イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ツカみはオッケー

2010-09-06 19:17:45 | 昼ドラマ

「ん゛ーーっ!戻ってこい!」と、南洋の偶像とおんなじ目剥き顔になってお祓いするしげるさん(向井理さん)で始まった今週の『ゲゲゲの女房』はフィーチャリング・イトツお義父ちゃん(風間杜夫さん)。

お祓いのおかげ?で首のコブの様なものは治ったものの、寄る年波で最近めっきり元気がないと布美枝さん(松下奈緒さん)たちを心お配させていたのが、若手小劇場メンバー来訪で得意のお芝居ウンチク披露の機会と見るや、俄然キリッ。私淑していた叔父貴が松井須磨子と共演したというとっておきの自慢話に、「マツイスマコっていつ時代の人だっけ?」「…明治、かな?」「確か、大正…?」とささやきかわす鬼太郎アニメ世代の若手さんたち。

なんだか、2001年の昼帯ドラマ『女優・杏子』で、杏子さん(荻野目慶子さん)が自分の主演ドラマの相手役オーディションに押しかけ審査員した場面を思い出してしまいました。

杏子は応募書類を見て、下積み劇団員でTV経験のない影山竜介くん(樋口浩二さん)にひと目惚れ。スタッフの反対を押し切って最終選考に残します。“ドタバタや前衛芝居しかやったことない無名役者じゃ連ドラのヒロイン(それも札つき気難しい香月杏子)相手役は無理”と否定的な監督たちはおざなりな質疑応答で「帰っていいよ」と追い出しモード。背を向けかけた竜介に杏子さんは審査員席から立ち上がり「もう行ってしまうの?あの声はヒバリではなくってよ、あれは夜に鳴く小夜鳴き鳥」、竜介はすかさず「あれはヒバリ、朝の訪れを告げる」と返し、あっけにとられた監督(山上賢治さん)とP(乃木涼介さん)は「…何、いまの」「…『ロミオとジュリエット』」と苦い顔でささやき交わします。

「あなたよく勉強しているじゃない、あなたと私、気が合いそう、うまく(共演を)やっていけそうよ」と、あっけにとられる同席審査員たちを前に得意満面の杏子さん。監督たちにバーナード・ショーやチェーホフについて質問されても答えられなかった竜介くんでしたが、『ロミジュリ』だけは知っていたのです。

杏子さんと竜介くんはこの共演後、なるようにしかならない感じで男女の関係になり、それは残念ながらいいご縁ではなくなってしまうのですが、オスメスとしてはともかく“芝居バカ同志”としては、赤い糸で結ばれていなくもないことを暗示した、なかなか締まったシーンでした。

さて、『ゲゲゲ』、水木しげる漫画のタイトルから劇団名をもらったという“アガルタ”の若手くんたちの「ボクらは小劇場系ですから」に「小劇場!?築地小劇場か!」とどんどんアナクロオーバードライブしていくイトツじいちゃん、「ボクら、つかさんの芝居にあこがれているんです」で見せた鳩マメ顔ったら。リアクションがどうにもこうにも何にもできないとき、人間ってああいう顔になるもんですよねえ。“つか(こうへい)さん”の名前を、役者もあろうに風間杜夫さんに投げかけてしまいましたよ。しかも、風間さん演じるイトツは投げ返せず立ち往生。これ、脚本のナイスおたわむれと言っていいものか。つかさんの訃報(710日)前の収録かしら。

真逆に、ノリノリで「つか!?あれはええ、まだ若いが、なかなか見どころのある男ですな!“ヤス、上がってこい!”とあの、あー何と言いましたかな、あの気障ったらしい役者が池田屋の階段の上から言う場面が何とも言えん!しかもあのアナタ、小夏という女がガイにええ女で…」と“商店街のスター”ぶりを発揮するイトツさんも見たかった気もしないでもありません。

“つか”と言えば、今日、しげるさんにワイド版の束(つか)見本を持って来た若手編集者役は、08年の昼帯『白と黒』の若干頼りない研究員役だった白倉裕二さんでしたね。ヘアスタイルがちょっこし変わったけど、また何とも微妙な味出しウエーブで。安来の飯田家チームで出演中の桂亜沙美さんに、『白と黒』では誘惑されて利用される役でしたが、『ゲゲゲ』の現場では当時の思い出話などできる接点がなかったかな。

