イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

大衆は豚だ

2008-06-19 17:03:14 | アニメ・コミック・ゲーム

昨夜はBSマンガ夜話』を開始20分過ぎて飛び込み視聴。17日から第34シリーズが始まっていたのを見落としてました。うーむ不覚。00年、01年には当地公開収録にも参加したのに。05年から07年にかけて、まる2年半ぐらい放送されなかった時期があって、代わりに『アニメ夜話』『マンガのゲンバ』などが頻繁になったので、もう打ち切りになったのかなと思っていたのです。

『いつまでもデブと思うなよ』レコーディングダイエットで最近再ブレイク中?の岡田斗司夫さんに触発されたのか、司会の大月隆寛さんも気がつけばだいぶすっきり小奇麗になってますよ。トレードマークのおヒゲも少し整えた?…“ビフォー”が“分析イノブタ”系だった岡田さんに対し大月さんは“まとめクマさん”系だったのですが、なんかちょっと2人とも“お手入れ行き届いたしつけのいい大型犬”みたいになっちゃって、スタジオショットにヴィジュアル的なカオス感、サブカル的粗野さが不足して来た気も。

レギュラー陣でいちばん体調の安定しないことにかけては自他ともに認める夏目房之介さんは、微量ふっくらされたかな。いい傾向か。いしかわじゅんさんは…相変わらずオシャレに、定角ブレることなくヒネクレたまま(←褒めてます)年を重ねておられる。

アシスタントMC女性がまた代わったのかなと思ったら、声を聞いたら05年のまま笹峰あいさんでした。とてもきれいになっていて、岡田さんの細化よりむしろこちらにびっくり。01年の当地収録で客席から見たときすでに思ったのですが、女優さんを見て、TV映りよりナマのほうが美しいなと思う場合、まず例外なく皆さん肌が白い。白いというか、濁り・くすみが少ない。顔もさることながら、喉クビや、ちょっと露出めの季節なら、鎖骨近辺とか二の腕とか、ここらが白いと本当にキレイ感倍増する。うーん。美白美白。もう手遅れか月河。

笹峰さんはそれプラス、トークの中で視聴者が見ていて、ウケてほしいときにきちんと笑ってくれて、それ以外では声出して笑わないし、わかってほしいときに即わかったという表情をして頷いてくれる。プライベートでとてもはまっていると自認し公言する作品がお題の回も、「読んだことがなかった」と言う作品のときも、MCにのぞむ体温差の表現がほどほど(全然差がないのも事務的で淋しいものです)。存在のしかたに無駄がなくて気持ちいい。見た目以上にアタマがいい、カンがいいんでしょうね。この番組のアシスタント歴最長なのも頷けます。みずから演出も手がけられるなど、女優としても熟れごろ。昼ドラに来てくれないかな。

…どうもキャリアほどほどの女優さんに好感持つと、つい「昼ドラに…」と思ってしまう月河の思考回路、どげんかせんといかんか。

昨日のお題は『男組』。70年代ですねぇ。週刊誌でキャンディーズのスーちゃん(=田中好子さん)が「流全次郎カッコいい!スーは男組ファンよ!!」と言っていたのを読んだウロ覚えがあるので、キャンディーズの全盛時代を考え合わせると、7677年頃には人気が確立していた作品なのでしょう。…“なのでしょう”ってのも他人行儀な話ですが、『マンガ夜話』はお題作品にこの程度の知識情報しか持ってなくても、結構、トークが時代批評・文明批評として読み解けるところがおもしろいのです。

作品紹介、年代紹介を含む番組前半20分少々を見逃したのが悔やまれますが、“夏目の目”のコーナーに間に合ってよかった。「70年代当時の“少年サンデー”はカオスで、児童向けからのちに青年誌に独立統合されてくる路線まであらゆる傾向のマンガが詰まっていた」「キャラの絵柄に、ゴルゴ13もブルース・リーもいる」「梶原一騎の梶原イズムも随所にみられ、(“キミのためなら死ねる”でおなじみ)岩清水くんもいるし、流と神竜は(『愛と誠』の)誠が2つの人格に分かれたもの」と相変わらず表層から始めて、深層を経てきっちり表層に戻るご指摘が。

いしかわじゅんさんからは現役プロマンガ家らしく「当時の池上遼一の絵柄をリスペクトする漫画家や予備軍はものっすごく多かったけど、いちばん影響顕著だったのが香港のマンガ。一時期の香港コミックはページをめくれどもめくれどもぜんぶ絵柄がコレ(=池上風)」「原作の雁屋哲も、面識無いからよくわからないんだけど、東大→電通というコースを来たのに、辞めてフリーになった珍しい人で、代表作がコレ(=『男組』)と、もうひとつ挙げると『美味しんぼ』ってのもすごい」…これには岡田斗司夫さんから「“主義”じゃなく“趣味”で押し切ってますよね」との補論もありました。

