イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

汚れた黒い羊

2008-09-11 00:41:36 | スポーツ

昨日の記事に登場してもらった元小結の露鵬、ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフさんですが、「やってない。信用してない」会見のご本人より、代理人の弁護士さんの頭髪が味出してましたなあ。かぶりモノの下から、地毛と思しき毛が数本垂れて、というか漏れて、束になって汗でコメカミからもみあげ方向に張り付いている人は初めて見ました。もちろん、かぶりモノの毛のほうは何事もなくこんもり横分けに固定しているからややこしい。

 ああいう、本当は見てはいけないのであろうモノをTVで見ちゃうと、やはりあの手の人工物は、どんなに高機能高耐久性を宣伝されようと暑さや汗は禁物なんだなと実感してしまいますね。人工物が如何にシッカと動かなくても、その下の“地モノ”が暑さなり汗みずくなりの独自の動きをしてしまう。業者さんにとっては逆宣伝で、あの弁護士さんをお得意さんにしている当該メーカー・販売店のかたが会見映像をもし見ていたら、汗は汗でも冷たい汗が流れたのではないでしょうか。

以前ここでも書いたと思いますが、頭に載っているモノの(白黒灰色に関係なく)毛ヅヤと、顔・首・手の甲などの肌の張りツヤに明らかなギャップがあれば、速攻“人工”は読めてしまいます。

男性の場合、載せることには積極的なのに、肌が年齢相応にシワっぽく水けや皮脂が減り、特に目周り・口角周りがクシャクシャガサガサになり、毛穴の弛緩と相俟って部分的には“格子縞”状態になっていることにまったく無頓着で、頭部だけ独走でツヤツヤ黒々、フサフサこんもり盛り上がったモノを載せている人が非常に多い。

載せモノを潔しとしない代わり、もう全滅寸前まで激減した“地モノ”をこれでもかと純黒に染め倒している人も見かけるし、外貌の若々しさを保たん、保てないなら装わんとする努力がなぜか異常に“頭髪”に一極集中し、容貌の他のパーツとのバランスを一顧だにしない傾向、男性に顕著だと思います。

ご本人が満足しておられるなら別に外部から、それもTV鑑賞でどうこう言う筋合いはありませんが、弁護士さん、“真実”“正義”“虚偽や捏造の解明と是正”を取り扱う職種だけに、ちょっと気にしてみました。

白黒灰色と言えば『白と黒』52話。肖像を描く、モデルになるという関係で妻・礼子(西原亜希さん)と弟・聖人(佐藤智仁さん)との間に熱気再燃を感じ不安にかられた章吾(小林且弥さん)、料理経験ゼロなのに「夕食はボクが作ってあげる」「あ、ペッパー買い忘れた」とアタフタ。13話での聖人「朝メシ一緒に食おう、いちばん近いコンビニはどこだ?」のさりげなさと見事な対照。

「君は本当にボクを愛して結婚したのか」と礼子を問い詰めた挙句、翌朝礼子が「モデルはやめるわ」と申し出ると「なぜいまそれを言う?モデルは続けてくれ」。

礼子も間が悪いけれど、“もろさ”“臆病”も人間の“黒”部分のいち側面とすれば、章吾もとことん自分の黒さに自覚のない男です。突き詰めなくていいことまで突き詰めずにいられない科学者気質と言うか、良く言えばまじめで、悪く言えばハンドルの“遊び”がない。

家政婦路子(伊佐山ひろ子さん)に「ご自分の身体を使って人体実験はもうおやめになってください、人の命を救うため(に薬学の研究をする)という旦那さまのご信条に反するのではございませんか」と諌められ、「生意気なことを言うな、使用人ふぜいが」とはねつけてしまう和臣(山本圭さん)も章吾と同類項の“黒”を露呈している。本当は路子さんの、家族以上の永年忠勤に感謝し大切に思ってもいるのに、路子さんが“雇われの身でこんな僭越なこと言うべきではない”と解雇覚悟で進言してくれていることも冷静になれば察しられるのに、だからこそ「痛いことを言ってくれるな」と斥けるに適切な語彙を、章吾と同じく“遊び”のない和臣は持っていないのです。

