雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

海を渡ったがばいばあちゃん 樋渡さんありがとうございました

2018-10-05 04:24:53 | 樋渡啓祐さんのこと

樋渡啓祐さんがかって武雄市長時代に、三木市に来られた時にいお土産に頂いた『がばいばあちゃん』のTシャツである。

 なぜか、孫の門野哲也が気に入って、こんなにボロボロになるまで着続けて、今は部屋に飾られている。

 

         

 

 

  その背中には、『人は死ぬまで夢を持て!その夢が叶わなくても、しょせん夢だから。』と書かれている。

 

 

       

 

  孫の末弟、門野哲也が初めてアメリカに渡ったころは、背中の字が読めなかったかも知れない頃なのである。

  孫もこんなに小さかったが、

 

          

 

 

  2007年5月のことだから、11年も前のことである。

  樋渡さんもお若くて、その時の雑感日記に次のように記しているのである。

 

         

 

 

 この写真は、2007年5月28日に樋渡啓祐さんが三木に来られた時に、武雄市の広報の方がわざわざ撮って頂いた写真だから、樋渡啓祐さんが未だ『日本一若い市長時代』で 今のような超有名人ではない 多分まだ35.6才時代の樋渡啓祐さんなのである。ブログを始められたばかりで、Facebook など未だ世の中にはなかったころだから、お若くて当然なのである。

 

★人生85年を生きてきて、沢山の方たちとお会いをしたのだが、そんな中でも樋渡啓祐さんは、私にとって特別な方なのである。

ホントに不思議なご縁で、高槻市のホームページの『こちら部長室』の中で勝手に見つけて、勝手にその意見に心酔し、勝手にブログなど始めたら、そのコメントで繋がったのだが、普通はそこまでで終わってしまうのだろうが、そこからが始まりだったのである

お互い気の合う人』『お互い信じあえる人』というのは、どなたも何人かはお持ちだろうと思うのだが、樋渡啓祐さんとの関係は、ホントにお互い信じあって、樋渡さんの武雄市長1年目のことだったのだが、樋渡さんの『市長ブログ』にも何度も『雑感日記さん』は登場したし、私もそれに応えて、応援ブログを何度も書いているのである。

そんなことから、三木市と武雄市も繋がって、この写真を撮った当日、樋渡さんの初めての三木市訪問だったのだが、午後は三木綜合防災センターでの見学から私はご一緒させて頂いたのである。

 

 樋渡さんの武雄市長としてのご活動は、『型破り』と言うか『独走的』で『差別化』がご自身の意志で明確に推進されていたので、一躍世の注目を浴びることになるのだが、いまとなっては私が『威張れること』があるとすれば、そんな樋渡啓祐さんを、高槻の市長公室長に総務省から出向されていたいわば「無名の時代」に見つけ出して、勝手に執拗に追っかけていたのである。

最初のブログに『樋渡啓祐さんのこと』書いた時点でも、『総務省に戻られた』とばかり思っていて、『武雄市長の樋渡啓祐さん』が突然現れて、びっくりしたのである。

三木でお会いして後も、何度かお会いする機会もあったのだが、その後は特に『何をした』ということもないのだが、私のブログのカテゴリーの中に、今では『素浪人&樋渡啓祐氏』とネーミングは変わっているが、かっては『武雄市長 &樋渡啓祐氏』だったのである。



孫も今は17歳、アメリカMLBのプロサッカー選手を目指す夢を追っかけている。

 その夢は叶わなくても、しょせん夢なのだが、 その可能性も見えかけている昨今なのである。

 

  いまは5か国の人たちがいる国際チームでもある、アメリカのSoccer Development Accademy公認のStrikersいる。

 


      


  

   孫と日本人のチームメート.。

   そのチームで孫はキャプテンをしているのだが、来年の大学推薦も決まって『孫、門野哲也の夢』はその実現に向かっているとも言えるのである。


  樋渡さん、本当にありがとうございました。

  

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