★ カワサキバイクマガジンが送られてきた。
ページをめくっていたら、
『ヨシケン』 と 『月木さん』の話が出てきた。
今になってみると、
お二人とも二輪業界では結構有名人なのだが、私などがお付き合いを始めた当時は、ただの二輪業界のお一人だったそんな時代からのお付き合いなのである。
そして今現在も、NPO The Good Times で、私だけでなくみんなと密接に繋がっているし、切っても切れないような仲間なのである。
当然、NPO The Good Times の会員さんで、彼ら二人が『会員さんですよ』と言うだけで、
ちょっとNPO The Good Times の格も上がるような気がするから、『出世された』ものである。
★『カワサキ創成期の証言者』としての記事なのだが、
誤解を恐れずに言わして頂くと、
仙台の『服部カワサキ』の服部謙治くんと 『山科カワサキ』の吉川健一くんは、数あるカワサキの販売店の中でも別格で、
『カワサキの歴史そのものを背負っている』ある意味、『カワサキ』より旧い時代からカワサキに関係しているお二人なのである。
服部謙治くんは、宮城カワサキメグロ時代の工場長だったし、
吉川健一くんも京都の服部商会時代から二輪に関係されていて、この雑誌では66年(昭和41年)カワサキ入社となっているが、ずっとそれ以前から二輪には関係しているのである。
お二人とも全国でもトップクラスの経験豊かなサービスマンで、当時のファクトリー以上の経験と実績を持ったお二人だったのである。
★ 吉川健一くんと初めて出会ったのは、1967年私が大阪地区の責任者として仙台から異動した時で、彼は京都営業所のサービス担当者だったのである。
当時の京都営業所には、服部さん時代からの、田中さんと言う名物女性やヨシケン、それに藤田ミーちゃん、管内には後の滋賀カワサキの宮本進くんや、販売店にはヤナギモ―タスの通称ヤナギさんなどの服部さん時代からの二輪経験者が揃っていたのである。
逆に言うと当時のカワサキの本流は、みんな経験がなくて、二輪に関しては素人が殆どだったと言ってもいい。
京都営業所の所長をしていたのは私と川航入社同期の藤田孝明くん、営業には今現在World Good Riders Association の副代表をしている関初太郎くんもいたし、ちょっとあとには、NPO The Good Times の副理事長渡部達也くんやWorld Good Riders Associationの代表を務める柏原久くんもそれぞれ所長を務めていて、ヨシケンとは密接に繋がっているのである。
そんなこともあって、昨年7月7日のグリーンピア三木であった、KAWASAKI THE REGENDS & FUTURE には、藤田孝明くん以下ヨシケンもヤナギさんも、当時のメンバーがみんな顔を揃えたりしたのである。
雑誌にも書かれている『北川圭一』くんは、『ヨシケン』に頼まれてチームグリーンに入れてあげた関係もあって、今は世界チャンピオンで押しも押されもせぬ大スターなのだが、みんな仲間内のお付き合いは、出会った当初のままの関係で続いているのである。
『ヨシケン』は、サービス能力など飛び抜けているのだが、KAWASAKI Z1 FAN CLUB の代表も務めている渡部達也君などに言わせると、東の北見紀生くんに匹敵する逸材だと言うのである。
北見くんもメグロ出身だが、服部くんも含めて、この3人は私と特に関係の深かったサービス関係の3人なのだが、間違いなくサービスの腕は確かなのである。
服部くんはモトクロス、ヨシケンはロードレースと違いはあるのだが、レースへの関心は昔から深かったし、レースをかじっていた私ともそんな関係でも、いろいろと想い出は多いのである。
星野一義、山本隆、北川圭一、服部謙治、吉川健一、みんな立派になったものである。
そんな昔の仲間たちと昔通りのお付き合いが出来るのはいい。
吉田純一くん(全国オートバイ協同組合連合会会長)なども、今は最高にエラクなり有名になったお一人なのだが、40年前の通りのお付き合いが出来ている。
私たち仲間の間では、こんな人たち、みんな同列の意識しかナイから不思議である。
★月木博康くん、 月木レーシングの創始者である。
月木さんと初めて会ったのは、もう30年以上も前で、藤田孝明くんが京都から大阪に異動し、見つけてきたお店で、彼と一緒に訪ねたのだが、ひどい山奥だったと言う印象しか残っていない。
その当時はマフラーなどやってたのだろうか?
現在の月木レーシングのあるところなのだが、昨年ホントに久しぶりに訪ねたら、様子は一変して街になっていた。
私は月木レーシングと言うよりは、月木晴康さん個人といろいろ関係があったし、今もそんな関係が続いている。
二人の息子さんも知ってるし、カリフォルニアでお寿司屋さんをやってる方の奥さんになってる娘さんも、そのお店も知っている。
マフラーなどは、殆ど関係がナイのだが、レースで岩城滉一とお付き合いがあったり、宗和 孝宏 と直接関係が出来たのも、月木さんとの関係なからのである。
今、タイで月木さんが付き合っているピテイは、月木さんがピテイに会うずっと前に、私と関係のあった仲間なのである。
今のNPO The Good Times の事務局長をやってる登山さんとも最近は密接に繋がって、ミッキーヘッセや今日本に来ているニュージーランドのクロスビーも近々月木さんを訪ねるのだとか・・・
兎に角、月木さんはみんなが寄ってくる不思議な魅力のある人だと思っている。
何となく、みんな繋がってしまうのに、なぜか正規のカワサキとは今は繋がっていないらしい。
理由はただ一つ、『カワサキの新車を大して売らない』からだと思う。
でも、カワサキバイクマガジンは、なぜ月木を取り上げたのだろう?
月木はカワサキ と言うイメージがあるのだろうか?
私などは一番カワサキが似合う、月木だと思うのだが、この記事の中には、カワサキのカの字も現れない のである。
月木さんが、遠慮したのかな?と思ったりする。
私の周りの平井稔男さんも80歳を超えてまだまだ元気だが、『カワサキの真打ち』と自認する彼もまた、カワサキと月木を繋いだ1人である。
今はKMCにいるジェットスキーの世界チャンピオン金森稔君も、月木レーシングの出身だし彼をカワサキに連れてきたのは平井さん、
そんなカワサキとの関係の月木だが、この記事の中に『カワサキ』の文字が見られないのが、私にとっては、ちょっと寂しかったのである。
月木晴康さんもそう思っているかも知れない。
月木の記事は、そんなことばかりを思いながら読んでいた。
★まあ時代は流れて、月木レーシングも記事にあるように息子さんたちの時代なのかも知れない。
こんな昔話に付き合わずに、より新しい発展を求めて息子さんたちが『新しい月木レーシングのイメージ』を創る方が大事なのかも知れない。
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