、トップを決めるのは議員たちの互選で、総選挙当時の党のトップが党規約の任期や何やらで降板すると、あれよあれよと言う間に「こんな人が総理大臣になっちゃうの?」「聞いてないよ」となることも多い。少なくともここ10年ぐらいの歴代内閣総理大臣で、名実ともに、磐石に“日本国民の選択と付託”に基づいて就任し勤め上げたと言える人は、一人か二人か、あるいはそもそも居るかどうかも疑わしい。

しかも、その議員を選ぶ(までしかできない)選挙の投票率も、紅白歌合戦じゃないけど憲政史始まって以来少しずつ、しかし一本調子に下げ続け、平成に入って以降は70%を超えたことがなく、概ね60%台なかば、ヘタしたら50%台に落ちています。

話が変わりますが月河実家の祖父は、生前、選挙と名のつくものに一度も投票したことがないと公言していました。

地方の家業を継ぎ、東京に進出して本家は長男に預け、東京で次男以下42女を育て(長男も入れれば52女の子福者でした)、男の子は全員大学、女の子もそれに準じる高等教育まで進学させ、子供たちにも「選挙なんてのは思想かぶれした、学校の教師や学者連中がやることで、オレたちはまじめに働いて妻子を養い、余裕ができたら貯金する、それに専念することだ」「真っ当な人間は政治なんかに興味持つものじゃない」人は政治で幸せにはならん」と口癖のように言っていました。或いは地元にいた若い頃、政治・選挙に関わって不幸になった親しい友達でもいたのかもしれないし、自分も家業の職域か町内会がらみで手伝って大火傷でも負ったのかもしれない。そこらへんは聞きそびれました。もう少し存命でいてくれたらと思います。

とりあえず祖父のその言葉を長い間聞いて育った息子たち(月河の伯叔父たち)も、「選挙で一票入れたって何も変わらないし、良くならない」と自分たち流に翻訳して、やはり今日まで区議会町議会レベルの選挙も投票に行ったことがないそうです。

(ちなみに2女のうちのひとりである月河実家母は、結婚して実家を離れるのが早かったので、旦那のほうにより影響され、「投票日が暇で天気も体調も良ければ行く」「選挙公報や政見放送は“耳目に飛び込んで来れば”見るし読む」という姿勢でした)

民主主義、主権在民の憲法精神に則れば、決して褒められたことではないけれど、「参政より、それぞれが自分の天職に専心して、働いて貯蓄」という、祖父のような考え方は、それはそれで有りなのかなとも思う。

 「人は政治で幸せにはならん」という祖父の口癖は、“人は医者やクスリで健康にはならない”という月河の最近の所感と相似のような気がします。国会質疑や予算委員会中継、ぶら下がり会見で毎日のように見る政治家、議員たちの顔を見、喋りを聞いていると、オバマブームのUS発のニュースと引き比べるのとは別の意味で「政治(家の力)で日本が良くなるわけじゃないよな」とつくづく思う。

国民ひとりひとりがそれぞれの職分においてまじめに働き、家族や近しい人たちを幸せにするよう努力する。国が良い方向に向かうためには結局それしかありません。総理大臣が何党の誰になるかなんてことは、関係ないわけではないけれども、飽くまでその扶助、サポート、もっと言えば“邪魔しない”役にしか立たない。

選挙をやるたびに投票率が下がっていくのは、“自分の一票で政治が変わった”“変わった政治のおかげで自分の幸福度が上がった”という実感を誰も持てないからでしょう。「実感がなくても投票するのが主権在民、民主主義国家というものだ」「一票の権利もなく独裁者の恣意で弾圧される国になったほうがいいのか」なんて言説は、“政治が自分の幸福につながらない”という圧倒的な現実の前には屁理屈に過ぎません。

次の選挙は昨年からちらついては消え、またちらついては消えしていますが、オバマさんのような“選ばれて喝采を浴びるリーダー”がさっぱり現れないことより、直接政治に関わることのできる唯一の機会である選挙の投票率が、いくら広報宣伝してもジリ貧なことのほうが問題なのかもしれない。

そういうことを考えるたびに祖父の「真っ当な人間なら政治を考えるより働け」「人は政治で幸せにはならん」という言葉を思い出し、ヒーローのようにもてはやされなくてもいいから、せめて自分と家族のためにまじめに働く国民を、静かに邪魔せずサポートしてくれる政治家、総理大臣が出てこないものかと思うのです。

もちろんそういう人がトップに立つにも、国民が投票に行かないと始まらない。

自分の尻尾を咥えた蛇のように、どうにも堂々廻りが続きます。

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