★平成6年ごろ、松井田町にサーキットを造ろうと、ホントに一生懸命だった。
結果的には実現しなかたったが、このころ一番力を入れて走りまわっていたのは、このプロジェクトであった。
膨大な資料も残っているので、いつかまた、調べて正確に書く機会もあるかと思うが、記憶に頼って、なぜこんなプロジェクトにアタマを突っ込むことになったのか、その背景などを記しておきたい。
★カワサキがサーキットに絡んだのは、九州直入町のSPA 直入の建設がはじめてであった。
一般のユーザーが走れるサーキットということで、何の知識もないままに、故岩崎君と二人で、このプロジェクトを進めたのだが、土地が既にあったこともあって、計画してからちょうど2年で開場に漕ぎつけたのである。このプロジェクトがスムースで意外に簡単であったし、ユーザーたちからの評価もよかったこともあって、関西、関東にもそれぞれ作りたいと思ったのである。
当時、サーキット建設はブームでもあった。
九州では直入と同じ時期にオートポリスの建設が進められていたし、ホンダのもてぎもちょうど計画中だったころである。
関東の候補地をと探しだしたら、幾つも候補は出てきたのである。山梨も、茨城県にもそして益子町の国有林の話は町役場や議員さんとはほぼ話も出来あがっていたのに、住民の理解が得られずに、その次に出てきた話が、松井田町だったのである。
話の筋としては、至極簡単で直ぐにでも工事着工が出来るかと思ったのだが、結果としては延々掛って結局は実現せずに終わってしまったのである。
平成6年ごろの日記をみていると、今にも着工できるように順調に進んでいた時期なのである。
★この話は、松井田町から、『ぜひこの町にサーキットを』という強い要望にカワサキがのる形でのスタートだった。
群馬県松井田町は長野県軽井沢から碓井峠を降りてきたところに位置する町で、碓井峠の峠の茶屋 などで有名な町である。
東京など関東各地から軽井沢に行き来する人たちで賑わう町だったのだが、長野の冬季オリンピックに向けて高速道路を建設中で、これが出来ると、クルマは松井田を通らなくなる。
何とか町の活性化のために人が集まる施設を造りたいという『強い希望』があったのである。
場所は、軽井沢に上ってゆく峠道の途中の右にある松井田町の町有林を提供するという計画で、町の人たちも議員さんたちも殆どが賛成で、難しい問題など皆無と思われる計画だったのである。
さらに、このプロジェクトをヨコから推して頂いたのは群馬県出身の元農林大臣山本富雄さん(山本一太さんの父)で、、県などの難しい許認可も問題なく、むしろ背中を押して頂けるような状況だったのである。
川崎重工業側の経営会議での認可も、大庭社長時代で問題なく許可されていたし財務本部なども資金面で応援してくれていて、万事順調な経緯だったのである。
★それなのに何故実現しなかったのか?
たった、二つのことの解決に時間が掛り過ぎて、時間切れになってしまったのである。
一つは取り付け道路の問題であった。
候補地は『霧積高原』の方向で、現地までは車も通れる道もあるのだが、サーキットを造るとなると、その道幅を広げねばならないので、隣接する土地の所有者との交渉が要って、その所有者はたった一人だったので町長さん以下、そんな解決は簡単と思っておられたのだが、これが現実にはなかなか大変で2年以上も掛ってしまったのである。
これが解決して、これで大丈夫と思った時点に新聞報道などがあって、その結果からか、日本野鳥の会から、『イヌワシ』が生息しているかも知れない。レ―サーの爆音で大丈夫か?と言われたのである。
これが、この当時の当事者の間で有名な『イヌワシの話』なのである。
こんな話は、どのように解決すべきなのか? 上手くやれば、その術もあるのだろうが、まともにやると調査から始まって、これだけで約3年掛ってしまったのである。
個人的な推測だが『イヌワシなどの話』その周辺で聞いたことがないと、地元の人たちは言うし、事実いなかったのだろうが、『いるかも知れない』と言われると『いない』とは言い切れないのである。
世の中こんな話は、よくあるのかないのか? いろいろと難しいものである。
★イヌワシの話が出るほど、立地は最高によかったのである。
このサーキットも、パリパリのレースサーキットではなくて、スポーツ走行の好きな一般のユーザーたちが主役のコンセプトであったし、軽井沢から峠を降りてきて直ぐでというツーリングに立ち寄るのにも最高の場所であったし、その運営はいろいろアイデアいっぱいあったのだが、
結局は時間切れになってしまったのである。
でも、よく考えてみると、出来なくてよかったのかも知れない。
『新しいことを運営する』というのは前例がないのだから、そんなことが好きな人がやらぬとなかなか難しいものである。
単にバイクを造り、それを売って経営するという単純な図式の方が一般には簡単なのである。
よくお役所や、そのOB達のいる組織などで『面倒な話を持ち込むな』などというこれと同じような発想は、結構民間の普通の世界でもあるような気がする。
私自身は、そんな『新しいことに挑戦すること』自体が楽しくて、
現在は、NPO The Good Times で、別に報酬など一切ないのだが、いろんなことを楽しんでいる。
来月23日は、千葉県の袖ヶ浦で、With ME 主催の3H耐久が、2日間に亘って、2輪と4輪で開催される。
関東の仲間たちが、
こんな計画で THe Good Times レーシングチーム を立ち上げて参戦するというものだから、平井さんと一緒に観に行こうと思っている。 三木からも1チームが参加したいなどとも言っている。
松井田のサーキット、こんなレースをするには最高の場所だったのだが・・・・・
このプロジェクトの途中に、山本富雄さんは急に亡くなって、山本一太さんが確か国連から戻って、議員になられたのである。
現役時代の名刺は沢山あり過ぎて全部処理してしまったが、お二人の名刺だけ、今でも記念か想い出か、名刺入れの中に残っている。
★NPO The Good Times のホ―ムページです。
★『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』というFacebookページです。
松井田は意外に関西からも近い位置でした。
知りませんでしたが、『安中になってしまった』とか、住民が反対するのも解るような松井田町でした。
やりたくて出来なかったこと、『関東のサーキット』それだけに想いいろいろです。