昨日の予告の段階でこの「使用人ふぜいが」を聞いて、「ここまで言っちゃったら和臣の人間性もキャラとして終わりじゃないか?」と気がかりでしょうがなかったのですが、字ヅラ通りの“尊大”“威圧”のタームではなく、心底から温かい親身の路子さんの諫言だからこそ、スマートに、やんわり却下するすべを知らない和臣の“弱”“不器用”部分を強調した演じ方、俳優座のベテラン山本圭さん、さすがです。台詞の強さ身もフタもなさを、ここまで築いてきた和臣のキャラとひとつも矛盾させず、続く路子さんのバルコニーでの真情告白シーンにつなげました。

2部に入って聖人と結婚して登場した一葉(大村彩子さん)は礼子章吾に“ラブラブ幸せ見せつけモード”のときから催眠術にかかったようなウィスパー気味の喋りが不気味でしたが、今日の聖人への赤ワイン振りかけでひとつのピークに達した感。

ワインにしては色も質感もねっちょり濃厚な赤紫で、視覚効果としてリアリティどうなの?という気もしましたけど、聖人のボサボサ髪から滴り落ち頬を伝う場面は、ブライアン・デ‐パルマ監督『キャリー』のプロムパーティーステージでの破局シーンを思い出させました。

これはどう見ても“血”の暗喩、と言うか直喩。その血はまさに一葉の“子宮”、つまり女性性の暗部を象徴している。

「オレという哀れな子羊を世話することで自分の生きる意味を実感したいだけだ」といくら聖人に突き放されようと、一葉は女として聖人に抱かれ、聖人の子を身篭り産みたいと思っている、その気持ちに嘘はない。

聖人に浴びせた赤ワインは、聖人の子を孕むべく子宮にたくわえられ、子種を着床させることなく無駄に排出された、つまり一葉の経血の代用なのです。「あなたが抱いて、妊娠させてくれないから、ほら、こんなに…」……おおコワ。でも昼のドラマで、よくぞここまでシンボリックに洗練された“性”のメタファーを見せてくれたものです。仮出所後の聖人をワイン輸入販売業に就かせたのも、今日のこの場面への布石だったかな。

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ドウモ吸イマセン

2008-09-10 00:11:39 | スポーツ

昨日(8日)処分保留で釈放された若ノ鵬関は、謝罪会見で「スイマセンでした」4回ぐらい繰り返していたけど、この状況でそれ言ったら、日本語では古典的なダジャレになるんだって、誰か教えてあげたのかあげなかったのか。会見時の自由なウェービーな髪型からしても、「右手の甲を前に向けて額の右に当てて、“どーも”を付ければもっといい」とも教えてあげればよかったのにね。

 ところで、報道では若ノ鵬寿則、本名ガグロエフ・ソスラン・アレクサンドロヴィチと表記されていますが、確か、昔、ロシア語の名前は“ファーストネーム”+“父の名”+“姓”から成ると聞いた記憶があります。

ロシア人っちゅうとどうしても文豪系か音楽系しか名前が出てきませんが、たとえば『アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』のトルストイはレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ、くだいて言えば“トルストイ家のニコライさんの息子のレフくん”。

先日『氷の華』で米倉涼子さん扮するピアニストも弾いていたラフマニノフはセルゲイ・ヴァシーリエヴィチ・ラフマニノフ“ラフマニノフ家のヴァシーリーさんの息子のセルゲイくん”です。

若いところでナイスバディの女子テニス、マリア・シャラポワはロシア人ではなく、正確には両親ともベラルーシ人ですが、ロシア表記ではマリア・ユーリエヴナ・シャラポワ。女性だと父名も姓も語尾がa音になるためで“シャラポフ家のユーリさんの娘のマリアちゃん”

それ式に読めば、若ノ鵬(解雇されたので“関”は付きませんね)は、“ガグロエフ”が姓で、お父さんが“アレクサンドル”さんなんでしょうね。柔軟剤みたいな“ソスラン”がファーストネーム。来日後は愛称“ソス”だったそうです。

陽性反応を否定し続けていた露鵬もファーストネームは同じソスラン。ソスラン・フェーリクソヴィチ・ボラーゾフ。カタカナにすると限りなく“糞ビッチ”に近くなるのが気の毒ですが、“ボラーゾフ家のフェーリクスさんの息子のソスランくん”。弟の白露山はバトラズ・フェーリクソヴィチ・ボラーゾフで同じくバトラズくん。

