イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

おだてりゃ木に登る

2008-09-17 00:20:00 | 国際・政治

10日の報道だったか、バラク・オバマ民主党大統領候補の「口紅塗っても豚は豚」発言はさほどのバッシングも引き起こさず収束したようですね。もともと、かの国では“見てくれを飾っても、中身はしょぼいままであること”の喩えとして、よく使われる言い回しではあるらしい。

対立するマケイン共和党候補陣営、ペイリン副大統領候補の受諾演説の一節「ホッケーママ(=アイスホッケーチームに子供を通わせる母親)(であるペイリンさん自身)と闘犬との違いは口紅を塗っていることだけ」を暗に当てこすった差別的発言であり、「我々の陣営で口紅を塗っているのはペイリン氏ひとりだ、標的は明白」と、同陣営は猛反発攻撃したのですが、なんだか二重三重に喩えが入り組んで、日本語に翻訳された報道だけ読んでいると、ピンと来ないことおびただしいですな。

ただ、長い長いアメリカ大統領選挙、陣営の一方に女性がひとり加わったことで、“よく使われる言い回し”でも場合によっては侮蔑だ中傷だと言質を取られる地合いに、一気に変わったのがおもしろいですね。

以前出版社編集部勤務の知人から聞いたのですが、どんなに善意の、あるいは一般性のある表現であっても、「傷ついた」「侮蔑されたと感じた」と訴え出られたら、表現を媒体に乗せた側が無条件で「悪意はなかったが申し訳ない」と謝罪し当該字句を削除しなければならないことになっているそうなんです。「表現の世界では、“傷ついた者勝ち”、より正確には傷ついたと“言った者勝ち”なんだ」とその知人は苦々しささえないしらけた顔で言っていたものです。

共和党陣営から反発表明したのが、当のペイリンさん自身ではないというところも実におもしろい。差別発言に対する怒りそれ自体より、「こういう差別に対しては黙っていない、被差別者を守る我が党ですぞ」とアピールしたい意欲のほうが上回ってるということでしょうね。

オバマ候補には今後、賢夫人の噂も高いミッシェル夫人がアドバイスしてあげたらいいんですよね。“被差別者としての女性”の利益を代表する言論に対抗するには、使ってはいけない用語・話法ってだいたい公式があって、そこを踏みさえしなければどうにでもなりますから。

『白と黒』第55話。昨日放送の54話で、緊迫感・切迫感があまりにも不足だと思った理由のひとつに、“話が単線”なことがあります。

礼子誘拐さるで桐生家がパニックに突き落とされるのは当然なのですが、その話ばかりで“手いっぱい”になり、その傍らでこんなことも起きている、その影響でこんな状況もひそかに進行している…という脇線がまったく描かれないので、かえって“大したことないことを皆して大袈裟に騒いでいる”“要するに問題解決能力の乏しい人の集まりなだけ”という印象になってしまう。

今日は、東京でヴェリテ社と交渉金策している章吾の留守中、忽然と桐生家のインターホンが…誰?…路子さん(伊佐山ひろ子さん)が恐る恐る出てみたら、53話での嫁にもらって発言に素直に反応したクリーニング屋の篠塚(仲本工事さん)だった、というサプライズあり。

「あれからいろいろ考えたんだけどサー」の、考えてる間がそっくり桐生家と礼子の危機だったという間の悪い篠塚、でも「カラダで愛を感じたい」(54話)路子さんの立場になってみれば問題含みだらけの桐生家とは縁を切って篠塚に「一生かわいがって」もらったほうが幸せだったのに惜しい…という見方と、いや不器用な和臣旦那様(山本圭さん)にいま見切りをつけないで!という向きとが観客の中でも拮抗する、これは結構、いい描写だった。

章吾(小林且弥さん)沖縄出張、礼子連絡つかず、和臣所長(山本圭さん)母屋に籠りっきり、中村(久ヶ沢徹さん)行方不明、という状況で多忙に振り回され、研究所の行く末を憂う小林(白倉裕二さん)と珠江(斉川あいさん)がひそかに転職の手を打っていて…というくだりも、結婚間近のちゃっかりカップルのあからさまコミカル会話としてでなく、もっと淡々と昨日織り込んでおけば、篠塚の路子さんへの求婚ともども“本人たちに自覚ないまま、味方がひとり去りふたり去りして孤立して行く研究所と桐生家”という経路で、状況の切迫感演出に貢献していたはずです。

