雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

親子の会話、日本とアメリカ

2018-10-17 09:03:32 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★アメリカに来て、娘家族のところに1か月も滞在する生活がこの数年続いている。

 別に違和感もないし、遠慮もないし、普通に気分よく過ごせているのはなぜだろう?

 『普通に会話ができてる』のも、一つの原因だと思う。

 

 娘だから当たり前の話だが、20年も子供のころから成人するまで日本で一緒に生活したのだが、その間どれだけ『娘との会話』があったかな? 殆ど話している時間がなかったように思うのである。

この数年Irvine に来て娘と話している時間の方が、間違いなく長いように思うのである。

私自身を振り返ってみても、両親と話した時間はそんなに長くはなかったのでは、と思う。子供のころはともかく、中学、高校生になってからはそんなに会話はなかったのではなかろうか?

 

ところが、ここの孫たち3人と両親の間では、毎日普通にいろんな会話がなされているし、ネットのラインなどでも大学生の孫からしょっちゅう電話がかかって来るのである。その会話の内容は、別に用事があって話しているのではなくて、友達間の会話のように他愛無い内容のことがほとんどなのだが、普通に会話がしょっちゅうされているのは不思議なことである。

ネット社会になったから? そんなことはないように思う。

今の日本の高校生や大学生も、そんなに親たちと話をしているとは思えないのである。

 

     

 

★娘に直接、聞いてみた。

 『なぜ、そんなに息子たちと自然に話せるのか?』返ってきた答えは『アメリカは車社会はだから、車の中での会話の延長では......』というのである。

 アメリカでは、小学生の頃は一人では道も歩けないし公園でも遊べない。横には必ず親が同伴していなくてはならないので、常に会話はあるのだろう。

 中学生、高校生になっても、親が学校まで車で送迎することも多いのである。日本のように交通機関が完備されていないので、18歳になり免許を取って自分の車を持つまでは、親が車で送ってやらねば何もできないのである。

 現実に、孫の末弟は高校4年生だが、毎日のサッカーの練習には必ず練習場までの親の送迎がある毎日なのである。練習に行くときは娘が送り、帰りは娘婿が会社の帰りに寄って連れて帰って来るのである。

 車の中は二人きりだから、なんとなく『普通の会話』があって、その延長で家庭内でも普通に会話ができるのだろう。

 

★Googleで『親子の会話』と検索すると、『親子の会話がない』というのがいっぱい並ぶから、日本ではやはり親子の会話は少ないのだろう。

さらに『親子の会話 日本とアメリカ』と検索すると、いろんな項目が並んだ中に、娘が指摘したのと同じ、こんな『車社会』をその理由に挙げたのを見つけたのである。

曰く

  「古今東西、思春期は親に反抗するものではないか。そこで、アメリカ人の親子にあれこれ事情聴取するうち、ある事実に行き着いた。アメリカ人親子のベタベタぶりの秘密は、『車社会』にあるようなのだ。
 
 公共交通網が未発達のアメリカでは、運転免許を取得できる年まで、親に車で送迎してもらわない限り、どこにも行けない。友だちの家に遊びに出かけるにも、親の送迎は不可欠だ。小学生だけで電車に乗って出かけたり、子供同士で近所の店で買い食いする、なんてことは、今のアメリカの都会ではありえない。

 あるアメリカ人ママの証言。『週末が近づくと、中学生の息子がニコニコと愛想良くなり、家の手伝いをし始めるのよ。私の機嫌を損ねたら、カノジョとのデートもおじゃんだからね。うっしっし』。おまけに、車で送迎すれば、車の中では親子っきり。これが親子の貴重な会話の時間にもなってるんだって。『車で送迎』は、思春期の子をもつ親にとって最強の武器ってわけか」



         


 そんなアメリカの『車社会』という環境もあるのだろうが、同時に自分の意見を常に持ちそれを常に発信するアメリカの教育が身についているのだろう

 Berkeley で生活している次男からは、ホントに毎日のように娘のところにラインで電話がかかるし、自分の『サッカー情報』をどんどん送って来るのである。

 昨日は今日本の大学にいる長男から突然ラインで電話が掛かってきて、だいぶ長くしゃべっていた。

三人の孫たちの中では、一番日本的なあまり『自分の情報』を発信しない門野力也だが、それでも電話の内容を聞いていると、日本の親と子の会話にはないような「何か」があるような気がした。

 

 自分自身を振りかえってみると、『祖父母との会話』など全くと言っていいほどなかったのだが、私自身の『孫との会話』も結構あって、普通にいろいろ話せるのが不思議である。

直接、顔を合わすことができる環境がいいのかもしれない。

この月末には息子も日本からやってくるというし、娘の長男も11月初めにはアメリカにちょっと戻ってくるというのである。

 それを結んでいるのは、次男の大学最後の『サッカー試合観戦』なのである。

 

 

       

 

 『Shinya Kadono Soccer』と画像検索すると、こんな写真が並ぶ。 まだ小学生のころのサッカーのお師匠さんの息子は、わざわざアメリカまで『教え子の成長ぶり』を観に来るというのだから、その会話を支えているのは『車社会』以上に『サッカー』ではなかろうか、とも思っているのである。

 

 いずれにしても、息子や娘と、そして孫たちとも会話ができるのは、私にとって幸せだなと思っているのである。

 こんな環境があと何年続くのだろうか?

 

 

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