媒体によって日本式に姓を先、ファーストネームを後にもってきて、尻尾に父名をつけたり、月河が習った通りファスネ→父名→姓になってたり日本ではまちまちですね。

ボラーゾフにガグロエフ。濁音が多くて響きからしてヒールっぽいし、大相撲がクビでもプロレスなどの格闘技団体で拾ってもらえればいいのに、大麻汚染ではさすがにどこも手を出さないでしょうね。ボラーゾフ略して“ボラ兄弟”なんて名乗ったらファンク兄弟より強そうですけど。もったいないが身から出た錆。

ちなみに、女性ならやはり語尾がa音になりますから、若ノ鵬や露鵬兄弟にお姉さんや妹さんがいれば、“○○・アレクサンドロヴナ・ガグロエワ”“△△・フェーリクソヴナ・ボラーゾワ”になるはずです。

…ここまで書いて気がついたのですが、ロシア人の名前をいくつか書いただけでえらく字数を食うもんですな。400字詰1枚何円の原稿料で書く作家さんだったら、登場人物は全員ロシア人にすると、人物同士、名前呼びあってるだけでかなり枚数稼げそうですね。

再放送の『その灯は消さない』は第45話。認知症の母親(今井和子さん)が「(死んだ)お父さんのいる家に帰りたい、嫁の陽子さんはろくに線香もあげてくれないから」と言い出して、長兄が継いだ伊豆の実家に送りとどけ、「私たち子供を一生懸命育てて家庭を守ってくれた母親なのに、老いればどこにも居場所がない」という悲哀は拭えないながらもほっとひと息した智子(坂口良子さん)でしたが、留守中にテロリスト秘書・桂子(麻生真宮子さん)が急襲して、夕食作り攻撃にゴミ分別攻撃、食器棚並べ替え攻撃、食卓・智子の仕事机にバラ一輪挿し攻撃とえらいことになっていますよ。

桂子が会長の姪という怖さもあり、酒の勢いで手を出しておきながらその後弱腰できっぱりしない藤夫(柴俊夫さん)に最大の責任がありますが、浮気相手には最悪な女性に触っちゃったね。

演じる麻生さん、いつも下め襟足シニヨンにリッチな髪留めつけて、胸の開かない立ち衿のロングスカートスーツと、ビル街のセクレタリーというより泰西名画画廊のマダムのようで、“そこらの一般職ヒラOLとは違うのよ”感が漂っている上、メイクがなんというか、961月本放送という時代を酌量しても、ちょっと超越した雰囲気なんですな。生活感がなく、生身感もない。中国共産党か、北朝鮮労働党の熟練ハニートラップみたいなんだ。

細かい設定聞きもらしてるかもしれませんがたぶん名門一貫女子校出身で留学経験ありマルチリンガルの才媛、伯父さまのコネで大手建設会社に入社し、役員秘書をやってるけど、就職なんかしなくても降るほどの縁談もあり、気に入った相手が見つからなければ一生独身で好きなことやって暮らして行けるご身分ってところ。

学歴も財力も美貌も若さもあるのに、「奥様よりワタシのほうが魅力的なはずよね」と挑んだ男から、「妻には家庭しかないんだ」とゴメンナサイされたら、その家庭なるものがどうしても羨ましいのでしょう。

すべてを持っているのに、家庭だけがない。たぶん桂子という女性は、物質的には何不自由ないけれど、家族の温もりのうすい環境で育ったのかもしれませんね。このドラマの中の他の“非・家庭組”・川合(大橋吾郎さん)は返還前の香港を取材したいと野心に燃え、弘美(山村美智子さん)はジュエリーショップのオーナー店長としていつも微量生臭さを漂わせているのに比べ、桂子は自分というものが脆弱で、人の持ち物に執着する心貧しさがある。逆に言えば基本が苦労知らずの良家子女なゆえかもしれません。

役員秘書と言っても専務室前の1人デスクに一日中詰めて電話応対したり来客取り次いだりの日々、一般的には憧れの職種ではあるけど能力や学歴のわりにやり甲斐がない、私にふさわしい居場所ではないと感じていたかも。社会や組織での居場所なんて与えられるものではなく、自力で作るものではあるのですが。

さらには、そういうもろもろの“同性として同情できるところ”を一気に帳消しにする、麻生さんのハニートラップ工作員っぽい演じ方が実に味わい深い。押しかけた堀口家で、鳴った電話を藤夫を遮るように取ったら「智子か~?オレだよオレ」って酔っ払った川合だった、って場面は笑ったな。妻に昔の男、こっちには現在の女。藤夫青くなったり赤くなったり。