昨日の55話までの脚本が遠藤彩見さん、今日が坂上かつえさん、どうも、ここは!というところで感情や状況のテンションが連続しない。

ただ、犯人の一味の顔や顔のパーツ(顎ヒゲの口元)が何度も映り、特徴ある声も流れたことで大体全貌の見当はつきました。8話で聖人が東谷の湿地買取り資金の足しにと300万円借りた闇金業者の一党らしい。たぶん金を引き出すのに礼子誘拐という手があると示唆したのは聖人だったのでしょうが、両手両足縛り上げて監禁までは打ち合わせに入っていなかったので、写メール見た途端に「警察に言うしかないんじゃないか」と青ざめたのでしょう。一葉(大村彩子さん)が皮肉った通り、結局聖人は礼子を早く救出したかっただけと思しい。

礼子を見張っていた子分2人組の会話「また地震だってよ、、本当に来るかな?東京直下型」「どうせ死ぬなら、惚れた女と一緒に死にてぇよな」が最終盤の転結への暗示かもしれない。

まさか特撮地震で研究所も何もかも倒壊して終了ってことはないと思いますが。“直下型地震”が何の比喩なのか。もう1回ぐらい脚本家さんが行ったり来たりしたら、こんな推測、無駄足になるかな。

章吾が3億円持ってビルの屋上~団地のゴミステーション~地下駐車場と走るシークエンスのバックに流れていた曲(54話で脅迫電話第一弾を和臣が対応したラストシーンでも出だしだけ流れました)は、45話で章吾が礼子の携帯の着信記録を見て不安に襲われつつドレッサー前の礼子を見つめる最後の場面の曲同様、サントラ盤未収録。アルバム全体の構成上やや異色だからでしょうか。

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害悪製薬

2008-09-16 00:14:21 | 昼ドラマ

朝から、午後の深い時間になっても目薬に手が伸びないと、あぁ今日は調子いいなと思います。

実際、まだ度を合わせてから半年ちょっとしか経っていないのに、もうデスクワーク、オフィスワークで見辛さを感じる場面が多くなってきたというのは、どんだけ遠視の進行が早いんだと。30代に入った年から眼鏡ユーザーになってきて、歴代のレンズはぜんぶ保存してありますが、これから一生、目の加齢に合わせて新調し続けなければいけないのかと思うと、気分的にも金銭的にも重くこたえますな。

そういう重苦しい気分を吹き飛ばしてくれるのが、我らが『炎神戦隊ゴーオンジャー』

GP3014日放送)、ゴローダーGTに炎神ソウルを入れると、一時的に強化するけどパワーが吸い取られて苦しい、という設定を基礎に、ストロー蛮機のガイアクアを浴びて悪に染まった走輔(古原靖久さん)と連(片岡信和さん)、パワーが吸い取られるリスクを冒して走輔の目を覚まさせに行く炎神スピードル、「走輔とスピードルがいなくても!」と頑張るゴーオンジャー4人とウイングス。

悪になった赤青2人がなぜか「走の字」「コウサカさん」と上下関係ができていたり、走輔のほうが悪に免疫がない正義生一本だから染まりやすかったとか、悪を犯すにしても黒板に爪キーキーで宝石強盗、胡椒振り振りで銀行強盗ってそれ子供だろうとか、なぜか悪の走輔に「カッコよくなっちゃった」とラブな美羽(杉本有美さん)とか、5秒に1個はネタ満載。

ガイアクアで「今年の夏は!」とCMモードになったストロー蛮機に「もう夏も終わりゾヨ」と水を浴びせるキタネイダス様、「ドーピングとは汚いやり方ナリ」とヨゴシュタイン様、「いやン褒められたで汚じゃる」とケガレシア様(及川奈央さん)。ガイアークの語彙では「キタナイ」は褒め言葉、「美しい」「清らか」は侮辱で苦痛でしたね。相変わらず和気藹々なガイアーク3大臣。

ガイアクアを浴びた量が少なかったため早く目を覚ました連に「きっと何かわけがあるって、信じてたんでぃ!」とバスオン、それを見て「…走輔のバカヤロー」と不貞腐れるスピードル。「スピードル、走輔が強いから相棒に選んだのボンボン!?」と問い詰めるボンパー。敵も味方も、友情とチームメイトシップの名のもときっちりキャラ見せ。

中でも、目が覚めた走輔レッドと、ゴローダーに入ったスピードルの2ショット名乗り「真っ赤に燃えるスピードキング!オレたちゴーオンマッハ組!」は本当にワクワクしました。ちょっとリスキーでも、ほかのメンバーの炎神ソウル1回ずつゴローダーに入れて名乗らせて見てみたいなと思いましたね。ベアールVの名乗りポーズ、ゴローダーできるかしら。