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大判小判が

2010-09-05 16:03:23 | スポーツ

サッカー日本代表の新監督はアルベルト・ザッケローニさんに決まりました。ジーコジャパン・オシムジャパン・岡田ジャパンと来て、今度は“ザックジャパン”と呼ばれるのでしょうか。

ザックジャパン。(たぶんこの人の名前とニュースを耳にした日本人のうち、60パーセントぐらいが一瞬は思ったと思いますが)ザックばらんな感じで、悪くはないと思います(?)。

Zaccheroni表記なら、“ツァッ“ケローニがより原語の発音に近いかもしれない。2000年頃、ACミラン監督時代のザックさんをBSのワールドサッカー番組で一度だけ見たことがあります。

月河が地味に贔屓しているドイツ代表で、一時はトップを張っていたオリバー・ビアホフの顔がミラン内に見えたため、オッとチャンネルを止め試合の一部視聴しただけなので、監督としてのザックさんのタイプや戦術構想などはさっぱりわかりませんでしたが、BSの解説者(お名前失念)が「ベルルスコーニ会長と仲が悪くてしょっちゅう衝突している」と言っていたのだけ覚えています。

ベルちゃんもその後ミラン会長を辞して、イタリア首相としての政治家活動に専念したり、かと思うと10代少女に手つけたりオバマ大統領を「日焼け」呼ばわりしたり、お騒がせトピックを振りまき続けておられますが、ザックさんの日本赴任に感想は如何。

あるべると・ざっけろーに響き的に粗挽き小麦粉製のパスタみたいですが、「ザッくん」とか愛称されるように呼ばれるようになればしめたもの。“日本で一番有名な現存日本在住イタリア人”の座を、パンツェッタ・ジローラモさんから奪うことができるか。

…こんな狭い範囲の一番、別に奪いたくないか。まぁ次のW杯まですげ替わることなく、監督完走して結果を見せてくれるよう願います。

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ショキショキ

2010-09-04 16:48:48 | 朝ドラマ

今週アタマ(830日~)放送分から、『ゲゲゲの女房』の毎話本編終了“つづく”後の、目玉親父の止め絵のバックが紅葉オレンジになりました。

スタート当時の、梅雨時のあじさい、夏のひまわりに続いていよいよ秋ヴァージョン。OPで布美枝さん(松下奈緒さん)が自転車で走る風景の順に来ているので、次は石灯籠に白パステルの雪がちらつくのかな?…と思ったら、ドラマ自体が今月25日で完結なので、冬ヴァージョンは存在しようがないのでした。残念。

劇中でしばしば、出来事と出来事の間に“数日後”の字幕やナレーションがあったり、村井家の玄関先に桜が咲いたり紅葉落ち葉が舞ったり、はたまた夏雲もくもくセミが鳴いたりで時間経過や季節移行を表現するのはドラマのお約束ですが、ドラマのネタになるような出来事がなんにもない普通の日々も、村井夫婦や藍子喜子姉妹、イトツ祖父ちゃんイカル祖母ちゃんを眺めていたい。

描写なく飛ばされた数日、数ヶ月がいささか「…もったいない」と思ってしまう。

『つばさ』の玉木家、つばさをめぐる連中も年中ウォッチしていたい興趣尽きない人物たちでしたが、あちらは“何やかやあってこそ”輝くタイプ。『ゲゲゲ』の人たちは、いろいろあって苦労したり、衝突葛藤したり努力したり、解決して喜んだりしている姿も愛おしいけれど、“とりたててなんにもない、何事も起きない”ということの幸せをもしみじみ感じさせてくれるのです。

何かが起きて、あだこだ動いて、どうにかなるのがドラマというものですから、『ゲゲゲ』の人物たちはドラマの人物でありながら、“ドラマしていない”ときでも魅力がある

故・金丸信さんがかつて「平時の羽田(孜)、乱世の小沢(一郎)、大乱世の梶山(静六)」と評しておられましたが、平でも乱でも大乱でも美味しくいただける『ゲゲゲ』ファミリー。

“ユニホ着て打ったり走ったりしてないときもカッコいい野球選手”のようなものか。なんか、喩えると安くなるな。「オレのこと?」と来ても、新庄くんは却下。

“楽屋でも自宅でもハイテンションおもしろいお笑い芸人”…明石家さんま師匠がリアルにそうらしいし。

25時間めを過ぎても不眠で突入しまくり尋問しまくるジャック・バウアー”…ただの凶悪犯だし。

……喩えれば喩えるほど砂地獄にはまっていくのであきらめますが、ホンがなく、キャメラが回っていない、もちろんTVで全国のお茶の間に流れることのない時間も、この人たちの日常、日々の会話や哀歓はきっと愉快で、情感豊かで、さりげなく美しいと思う。『ゲゲゲ』の人物たちはそういう人たちでした。