ところで、昨日(8日)当地の夕食時間帯、たぶんTBS系列局のローカルニュースで、サッカー地元コンサドーレ札幌の、昨年J1復帰の原動力となった主力選手の、直後の故障からのリハビリ、チーム低迷の危機のいま復帰なるか?という情報のBGMとして『白と黒』サウンドトラックから『棄てられた絵画』が流れたなと思ったら、今日は出がけ、高齢家族が見ていた『おもいッきりイイ!!』の1コーナー、『セーラー服と機関銃』などで知られる映画監督の故・相米慎二さんの生涯を振り返るVで、『光と影』ほか2曲ぐらいが確かに使われていました。局ネット系列に関係なく、音効プロの皆さんにも愛されている岩本正樹さんサウンド。ちょっとうれしくなります。

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推薦するする詐欺

2008-09-09 00:28:09 | ニュース

自民党総裁選挙の立候補に必要な“20人の推薦人”って、自民党所属の国会議員じゃないとやっぱりいけないんでしょうか。

いま、7人だか出馬投票…じゃなくて表明してるんですよね。7人がそれぞれ20人集めるとすると、7×20140人。

……そんなにいるのか、自民党国会議員って。“誰の推薦もせず、様子見て誰に投票するか決める”って人もある程度居なくちゃ選挙にならないけど。参議院も入れればそれくらいは居るのか。

あれかな、街頭でそこら歩いてる人に推薦状用紙出して連署してもらって提出したらバレるかな。あの立候補者もこの立候補者も、それぞれ23人くらいずつ通行人名を、それも連名の真ん中へんに混ぜたら、「こんな名前の議員ウチの党にいたっけ?…あ、こっちの候補の推薦状にもなんか聞いたことない名前が…こっちにも…まあいいかメンドくさい」って意外とスルーされるんじゃないかな。

まぁそれはないまでも、開票してみたら「20票入ってなかった」って人がいたら笑うね。入ってなかったとわかったときのリアクションがおもしろかったら、特別に当選にしてあげるとか。

…………どうせ解散総選挙用の“取り外ししやすい看板”選びみたいな総裁選なんだから、それくらいネタ化してみろよと。

とにかくこんな茶番やってる最中、足元見られて外国から核ミサイル飛ばされたらどうする気なんだろう。国の中枢にいる人の誰にも“国を背負っている”という意識が無いという、もうね、日本という存在自体、初めから実体のない蜃気楼みたいなものだったのか。

演題は忘れましたが古典落語の下げ「じゃここにいるオレはいったい誰なんだ」。

『白と黒』は第50話。かなり先への布石を感じさせる、最近ではいちばん好テンションな回でした。なぜか杖無しで部屋を歩き回る和臣(山本圭さん)に気づいた家政婦路子(伊佐山ひろ子さん)の不審。39話だったか和臣の「ミトコンドリアどったらこったら」の場面で、路子さんが居眠りから目覚めたのは和臣の杖が床に落ちる音でしたが、“路子にとって、和臣と杖は一体”を印象付けておいたことが50話の今日生きた。こういうさりげない線路敷設のし方こそ連続ドラマ。

それからフランスの中堅製薬会社ヴェリテ社の日本代理人と自称するニヤケくさい弁護士ね。05年の郵政民営化選挙の前TVで一生懸命反対論を述べていた参院議員の荒井広幸さんでしたっけ?ちょっと似てましたな。意味ありげな会釈をかわす同社日本営業部長も怪しい怪しい。と言うより、章吾(小林且弥さん)がいきなり“騙されますよ顔”。

「この件この先どうなるんだろう」「どんな真相が隠れてるんだろう」と思わせる案件が、やはりこれくらいの数、配置されてないと牽引力不足です。

主題となっている聖人(佐藤智仁さん)からの「礼子義姉さんを絵のモデルにしたい」との申し出に対しては、章吾が49話で「白(=善)が黒(=悪)に負けるとは、嫉妬や憎しみ、猜疑心に心を占領されること」というソフィストリーの罠にみずから踏み込んでしまったので、“礼子を信用しなければ聖人に負けたことになる”と応諾せざるを得ない流れになりました。