正義の戦隊と敵組織がなあなあになっては物語が成立しませんが、蛮機獣という実動部隊を挟んでの戦闘であるがゆえに、ガイアーク3大臣の好感度もしっかり物語盛り上げに貢献しています。強いてアラ探すとすれば、今話のストロー蛮機にメカ感があまりなく、ケガ様製のドリンク頼みで戦闘力がいまいちだったこと、ビル屋上から見下ろした蛮機目線の人間の雑踏が、思いっきり冬の服装(=撮り貯め映像の流用まるわかり)だったことぐらい。次回GP31もますます楽しみですね。

比べるわけにはいきませんが『白と黒』55話は、ヒロイン礼子(西原亜希さん)が誘拐されて行方不明、警察に駆け込むわけにもいかないし、家族以外に知られてもいけない、3億円の工面を迫られてタイムリミットが刻々、しかも身内か知己が怪しい可能性も…という、四面楚歌どころか八面楚歌ぐらいの絶体絶命状況にもかかわらず、緊迫感や切迫感を表出する気があるのかってぐらいゆるい、タルい演出。OPタイトルにかぶせるBGMの選択もいままでとまったく変わらないし、1話まるまる使って、カタストロフも解決もなしで続きは明日って、どれだけスピード感ないんだか。

昨年の同枠『金色の翼』でも思ったのですが、この枠のスタッフは基本的にサスペンスに向いていない、と言うかそっち方面の引き出しが無さ過ぎると思う。序盤の一葉(大村彩子さん)の真意をめぐる礼子たちの心理暗闘劇もそうだったように、犯人捜し、真相探りの地合いに仕立てたパートがことごとく外れ。

今作で言えば、見ていてさっぱり礼子が心配にならない、「早く助かって、助けてあげて」という気持ちにならないのです。まあ単純に、残り2週の段階でヒロインが殺されるわけはないというお約束感もあるにはあるのですが、「結局は聖人(佐藤智仁さん)が一枚噛んでいて、監禁場所も承知で奔走するふりをして間一髪救出して、“聖人さん!”って礼子が抱きつくんでしょうよ」と読め過ぎる。

物語的に観客が「礼子は聖人が助けてほしい」と「章吾(小林且弥さん)が助けてほしい」が半々ぐらいの気持ちで見守れれば上々の緊迫感でしょうが、そこらへんのブレンド具合もどうだか。見ていてどうも章吾が一方的におバカ、ウスノロに見えてしょうがない。

本日の成果は、絶対君主だった和臣(山本圭さん)が、沖縄から急遽帰京して、目障りな聖人と一葉を帰宅させようした章吾に、「聖人は東京のマンションまで礼子さんを探しに行ってくれたし、昨夜から一葉さんとここ(=桐生家母屋)で私たちについていてくれたんだ」とフォローしたり、前週54話で辞意を表明していた家政婦・路子(伊佐山ひろ子さん)に「泊まってくれてありがとう」と低姿勢になったりしたところですかね。ここは人物に幅が出て、誘拐事件が心理模様上、無駄なイベントではないということを証明しました。

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なぜ描くの?

2008-09-15 00:35:57 | CM

最近、地上移動中や台所作業中に、FMをやめてTVアナログ放送の音声を聞くことが多いのですが、最近のTVCMは、昭和3040年代のようなCMのためのオリジナル曲”が少なくなりましたね。

代わって増えたのは有名アーティストの新曲・旧譜との、所謂タイアップ、あと最近耳につくのは、クラシックやスタンダードナンバーをニューアレンジしたり、詞だけ新たに当てて替え歌にしたもの。

 スタンダード曲の起用は、特に自動車のCMに多いような気がしますが、やはり価格からいって、スタンダードで青春期を過ごし、耳になじんでいる年代が購入の財布を握っていると読んでるんでしょうな。

替え歌系CMで最近いちばんインパクトがあったのは、資生堂インテグレートの♪ ヒッパレー ヒッパレー でした。「ひっぱれぃ」と「いんてぐれぃ」…イキオイをつけて歌えば、似てないこともない。

夏木マリさんの声のように聞こえたので、確かにあの黒目ならばっちりインパクトだわぁと思ったら、TV映像を見ると全然違うモデルさんで、調べたら真木よう子さん。昨年のSPとまったく印象が違うのは、モガ風のボブカットのせいでしょうかね。

月河も20代の一時期クレイジーなくらいメイクにこっていたこともあるのですが、“黒目を大きく、くっきり”をアイメイクで達成するのは本当に難しいです。目のタマの中ばっかりはいじりようがないですからね。

“黒目の大きな目=印象の強い目”と脳内で読み変えて、黒のアイラインを黒々と引いてしまったりしがちなんですが、アイラインを濃く長く、特に目頭~涙堂まで囲むように描くと、目はかえって小さく細く見えるだけで、“欧米人がイメージする東洋人のパロディ”みたいになります。

