雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話

2010-11-15 06:15:52 | カワサキ単車の昔話

★このブログのカテゴリーの一つに、『カワサキ単車の昔話』というのがある。

私が経験した昔話の数々を綴っているのだが、最近はこのカテゴリーをアップしていない。久々の登場なのである。

『昔話』はなかなか楽しいものなのだが、だんだんとその話が通じる人も少なくなって、話だけが独り歩きするような虚しさみたいなものを感じたりもするのである。

そんな環境の中で、昨日はバイク界ではその名も通っている小関和夫さんの取材で、大ぴらに昔話を楽しんだのである。

 

午後1時半、わざわざ三木の神鉄緑が丘駅まで足を運んでいただいた。

車なら非常にいい立地の三木も電車などの公共機関では大変なのである。  写真の後ろに見える林は、名門廣野ゴルフ倶楽部で、そんな直ぐヨコに結構大きな住宅地が広がっている。

駅の南の神戸から三木に来る道の左に位置している林が廣野ゴルフ倶楽部で、この道を逆に100mが神戸市との境界線なのである。

せっかく三木あたりまで足を延ばして頂いたので、取材を受ける場所は世界一の屋内テニスコートブルボンビーンズドームの中の喫茶店にした。

 

★時間はたっぷりあった。

『何年の入社ですか』 『昭和32年です。』で始まって取材のテーマは、マッハⅢではなくて、W1に関するもので、その前身のK2やメグロに関することであった。

カワサキがメグロを吸収した時代から以降のことである。

カワサキ自動車販売という社名の会社が神田岩本町にあったころの話で、今では、『神田岩本町の事務所』を知っている人が殆どいないのだが、それをご存じなのである。

そんなころの懐かしい雑談からのスタートで、当時のMFJの戸川さんの話など出て、楽しい昔話の世界に突入していったのである。

小関さんとは幾らか面識があるくらいで、初対面みたいなものである。

カワサキとの関係を聞いたら、小林茂君や故岩崎茂樹君などはよく知っていて、私とはひと世代違う63歳なのである。

それでも当時の懐かしいライダーたち、久保和夫や野口種晴、三橋実、三吉一行などのことなどすらすらお解りで、昔話をするには格好の相手であった。

 

★今回は、Wの本を出される取材で、先方からの質問は、

『FISCOで、W!のレーサーに、金谷秀夫が乗って走ったレース』があるのだがご存じありませんか? というのである。

このレースは、私はFISCOの現場にいて、金谷が走ったレースの内容も、このレースを走った金谷の感想も聞いていて、非常に印象に残ったレースなのである。

まだ、中村治道さんが、お元気なころで現場におられた。 

W1のロードレース出場はこの1回だけで、当時は500ccを超えるロードレーサーなどはどこにもなくて、このレースも相手は350ccのマシンを相手に出場したのである。

まだFISCOに伝説となってしまった 『須走り落とし』と言われた第一カーブがあったころで、直線コースは長かった。 レースはその直線部分では、大排気量のWが圧倒的なスピードで他を抜き去ってしまうのだが、逆にカーブでは車体が触れて、チェンジは右、ブレーキは左のマシンには、流石の金谷も手こずって抜かれてくるのだが、直線の最後までにはまたトップを奪い返すと言うオモシロイ展開だったのである。

結局最後のゴール地点では、抜き返すには距離が短くて確か、2位か3位でのゴールインであったのだが、小関さんに聞くとクラスが違うので『クラス優勝』扱いになっているのだとか。

 

★記者さんの取材というのは、新聞でも雑誌でも、取材する前に殆どご自身のイメージする記事は出来上がっていて、取材というのは『そのチェック』みたいなものなのである。

今回の取材は、レースには無縁であった、W1の数少ないレース話をロードとモトクロスで一つづつ揃えたいのだなというのは、私の後の取材が明石のエントリーのメ―ちゃんであることからも解った。

多分、このW1のロードレース話は、そんなに大きなレースでもなかったので知っている人も殆どいないのではと思う。幾らかでもお役に立てて良かったと思っている。

メ―ちゃんは、清原明彦の1年下の豪快なテストライダーで知られていて、神鍋での全日本モトクロスにW1 のモトクロスレーサーで出場した話は有名なのである。今は『entry』というバイク販売店を何店も経営する社長さんである。

5時の約束だと言うので、三木から電車では大変なので、車で明石までお送りして、メ―ちゃんにも会って戻ってきた。

昨日訪ねたのは、カワサキの店ではなくて、ホンダのウイング店の方だった。

 

