『仮面ライダーキバ』の紅音也役・武田航平さんは、誰かに似ているなと思ったら、70年代初期にカバー曲『ポーリュシカ・ポーレ』が売れた歌手で、青春ドラマの俳優としてもアイドル的人気があった仲雅美さんに、撮られ方にもよりますがよく似ているんですね。
甘系の端整ハンサムだけど輪郭サイズ比目鼻立ちが求心的(=“建蔽率”が低い感じ)で、ちょっと古めなところ、体型に縦長スレンダー感が少ない(それ以上に、がっしりずんぐりとか太め感もないのですが)ところも似ている。
いや、ルックスもさることながら、スポーツやケンカなど体力系分野より、お芸術やお文学な繊細路線が得意そうなキャラであるというところがいちばん似ているのかも。
…ついでのようですが、見かけるようになって浅い有名人や一般人を「○○似」と喩えることができるのは、だいたい、その○○さんにはあまり思い入れやリスペクトがないとき限定ですよね。
少なくとも、その有名人一般人ご本人に比べて、○○のほうに圧倒的に尊崇度や好感度が高ければ、喩えに持ち出して来ないと思う。
今回の例で言えば、月河が70年代初期の仲雅美さんを子供心に贔屓で、映画『同棲時代』を観に行きたくて親にねだって叱られたみたいな経験があれば、音也=武田航平さんを喩えるのに引き合いに出していなかったでしょう。
仮面ライダーつながりで思い出すのですが、2~3年前、ブレイク直後でいまよりずっと勢いのあった亀梨和也さんが雑誌の表紙にさかんに起用されていた頃、「『龍騎』の城戸真司役・須賀貴匡さんに似ているな」と何度も思ったものの、須賀さん単体のコアでディープなファンではなくても『龍騎』は月河に人生2度めの特撮ブームを起こしてくれた記念碑的な作品、須賀さんはそのタイトルロール俳優だったのですから、「いかん、こんな亀なんちゃらいう海のものとも山のものとも知れないジャニーズタレントに似てるなんて思っちゃ『龍騎』に失礼だ、ドラゴンライダーキック食らえ自分」と必死に打ち消していた記憶が。
どっちにも失礼なんだけど、当時の月河としては、亀梨さんに対するより須賀さんに対する失礼感のほうが重罪に感じられた、ということ。
逆に言えば、たとえば宮崎あおいさんのファンで部屋にポスター貼りまくっている男子高校生が、通学電車でふと見かけた少女を「あおいちゃんに似てる!」と思ったとしたら、その高校坊主は、もう宮崎さんよりその少女にラブなのです。
木村拓哉さんが理想の彼氏で、そこらのブサ芋男とは付き合いたくないわと思って彼氏なしを続けている勘違いOLが、合コンで第一印象憎からず思った相手から熱心にアプローチされれば「キムタクとは似ても似つかないけど、そうね目元とか国分太一っちゃんとちょっと似てるかも」と、当たりじゃなくても遠からずのところで自分を納得させ折り合いつけてうまいこといくかもしれない。
もちろん、彼女にとってドンズバ赤い糸な相手と、カド曲がったところで正面衝突なんかしようもんなら、それが100人見て100人とも「キムタクと双子?」と思うルックスの男性でも、彼女は「キムタクに?そう言えば似てるかもしれないけど、彼のほうがずっといい男よ」と言い張るに違いない。
“○○似”はある意味、世俗地平、自分が牛耳れる世界への「引きずり下ろしの修辞」とも言えます。
月河は学生~サラリーマン時代のタテ社会にいたときは、苦手な上司・教師や先輩と、苦手でもなんでも一定期間どうしても付き合わなければならないと決まると、無理やりにでもソイツを“誰か(or何か)似”と見ることで不快感や圧迫感の軽減につなげてきました。
小姑みたいな給湯室お局さまを「海○名美どりがデブってどうするよ、どうしたビッグアップル殺人事件は」、言うことコロコロ変わるくせに威張るだけは一貫している課長を「なんぼ威張ったって鼻がせんだ○つおじゃん、ダメな男のロックじゃん」とハラの中で思ってればストレスもたまりません。
ヤンキース松井秀喜選手のお相手似顔絵を見て“長澤まさみ似”とテロップ出したTV局員は、松井選手ご本人への、これから先も取材させてほしい相手としての気遣い以上には、長澤さんをうっとりご贔屓ではないんでしょうな。
ところで『キバ』第7・8話でプローンファンガイア=犬飼伯爵として登場した咲輝さんは、角度によってびっくりするほど石立鉄男さんに似ていますが、数々の大映ドラマやわかめスープでお付き合いの長かった石立さんより、やっぱり月河は現時点では昨年秋の『愛の迷宮』1作・航太役1本で、咲輝さんのほうにより好感度シンパシー強く持ってるようです。