★ 阪神淡路大震災から30年である。
テレビでもいろいろと当時のことを映し出しているが、これは本当に大災害だったのである。
その年の日記を読み返してみた。
1月17日の日記にはこのように書いている。
6時少し前、大地震、約1分ほど家が倒れるのか。これはスゴイ、本当にこれは地震なのか。 地震とは別の爆発か何か別のものではないか?短い時間の間に思った。・・・
と書いている。所謂『地震』とはちょっと違った、経験したことのないような揺れだった。
幸い神戸の隣町の三木では家の倒壊などはなかったが、
停電になってしまって、神戸のことなどは全く解らなかったので、
いつものように、明石の会社までクルマで出勤している。
途中の信号は停電でついていなかった。
事務所は散乱していたが、大きな被害はなし、新車倉庫のバイク600台が転倒していた。
★ 10時過ぎだったと思うが、電気が通じてテレビを観て、
神戸の状況が写って、そのすさまじさにびっくりした。
一番日ビックリしたのは高速道路が倒れてしまったことである。
家は兎も角、こんな構造物が倒れるとは考えられなかった。
★ 幸いJRは何とか大丈夫だったが、
幹線道路がみんなやられて、国道2号線なども通行止めになった。
そんな状態だったから、バイクを寄贈しようと県に電話したら『寄付申請をしてください』などと言うのでびっくりして、
明石警察の知った方に言ったら現物を直接受け取って頂けたので、確か30台ほどのバイクを寄贈した。
道路が大変だったので役に立ったと喜んで頂いて、特別の『道路通行許可証』など頂いたりした。
一般車はあちこちの道路が通行禁止で大変だったのだが、
この許可証は本当に役に立ったのを覚えている。
一般にバイクは本当に役に立ったのである。
バイクのオーダーが急増して月末にはバックオーダーが2000台にもなったと、これも日記に書いている。
伊丹空港は飛行機は飛んでいるのだが、空港に行くのが大変で、
三木からタクシーで三田まで行き、そこからJRで伊丹まで行ったりした。
兎に角、海岸方面は全く通れなかったのである。
★ あんなにひどかった神戸の街も30年経つと
特にひどかった長田区辺りは、昔よりは数倍立派な街になって復活しているのだが、
人間の記憶はそんなにいろいろとは覚えていないものである。
日記を読み返してみて、いろいろと当時のことを想いだしたりしたのである。