★ テレビでイランの紹介をやっていた。
世界のいろんな国に行ったのだが一番強烈な印象を受けた国と言えばイランである。
ご覧の通り殆どが砂漠で樹が生えていない。
テヘランをはじめ大都市には緑があるが、自生しているのではなく人の手で植えられ、テヘランなどは日に何回か山からの水が流れてくる。
都市はみんな人の手で創られている。
1976年(昭和51年)のことだからまだイランが王政の時代である。
カワサキが小型のCKD生産を始めるに当たって、
主としてタイ・インドネシア・イランの3カ国を選び、
その市場調査を行った時に調査団の一員として訪問したのである。
この年の6月3日から10日まで8日間だったがこんなルートで
テヘランを中心にあちこちに行っている。
長距離は飛行機だが、工場のあったサヴェーには片道140kmを車で砂漠の道を往復した。
途中は全くの砂漠で樹など生えていない。
こんな光景を見るのは生まれて初めてだった。
南のシラーズもイスファファーンもデーラー訪問などしたのだが、
いずれも人が創った綺麗な街だった。
★ こんなイランの風景も印象に残っているのだが、
人々の発想や言葉も全然違っていたし、
イランいはイランの数字があるのには驚いた。
ゼロは・なのである。
ホテルの部屋番号や飛行機の座席番号も奇数が数字なら偶数はイラン文字で表示されていた。
私は結構こんな新しいことには関心があって
所謂『ペルシャの市場』にも独りで2度ほど行ったのだが、
物品の価格が値段交渉で決まるのには驚いた。
そんなことだから、イランの人達との会議は大変だったのである。
『事業計画』など未来のことは神様の世界だと仰るし、
会議をしていても『お祈り』の時間が来ると突然中断されてしまうのである。
最後に訪れたイスファハーンでは、
空港で飛行機が欠航になり、いつ飛ぶのか解らないのである。
まさに、未来は神様の世界で空港関係者は飛行機が再開する時間などあまり関心が無いようで、何を聞いても『解らない』なのである。
そんなことでテヘランまでの400kmを2台のタクシーで戻ってきたのである。
道は砂漠の中をホントに真っすぐで車も殆どいないから、400kmを3時間ほどの行程だったのである。
当時のイランのデーラーは日本の販売店よりはずっと立派で、
サヴェーの工場も立派だったから、
イランでの販売には期待していたのだが、
1979年のイスラーム革命で、各社ともダメになってしまったのである。
因みに、この時サヴェーの工場に単身出向してたのは、
後、川崎重工業の副社長をされた佐伯武彦さんなのである。
当時はブリジストンもホンダさんも工場進出していて、
どちらのメーカともお会いして話を伺ったりしたのである。
★ こんなイランだったから、調査団のほかに人たちの印象は『イランはオカシイ』だったのだが、
私は何となく回教徒は日本人よりは多いし、
イランの人達から見たら『日本人はオカシイ』と思ったのではないかと思ったりした。
ペルシャの市場には一般のバスに乗っていったのだが、
言葉は通じなかったが、人々の対応は非常に親切で人間味あふれるものだった。
そんなことがあったので、その後も何となくイランには親しみを感じるのである。
兎に角、世界は広いなと思ったのが実感である。