目のタマ外っかわを“攻めて”、黒目拡大を達成しようと思うなら、黒を使うのは目尻をはさむ上下ちょっとの“区間”だけにしておいて、目幅のいちばん広いところの上瞼に、むしろ積極的に白のアイシャドウを塗るほうがいいです。白⇔黒の対比で黒目が、大きくはならないけど引き立ちます。

あとボリュームマスカラと繊維入りのロングマスカラ(←こっちは目尻のみ)二刀流で、目周りにに“黒のフリル”をつけるのも有効。

 ちなみに、歌声はやはり夏木マリさんだったようです。

 当該商品・当該CM限定のオリジナル曲、特に歌詞に商品名をフル入れたヴォーカル曲が少ないなと思う中で、最近妙に脳内ループしてしょうがないのは♪ クリーム玄米ブラン クリーム玄米ブラン のヤツ。

入浴中とか、単純作業中、ヘタしたら声出して♪くりーむげんまいぶら~ん…と口ずさんでる自分に気がついてゾッと…いやドキッとすることがあります。あのマイナーコードには共産圏の催眠療法みたいな、不気味な催習慣性がある。

“制服萌え”男子の妄想を刺激してやまない、ボウカラーの白ブラウス&薄紫のベストスーツ(しかも脚を高々上げてもオッケーなショートキュロット)のOLさん軍団が、若い頃の藤原紀香さんの缶チューハイみたいな、無意味さ全開のダンスを繰り広げる映像もいいですね。デスクブースも、給湯室のコンロも、あり得ない“一列横隊ダンス仕様”に並んでいるところが、シュールレアリスムのポール・デルボーの絵のよう。

制服OLたちのオフィスでの三時のおやつ、そして給湯室という、リーマン男子およびその予備軍にとっては永遠に秘密めいた未体験ゾーンの妖しさを、うまくヴィジュアライズしていると思います。ヘルシー志向の女性軍本人たちだけではなく、男性上司・同僚諸君の「今度あのクリーム何たら、差し入れしてあげようか」「食いつきがよかったら、その次はお茶に誘って、食事に誘って…むふふ」というマーケットをも、遠回しに促進する戦略とみました。

『白と黒』54話(12日放送)をやっと録画再生。礼子(西原亜希さん)誘拐。それも章吾(小林且弥さん)沖縄出張でひとりになった日を狙って、東京事務所の水漏れニセ電話で単身呼び出しておいての犯行。

51話でヴェリテ社の全権日本代理人を自称する弁護士・佐久間と章吾礼子が面談中、聖人(佐藤智仁さん)に案内させて事務所を不意打ち来訪した大貫(大出俊さん)が、待たされた玄関口でえらく鋭い目つきで室内周囲を見回していたなと思ったら、そういう計画に結びつけたか。53話での一葉(大村彩子さん)→和臣(山本圭さん)→礼子→聖人という“下見ツアー”も、誰を人質にとればいちばん効率よくパニックを起こせ、カネを巻き上げられるかを値踏みしていたのかもしれない。

章吾が下見の対象に入っていなかったのはたぶん、桐生家にとっての目下の唯一の太い金ヅル=ヴェリテ社との契約決断権を持つのが章吾だからで、章吾を拉致っては残るのは烏合の衆で、元も子もなくなると読んだのでしょう。

礼子が「水漏れらしいから東京に行ってみます」と告げたときに、“実生活”代表の家政婦・路子さん(伊佐山ひろ子さん)が「礼子さん、下の階の人って言っても面識はないでしょう、水漏れならマンションの管理人さんにまず連絡するものじゃないですか、おひとりで行かれるなら、本当に下の階の人本人からか、管理室に確認依頼入れて、なんなら合鍵使って見てもらってからでもよくはないですか」とひと言言い添えてくれるとなおよかったですね。本当に桐生家の人たちは全員、世俗な世間知、生存のための常識が薄く、嵐に弄ばれる舟のようにやられ放題。

ヴェリテ社佐久間弁護士と日本支社の田辺はおろか、沖縄・座間味の新研究所出資に、俄かに乗り気になって来た事業家金城さん(←画面に登場せず)すら大貫と示し合わせている可能性まであります。

あと同54話の前半と後半であまりにも物語のテクスチュアが違ってしまったので、できれば前半の聖人、ヤクザ3人組による焼き入れ負傷をおして礼子肖像を描くのくだりから、礼子誘拐に至る後半のエピとの間にもう1エピ何かあったほうがよかったですね。撮影スケジューリングのゆえでしょうが、バケツ三分の一溜まるぐらい流血してまっすぐ立って歩くことも覚束なかった聖人の頭部の裂傷が、後半で跡形もなく治り過ぎ。

