雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

神戸ベンチャー研究会での松島裕さんの講演

2023-09-04 04:42:36 | 発想$感想

★ 神戸ベンチャー研究会会長の窪田 勲さんのFacebooKに、
 先日の松島裕さんの講演の内容 が載っていたので、
 そのままちょっとお借りしてご紹介してみる。
 なかなか内容のあるいい講演だったので、
 特に二輪の関係者の多い私のブログの読者の方にも是非、聞いて欲しい内容なのである。
 
 以下は窪田 勲さんのFacebooKからの転載なのである。


★暑い夏を、熱い心の人たちと語りつくした! 
 陽ざしがとても厳しい、8月26日、
 第269回神戸ベンチャー研究会が開かれました。
 テーマは「魅力ある伝統を生かすことにチャレンジ」
 講師は、8月に設立したばかりのNPO法人二輪文化を伝える会 理事長 島裕さん、
鈴鹿8耐ライダーが「二輪文化」を伝えるNPO法人を設立するまでがテーマ。

   
 

★こどもの頃、マンガ「750(ナナハン)ライダー」(石井いさみ氏原作)が好きで、大きくなったらバイクに乗ろうと憧れていた。
しかし、地元の埼玉県では、バイクの「3ない運動」が高校で盛んに行われていた時代だった。
そこで、自転車からスタート、近くをツーリングして楽しんでいた。
角川映画が流行っていて、大藪春彦氏の小説「汚れた英雄」が映画化され、大ヒット。日本全国でバイクがブームになり、私もバイクを買って、ロードレースをするようになった。

★1995年から2000年まで、鈴鹿サーキットで開催される公式レースである「鈴鹿8時間耐久ロードレース」に参戦できるくらいにまでになった。
当時の観戦者は約20万人。人気あるレーサーには、会場では歓声が上がるのだが、私は無名で誰も気に留めてくれないような感じであった。
1997年の鈴鹿レースに出たときに、知人からホームページの作り方を教えてもらって、見よう見まねで作り始めた。
レースの雰囲気やバイクの魅力を伝えたいと思い、レース現場でのピットの緊張感のある様子など写真等を交えて、ホームページで公開。当時はまだインターネットが始まったばかりの頃。
ホンダやヤマハでさえ、こういったレースのホームページがなかった。

今では普通になってしまっているが、ピットロードからネット配信する先駆けであった。「今から走ります」と綴っていた。
ビックリしたのだが、やはり鈴鹿レースに関心を持って、検索して、私のホームページを見つけてくれる人たちが増えていったのである。
無名である私にレース会場で、「ホームページ見ているよ、がんばってくださ」と声をかけてくれる人がでてきたのである。
鈴鹿レースにでるライダーは、間違いなくバイク好きなのだが、声を掛けてくれているのは女性たちが多い。
自分はバイクには乗らないけれども、モータースポーツを見て楽しむのが大好きな人が多くいることを実感した。

ホームページというのは、情報発信力があり、すごく影響力があるんだなと感じた。
引退して、どんな仕事をしようかと考えたとき、選んだのは、ホームページ制作・運営の仕事だった。
2009年に川崎重工業のバイク部門を世界的なメーカーに育てられた古谷錬太郎さんから、「NPO法人The GoodtimesのHPを作って欲しい」というお誘いをいただいたのが、古谷さんとのお付き合いの始まりである。
今回、二輪文化を伝える会をNPO法人化したのだが、もともとは、「外国人に日本の二輪文化の魅力は何ですか」と聞かれたときに、「バイクに乗ればわかるよ」ではダメだと思い、うまく説明したいと思ったのが切っ掛けである。
古谷さんから、カワサキのバイクの歴史を教えてもらいつつ、メーカーの枠に留まらない、まさに日本の二輪文化の歴史を整理し、その挑戦の数々やエピソードなどを調べていくとすごくおもしろい。
それらの良さを伝えていきたいと感じた。調べていくと誰も知られていないような多くの出来事と、エピソードがたくさんあることが分かってきた。

★その1つが、日本人で最初に世界のバイクレースにチャレンジしたライダー、多田健蔵氏がいたことである。
日本にまだバイクメーカーがない時代の昭和5年(1930年)。
たった1人でシベリア鉄道に乗り、何十日もかけて英国に渡り、死亡者続出のマン島TTバイクレースに日本人で最初にチャレンジしたのが多田健蔵さんだった。





多田さんは、日本では自転車競技のレーサーで、バイクという新しい乗り物ができたことで、バイクにも挑戦したのである。
世界で勝負したいと、英国のマン島のTTレースに参加し、見事15位に入賞を果たされた。
当時、無名の日本人が、たった一人ではるばる英国にやってきて、レースに挑み、結果を残したことで、初めて、バイクの分野で世界が注目する日本人になった。今風の表現をすれば、「侍ライダー」という言葉がピッタリ。
小説「汚れた英雄」にも描かれていない、まぼろしの侍ライダーだ。

多田さんは、その後次々に誕生した日本のバイクメーカーには所属しなかったので、各メーカーの公式ページには多田健蔵の逸話がないのである。
なお、晩年に多田さんは、スズキの契約顧問として少しの時期活動されたようである。
マン島TTレースに、日本のバイクメーカーで初めて、参戦したのは、ホンダである。多田氏の参戦から十数年後のことである。
しかし、当時のホンダは自社で作ったバイクでの参戦を申請したのだが、ダメだと門前払いになった。
ちなみに、多田さんが参戦したときは、英国メーカーのベロス(Veloce)製のオートバイ「べロセットKTT」であったので、認められたようだ。
当時の主催者から、ホンダは「日本という国には、多田健蔵がいる。健蔵を知らないのか?もぐりの会社か?TTレースに出たいなら、多田健蔵から推薦書にサインをもらってこい」といわれたそうである。
そのくらい多田健蔵氏は世界の中で認められたライダーで、日本のバイクの歴史には欠かせない人物なのである。
 