章吾の貫く“白”は、逆に愛する礼子に苦痛を強いている点で、むしろ実質“黒”に限りなく近くなっている。混じりっ気なしの善は、ときに人を傷つけるもの。

桐生研究所の目下の唯一無二のドル箱・新薬成分A115の機密盗み出しでブラフかける手先に使った女性フリーライターへの清算場面も今日は聖人が持って行きました。500万のギャラで釣って、渡したのは着手金50万と、いまワイン納入先から回収してきた、輪ゴムで束ねた100万円。28話でサリナ(桂亜沙美さん)への手切れ金を彩乃(小柳ルミ子さん)に頼んだときもそうでしたが、関わった人間への“相応額”というか、それぞれの状況で納得しておさめさせる、もしくは突き返されない額の咄嗟のはじき出し方、資金源の持ってき方が、聖人はさりげなく的確なんですな。

章吾が東京でヴェリテ社弁護士と面談の夜、渋々モデルに応じた礼子を指定のドレスに着替えさせる間、聖人が倉の外で待っている場面が今日の白眉。この2人のいままでの、抱き合ったりキスしたり膝枕したりの場面よりはるかに張り詰めたエロスがありました。礼子の応諾は表向きあくまで章吾に示唆された「嫌がったら負け」の文脈上にありますが、聖人に言われるまま着替え、耳飾りを着けるとき、“こんなはずじゃなかった従属させられ感”の中に、確かに一種のときめきがある。聖人は見ずに、背中でそれを感じながら、倉の扉を隔てている。夜空には月が出ているあぁエロスだ。

聖人が礼子に着せたドレスが、過去49話で礼子の着た衣装のどれとも、鐚一文趣味として通じるところのない、この夜聖人が着せなければ礼子は一生着ることがないであろう派手花柄の、肩出しヒラヒラシフォンで、お世辞にも似合いと言えないシロモノなのもナイス表現。礼子が表立って「こういうの昔から一度着てみたいと思ってたの」と言うことができる、あるいは章吾が誕生日や結婚記念日にプレゼントして「礼子さん似合うね、見違えたよ」と和臣からもお褒めをいただき、礼子自身「私キレイだわ」と自足することができるような系統のものでは、この場面意味がないのです。

「こんなの着たことがないわ、きっと似合わないわ、どうしよう」と礼子が内心戸惑い、それをぎこちなく押し隠してポーズをつけるような状況になってこそ聖人の意図通り。

ごく普通の椅子掛け女性像の、それもまだデッサンの段階で岡本太郎さんみたいに目据わらせなくてもと思うんですが、要するに聖人は劇中、絵に取り組むときが、いちばんキャラとして似合いなんだと思う。仮出所してからいままでの、ネコかぶり真面目営業マンスーツの不恰好さ、おさまりの悪さは、ドラマ的にはここ(=礼子をモデルに描く)で“これが初めから本能寺”と実感させるための長い助走だったのかも。

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夜露死苦

2008-09-07 23:17:49 | スポーツ

大相撲は死んだ。そう断言していいと思います。露鵬が弁護士を従えての昨日(6日)の記者会見映像を見て確信しました。

「自分は相撲が好きで、相撲を一生懸命取ることしか考えていない」「(再び陽性と出た検査結果は)信用しない」「(「大麻を吸ったことはないのか」の質問に)吸ってない」とドスをのんだような顔で言い張っているのと同時進行で、北の湖理事長は「本人がやっていないと言っているんだから、何度でも精密検査すればいい」「民間の検査機関では責任が問えないから、警察の科捜研で調べたほうがいい」とか何とか言って、結果的には、実質、時間を稼いでいるわけです。

北の湖理事長に誰か教えてあげないのかなと思うのですが、オリンピックで毎回、いろんな種目でドーピングが露見するたび、欧米人は絶対に「はい、やりました」と自分からは認めません。“早めに認めて謝ったほうが心証が良くなる”という考え方は向こうの人はしないのです。欧米が、ロシアがどうとか言うより、世界じゅうで“潔く腰低く謝るが得で善”と考えるのは日本人だけかもしれない。

やってても認めない、飽くまで争うのを当たり前とする外国人の価値観、遵法観で動いている弟子を、トップである理事長が制御できず、弁護士を従えて「出るとこ出るぞ」と開き直られているというのは、もうスポーツ団体として死に体に等しいと思う。ルールあってのスポーツ、おカネを払って観て興じてくれるファンあってのプロスポーツですから。