かつて岡田さんはこの番組で、番長もの・不良もの、あるいはバトルもの漫画に“バカ系”と“お利口系”がある、と至言を述べておられましたが、昨夜は「主人公が立ち向かう“敵側”が、頭脳や技術や武器で主人公を苦戦させるのではなく、立場や階層・地位が上位であることに加え、肉体、身体能力の優秀さで戦うマンガはコレが初めてだったんじゃないか」「手塚治虫さん時代や、手塚さんの流れをくむヒーローマンガは、敵には肉体や身体がなく、あっても老人だったり、ヘタすりゃ脳だけだったりで、悪くて強力なのは科学技術だった」との発言が。

ゲストの大槻ケンヂさんが終盤に触れて、岡田さんも流→神竜へのセリフを引いて「カミングアウトですよ」と例示してくれたように、いまなら所謂“腐女子”の皆さんが泣いて喜ぶような色合いのマンガだった様子。

もうひとりのゲスト角田信朗さんは、ドンピシャ中学生時代にこの作品を読んで格闘技を志したそう。憧れていた池上遼一さんに会う機会ものちにあったそうで、「(作中の)南条五郎みたいな人かと想像していたら、全然違って(小柄で細くて)驚いた」とのこと。マッチョな絵柄、バイオレンスなストーリーが身上の作家さんにはこういうケースが多い。角田さんも、いしかわさんも推察しておられた通り、自分の身体性へのコンプレックスが出発点にあり、それをプラス方向に転じんとするベクトルがああいう作品に結実するのでしょう。

写真を撮るとき求められるまま角田さんがファイティングポーズをして見せてあげたので、「作中どこかに僕がモデルの絵が絶対あるはずですよ」と嬉しそうに言っておられました。

今夜(24:00~)は第3夜ですが、羽海野チカ『ハチミツとクローバー』。TVアニメにも実写ドラマにもなったことは知っていますが未読未見。スピッツ『魔法のコトバ』は好きな曲でした。お風呂で歌唱して気持ちいい系。アレは劇場版のほうかな。とりあえず録画スタンバイ。『爆笑オンエアバトル』は前半パスしかないですね。

この番組、レギュラー陣が野郎ばっかり(←褒めてます!)なので、少女漫画やレディコミ系に手薄な感は否めないのですが、いつか津雲むつみさんの『花衣夢衣』か『風の輪舞』を採り上げてくれないかな。わはは。わかりやすい昼ドラフィルター。でも昼ドラ見ない人の間でも、コミック単体で人気作じゃないですか。

ゲストに小沢真珠さんか、萩尾みどりさんはどうかな。ドラマや教育テレビでNHK経験あるし。要望メール送ってみるか。

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…そこにいたのか

2008-06-18 23:46:37 | お笑い

このブログもまる1年と…えーと8ヶ月ぐらいどうにか続いているので、“大家さん”である“ブログ人”にある「ブログ人カテゴリ」というツールを使って、少し記事を整理してみようかなと思いたちました。

と言っても、日頃記事を書くとき“カテゴリ”なんか意識は全然しておらず、「今日は“本と雑誌”について書こう」「今日は“ニュース”について書いてみよう」なんてあらかじめ目標をもって書くわけではない(と言うよりむしろ、目標を定めずに書いてみるというのが、ブログ始めるときの自分との約束)ので、一本書いて投稿するとき「TVドラマの話から始めて、主題歌の感想になって、歌ってるアーティストの熱愛結婚当時の事情もちょっと触れて、そう言や当時はあんな映画のスポットCMが話題になってて、マネしてあんな服着てあんな髪型して観に行ったっけ」なんて内容になると“テレビ番組”“音楽”“芸能ネタ”“CM”“映画”“コスメ・ファッション”と延々カテゴリ指定が増えていくことになります。

そこで、ブログを始めてからいちばん切れ目なく、ほぼ毎日書いているのが“テレビ番組”についてなので、ここを“昼ドラマ”“夜ドラマ”“特撮・ヒーロー”“バラエティ番組”“お笑い”と、自前のカテゴリを作って細分してみました。

最近は高齢家族の随伴視聴者になることが多くなってきたのでそのうち“朝ドラマ”も、あと昼ドラ過去作を午前~午後のローカル再放送枠でもかなり見るので“再放送ドラマ”もカテゴリ追加しようと思っています。