1エピ挟むとテンションがゆるんでしまうとすれば、せめて後半の聖人が額に膏薬貼って腫らしていて、礼子の倉への遅刻を不審に思い桐生家母屋に駆けつけたとき、路子さんに「礼子さん?…聖人さん…まぁどうされましたその傷」と驚かれるとかね。どうも負傷お絵描きのくだりが、章吾に手伝わせての礼子の着替え、ポーズ直して礼子の手に絵の具の跡を残す聖人などの細部も含め、突出して高緊張度で、前後のエピから浮き上がり気味だったのが惜しい。

佐藤さん演じる聖人の“やられ場面”“痛みこらえ演技”が好評であろうことを見越してのこのエピソードだったと思いますが、ちょっとやりすぎ、サービスとわかりやす過ぎ。ここらへんの匙加減はむずかしいですがね。

章吾の、礼子を残しての急遽単身沖縄出張情報を一葉から聞いており、かつ東京の事務所にも土地カンのある聖人がこの誘拐にどれだけかかわっているか、救出に手を貸すのか、貸すふりをしているのか、そこらへんのミスリーディングの匙加減も難物ですが、どうも“誘拐企画立案にかかわってはいるが、救出に手を貸すのも本気で、本ボシに逆に裏切り者として狙われる”って展開になるような気がします。

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ときめきを運ぶよ

2008-09-14 00:05:47 | 朝ドラマ

NHK『瞳』はどうやら母・百子(飯島直子さん)と離婚した長瀬(勝村政信さん)との復縁ムードですね。

自宅にいると音声だけつまみ聴き視聴が多いので、いままで何となく、広告代理店勤務から脱サラで起業し資金が必要になった長瀬が、百子に「勝太郎お父さん(西田敏行さん)から融通してもらえないか」と頼み、反対を押し切って結婚した手前いまさら父に無心はできないと、百子さんが断って離婚に至ったのかと思っていたのですが、そうではなく、どうも長瀬は百子さんに隠して借金を重ね、返済に窮して百子さんを飛び越して勝太郎さんに借金を申し込み、そんなカネはないと拒否されると「この家を売れば」と提案したのが勝太郎さんの逆鱗にふれたらしい。「この家売れってことは、月島を出てけってことだろオマエ」と。

そりゃ、(いまは亡き)節子さんとご夫婦で洋品店を守り里子さんたちを育ててきた勝太郎さんが怒るのも当然。瞳(榮倉奈々さん)と再会後は人の良さや気弱さが目立つ長瀬ですが、17年前当時は独立を焦って高飛車だったのかもしれない。百子にしても「なぜお父さんに直行する前に、妻の私に相談してくれなかったの」とむなしく思ったことでしょう。「キミは成功しているボクが好きだったんだと思ってた」と長瀬。釦の掛け違い末広がり。

最近の朝ドラ、よりリアル視聴者層に近い年代なのは“親世代”なのが定例ですが、それにしてもヒロイン両親が飯島さんと勝村さんとは若い。実年齢は飯島さん40歳、勝村さん45歳で、20代前半~半ばでなした子が21歳になっている、40代真っ盛りの役を演じても不都合はないのですが、お2人とも『スーパーJOCKEY』『元気が出るテレビ』の頃のヴィジュアル・イメージともにほとんど変わっていない(しかも奇しくも“ビートたけし組”)ので、なんかやたら若いお父さんお母さんに見えます。

以前ここにも『熟年離婚』再放送を観ていたときに書きましたが、役柄設定年齢・俳優さんの実年齢・イメージ年齢・主張年齢(「役者誰某、このくらいの年齢に見えるでしょ?見てくださいね?」と訴える年齢)が二重三重にからみ合って、公式サイトかTV誌の“アンチョコ”を当たってみないと、誰が誰の何に当たるのか、絵ヅラがものすごくわかりにくくなっているドラマはたまさかあります。

『瞳』では長瀬の登場以前に、月河はたとえば鰹節屋の前田吟さんと安田顕さんが実の父と息子というのがなかなか呑み込めなかった。あと年齢問題のほか、“似てない兄弟二組(もんじゃ焼きと森本食堂)”の“ガタイ身長問題”もありますな。

まぁなんだかんだで、5月の連休明け頃から月河の高齢家族たちがこの『瞳』リピーターになっていった頃を振り返ると、連続ドラマに嵌まる、嵌める過程の教科書のように思えます。

確か瞳がダンスレッスンとアルバイトと里親業の三本立て生活で倒れてしまった頃で、ストーリー的にも見せ場があまりない時期でした。しかしNHK朝ドラの恐るべき底力、見逃しても昼の再放送のほか、夜730BSで再放送があり、土曜の朝930からは、一週分まるごとおさらいがある。早出の日は、BSハイビジョンで朝745~の放送もある。

