先日の“嫌いな言葉シリーズ”令和第一弾の補遺です。
①~④まで来たので、
⑤「心のケア」:“PTSD(心的外傷後ストレス障害)”という言葉と概念が定着・・というより濫用、軽用されるようになるのと軌を一にして蔓延してきた言葉ですが、気味が悪い。「寄り添う」より輪をかけて図々しい。「きいたふうなクチきくな」と言いたくなる。ちゃんと腰の入った“PTSD”治療してくれる気なら、「精神のケア」「内面の手当て」ぐらいにしてほしい。“心(こころ)”と来られると、ものすごく余計なお世話感、上から感、無神経感ズカズカ土足感が臭う。psychological traumaを“心的”外傷と訳してしまったところからそもそも始まっているのだろうが、病んでいる傷ついている状態をどうにか癒そう治そうと本気で思うなら、“心”までは、“心”だけはそっとしておいてほしい。“心”は世界中に一つしかない、自分だけのものだから。三人称の他人に“心”を冠して来られると、“情”の湿り気や体臭がただよってくるから図々しいんですよ、純粋に“精神医学”の、乾いた、澄んだアプローチで来てほしい。
⑥「静かな環境で」:女性・女系天皇問題、女性宮家問題論議から身重の小泉進次郎夫人滝川クリステルさんまで。これはもう、即、言い換えよう「マスコミ門前払い、ネットのイジり・ツッコみ無用、あっち行けシッシッ」
・・まぁ、確かに最近は、誰かしらの“人の顔・容姿”“出自”“家族”のからむ話題は、昔みたいに局や社の腕章社章つけてマイク持ってカメラしょって追いかけて来る手合いだけ警戒していればいいってもんじゃないですからね。津々浦々そこらじゅうに野次馬・私設マスコミがいてスマホ撮ったりアップしたりつぶやいたりしているから、頼む静かな環境で!って言いたくなる気持ちもわかる。でも『静かな環境で』って言えば、「コレを破るヤツはうるさい、やかましいヤツ=居てはいけないヤツらなんだ」と、「静か」を求めた自分のほうに理がある、正義だ、ってなっちゃうからね。善意も悪意もツッコみ・茶化し・いじり、ぜんぶシッシッ追っぱらって「消え失せろーー!」って言い張れるほど、アンタのソレに理はあるかい?って話です。
⑦「ほぼほぼ」:コレ何よ。いつ誰が言いだしたのよ。ぺーぺーのレポーターでも、BSフジ反町理さんクラスのベテランキャスターでも、油断してるといきなり言うね。なんで「ほぼ」シングルじゃいけないのか。ほぼを二乗にしたことで、シングルほぼとどう意味が違ってくるのか、ニュアンスに差が出るのか、明確に伝わったことが一度もない。「うん、ここはやっぱり『ほぼ○○です』じゃなく『ほぼほぼ○○です』と言うべきだな」と腑に落ちた経験皆無。あまりにも意味が、というより、意図がわからないから、“嫌いな言葉”に入れるしかない。「ホボ」の響きが軽くて短いのが不満なら、「十中八九」とか「九分九厘」「おおかた」「過たず」「疑いの余地なく」「高い確率で」・・座りのいい副詞フレーズなんぼでもあるだろうに。
この「ほぼほぼ」問題に限らず、何かしら言いたいことがあって修飾語を選ぶときに、昔から使われてきた、年輪のある、キャリアもある言葉の中から選ばずに、苦しまぎれに二乗にしたり新語ひねり出して、やっつけの泥縄みたいに使うのはカッコ悪いよ。仲間内のダべりで思い付きで口走って「何それウケるー」とか言い合ってる分にはまだギリ微笑ましいけど、全国媒体でいい大人が真面目くさってクチにしてたら本当にカッコ悪いから。「品格を疑う」なんてフォーマルな事じゃなく、皮膚感覚的にカッコ悪い。言葉を使う、ものを言うことに対する姿勢がまるごとやっつけに見える。
あんまり意味がわからないから、記事タイトルも意味わからなくしてやった(ドヤッ)。
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