“本と雑誌”に入れていた記事も、実際には“小説”か、なかんずく“ミステリ”に関する内容がほとんどなので、これも分け独立させることにしました。

…もっともミステリの出来のいいのを読み始めるとブログどころではなくなるので、実際記事内容に反映されるのは読後1年以上経過してからになるかもしれませんが。

昼ドラマと言えば、再放送枠の『危険な関係』が本日最終回。もう本放送時に結末は見て知っているのですが、やはり録画して何度もリプレイしてしまう。最終話近くなると、ストーリー的にやることが尽きて来て、観てるほうも演ってるほうも「お疲れちゃーん」(@インスタントジョンソン)となりがちな昼ドラには珍しい、余情に富んだクロージングでした。

明日からは同じ枠で961月期本放送の『その灯は消さない』が始まります。この年末年始をはさんで再放送された『真夏の薔薇』のちょうど半年前のクール。やはり昼ドラ録画視聴環境になかった時期の作品なので、“新作”として楽しませてもらいます。

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草食ライオン

2008-06-17 23:21:48 | CM

昨夜は日付変更直前にタカアンドトシ『お試しかっ!』を出会いがしら視聴。週日のこの時間TVをつける余裕があって録画チェックすべきソフトもないとたいていテレビ朝日系となんとなく決めているので、半ば狙い撃ち視聴になります。

ネット環境になってから、TVで夜“今日一日のニュース”“スポーツの結果”的なものを本当に見なくなった。Qさま!!に続いて『くりぃむナントカ』もゴールデン転出してしまった後、『お試し~』と火曜日の『「ぷっ」すま』には踏ん張って、“安心して「くっだらねー!」と言える”世界を守ってもらいたいものです。

 今週のお試しシミュレーションは“厳しい芸能界の中でも忍耐力がないことでは人後に落ちないタカが、怖い先輩芸人に(ドッキリで)キレられてどこまで泣かずに辛抱できるか”。いいねいいね“言葉の暴力”“いじめ”にはことのほか神経質な風潮の当節、深夜の芸人バラエティはこれくらいやらなくっちゃ。

千原兄・せいじ好感度アップ。せいじでこんだけ笑かしてもらったのは正月の『ドリームマッチ』でのダウンタウン松本と組んだ『永遠にチゲに』以来かも。

 仕掛けの企画でタカに“赤いパンツ”を暴露されたのを、仕掛けでキレて見せ「ネット通販で買ったからいませいじ家のパンツはぜんぶ赤やねん」「しかもあれはパンツやないねん、サル年に穿いたら縁起がいい赤のサルマタやねん」「ちゃんとした事言おうや、パンツとサルマタは全然ちゃうやん」「変わってくるやん、意味合いが」と、どう考えても意味ないところでインネンつけまくるせいじに、「はい、はい、すみません」といちいち頷くタカ。そうか!変わるか!意味合いが。

「オマエ赤いパンツ穿いてるから俺が(ジャイアント)馬場みたいやって?亡くなりはったジャイアント馬場さんは本名・馬場正平や、新潟出身の」「はい、はい」「俺は<msnctyst w:st="on" addresslist="26:京都府福知山市;" address="京都府福知山市">

京都府福知山市

</msnctyst>出身の、赤いサルマタを穿いた千原せいじや」「はい、はい」「向こうはストロングスタイルの、赤いトランクスを穿いた、ジャイアント馬場こと、馬場正平や」「はい」「全然違うやんけ」「はいっ、すみません」…この意味のなさ。格闘技好きそうな千原兄、馬場さん豆知識は“アリもの”か。

その前、タカがお詫びのしるしに持参したお菓子に「俺甘いの嫌いやねん」一発でびびらせ、「俺の好きなんは豆腐や、豆腐だけを食いに奈良の山奥まで行ったことがある男や」「そんな事ぐらいな、マネージャーに聞いても、俺が豆腐をこよなく愛しとるとか知っとるわ」タカ「軽率でした」…うわー、嬉しくなるほどの意味のなさ。

 ドッキリとバラされた途端に一気に涙腺決壊するタカ。トシ「その涙は何ですか」タカ「…ストレスです」わはは。トシのモニタールームでの絶妙のツッコミというか合いの手のおかげで“(タカがかわいそうで)見ていられない”に落ちるギリをよくもちこたえたし、“もともとチキンなタカの涙腺沸点が並外れて低く、しかも見るからに低そう”を仕掛け側にも、視聴者サイドにもじゅうぶん地ならししてからドッキリに入ったこと、“先輩としてキレられるとマジ怖い”担当として千原兄という絶妙…と言うより微妙に見かけ倒しの人選も見逃せません。同じ千原でもジュニアだったら、絵柄も空気も根こそぎ変わったことでしょう。