天網恢恢、疎にして漏らさずじゃありませんが、見逃したことで体温が低下して客が脱落しないように、国営放送の複数チャンネルの強みをフルに活かしてアミをはってある。

つくづく思ったのですが、連続ものは「とにかく続けて見せる、多話数見せる」ことが最大最強の必勝策ですね。NHK朝の週6回放送なら、最低でも週3話は見せる、見てもらうように押し込むこと。脚本や演出の妙がものを言うのは、その次の、もひとつ次くらいの段階です。いくら巧妙に伏線を張ったところで、張り口を見ていてもらわなければ、スマートに回収しても無駄骨です。

月河贔屓の平日昼の東海枠は週5回ですが、こちらも録画なしのリアルタイム視聴なら概ね週3話が味読のための“ノルマ”でしょうね。週2話では状況の波、心理変転追尾が難しいし、キャラの顔も疎遠になり、結局離れます。

続けて見てさえいれば、多少話が無茶でも、設定に矛盾があっても、“毎回見るあの顔、この顔”にそれなりの愛着がわいてきて、駄目出ししながらもそれすら楽しみになり見続けるようになります。そこんとこを見透かすように朝ドラは、どんな年代の客でも「あぁあの人見たことある」が12人は必ずいるように、大河その他で実績ある大物俳優さんやアイドル出身若手、特撮イケメン、小劇場系、お笑い、時には演歌歌手など、老若男女とりまぜて脇に張りつけてもある。

1話見て次も見てみようということになったきっかけ、ウチの高齢組における『瞳』の場合は、セリフの切れ味やロケシーンの魅力ではなく、耳が遠めですから音楽でもなく、もちろんヒップホップへの興味でもなく、なんと「ヒロイン役の子(=榮倉さん)がとにかくデカい(=長身)」というところでした。曰く「あんなにデカい女の子見たことがない」。

高齢組の中でも昭和から TVドラマに親しいほうのメンバーは、70年代に石井ふく子さんプロデュースのホームコメディ『家族』で草刈正雄さんを見たときの印象を引き合いに出しました。「セットの端から端までひと跨ぎ半ぐらいだった」(←なんぼなんでもまさかね)「あの頃より茶の間のセットはリアルになっているけど、今度のコはアレよりおっきい」。

ネット上の資料によると草刈さん185センチ、榮倉さん1704センチで、あまり根拠はなくその時々の印象でしょうけどね。でも榮倉さんには失礼ながら、ウチの高齢組には、結局、瞳ちゃんがびっくりするほど長身だということが、「何せデカいから。いっぺん見てみな」、一度見ると「昨日のあの後どうなったかな」続きを見ると「やっぱりおっきいなあのコ」と、とにかくドラマへの興味をつなぐ決め手になった模様。

そのうち「おっきいけどモデルさんのようではなく、顔は庶民的」「美人じゃないけど、ときどきとてもいい表情をする」「『篤姫』のコ(=宮崎あおいさん)を野性的にしたような感じ」と解釈の幅が広がるとともに好感度もじりじり上昇、里親制度やヒップホップについてもかなり咀嚼して、いまは朝815~の定時放送をフル見た日も昼の再放送で再度字幕つき復習(食卓のTVはいまだ地デジ対応ではないので)し、エンド画面でのヒップホップステップ紹介から100のニュースに移ったときの、モニター目線からカメラ目線になる登坂淳一アナの微妙な微笑み顔を見るのが楽しみになっているようです。

そのうちネタで一度、登坂アナが、画面切り変わったときアナ椅子から下りて上着脱いでステップ真似てて、キュー見て「…あ!わわ」とやおら椅子に戻って釦留めてネクタイ直して「…100になりましたニュースです。」ってやってくれたら、ウチの高齢組、喜びのあまり頓死するかもしれません。

月河は、音声のみ流れ聴きつまみ聴きでなく、映像ごと随伴視聴できた範囲内で、EXILE眞木大輔さんの“使え幅”の広さにいちばん驚いていますね。石田商店の前垂れかけてタオル鉢巻きの似合うのなんの。本業がミュージシャン、ダンサーですから台詞が若干硬いなど、ベーシックな問題もあらかたふっ飛ばしました。劇中のカリスマダンサーが心機一転、鰹節屋で接客バイトしてるんだから硬くて当たり前という、設定の恩典もあるのですが、どうしてなかなか、鰹節屋になってからのほうがカリスマ時代より演技が闊達だという摩訶不思議。

