★先日来、「奈良に旨いものなし」と言われている奈良に、ミシュランガイドが奈良を取り上げたと騒がしい。
ニュースによると、何処かが選定されたらしいが、直接関係もないし、特に興味も湧かないのである。
食い物について、『旨い、不味い』がどうもよく解らないというか、それ自体にあまり関心がないのである。
どんなものでも、結構旨いと思うし、アレだこれだとそんなものに順位や位を付けること自体が馬鹿げているような気もする。
自分自身の生い立ちをみても、子供のころは、結構贅沢に育ったと思うが、その時食ったもので、『旨い』と印象に残っているものもない。
戦後、食糧難で本当に食えなくなった。米がなくてトウモロコシや、いもを食っていた。中学生の食べ盛りであったから、『旨い、不味い』などよりは、
腹一杯食えることが、最高に幸せだったそんな時代であった。
高校に入って野球部にいたので、夏の合宿に行ったら、米の飯が腹一杯食えることが、合宿の最高の楽しみだったのである。
地方に遠征に行ったらお土産にお米を貰ったりした、そんな時代に生きてきた。
★昭和一桁は『早飯』だと冷やかされたりしたが、確かに早飯だし、好き嫌いがあまりない。
何でも食う代わりに、じっくり味を楽しむような余裕がないのである。
会社の現役のころも、いいものを、高いものを、いいところで食べさせて貰ったことはあるが、その味がどうであったかなどは殆ど覚えてはいないのである。
ミシュランガイドなどと、店の料理に格付けするなど、どうもそのこと自体が馬鹿げていて、馴染めないのである。
★昨日、三木に初めて出来た CoCo 一番屋 なるカレー専門店に、家内と一緒に昼飯に行ってきた。
『どうでした?』 と聞かれると、『旨かったです』と応えるのだろうが、
よくテレビでいろんな人が、コメントしているような『しゃれた答え』が出来ないのである。
ただ、このような店は、仮にめちやめちゃ旨かったにしても、ミシュランのガイドブックの選定の範疇には、間違っても入ったりはしないはずである。
ミシュランのガイドブックは、一体だれのために?何のために?あるのだろうか。
食い物の旨いまずいなどは、人それぞれの評価で、そんなのを星の数で誰かの基準で評価すること自体が元々おかしいのである。
日本人は、そんな自分の意見を堂々ということは苦手で、誰かが評価してくれたものを『・・・・らしいよ』というのは得意な人種である。
★帰宅して、CoCo 一番屋 を検索してみた。
カレーもよかったが、カレー以上にこのホームページの記載事項は気に入ったのである。
まず、
社長のトップメッセージ がいい。
社是も、ミッションも、経営の目的も明確に語られている。
日本では数値目標は、明示されても、企業理念が明確に語られることは珍しいのである。
カレーの味もさることながら、事業経営のコンセプトは立派だなと思ったのである。
「アンケートを実施した」年が、工場設立などと同じ次元で『会社沿革』に記載されていること自体、大したことだと思う。こんなことを記載する企業は、日本では珍しいと私は思う。
そのアンケートに『感想を』とあったので、「このブログに感想を書いておきます」と記載しておいたが、社長のところに届くだろうか?
私は、現役のころ、全国から送り返されるアンケートには、全て目を通していた。1日はそこからスタートしていたのである。
ほんとに、ミシュランの評価の基準は何なんだろう?
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