メインMCの番組を持つようになって2年ぐらいになるタカトシですが、似たような肌合い、コンビ体温の2人組がほかにいないのがいまだ強み。

ネタの良質さユニークさでブレイクした後はなぜか“コンビ性”が希薄になってしまう組がそれだけ多いという、ちょっと淋しい現状でもあるのですが、サッポロビールCLASSIC(←当地限定)CMが似合う空気感のタカトシのまま、『お試し~』のような“安心して「くっだらねぇー!」と言える”座標の番組も続けてほしいものです。

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丸い刃(やいば)はなお痛い

2008-06-16 20:37:04 | テレビ番組

8日の秋葉原無差別殺傷事件の影響で、凶行に使用されたダガーナイフの販売を規制、もしくは自粛する動きが広がりつつありますね。

目的のために特化し、洗練され、研ぎ澄まされた鋭利な刃物というのは機能的で無駄を削いだ独特の美しさがあり、美術と実用の両世界を跨いで架けられた精巧な橋のような魅力があるのですが、犯罪に使われるリスクは減らすに越したことはないので、基本的には“販売・購買に要する手続きを厳しくする”方向は間違っていないと思います。

しかし、昨日の朝だったかのTV報道バラエティ番組で、某有名俳優兼キャスター氏が「普通の人の普通の生活に必要ない物なんだから、売らないようにするのは当たり前」「こんな危険な物がいままで売られていたことのほうが不思議」と何度も強調しておられたのにはあきれました。

“普通の生活に必要ない物は売るな”って言うんなら、アンタのやってるその番組こそ必要ないだろうに。

て言うか、その番組を製作して放送してるTV局自体必要なくないか。似たようなモノが汐留にも、お台場にも、赤坂にも、そこらじゅうにあるんですけど。どこか違いがあるとでも言うのか。

モノは、“普通の人の普通の生活”なるものと縁が薄いモノ、必要がないモノであればあるほど美しいし、市場で売られ買われるに足る価値も発生する。

発言されたご本人も、ご自身の“本業”たる(違うか?)お芝居や映画が、“普通の人の普通の生活に、斯様に必要欠くべからざるものである”とまずは立証してから、もう一度上記の発言をしていただきたいですね。

殺伐たる日常の“普通”を耐えて生きる“普通の人”こそが、“必要のないモノ”の美で癒される。犯罪を未然に防ぐ、減らすことも大切ですが、犯罪につながる可能性のあるモノを排除したり圧殺したりする理由に「必要でないから」とは、ずいぶん無粋な、オトナげない物言い、物の考え方が公共の電波においてまでまかり通る世の中になったものです。

そんなことより、今週末深刻だったのは土曜の朝食時の東北地方の地震でした。山形県と聞くと藤沢周平さんの一連の小説の“海坂(うなさか)藩”を、岩手県と聞くとなぜか3月の『爆笑オンエアバトル』チャンピオンファイナルでの三拍子・高倉のモノマネ「リアス式海岸!」を思い出します。

宮沢賢治の足跡をたずねて花巻を、奥州藤原氏の夢のあとを求めて一関・平泉近辺をたずねたのはもう20年以上前。報道を聞いて当時携行したトラベルマップを引っ張り出して見ましたが、当時とは自治体名・駅名も変わって記憶の中の乗り継ぎ経路も、風景もさだかでなくなっている。

東北の脊梁山脈に温泉地が豊富なことは知っていたけれども、そのことの対価のようにあれほど地盤柔弱な凝灰岩質の山地だったとは。山崩れで山林に覆われていた斜面がまる裸となって初めて思い知らされた格好です。せめて晴天が続いて救助活動・復旧作業が少しでも進捗しますように。返す返すも天災、なかんずく地震は怖いです。

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はらたいらさんに全部

2008-06-15 18:03:30 | アート・文化

次クール630日(月)~の昼ドラ『白と黒』が、“対照的な性格のふたりの兄弟の狭間で愛を見つめるヒロイン”の物語ということで、確か似た基本構造のお話を以前幾つかは読んでいるはずだと思い、めっきり衰え気味の記憶力をどうにかこうにかたどって最初に思い出したジョルジュ・サンド『愛の妖精』を、先日から(たぶん)30数年ぶりに再読しています。

