タイプロジェクト-1
小池君から折角詳しく纏めて頂いた「豪華川崎GTO青春物語」でタイプロジェクトのことが書かれているので、抜粋しながら触れてみたい。
市場開発室が出来て、イランとタイのプロジェクトが直ぐスタートし、少し遅れてインドネシアプロジェクトがそれに続いた。
私はタイをメインにネシヤも手伝うことになった。
タイについては、現地の馬ファミリーとの合弁会社設立を最終目標に小池君らとスタートしたのだが、
当初は話し合いをしても全然かみ合わず進展のないまま時間が過ぎるばかりだった。
ベースにある永年のカワサキに対する不信感を払拭するまでに相当の時間を必要としたのである。
約1ヶ月の出張期間中、会社設立などの具体的な話はせずに、マーケッテングや会社経営の管理手法など基本的なことばかりを馬さんの長男のチャンチャイと話し合って過ごした。
日本へ帰国する直前に馬さんも出席したミーテングが行われた。
それまでは私はまだ英語がちゃんと喋れなかったので小池君がすべて通訳をしてくれていたのだが、このときは私が意見を述べた。
述べたといっても上手く喋れる訳はないので、下手な英語のほかに黒板に次の漢字を書いた。
「正直、誠実、勤勉」 「信頼,互譲、協力」
これは川崎航空機の社是と執務態度である。
馬ファミリーの息子たちは理解できなかったと思うが、オーナーの馬さんと番頭さんのチャンさんは漢字が読めたしその意味も十分理解できた。
このミーーテングが一つの転機になりプロジェクトは、少しずつではあるが動きだすのである。
人の気持ちを動かすのに、多くの言葉は要らないとこのとき思った。声の響きなどで、気持ちは伝わるものである。
高橋さんがよく言われた、海軍の「on the same boat」も馬さんの息子たちにはよく伝わったと思う。
馬ファミリー100%出資の販社GKM,生産会社TKMの試行期間の合意ができたのはその2ヶ月後の1977年2月、正式にスタートしたのは5月だった。
この時から、小池君のほかに耕守君も加わり具体的な経営やCKDの生産も開始された。
そして、馬ファミリー、川崎重工、日商岩井の三社の合弁会社
Glory Kawasaki Motors Co,Ltd が新たなスタートを切るのである。
市場開発プロジェクト室スタート後、丁度2年が経っていた。
小池君の言う「豪華川崎GTO青春物語」の幕開けであった。
小池君から折角詳しく纏めて頂いた「豪華川崎GTO青春物語」でタイプロジェクトのことが書かれているので、抜粋しながら触れてみたい。
市場開発室が出来て、イランとタイのプロジェクトが直ぐスタートし、少し遅れてインドネシアプロジェクトがそれに続いた。
私はタイをメインにネシヤも手伝うことになった。
タイについては、現地の馬ファミリーとの合弁会社設立を最終目標に小池君らとスタートしたのだが、
当初は話し合いをしても全然かみ合わず進展のないまま時間が過ぎるばかりだった。
ベースにある永年のカワサキに対する不信感を払拭するまでに相当の時間を必要としたのである。
約1ヶ月の出張期間中、会社設立などの具体的な話はせずに、マーケッテングや会社経営の管理手法など基本的なことばかりを馬さんの長男のチャンチャイと話し合って過ごした。
日本へ帰国する直前に馬さんも出席したミーテングが行われた。
それまでは私はまだ英語がちゃんと喋れなかったので小池君がすべて通訳をしてくれていたのだが、このときは私が意見を述べた。
述べたといっても上手く喋れる訳はないので、下手な英語のほかに黒板に次の漢字を書いた。
「正直、誠実、勤勉」 「信頼,互譲、協力」
これは川崎航空機の社是と執務態度である。
馬ファミリーの息子たちは理解できなかったと思うが、オーナーの馬さんと番頭さんのチャンさんは漢字が読めたしその意味も十分理解できた。
このミーーテングが一つの転機になりプロジェクトは、少しずつではあるが動きだすのである。
人の気持ちを動かすのに、多くの言葉は要らないとこのとき思った。声の響きなどで、気持ちは伝わるものである。
高橋さんがよく言われた、海軍の「on the same boat」も馬さんの息子たちにはよく伝わったと思う。
馬ファミリー100%出資の販社GKM,生産会社TKMの試行期間の合意ができたのはその2ヶ月後の1977年2月、正式にスタートしたのは5月だった。
この時から、小池君のほかに耕守君も加わり具体的な経営やCKDの生産も開始された。
そして、馬ファミリー、川崎重工、日商岩井の三社の合弁会社
Glory Kawasaki Motors Co,Ltd が新たなスタートを切るのである。
市場開発プロジェクト室スタート後、丁度2年が経っていた。
小池君の言う「豪華川崎GTO青春物語」の幕開けであった。
いつまでも御元気なブログ待っています。
小池さん、は久保田さんと同期の方でしょうか?
小池博信君は久保田君と同期ではありません。
小池君はよくご存知の前田佑作君と同期で学校も一緒です。
カワ販の耕守君と一緒にタイプロジェクトを担当しました。
久保田君はもう少し下です。
いい男でしたが、早く亡くなりました。
何故、ご存知ですか。
短い期間でしたが、重い教えをいただきました。
アメリカに行かれ、その後ご病気されお亡くなりなった由、後で聞きました。
残念でなりませんでした。
確かではありませんが、古谷さんの大学の後輩かと記憶してます。
よくできる男でした。私の後輩です。
単車事業部が本当に苦しかった時代、私は企画でKMCなど海外販社の経営再建に奔走していた頃、大庭本部長の時代ですが。
久保田君は、大前太さんの下で生産関連や設備関連など手間の掛かる一切の仕事を受け持ってくれました。
その後、企画に来てミュールなどの開発でアメリカも担当しましたが、がんで急に亡くなってしまいました。
私は,葬儀で弔辞を読まして頂きました。
朝、会社に出社してから、急に決まってはじめての経験で何も解らぬまま、文章を作り自筆で書いて葬儀に間に合わせました。
今でもその内容はよく覚えています。
本当に惜しい男でした。ご冥福を改めて祈ります。