『あまちゃん』でもうひとつ胸がすくのは、“親の物語”にもちゃんとなっているところですね。
『梅ちゃん先生』のときにも、遡れば『だんだん』の頃にも思ったのですが、いまどき高校生、いまどきティーンエイジャーの、いかにもいまどきらしい夢や希望や悩みの話では、われわれトウのたった、夢も悩みもあらかたやり尽くして将来のあまりない大人は引き込まれません。親たちが、どんな生まれでどんな環境で、どんな料簡で生きてきて、どうめぐり会ってこのヒロインという子を生したかがしっかり描かれて、初めてヒロインにも興味が持てるのです。
アキちゃん(能年玲奈さん)の母親・春子さん(小泉今日子さん)は1984年(昭和59年)7月1日、北三陸鉄道開通&海開きの日の式典のどさくさで東京へ出て行きました。ときにまだ18歳高校生。「キタテツが開通して、今年の海開きには東京からも大勢人が来る、高校生海女ならニュースになる、町が活性化する」と市長(北見敏之さん)や組合長夫婦(=当時。のちに離婚、でも同居)(でんでんさん&木野花さん)にプッシュされて、いま出ないと逃げられなくなる!と追い詰められ決心しての身ひとつ上京でした。
春子さんがもし普通に高校へかよい続けていたら翌1985年(昭和60年)に卒業です。春子さんの環境なら進学よりまず家業でしょうが、ちょっと頑張って短大でも進学していたら1987年(昭和62年)に卒業、もっと頑張って四大なら1989年(平成元年)卒業。いずれもバブル真っ盛り引く手あまたの春です。
月河はここらへん年度の新卒新入社員なら現場で大勢見て来ました。“バブル期採用組ウンヌン”とひと括りにするのも芸がないけれど、個人個人の学力能力とは別に、社会が右肩上がりで、物質的にも情報的にもほかほか浮ついた時代に育ち盛り~青春を過ごした人たちは、やはりいい年になってもどこか精神が浮ついている。浮ついていると言う言い方が失礼なら、“夢み勝ち”とでも言いましょうか。つねにここではないどこか、いまのままではない自分、もっと上のもの、もっと華々しいものが視野の一隅にあるため、目の前の現実の地道な仕事に集中しない、できないところがある。
春子さんもプレバブル期の東京に高校中退の18歳で身を投じ、ハシタ仕事には事欠かなかったでしょうが、あんなに憧れてやまなかった東京なのに、なんか違う…こんなもんじゃないはず、との思いが積もり積もって、上京5年経た1989年には一度帰郷を決心し、荷物をまとめて上野駅に向かいました。
ところがところが、大きなキャリーケースを後部トランクに載せてくれた若いタクシー運転手・黒川と、どんな会話をしたものか意気投合。降りた上野駅から故郷へ向かう列車には乗らず引き返すために拾ったタクシーがまたまた黒川で、互いに不思議な縁を感じたのでしょう、連絡先を交換してなんとなく交際発展、その年のうちに結婚という予想外の展開へ。この黒川(尾美としのりさん)、遠洋漁業の父が年じゅう不在で寂しい子供時代だったという春子のためにシフトを変えて在宅時間を増やすほどホイホイ優しい男で、夢の東京で夢破れかかっていた春子には、少なくとも出会い当座は沁みたに違いありません。同じ年格好でしがないタクシー運ちゃんという、結婚相手としての安値感も、家出前後から渇望して渇望して、欲張って欲張って生きてきたであろう春子の心理のエアポケットにはまった。
しかし春子の青春バブルのふくらみと上昇もここまで。約3年後に我らがヒロイン・アキちゃんが生まれるわけですが、奇しくもその頃から世の中、夢と希望の右肩上がりが途絶え、果てなきジリ貧の踊り場地獄になだれ込みます。夢を持つのが当たり前、夢は叶って当たり前と教わって育ってきた春子世代にとっては、滑り込み手に入れたそこそこ安定した暮らし、東京在住専業主婦のそこそこ余裕なご身分も「なんか違う、こんなはずじゃない」感じが日々拭えないのです。42歳、高校生の子を持つ親になっても、未だ自分の人生が発展途上な気がしている。豪華ではないがそこそこ裕福っぽい、もやしがフローリング床に落ちる音が聞こえるほど、少なくとも閑静には違いないマンションに住み、ひとり娘を私立進学校にかよわせるまでになっても、「自分の人生この先どうしよう、どうなる」「もっとましな人生があるはず」と思考が“自分主役”、かつ“仰ぎ見視点”なのです。
今日(11日)の第10話で、アキが海女姿をカメラ小僧に追いかけられたと聞いてキモがったり憤慨したり「“アンタら大人が”ちゃんと見張るって言うから」「“アンタら大人が”ちゃんと見てないから」と繰り返していたのも印象的。春子の思考では、未成年少女を事故や間違いから守るべき責任ある“大人”の中に、自分はなんとなく入っていないようなのです。どちらかというと「大人はわかってくれない」「大人は汚い」ともっぱら大人を糾弾し反旗を翻す側に自分がいるよう。
こんなふうに、“急勾配の夢を持たされた挙句、梯子を外された”年代ゆえに、年齢相応の、折り合いのついた大人になり損なった春子世代の気持ちや意識は、月河にはあまりもろ手を上げて共感はできませんがとてもよくわかる。いいトシなのにスケバンみたいなばさばさしたロングスカートに、紫外線コンシャスな長袖シャツブラウスの春子は、同年代で地道とお人よしが服を着て車に乗っているような黒川より、田舎にも都会にも居場所を見つけられない20代ぼんぼんプータローのヒロシ(小池徹平さん)と並んでいるほうがお似合いに見えます。
『あまちゃん』のここまでの好調は、見ていて「わかるわかる」「いるいる」と思えるもうひとりのヒロインとして、ヒロイン母がちゃんと機能していることが大きいと思います。
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