すると、あら不思議。初読で印象の強かった“不器量な容姿と男まさりの言葉遣いで‘こおろぎ’‘鬼火っ子’と村人から毛嫌いされる痩せっぽちの精霊のような少女”ファデットより、彼女がふとしたきっかけで接点を持つようになる富農の双子息子の性格のほうが、特に前半、実に丁寧に、肌理細かく描出してあるんですね。

生まれつき体格も容貌も瓜ふたつで、仲良しの男の子ふたりが、それでも少しずつ気質や志向に違いが出てきて、そのために徐々に関係に変化が生じる様子、少年になってふたりのうちどちらかを他家に奉公させるにあたり、父親はより勇敢でたくましく積極的な弟を送り出して、心根の優しくおとなしい兄を親元に残すことにするのですが、それがまた多感な成長期と重なって、微妙な軋みが生まれ、拡大し波紋を広げていくさまが、取って付けたようにではなく、人物の内面的成長遍歴に沿って自然に描かれている。

著者サンドと言えば歴史や文学史の教科書でもロマン主義文学の代表選手として必ず名前の挙がる作家で、若くして結婚・破綻・別居ときて生涯恋愛と別離を繰り返した、看板通りの情熱の女性ですが、人が人として持つあたたかい心情や、家族・異性に寄せる思いの波動、揺らめきに繊細な感覚と表現力を持っていたことがよくわかる。

とりわけ、双子を取り上げた村のベテランお産婆さんが“双子ってのは離れ離れでは生きていけないそうじゃないか”と案じる父親に「双子がお互いに相手をわかるようになったらすぐ、いつもいっしょにしておかないように気をつけなさい」「片方に留守居をさせてもう一方を野良へ連れ出しなさい」「叱るにしても、おしおきをするにしても、ふたりいっしょにしてはいけないよ。同じなりをさせてもいけない。…つまり、思いつくだけの手をつかって、ふたりがたがいに相手と自分をごっちゃにしたり、相手がいないと気がすまなくなったりしないようにすることだよ。」と、豊富な経験と愛情に裏打ちされた懇切な助言をしているのが興味深い。

次クールのドラマ情報で思い出して再読を始めた小説ですが、意外にも、むしろいま放送中の『花衣夢衣』双子ヒロインたちを想起させずにおかない内容だったのに驚いています。真帆と澪姉妹も、この産婆さんの知恵通りに育てられていれば、たぶん十中八九いまTVで月~金繰り広げられている泥沼はなかったでしょう。

と言うより、“人が見ると取り違えるくらい見分けがつかず、自我が確立する青年期に入ってもそれを興がって、わざと人違いされるような言動を頻繁にする双子”って、ほぼフィクションの中にしかいないような気もする。それもかなりレベルの低いフィクション。 

実際に瓜ふたつの一卵性双生児を持った、心ある親御さんは、外見そっくりでもしっかり違う愛児たちの内面に常に敏感で、些細な差異も輝かしい個性の芽生えとして尊重して育てておられるものではないでしょうか。

そして双子本人たちも、互いのそっくりなところよりもむしろ違うところを認識し受け容れることでこそ、より一層精神的な“絆”が深まるのではないかと思います。津雲むつみさんの原作漫画は未読ですが、少なくともドラマの『花衣~』は、双子の神秘的な絆、そこから派生する人間関係・情動の波紋を主題にしているとするならば、19世紀中葉に書かれた『愛の妖精』の半分も、十分の一も描き出せていない、料理できていないことがよくわかりました。

ちなみに、月河がこの小説に始めて接したのは、たぶん小学校45年生の頃。少女向けにリライトされた、カラー印刷の甘い挿絵メインの本だったと思いますが、のちに読み直していま手元においているのは、昭和41年初版・同47年重版の旺文社文庫です。うわー昭和だ。受験生の味方・赤尾の豆単でおなじみ旺文社。当時は函入りの文庫は画期的だったのです。

しかも見たまえ。訳者が篠沢秀夫さん。かつての『クイズダービー』の1枠“愉快教授”です。っつってもこれまた若い人知らないか。奥付一頁前の訳者紹介によれば、当時は明治大学助教授。本文翻訳だけでなく、巻末34ページにわたる画像図版・著者家系図入りの詳細な作品解説も執筆しておられます。フランス文学を学ぶ人なら周知のモーリス・ブランショ(って誰だ)研究の第一人者ですが、この訳書当時は30代、パリ大学留学帰りの気鋭の学者だった模様。

いま何かについて興味を持って調べようと思うと、答えてくれるのはたいてい“昭和”の実績であり知的財産です。偉大なり昭和。目新しいもの物珍しいものは続々出てくるけど、平成は昭和を、いつか凌駕できるのだろうか。

コメント (2)
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