雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ちょっと複雑、韓国併合100年

2010-08-12 05:37:20 | 発想$感想
★韓国併合100年を機に菅さんが出した首相談話が話題である。

賛否両論あるのはもっともなことだと思う。
あなたは? と言われたら、複雑すぎて想いがいっぱいあって、『賛成でも、反対でもない』
どちらの主張も『もっともだ』と思えるのである。

★そんな難しい議論ではなくて、正直思った感想、いろいろあって決して纏ってはいないのだが、
間違いなくこんなことを思ったのである。

●私にとって小学校時代を過ごした韓国は、誰が何と言おうが『わたしの故郷』なのである。
だから、韓国はベースのところで好きなのである。
だから、韓国を悪く言わないで欲しいと思う。
でも、あの頃は韓国でなく、日本であった。
そのことが問題なのである。
しかし、私の知っている京城は、何処に行っても、日本語が通じる日本だったのである。

●子供のころ、そのこと自体に何の疑いも持たなかったが、韓国の人が日本語をしゃべるのはそんなに異和感はなかったが、
名前を変える『改姓』にはなんでそんなことをと思ったものである。
家にいたお手伝いさんは、大の日本びいきで、いつの日にか『内地に行きたい』と言うのが口癖だった。
多分、少数派であろうが、そんな人もいたのである。

●韓国併合100年だそうである。
終戦が65年前だから、日本が韓国を統治した年数は35年と言うことなのだろうか?
この機会にとちょっと調べたら、こんなブログも出てきた
1910年8月だから、やはり35年間である。
祖父が韓国に事業を興したのは、多分その10年後ぐらいのことだろう。

●その後の25年のちょうど半分くらいが、私が韓国で子供の時代を過ごしたのである。
京城(ソウル)だけが特にそうだったのか、65年前の京城は立派な町だった。
100年前がどんなだったかは知らぬが、35年間の間に造られたり、建てられたりしたものもいっぱいあったはずである。


突如として写真だが、これは私が小学校時代を過ごした家である。
これは家にあったのではなくて、
ソウルオリンピックの時に、ジェットスキーのデモに招かれてその時家を見つけて写真を撮ってきたのである。
門や塀は当時と変わっていたが、家自体は昔のままで残っていた。
日本で考えると結構大きいが、このあたり隣近所もみんなこれくらいはあって、普通だったように思っている。

●これなども、搾取の実態と言うか結果なのかも知れぬが、豊かであったことは事実である。
ただ、この家が、あるいはこのあたり一帯の家に、どなたが住んでおられるのか?
元の家の持ち主は、多分タダで置いて帰ってきたはずである。
個人の家だけでなく、公共の建物も企業もすべて無償で寄付してきたようなものである。
日本人が、そんなに悪いことばかりだったのかと言うと『そうでもない。残したものもある』

●そんなことを交渉の道具にいろいろ言うから、ぎすぎすする。
隣国なんだから、素直に仲良くすればいい。
正直、少々『謝り過ぎ』だとは思うが、
日本は何事にも、すぐ頭を下げる『謙譲の美徳』の国であり、
韓国は何事にも、『自分の考えを主張する』お国柄である。

●これは一国の問題だから、そんなことは言っておられないという意見も解るのだが、
どうも本件に関しては、私は二国にまたがっているような気が今でもするのである。
韓国が子供のころを過ごした『故郷』であることは、どうしても否定できない事実なのである。

日本には、今でも沢山の韓国の人たちが住んでいる。
この方たちにとって、多分日本は『故郷』なのだろう。
もっと、昔を辿れば、中国から、韓国から日本に移り住んで、日本人になった人も沢山いるはずである。

いろいろ言うのは、政治の世界だけでにしてほしい。
お互い隣国なのだから、仲良くしたいと本当にそう思っている。

コメント (2)
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