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二輪業界と言うのはその生い立ちから言っても、特異な業界なのである。
昭和30年ごろまでは、メーカーの数など100以上もあって解らないくらいのメーカー数だったのである。
私が川崎航空機に入社した頃でも、
まだ三菱も富士重もトーハツなど大メーカーも二輪業界の中にいたのである。
それがいつの間にか浜松出身の3社とカワサキだけになってしまったのである。
そんなことで、浜松の3社の中にちょっと異質なカワサキだけが残った面白い業界だった。
1社残ったカワサキが特に意識したわけではないのだが、A1,マッハ、W 、Z と続いた独特の商品が世に言う熱烈なカワサキファンを作って行ったのである。
今でもカワサキファンは多いのだが、その流れの源流はこのあたりであろう。
カワサキの二輪の歴史のなかで、私などはなぜかもっとも旧いところからタッチしているのである。
営業やマーケッテングの分野では、メイハツやメグロの人は別にしてカワサキでは私より旧い人はいないのである。
だから、その歴史などは良くわかっているのだが、レースの世界などにもいたが、ハードオンチであまり込み入った技術も解らなかったし、大型二輪の免許は持ってはいるが、自分では乗らなかったので意外に冷静に業界を第3者的に眺めて生きてきたのである。
勿論、カワサキも好きだったが、二輪業界も好きだった。
特に本田宗一郎は雲の上の人ではあったが、若いカワサキのお陰で、会議に同席することも何度もあって、私のホンダファンはホンダのクルマからではなくて、本田宗一郎とその理念によるものである。
そして、スズキさんもヤマハさんもライバルではなくて、同業者という感覚が強い。
一時クルマはアコードだったし、ゴルフクラブはヤマハ、娘に買ってやったモペットはスズキであった。考えてみるとカワサキだけ何も買っていないのである。
国内販売も何度も担当したが、シェアも運よくトップになったこともあるが、あまり3社をライバル視したことはない。
3社の人たちとも本当に仲良かった。同業他社という言葉があるが、同業が同志になればとホントにそう思っていた。
今朝のアクセス、こんなブログからのアクセスが多かった。雑感日記を紹介頂いているのである。
YSP上馬と言うお店でホームページもなかなかのものである。
YSPというとワンメークのお店だから、ヤマハのユーザーの方が多いのだろうが、
店の経営者がそれを選ぶのはいいのだが、オンリー店政策は私はあまり好きではない。
カワサキにも熱烈なオンリー店はいっぱいあるが、こんな小さな市場でexclusiveを義務付けるのは、メーカーのエゴでしかないと思っている。
いつもヤマハの話が当然多いのだろうが、ヤマハのお客さんにもたまにはカワサキの話もいいだろう。
同じ意味で、カワサキの皆さんも、ちょっとヤマハの雰囲気を覗いてみてください。
ヤマハさんとは、PWC(パーソナルウオータークラフト)?
何のことかと思われるだろうがジェットスキーがカワサキの商品名だから、このように言われているのだが、その安全協会の設立など一緒にやった。
珍しくカワサキがトップメーカーで、最初は会長などおおせつかったが、その会議はヤマハの方たちから社内の会議のようだと評価して頂いた。
同業と言うより同志と言う風に思っていた私の正直な気持ちが出たのだと思う。
お陰でヤマハのクラブは従業員販売価格を適用していて頂いたり、シドニーからちょっと行っためちゃめちゃ高級なマリーンのレストランをご紹介頂いて、外人客ばかりの中の最上の席で食事をさして頂いたりした。
私たち夫婦の生涯で最高の、日本語が一言も聞かれない不思議な雰囲気の、ディナーであった。
私にとってはどこも、みな同業者、同志でなくても仲間であることは間違いないのである。
そういう意味で嬉しいブログでのご紹介だったのである。
二輪業界と言うのはその生い立ちから言っても、特異な業界なのである。
昭和30年ごろまでは、メーカーの数など100以上もあって解らないくらいのメーカー数だったのである。
私が川崎航空機に入社した頃でも、
まだ三菱も富士重もトーハツなど大メーカーも二輪業界の中にいたのである。
それがいつの間にか浜松出身の3社とカワサキだけになってしまったのである。
そんなことで、浜松の3社の中にちょっと異質なカワサキだけが残った面白い業界だった。
1社残ったカワサキが特に意識したわけではないのだが、A1,マッハ、W 、Z と続いた独特の商品が世に言う熱烈なカワサキファンを作って行ったのである。
今でもカワサキファンは多いのだが、その流れの源流はこのあたりであろう。
カワサキの二輪の歴史のなかで、私などはなぜかもっとも旧いところからタッチしているのである。
営業やマーケッテングの分野では、メイハツやメグロの人は別にしてカワサキでは私より旧い人はいないのである。
だから、その歴史などは良くわかっているのだが、レースの世界などにもいたが、ハードオンチであまり込み入った技術も解らなかったし、大型二輪の免許は持ってはいるが、自分では乗らなかったので意外に冷静に業界を第3者的に眺めて生きてきたのである。
勿論、カワサキも好きだったが、二輪業界も好きだった。
特に本田宗一郎は雲の上の人ではあったが、若いカワサキのお陰で、会議に同席することも何度もあって、私のホンダファンはホンダのクルマからではなくて、本田宗一郎とその理念によるものである。
そして、スズキさんもヤマハさんもライバルではなくて、同業者という感覚が強い。
一時クルマはアコードだったし、ゴルフクラブはヤマハ、娘に買ってやったモペットはスズキであった。考えてみるとカワサキだけ何も買っていないのである。
国内販売も何度も担当したが、シェアも運よくトップになったこともあるが、あまり3社をライバル視したことはない。
3社の人たちとも本当に仲良かった。同業他社という言葉があるが、同業が同志になればとホントにそう思っていた。
今朝のアクセス、こんなブログからのアクセスが多かった。雑感日記を紹介頂いているのである。
YSP上馬と言うお店でホームページもなかなかのものである。
YSPというとワンメークのお店だから、ヤマハのユーザーの方が多いのだろうが、
店の経営者がそれを選ぶのはいいのだが、オンリー店政策は私はあまり好きではない。
カワサキにも熱烈なオンリー店はいっぱいあるが、こんな小さな市場でexclusiveを義務付けるのは、メーカーのエゴでしかないと思っている。
いつもヤマハの話が当然多いのだろうが、ヤマハのお客さんにもたまにはカワサキの話もいいだろう。
同じ意味で、カワサキの皆さんも、ちょっとヤマハの雰囲気を覗いてみてください。
ヤマハさんとは、PWC(パーソナルウオータークラフト)?
何のことかと思われるだろうがジェットスキーがカワサキの商品名だから、このように言われているのだが、その安全協会の設立など一緒にやった。
珍しくカワサキがトップメーカーで、最初は会長などおおせつかったが、その会議はヤマハの方たちから社内の会議のようだと評価して頂いた。
同業と言うより同志と言う風に思っていた私の正直な気持ちが出たのだと思う。
お陰でヤマハのクラブは従業員販売価格を適用していて頂いたり、シドニーからちょっと行っためちゃめちゃ高級なマリーンのレストランをご紹介頂いて、外人客ばかりの中の最上の席で食事をさして頂いたりした。
私たち夫婦の生涯で最高の、日本語が一言も聞かれない不思議な雰囲気の、ディナーであった。
私にとってはどこも、みな同業者、同志でなくても仲間であることは間違いないのである。
そういう意味で嬉しいブログでのご紹介だったのである。