雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ナイジェリアのラゴスの想い出

2020-07-31 06:05:01 | 発想$感想

★ カワサキの二輪事業のお陰で世界のいろんな国へ行っているのだが、
 カワサキの中でもアフリカに行った人は多分少ないと思う。

 ナイジェリア、こんなところにある。
 Googleマップで遊んでいて、

 


 ナイジェリアのラゴスの地図など見ていたら、
 ずっと昔、ラゴスへの一人旅を想いだしたのだが、
 いろんな記憶はあるのだが、『なぜラゴスなどに行ったのか?』
 そんな基本的なことをよく覚えていないのである。

 人の記憶など、ホントにいい加減なものである

 


 そんなことで『旧い日記』をひっくり返して読んでみたら、
 いろんなことを思いだしたのである。


★ まずこれは1977年8月、私にとっては、初めてのヨーロッパ出張なのである。
 それも、タイのバンコックに最初に行ってそこからロンドンへ飛んだのである。

 ロンドンの空港でその『タイ廻り』を不審に思われたのか、
 徹底的にバッグをチェックされたりして、最初から大変だったのである。
 当時、カワサキUKがスタートしたばかりで、
 初代社長の内田さんと直接ロンドンに来ていた斉木君が空港に迎えてくれた。
 
 内田さんはメグロからカワサキに来た方で、
 ヨーロッパ市場はUKもドイツもスタートは、彼が開拓したのである。
 かっての国内市場で、カワサキの最初の鈴鹿のロードレースなども、
 一緒にやった仲間なのである。

 最初のヨーロッパだったし、ロンドンでは彼がいろいろ面倒見てくれて、
 ロンドンの街もウインザー城なども案内してくれたし、
 シルバーストーンのレース場で、本場のイングランドGPなども見たのである。
 世界各国いろんなところに行ってはいるのだが『観光』など珍しいのである。

 その後ロンドンには何度も行っているが、観光をしたのはこの時だけである。


★ ところで、ナイジェリア行きは、日記で調べてみると、
  PZという英国の大企業が世界各地でいろんな事業を展開しているのだが、
  ナイジェリアでカワサキのCKDをやろうという意志があったようで、
  当時、現地に駐在していた森田くんに頼まれての出張だった。

  そんな関係でまずマンチェスターのPZのヘッドオフイス訪問から始まっている。
  斉木君と二人だったが、
  まだ、英語も碌に話せなかった頃で、
  マンチェスターなまりの英語には、全く辟易したのを想い出す。
  

  ロンドンに戻り、そこからナイジェリアに飛ぶ予定だったのだが、
  ロンドンのヒースロー空港に行くと、乗るべき便が探してもないのである。
  いろいろ聞いてみたら、アフリカ行きの空港は場所が違うのだという。
  
  アフリカ行きは南の方のガトウィック空港からで、
  ロンドンに5つも空港があるとは知らなかったのである。

 
         


   そんなことで、乗り遅れてしまって、翌日ラゴスには独り旅となり、
 ラゴス入りは1日遅れとなったのだが、
 ラゴスの空港では、当時単身ラゴスに駐在していた森田くんが迎えてくれて、
 ナイジェリア駐在中は、ずっと彼と斉木くんとの3人での行動だった。

 PZという会社は結構な大会社で、既にベスパの生産工場を現地に持っていたし、
 自社の立派な寮のようなところも持っていてそこに泊めて頂いたりしたのである。

 今でもそうかも知れぬが、ナイジェリアに行くには、
 日本で出発前に『マナリアの注射』がMUSTなのである。
 今から40年以上も前の話なので、当時のナイジェリアは大変だったが、
 英語は誰もが喋れるのである。
 
 首都ラゴスから140キロも離れた『イバダン』にも販売網調査で行ってるのだが、
 そこでいろんな世間話などして、
 『こどもは何人?』と聞くので『二人』と答えたら、 非常に不思議がるのである。
 何となく解ったのは『避妊』という観念がないようなのである。
 
 そのあたり『コドモだらけ』だったが、非常にフランクで、
 ホントに『素朴な未開地?』といった感じだった。

 そんなナイジェリアで、ラゴスだけは結構立派な町で、
 車がいっぱいで1日ごとに『奇数か偶数』のどちらかのクルマしか走れなかった。
 そんなラゴスを覚えている。
  

   

 

★Google マップでラゴスの町を見るとこんな感じだが、

 




 同じラゴスでもいろいろあるものだと思う。

やはり40年も前とは様変わりしたところもあるし、
昔のイメージ通りのところもある。


 ラゴス島を見ると、なかなかの近代都市なのである。
 Googleマップもいろんなところが見えてオモシロい。

 

 
 



 ラゴス市の中には、こんな昔の儘のイメージが残っているところもある。

 


 



★このナイジェリア・プロジェクトは、結局成立しなかったのだが、
 現地では日曜日に『ホンダの駐在員』の方とデイナーをともにして
 いろんなことを彼から聞いて、『いい印象』を持っていたのだが、

   ホンダさんはどうなったのか、調べてみたら

 こんな記事があって、『ナイジェリア40周年』とあった。
 ちょうど、私が現地に行ったのが1977年なのだが、
 その2年後、1979年からの現地生産開始だったようである。

   

  

 カワサキは何故、このプロジェクト上手くいかなかったのか、
 覚えていないのだが、
 ナイジェリアのラゴスは『いい想い出』なのである。

 
  

コメント
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