12日放送分では実家が川崎の豆腐屋で、高校時代「オレも豆腐屋やりたい」「豆腐屋は長兄が継ぐんだ」で親と仲違い、高校中退して荒れた挙げ句「こないだ10何年ぶりに帰ったら“おぉ”って何も言われずに、皆ですき焼き食べた」なんて話も瞳にしていました。あんなに真っ黒な顔して豆腐屋ってのもおもしろい。なんだか今後、音楽番組でEXILEを見かけても、なんでMAKIDAIさん前垂れ鉢巻きじゃないの?と思ってしまいそうです。

そんな『瞳』随伴視聴組月河も、エンディングの度重なる“まゆげネコ”はいい加減にしてほしいと思うな。楽しんでる人、多いんでしょうかね。なんか「親しんでください、お子さんと一緒に踊ってください」“好感度乞食”って感じで、いじましくて嫌だなぁ。

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真作とレプリカ

2008-09-13 00:25:10 | スポーツ

角界大麻汚染絡みで何度か書きましたが、弁護士さんの頭髪その他はさておき、結局は“年長世代が若い世代を教育する力量の低下”という、2008年の日本に普遍的な問題の一断面に尽きると思います。大相撲界に、あるいは相撲協会に、ましてや外国人力士に固有の問題ではありません。

モノであれ、言葉・用語であれ、所作や振る舞いであれ思想であれ、伝統的なもの、お祖父ちゃんお祖母ちゃんの子供の頃から受け継がれてきたものより、昨日今日にわかに出現したもののほうを持てはやし有難がる風潮がこう何十年も続くと、子供たちや若者たちに“年長者に敬意を持ち、言われたことを素直に聞く”という習慣と言うか、基本姿勢が形成されないのは当たり前のことです。

いまや、職場でも家庭でも“年齢が上の人ほど物事を知らない、扱えない、使いこなせない”のが現状。彼らにとっては、新しいことを習い覚える能力が低下してからいきなり現われて、今日からこれをさあ使えと迫られるモノに囲まれているのです。生まれたとき、物心ついたころからそのモノがあって慣れ親しんでいる世代に、遅れを取るのは当然です。生徒は教師を、新入社員は管理職を、弟子は師匠を、子供は祖父母やご近所の高齢者を、みんな心の底では「何も知らない」とあなどっています。

もちろんその根底には、間断なく新しいモノを作り続け、売り続け、人の気をひき続け買わせ続けていかなければ食い詰める“市場経済という名の車輪ネズミ”構造があります。

 加えて、児童生徒なり部下後輩なり、目下の者を教え導き、監督し、管理するという作業は、一定の年齢になれば誰でもできるというものではありません。教えることは特殊能力であり、才能です。小中学校高校の頃、同じことを注意されても、カチン、ムカッと来る先生もいれば、右から左へ受け流して速攻忘れる先生も、従わなければしょうがないと思える先生もいました。みんな大学の教職課程を経て国が定める教員免許を取得し、同じ教育委員会の採用試験に合格した先生たちなのにです。

教える能力、適性は大学では身につかないし、ペーパーテストで判定もできないのです。

子供が親の言うことを聞くのは、親が絶対だからです。親は目が開いたときに、どんなモノより思想より先に、あらかじめそこにいる。親が自分に乳を与えて生かしてくれる。親と生存は直結している。だから子は、親がどんなに世間的には無知蒙昧だろうと、自分の親だというだけで親の言うことに従い、従わず背いたときは心の底で痛みを感じるのです。

相撲部屋は親子関係をかたどったものでした。力士にとって師匠は親同然。師匠がいるから飯が食える。寝起きする部屋も与えられる。出世すれば実家の実親に仕送りもできる。しかも師匠は多くの場合、幼い頃からTVで憧れた横綱や大関です。

しかし、いまや体格優秀な10代の若者たちにとって、“飯が食える”だけなら何も有難いことはない時代です。昔とは様変わって、息子を東京の相撲部屋に送り出す実家も貧乏でクチ減らししたいわけではなく、「辛かったら帰ってこい」と言うはずです。歯を食いしばっても師匠の指示命令に従わなければならない理由はどこにもなくなりました。

ここで初めてからんでくることですが、あまつさえ問題力士たちは外国人で言葉の壁、習慣の壁があり、師匠の指揮命令がかりに完璧だったとしても、意図するところが正確に伝わっていたかは怪しいものです。

官公庁の不祥事、行政の不手際、食品・製品偽装、教員汚職、無差別殺傷事件など、いま日本社会を震撼させたり不安に陥れたりする事案のほぼすべてが“上が下を教え導き、ルールに従わせる能力がない”ことから発している。