別のエピソードでは、日本で初めて常設のサーキット場が作られたのは、東京の多摩川にあった1936年の「多摩川スピードウェイ」
つい最近まで、当時の観客席の石段がそのまま残っていたのだが、近年の川の増水により、今では撤去されてしまった。


  



この「多摩川スピードウェイ」のこけら落としには、数年後にホンダの創業者となる本田宗一郎氏が自分で作った自動車で参戦。大きな事故をして命を落としかけたというエピソードがあることが分かった。
創業前の話なので、ホンダの社員でも知らない逸話である。
もし、亡くなっていたら、世界のホンダは、この世に誕生しなかったかもしれない。
 
★日本で最初にバイクレースが行われたのは、1912年で、実は兵庫県西宮市の鳴尾浜である。当時は、鳴尾浜競馬場という競馬場があった。
そう、日本最初のバイクレースは、競馬と同じ感覚であったのである。この鳴尾浜競馬場は今なく、一部がプロ野球阪神タイガースの鳴尾浜球場となり、一部は、武庫川女子大学の来賓館となっている。
 日本では、四輪よりも二輪の方が、肩身の狭い感じがしている。
バイクメーカーには所属していなかった多田健蔵氏のエピソードは、世界で最初に認められ日本人ライダーのストーリーであっても、時間がたつと風化してしまう。
バイクメーカーが残そうとする二輪文化のエピソードは、自社に関連しているものだけというイメージだ。
商売につながらないなら、相手にしない的なムードを感じてしまう。
だから、バイクを買わない人への広報への必要性は、話すと素晴らしいと言ってはくれるけれども、自ら動いて何か行動しようということにはつながらない。
 

★鈴鹿8耐レースに参戦し、ホームページでPRし、反応してくれた人たちとの経験からすると、現場に見に来ている人たち約20万人のうち、実際にバイクを買って乗っている人って、どのくらいいるのだろう。
多くは、バイクには乗らないけれども、バイクが大好き、レースを見たいと思って、わざわざ足を運んでくれているのに。
例えば、サッカーや野球が大好きな人はたくさんいる。しかし、1年以内にサッカーや、野球の試合に参加した人は、どのくらいの割合でいるのだろう。
ほとんどいないのではないか、多くは見て楽しんでくれるだけの人である。
 
だから、日本の二輪文化の良さを伝えようと思ったときに、「バイクに乗ったら良さがわかる」というのではダメで、バイクに乗らない人たちにも、その楽しさ、良さがしっかり伝わるような活動にしていきたいと考えている。
バイクに乗らない人を味方にできないのか?
NPO法人二輪文化を伝える会の活動は、バイクに乗らないけれども、バイクを好きになってくれる人を味方にしていくことへの挑戦になる。


  
 
私もライダーなので感じることだが、バイク乗りの意識のなかで、「バイクを降りたら、もう仲間じゃない」という意識はどこからきているんだろう?
バイクに乗っていると何か特別なことを、特別な体験をしているという錯覚におちいってしまうからかもしれない。ある種の特別感がある。
これはコンプレックスの裏返しなのかも。
そんなことも自問自答しながら、NPO法人二輪文化を伝える会のスローガンを考えました。
バイクに乗らなくても、「バイク好き」という人を増やしたい

★この活動は30年計画で進めています。
第1期の10年は「繋がり」づくりの10年。
これからの第2期は、参加者、共感者を募って、伝えてきたい二輪文化の数々を「持ち寄り」の10年です。
さらに、次の第3期は後継者を育てる活動を目標にしています。
バイクの楽しさのエピソード、お勧め情報、仲間づくり、寄付など募っていきます。賛助会員、寄付などよろしくお願いいたします。
 
といった主旨のご講演でした。
まさに、二輪文化を大切にしたいと感じたストーリー、世界の舞台に最初に挑戦した多田健蔵氏のストーリー、そして、バイクに乗らないけれども、バイク好きを増やすことへの挑戦を目指すストーリーのいずれもが、感動するご講演でした。
モノやサービスを売る際に、ストーリーの大切さが注目されていますが、人の輪づくりも、実際に売り買いには参加しないけれども、共感してくれる人を増やす活動の大切さを実感できるご講演でした。
参加されたほとんどの皆さんが、ご講演後に松島さんに握手を求めて、列ができていたのが印象的でした。

P.S: 私も大学生の頃、ヤマハのRZ250R、社会人になってからは、FZ250フェーザーに乗っていたバイク好きです。


★以上が、松島裕さんの1時間半にわたる講演の抜粋だが、
 文字通り『二輪文化を伝える会』で二輪文化を伝えようとされているのである。
 日本のメーカーがもう少し『二輪文化の向上』に積極的であって欲しいのだが、
 本田宗一郎以降にはそんな活動をされた経営者が少ないと思う。 
 そういう意味では『松島裕』さんは
 バイクに乗らなくても、「バイク好き」という人を増やしたい
 をNPO法人のスローガンにしているのだが、
 メーカー各社もバイクを買うユーザーだけではなくて、
 より底辺のバイクに乗らなくてもバイクが好きだという人達へのアプローチに熱心であって欲しいと思うのである。

 私は1台も二輪車を買ったことはないのだが、
 『二輪への愛情』は人並み以上にあると思っている。
 そう言う意味で松島裕さんの『二輪文化を伝える会』の活動も応援したいと思っている。
 現在では『二輪文化』については日本では松島裕さんが第1人者かも知れない。




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