★小関さんは、仙台の服部謙治君(服部カワサキ)も良くご存知のようなので、彼がまだ宮城カワサキの工場長だった時代、白バイのサービスを一手に引き受けていたこと、当時の白バイはほとんどがメグロであったこと、

そんなこともあって、当時のモトクロストップライダーであった山本隆君が、東北6県の白バイ隊員への教室での講義講習と実技講習を行って大好評で会った昔話などをお話しした。

 

さらに、『Kawasaki, Let the good times roll ! 』 というのはアメリカで生まれたこと。 これを造られたのは浜脇洋二さんであること、これはご存じなかった。

当時1975年時代、 『ナイセスト ピープル ホンダに乗る』 という意味のホンダの英語のスローガンは覚えておられた。

それから長い間の空白期間があって、ぜファーの時代に国内で復活させたこと、さらにそれを高橋鉄郎さんが世界へのカワサキのコンセプトとして決定されたこと、当時の広報担当が故岩崎茂樹君だったこと、なども興味を持たれたようである。

私のこのブログや、NPO 法人 The Good TIMes のこともご存じで、先方からのお申し出で、NPOの個人会員に参加されたのである。また一人オモシロイ仲間が加わった。

小関さん、NPOの仲間でもあり、国内の5つ目のメーカーである『こざる』のことも、ご存じだったのは、さすがである。

 

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今年も古代の窯で

2010-11-14 06:44:02 | みっきぃふるさとふれあい公園

★昨年もちょうど今頃、三木アネックスパークに1300年前の窯を再現したと言う『古代の窯に火を入れる』年に一度の実験行事が行われた。

昨年は幼稚園や小学校の生徒さんの作品を500点余りも焼いて頂いたのだが、如何にも小さすぎて大変であったので、今年は養護学校の生徒さんの作品と、三木の陶芸グループのものに限って集めることにした。その窯入れの日が明日の日曜日だとばかり、思い込んでいたのである。

朝、事務局をやっておられるMさんから陶器のことで電話があってびっくりした。

養護学校の作品は、一昨日搬入しておいたので問題はないのだが、三木の陶芸グループの方には13日中に現地に搬入を頼んでいて、13日の午後に搬入することになっていたのである。Mさんのお話では『ほぼ午前中に窯入れしてしまうので―――』ということなので、とりあえず現地に行ってみることにした。

大体が呑気な性格で、三木の陶芸グループとは、電話番号も解らずこちらからは連絡しようがないのである。

レース場のパドックの奥に造られた『古代の窯』は全長8メートルの登り窯で、朝10時半ごろの現場は、既にこんな状況で立命館大学の木立教授が陣頭指揮で窯の上で作業をされていた。

今年は、大きく立派な作品がたくさん並んでいて、

養護学校の生徒たちも一生懸命造ったのだが、数では勝負できても作品のレベルでは格段の差ではある。

然し昨年もそうだったが、焼きあがってみると子供たちの作品も個性があってまたオモシロイのである。  これらの作品を11時過ぎから窯の中に入れだすのである。

三木のグループが間に合うかどうかが心配だが、午後に搬入すると言っていたので何とか大丈夫だろうと思っていた。

案じていても仕方がないので子供たちのバイクの練習などちょっと見て、いったんは家に戻って、午後もう一度出直すことにした。

 

休みなので、幾つかの大人のグループが本コースを走っていたが、こんな可愛いちびっこが、ミニコースを走っていた。日本もだんだんと40年ほど前のアメリカのレベルになってきた。

趣味というか、やりたいことの多様化、レース場でマシンが見れるのは当然だが、  『古代の窯』も、それで焼く陶器も見られるのである。

 

★昼前に帰って、1時にはもう一度アネックスパークに戻ってきた。

木立先生やスタッフたちは昼食に行かれていたが、養護学校の生徒の作品は既に窯の中であった。  もう6割以上が中に収まっていた。

1時半になっても、2時半になっても、三木の陶芸グループは現れないのである。

その間も、どんどん作品は窯の中に入れられて、当たり前の話だが残りはだんだん少なくなる。

大きな作品は手前に入れることになっていて、その大きな作品も運ばれる段階になってしまって、流石に私も諦めて、

『三木のグループは、また来年、1日日にちを間違えたのがいけなかった。』と思って事務局のMさんに、お断りをしようと思ったところに、三木のグループが二人現れたのである。