さて、“紅葉の時代”第1週は昭和56年春。漫画賞受賞→『悪魔くん』『鬼太郎』TV化で一気に売れっ子になり、10数年がむしゃらに上り坂を漕ぎ続けてきたしげるさん(向井理さん)が、エアポケットの様に嵌まった停滞の時期。

「今年に入ってから漫画の注文がぱったり途絶えた」と案ずるマネージャーにして実弟の光男(永岡佑さん)をよそに、最初のうちは「この仕事に多少の浮き沈みはつきものだ」とドンと構えていたしげるが、何も予定が書き込まれていない白紙のスケジュール帳を見て「何だ、これは」とショック→TVオカルト番組の無神経なクルーの「何かおトク情報がないと、昔ながらの古くさい妖怪の話だけじゃ受けない」発言に時代と人心の移ろいを痛感→あんなにご執心だった南洋祭祀グッズにも気がつけば超自然のオーラを感じない「ただのガラクタじゃないか」→お父ちゃん描く妖怪が大好きな喜子ちゃん「(修学旅行で行く)京都にはどんな妖怪が?」にも「何もおらんだろう」と白紙の原稿用紙を前にどんより…と、徐々に具体的に“行き詰まってる感”がこたえてくる過程の描写がよかったですね。

「ガラクタ」と呟いた時点であんなにシニカルな虚脱した表情をしたとは俄かに信じられないけれど、実際にしげる先生がそういう顔をしたのではなく、日頃のお父ちゃんの嗜好ぶりとあまりに落差のある唐突な物言いだったので、“布美枝さん目線でああいう顔に見えた”ということなのでしょう。

子供時代の見聞や体験が溢れる発想の源泉だったしげるさんには、小学生たちの無邪気な瞳や好奇心に触れることが、アズキを研ぐように感性の絶好の洗濯になったようです。橋渡しをつとめたのが、元・少女漫画家志望のはるこ(南明奈さん)で、都合よくも小学校教師になっているというのは、まぁドラマですから。

本採用になったばかりの美人先生、生徒たちと一緒に、パンツをたくし上げてすらりとしたおみ足を見せ川釣りや水遊びに興じる場面が無かったのは残念。

…そういうサービスをすると、イタチ(杉浦太陽さん)が嗅ぎつけて現われるかな。川だからカワウソになっちゃうな。

二世代同居開始当時、「しげぇさんにだけは精のつくものを食べさせんと」と連日うなぎを買っては請求書を回して、布美枝さんにありがた迷惑かけていたイカルお義母さん(竹下景子さん)も、今週のうなぎは「布美枝さんの分もあるけんね」と自腹で。一度は“この人、このやりクチ、感じ悪い”と思わせてから、放送で数週、劇中時制で10余年を経過した後に“でも根はいい人”あるいは“この人も成長してマルくなった、ヒロインの気持ち(=大半の観客の気持ち)を汲んで歩み寄った”を伝えて味わいを増す。帯ドラマの多話数、長年月時制を味方につけた脚本上のロングパスが、今週も冴えました。

ところで、村井家お台所の、流しの手前の、布美枝さんじゃないと手が届きそうもないの高い棚の上に常時23袋積んであったインスタントラーメン袋が、昭和56年時制になってから見えなくなったのがちょっこし淋しいような気もしますね。安来での独身時代、当時発売されたばかりのインスタント麺の実演販売会をお手伝い、慣れない人混みを前に緊張のあまり大ドジを踏んだイタい経験が布美枝さんにはあります。一人前の専業主婦=プロダクションスタッフを含む一家の“補給大臣”に成長した彼女が、時代とともにヴァージョンアップしたインスタント麺をちゃっちゃと手際良く調理してお夜食に配る場面なんかも見たかったけれど、そういうわかりやすいサービスの代わりに“いつも映る場所に常備してある”ことで“しっかり使いこなしてますよ”を暗示。

代わりに小ぶりなセカンド冷蔵庫の上に、カップ麺が2個ずつ並ぶようになりました。場所と数量からいって、アレはお父ちゃん&アシさんたち用というより、この春にめでたく大学生になった藍子お姉ちゃん(青谷優衣さん)の受験期のお供として参入し、喜子ちゃん(荒井萌さん)にも愛されて、そのまま定番常備化の運びになったのではないかな。お湯を注いで3分のあのお手軽感は、万事手づくりが当たり前の布美枝さんには逆に違和感があり、平和で物資豊富な時代に育った子供たちのほうが親しみやすいはず。