露鵬関はキャラとしては悪役に絶好な顔をしているし、いつだったか和製ツッパリ代表千代大海関と一番取り終わった後土俵外で睨み合ったり、風呂場の窓叩き割ったりしていた頃はプロレスっぽくて、ひとりぐらいそういうキャラいてもいいじゃん、と思えたのですがね。麻薬じゃ洒落になりませんわね。相撲界って言わば一種の花柳界ですから、「麻薬と言えば」ヤクザ・黒い交際へつながる連想を、逆にいちばん忌み嫌うんですよね。中央競馬会なんかとよく似ている。

こんなことになる元凶は外国人力士を入れたからだとは思いません。それより協会側、部屋・師匠筋側が、門を叩いてきた外国人を舐めて、バカにしてるんじゃないかと思う時すらあります。

まず四股名からしていけませんよ。“”鵬、白“”山なんて、露(つゆ)と言えばはかないもの、命短く消えゆくものの象徴じゃないですか。土俵をしっかり踏みしめて、辛抱して耐えて根を生やし花を咲かせる、相撲のイメージと真逆。ロシア人だから“露”という、その発想がイージー。

サンズイが付いてましになったけど、琴“欧洲”だってずいぶん安直な命名ですよ。彼の生国ブルガリアって、欧州でもずいぶん辺境のバルカン半島の隅っこなんですけど。そのうちフランスやオランダやドイツの力士が入ってきたら、「なんでブルガリア人のくせにあんなスケールのデカい名前なんだ」「オレらのほうがメジャーな欧州だぞ」ってクレームがつくかも。

いっそ“陽来土(ようぐると)”にすればよかったのにね。ブルガリアって漢字表記すると“勃牙利”ですから、“琴勃○”とか。

………………………「帰る。国で農業継ぐ」って言われちゃうな。

でも、本当に安直ですよ。もう30年ぐらい前ですが、南太平洋のトンガ王国出身の力士が大挙入門してきたことがあり、四股名が“南ノ島”“椰子ノ島”とか、安直を通り越して、もうね、絵本からとってきたみたいでした。

アルゼンチン出身で“星誕期(ほしタンゴ)”は競走馬みたいでちょっとひねりがあった。アメリカはセントルイス出身だから“戦闘竜(せんとうりゅう)”、って人もいましたな。「どうせなら“田園調布”にすればよかったのに」とお笑い番組の見すぎのようなことを言っていたのは、そうです、月河です。

まあ、個々の力士さんたちには何の問題もない。ただ、四股名命名センスに“○○国人であることをアピール材料にする”あわよくば的色気が透けて見えるのが、どうもおさまり悪いんですよね。やはり大相撲が国技をもって任ずるなら、何国人だろうと日本人の新弟子たちと同じ文脈で名づけ、鍛えてほしいではありませんか。ちょっと前の武蔵丸(むさしまる)、曙(あけぼの)なんて、いい四股名でしたよね。あんなにでっかいのに“小錦(こにしき)”なんてのも巧まざる愛嬌があった。

このままでは、もしそれこそフランス人力士が来たら“仏ノ国(ほとけのくに)”とか付けかねませんよ。オランダ人なら“蘭ノ海(らんのうみ)”。ドイツ人なら“独逸風(かつはやて”ですかね。

スペイン人なら“西ノ牙(にしのきば)”、ポルトガル人なら“葡萄牙(ぶどうきば”……ってそのまんまか。

て言うか、だんだんおもしろい感じになってきてるではないか。打ち止め。

さて、10月クール(放送開始は929日)の東海テレビ製作昼帯ドラマ『愛讐のロメラ』、公式プレサイトも立ち上がって徐々に情報が集まってきています。

脚本・演出が06年『紅の紋章』、07年『愛の迷宮』とほぼ重なる布陣なので、どちらも途中であきらめてしまった身としてはかなり見通し暗くなりますが、年の暮れのゴタゴタが吹っ飛ぶようなテンションが最終話まで持続する昼ドラを今度こそ観たいですしね。

公表されているクレジットの中で、最注目は音楽のコーニッシュさんですね。『愛の迷宮』に続いて今年4月クールの『花衣夢衣』も担当、わずか1年のあいだにこの枠のドラマ3作手がけられることになります。この登板間隔はちょっと前例の記憶がありません。よほど視聴者にも、製作サイドにも好評だったのでしょう。