六三三四制という枠組、義務教育という法的拘束力があるから、まだ学校教育だけは辛うじて生きながらえていますが、今般、暴力致死事件から始まった相撲界の一連の問題は、若年世代の教育にかかわるシステムのうち“経年劣化のすすんでいるところから先に噴出した”だけのような気がします。“まだ保つと思っていた”場所からも、早晩噴出するでしょう。

『白と黒』53話を一日遅れで視聴。大出俊さん演じる大貫が、一葉(大村彩子さん)→和臣(山本圭さん)→礼子(西原亜希さん)→聖人(佐藤智仁さん)と“一対一面談行脚”で大活躍の日でしたが、彼から「とんでもない男(=聖人)と一緒になってキミも苦労するね」と水を向けられた一葉の言葉「苦労だなんて思いません、聖人といると、人間って何てずるくてみっともない生き物なのかとよくわかって、楽しいんですよ」「自分のことも、身勝手でずるい自分を認めてみると、とてもラクになれます」は重かった。

一葉の序盤の礼子見殺し未遂や、聖人に唆されての章吾との想像復縁を経て礼子との和解、留学帰国し仮出所後の聖人との電撃結婚などここまでのすべての行動や経験は、この台詞を言うための長い助走だったかと思わされました。

礼子にはできないであろう“一緒に汚れる”ことで聖人と絆を築き保ちたいという執念は、第一部での章吾への未練とはまったく違う地平に突き抜けた。この枠の“いつもの昼ドラ”ならばそろそろ聖人に何かの“仕込み料理”を供するお約束ですが、一葉のいまの静かさ、達観ぶりはそういうモノより百万倍不気味。

大貫-和臣対談(キャスト的には俳優座先輩後輩対談)も、大貫としては次回以降の企みのための下調べ訪問だったと思しいのですが、“彩乃(小柳ルミ子さん)の元愛人と元夫”の顔合わせ、ベルンハルト・シュリンク『逃げてゆく愛』(←左柱←参照)に収録されている短編『もう一人の男』を思い出させました。

亡妻の遺品の中から出てきた、別の男からの思いがけない甘い恋文の数々。文中引用されている妻の言葉や行動は、夫が長年イメージしていた妻とはまったく異なるものでした。

こっそり調べ上げて、偶然の旅行者を装って接触したその相手の男は、謹厳な仕事人間をもって任じていた夫とは正反対の、見栄えのいいほら吹きの伊達男。夫は嫉妬と悪戯心から、身分を隠して男にある罠を仕掛けようと試みますが、意外な顛末、そして夫が男から学んだこと。

ある人のある部分が、ある人にはかけがえのない美点に見え、別な人には欠点に見える。また別の人には、まったく何も見えない。大貫が愛しつつ翻弄された彩乃、和臣が妻として見て、失望させられた彩乃、どちらも嘘偽りはありませんが、彩乃のすべてではなかった。

毎日この枠のドラマを録画再生するとき、まず末尾の次回予告だけを先に見て、「次回この場面この台詞が来るなら、今日はこんな展開になったのではないかな」と想像逞しくしてから本編を再生するのですが、54話で聖人がブラックスーツの連中に焼きを入れられるということは、裏で指揮したのは大貫でしょうね。“どこを突いたらいちばん効率よく波紋を起こせるか”この53話で面談リサーチしていたのでしょう。なかなか老獪。

でも“聖人に絵を描くのをやめさせる(研究機密闇ビジネスに専念させる)”ことが暴行の目的のひとつだったとしたら、予告を見る限り達成できないようです。大貫が目的と思っていることは聖人には手段、大貫にとっての手段が、聖人には実は目的かもしれない。

物語が礼子章吾聖人一葉の恋愛感情の神経戦モードから、一気に謀略モードになっていく契機として、大貫と、大貫を演じる大出さんの存在感が思っていた以上に効いている。5週で彩乃の内縁の男として初登場の頃は「こんな居ても居なくてもいい、クレジットにファーストネームさえない(54話のいまもない)役にどうしてこんな重鎮さんを使うんだろう」と思ったのが夢(?)のよう。

一葉から情報を得るための面談会話「カネだけがほしくて聖人くんの話に乗った訳じゃない、おもしろかったんだな、彼が」(←第4話の聖人「あんた(=礼子)、おもしろいな」を想起)「彩乃の死に目に会えなかったからね、ちょっとした弔い合戦の気持ちもあったかもしれないよ」で、大貫がここまで状況に容喙してくる必然性が俄然出てきた。

大出さんをこの枠で拝見するのは、再放送枠で見た『白衣のふたり』(98年)以来ですが、ちょっと無理筋かもと思える急展開でスピンや脱輪をしない操縦において、やはりベテラン俳優さんの演技力、キャラ状況表現力に頼むところは大きい。ドラマにおける脇役の重要性を再確認します。

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