昭和56年なら、エースコックスーパーカップ“1.5倍”シリーズ発売までまだ78年あるか。イトツお祖父ちゃんなら大好きそうだけどな。演じているのが風間杜夫さんだけに。

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由紀のシラバカ並木

2010-09-02 00:07:33 | ニュース

しかしそれにしても、小沢一郎さんという人は、何がしたくて政治家やってるんでしょう。内戦布告、ガチバトル宣言かと思ったら、結局トロイカ体制継続ですってさ。くだらないよ。暑いのに。大山(でもないか)鳴動してネズミ一匹ならぬ三頭立て馬車。

それもかなりポンコツ。ロシア語のトロイカと言えば英語圏で“三つの”“3個一組の”“3倍の”“3重の”を示す語形成要素tri-に相当する(てんぷくトリオ、たのきんトリオの“トリオ”、ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』、70年代女の子アイドルのトライアングル…)ものを含んでいますから、3人いなきゃトロイカを名乗る資格がないわけですが、小沢さん、菅直人さんと来て、もう一頭…じゃなくてもうひとりは誰でしたっけ。

影がうすいよ。ランスーミキとかミッチマミクーコとか、ヤッくんモッくんフッくんとか、ニッキカッちゃんヒガシとか、あと何だ、ほら、のっちかしゆかあ~ちゃんとか、トロイカらしい3人続きのニックネームぐらい考えておかないと。

……一部の年代以外わかりにくい例が混じってるかもしれない。

しかし民主党という政党もつくづくどうかと思います。国政選挙や地方選、コップの中の党首選のたびに「党の顔=トップに誰がいい、誰がふさわしい、誰なら勝てる」「逆に誰某ならダメだ」「誰某と某誰ならどっちに分がある」という話になったとき、決まって出てくる名前は小沢さん、菅さん、鳩山由紀夫さん。あと岡田克也さんぐらいという状態が、気がつけばもう10年越し続いてませんか。

1年前、世を挙げてというほどでもないものの、かなり広く期待を集めて、圧倒的多数議席をかちとって政権交代を成し遂げた党なのに、この清新さのなさは異常です。10年も前のトップ経験者やトップ候補が、いまだに“トップやるかも、なるかもゾーン”にたむろしているという。

一期は実際トップをつとめた前原誠司さん以下、野田さんや枝野さん、蓮舫さんなんかも、結構前から党役員、○○担当、“影の内閣の△△大臣”などとして見かけるには見かけていたけれど、トップにふさわしい、なってほしいと思わせるオーラを出すどころか、“ほかに誰もいないわけではない”ことのアリバイ作りのように、間隔を置いてちらちら顔見せ声出しするだけのように思えます。

別に懐かしむわけではないけれど、沈滞となあなあの温床のように思われていた自民党のほうが、与党時代「ウソだろ」「誰?」「本当になっちゃうの?」と思う、意外性の人を、結構しばしばトップにしていたような気が。

順送りで「やっぱりね」と自他ともに認める人がなったことも多いけれど、政争やスキャンダル後“とりあえず汚れてない人を”と、弱小派閥の中から、あるいは比較的若い人が担ぎ出されるケースもままあった。

結局、政権政党としての経験値の差かもしれない。「担ぐ神輿は軽いほうが、隊列の進みが速いし大きな声も出せて、盛り上がる」ということを、自民党はつねにアタマの隅っこに置いた上で、“順番通り”の人を選んだり意外性の人を起用したりしていた。

裏を返せば「ときには死ぬほどずっしり重い神輿のほうが、チカラ抜いて担ぐふりしてるやつ、音をあげて脱走したやつがすぐわかるからいい」ということでもあり、アタマの裏側の隅っこにはそれもメモしてある。

亀の甲より年の功、自民党にはいろんな項目をソロバンはじいて選べるだけの“人的選択肢”があったのです。

民主党にはそれがない。10年以上、野党として好き勝手侃侃諤諤やりながら、自分たちのトップ候補をせめて34人、育てて来られなかった。

“人育て”能力においてかほどに惨憺たる政党の、人心を繋ぎ留める最大の目玉政策が“子ども手当”というのだから、もう失笑するエネルギーもわいてきませんね。ホント、暑いのに。

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