『花衣~』の和楽器押しは、ちょっと自宅で放送時間外にも聴きたい音色ではなかったので遠慮しましたが、早々とドラマ本編を脱落した『愛の迷宮』サントラの郷愁に満ちた、夕映えの空を見上げるような広がりと包容力に富む音が、ドラマから独立してヘビロテになるなど、コーニッシュさんのメロディメーキング、サウンド構築力はまだまだ奥があります。

『迷宮』前半では池上季実子さんがナレーションをつとめるなど画面に映らない贅沢なサプライズも、製作会社が同じだけに、またあるかもないかも。

もう30年以上も前、確か73年頃と思いますが、大ヒットした曲ではないけれどいしだあゆみさんに『愛愁』という佳曲がありました。作詞者は忘れましたが“愛”と“愁い”をひとつにした造語の何とお見事なことよと思った記憶が。

こちらは“愛”と“復讐”をひとつにして“愛讐”と来ました。無理矢理だけどちょっと引っかかりのある字面。シンプルで、かつ難関な課題“次回が待ち遠しいと思える連続ドラマ”になればいいのですがね。

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抱いてやることしかできない

2008-09-06 21:36:10 | お笑い

調剤薬局も兼ねているドラッグストアの店内有線で、噂の森山直太朗さん『生きてることが辛いなら』が、それこそ何事もなかったようにフルコーラス流れていましたよ。

 別に、どうってことない曲のように思いましたけど。問題になった  いっそ小さく死ねばいい のくだりにしても、どっちかというと単に7555の音韻に合わせただけのような気もする。あれで自殺を助長するなんてのは考え過ぎで、しかも考え過ぎた結果大ハズレ。自殺傾向の人というのは、道端で「こんにちは」と微笑みかけられただけでも、花が咲いただけでも散っただけでも自殺の誘因になるものです。

森山さんの曲は、あまり数知らないけどFMで小耳に挟むたびに「何もそんなに殊更“重く”作らんでも」という気がするんですよね。軽佻浮薄なこと、くだらないことバカげたことならば、逆にずっしりねっちり、脳味噌が血を噴く勢いでとことん隅々までまじめに作らなければなりませんが、人生や生命の意味に触れるようなシリアスな、深刻なテーマほど、いっそふざけて、チャラチャラ洒落のめして表現すべきです。

森山さんの“ずっしり朗々”と響く声質のせいもあるかもしれませんね。ミスターチルドレンの曲なんかは、歌詞だけ起こして通読すると眉間にシワが立ってきかねない哲学的な内容だったりもするんですが、桜井和寿さんのひしゃげたような、潰して叩いてねじったような歌い方のおかげで「なーんかうねってシャウトしてうねって終了」で、歌詞に深入りしませんもんね。「~もんね」って強要しちゃいけないな。ミスチルを知ったのはたかが95年『奇跡の地球(ほし)』からの月河の所感ですから。

月河はやはり、意味あるんだかないんだかさっぱりわからないんだけど、口ずさんでいるとその都度それなりの気分になる、桑田佳祐さんのような詞曲のほうが好きですね。実在のディスコやクラブの店名ぶち込んで音韻数整えた挙句♪ それ行けニッポンのミナサマ~なんてふざけ倒す(『愛と欲望の日々』)、平成の“ええじゃないか踊り”みたいな、人間の儚さや社会なるものの虚無を託すならば、これくらいバカっぽさに徹してこそでしょう。

久しぶりに『爆笑オンエアバトル』942440~)行きましょうか。北京五輪やらの休止で、危うく番組の存在すら忘れるところでした。

前回のメールネタで、おもしろくなくはないけどギスギスした雰囲気のコンビだなぁと思ったどきどきキャンプが驚きの505kbでこの日の1位。“無名のミュージシャンと基準がわからんミーハー店員”って設定、いかにも認知度低い若手芸人が考えつきそうなネタだけどなかなかよかったですよ。もうひとひねりしてシンプルに書き下せばオー・ヘンリー流の滑稽ペーソスな短編小説にもなりそう。「発売記念にドリンクサービスでーす」など、演じ方がウニャウニャーッと雑なところが散見されるのが惜しかった。太めのインディーズロッカー役・岸がチョコレートパフェ注文しそびれてひそかに悔しがるアクションがキュートでしたね。

それにしても、意味不なファミレス店員・佐藤が「よく来るミュージシャン」として挙げるのがGLAYTERUL’archydeって、10年ぐらい前で時間止まってませんか。“コント内で引き合いに出して皆に通じるメジャーなアーティスト”が、この10年ぐらい出てないってことなのかな。『オンバト』オーディエンスも知らないうちに結構、加齢しているということでもあるか。

普通のコントにしたハイキングウォーキング429kbとだいぶ離された2位。冒頭コメントで松田が「今日(の挑戦者)はキャラ濃い人たちが多いので負けないように」とマジだったように、正月のオンバトSP『正月か!』で“ネタ覚えない、練習しない、現場で噛む、飛ばす、こんなポンコツいない”と嘆かれていたQちゃんも珍しく今日はしっかりコントしていて、もう2030kb入ってもよかったように思いました。松田のほうが噛んでいたので、打ち上げでQちゃんに烏龍ハイぐらい奢るべきだね。「待てよ松田!」の止め方が足取り→肩ぶつけ→回して社交ダンス風→素通り見失いとだんだんアホらしく、あり得なくなっていく流れが良かった。

同じようにボケのキャラを薄めてオーソドックスなコント漫才にしたエンジョイワ→クス4389kbとオンエア圏平均としてもギリギリ。オチと都合2回出た「ミミズ臭い」といい銀杏拾って「臭っせー」×2といい、なぜこんなに“生理的不快感”押しにこだわるのかよくわからない。ツカみになるはずだった「お化けとお化けみたいになってる」→「DJときどき伊東四朗やるから」が完スベりだったわりには後半ボケを絶やさずよく持ち上げた。

この回いちばん期待していたノンスモーキン3425kbとまあまあでしたが、真直堅物と書いて“まじめだくにお”と読ませるツカみからちょっと浮揚力が足りなかったし、菊池がにらめっこの唄を歌いだした時点で“ジャンケン大王”路線行くな、と思ったらきれいに予想通り。ここまで来たら、♪ 隣近所のおっちゃんも~それアップする~の後に、 それっをあのコが見ていたら~ を付けたほうが皆喜んだのにね。中尾「園児の顔、誰ひとり笑ってないじゃないですか」で菊地「じゃ先生の負けですね、にらめっこですから」でオチになるかと思ったら、もう一フレーズ行ってから「じゃCO2削減について話し合いましょう」でオチということは、若干尺不足だったか。それにしても菊池は、どうでもいい節回しつけて歌うとめちゃくちゃうまいね。

同点4389kb3度めの正直初オンエアなったやさしい雨は、1位どきどきキャンプと同じ、1方向押しのコントでしたが、自分は不潔なくせに潔癖症の男が、ずぼらな友人の動いた後を神経質に掃除していく、とストーリーの流れも一本で展開がなさ過ぎた。友人が実は一箇所だけこだわる清潔ポイントがあったとか、潔癖男が途中で逆ギレして自分が汚し始めるとか、ターニングポイントがあったほうが良かった。

掃除に血眼で友人の話全然聞いてないのに「きったねーな、ってことですよね」」「煙てーんだよ、ってことっすか」「面倒くせーな、何なんだよコレ」とポイントポイントで話が合ってしまう構成はアンジャッシュの携帯電話ネタに相通じるものがありましたが、合ったことで生まれる可笑しさに集中した作りでもない。どきどきキャンプ以上に演じ方の雑さが目立ったし、ある意味ゆさゆさアフロの松崎が、無神経友人・吉本来訪前のひとりの部屋で「どうしてこんなに髪の毛がー」と頭をかきむしる時点でオチ完了しているので、その後の流れはもっとダイナミックにしなければ飽きられます。

久しぶりに見て改めて痛感したのは、やはりいまのお笑い界全般の“笑い取りのハードル”低下が如実にオンバトにも出てきているなということ。ボケがきちっとボケ切らず、ツッコミがきちっとツッコミ切れてない、ゴチャゴチャグチュグチュ言っても、キャラや雰囲気があればなんとなくみんな笑ってしまう。特にTV番組の場合、音響やPAハードの性能向上が逆に若手の演じ能力を低く抑えてしまっているのかもしれない。先輩ベテラン芸人からのダメ出しみたいになりますが、「もっと腹から声出して行かなあかんで」。

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