作品はもうこれだけであった。これが持ち込まれた作品である。間一髪セーフであった。本当に間に合ってよかった。

何事もあまり、心配をしない性格だが、昨日は相当まいっていた。大体三木の陶芸グループも初めて会う人たちなので、余計に困っていたのである。

然し本当に間に合ってよかったのだが、そのあとがいけないのだと思う。

『おれは運がいい、何事にもツイテいる。』yと思ってしまうのである。昔現役の時に受けた性格テスト、全体としては会社の仕事をするには『結構いい線』で出たのだが、一つだけ最悪の方向で出たのが、『反省が足りない』が悪い方の5であった。

確かに、その通りで何事も、あまり反省などせずに、何とか生きてこれた。逆に言うと運が良かったのである。

窯の入り口の前の土を最後に綺麗にならして、窯入れ作業完了である。 本当によかった。

 

★今回の『火入れは19日、窯からの取りだし日は12月5日(日)である。』

これは何度も確認をしたので、間違いない。  昼前から搬出が可能なのである。

 

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西日本 Zミーティングin 淡路

2010-11-13 05:05:14 | カワサキワールド

★『西日本 Zミーティングin 淡路』 というのが、11月28日(日)にあるようだ。

幾つかのルートで情報は入っていた。先日のZ1会のゴルフの時にも、稲村さんが行くような事を言っていた。

The Good Times Tumblr』を観ていたら、

こんなブログを見つけたのである

そして、こんなポスターも載っていた。

★このブログを書いているのは、『ねこさん』との関係で、NPOThe Good Times に参加されたひょこむのハンドルネーム『坊主』さんである。

彼ご自身も、newZ&Z's関西支部の事務局かなにか、お世話をされているようだ。ブログの文面では招待を受けたけどその日は都合が悪いなどと書かれている。

そんなことで「、ミ―ティングの内容など紹介されているのだが、相当にしっかりと計画されているようだ。

リンクされている計画書の中味は、このようなものである

さらに調子に乗って、検索などで調べてみたらこんなサイトも現れる。

 

★それにしても、カワサキのZは、なぜこんなにも人気があるのだろうか?

今日は、NPOの理事会で、thirai さんなどが集まるので、このミーティングのことも話題に出るかも知れない。開催される場所は、『潮流発電の実験場』のある岩屋の直ぐ先である。そんなことからもちょっと関心が湧いたのかも知れない。

このミーティングにもモーターマガジンや雑誌社が協力されているが、バイク雑誌もカワサキの旧い車を特集すると売れるようである。実は今日午後には、小関和夫さんがマッハの取材でわざわざ三木まで取材に来られるので、このミーティングのことも聞いてみようかと思っている。

 直接、関係はないのだが、このかっこいい4輪のエンジンはカワサキ1400ccだとか。この写真はこんなところから借りてきた

この車のオーナーの小山さん、は今回、NPO The Good Timesに参加されて、昨日の夜、初めて繋がったばかりなのでである。

関東のNPOのメンバー雷神マッハさんのご紹介である。、雷神マッハさんは今thirai さんが計画中の来春3月4日のカワサキ明石工場見学&夜カワサキライダーたちやかってのカワサキのメンバーたちとのミーティングにも来られるとか。『小山さんも、是非一緒にいらして下さい』とお誘いしておいた。当日果たしてカワサキ側はどんなメンバーになるのか?thiraiさんが集めるので結構オモシロイ人たちが集まるのかもしれない。

昨日電話でお話ししたばかりなのだが、世の中オモシロイ人いっぱいなのである。

そんな人たちにためにも、遊び道具に関係する業界の人たちに一番必要なのは、『遊び心』なのだろう。

ふと、そんなことを思った。 

 

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鉄道技術展2010 in幕張

2010-11-12 06:36:08 | カワサキワールド

★幕張メッセで鉄道技術展2010が行われるようだ。

GIGAZINEに「川崎重工業の車輛いろいろ」という大きな文字が入ったこんなサイトが現れた.

こんなサイトでその全貌が纏められている

 

日本の車輛メーカーの中で川崎重工業は最右翼に位置していることは、間違いない。

ただ、この写真の扱いを見てもKawasakiは飛びぬけて目だっていて有難い。

 

★川崎重工業には長く勤めたが他事業部のことについては正直そんなに詳しくはないのである。 そんな中で車輛事業部とは少しはご縁があったのかも知れない。

現在の川崎重工は、1970年ごろ、川崎航空機と川崎車輛との3社合併で統合成立した会社である。

一時単車も、車輛も苦しい時代が続いて、どちらもお荷物視された時代があったのだが、その苦難の時代を乗り越えて、少し前は単車が、そして、今は車が、川重を支える存在にまで成長した

ともに海外での事業展開の経験もあって、その面では一歩先んじていた単車のメンバーが、アメリカの現地でも日本でも車輛を応援した時期があった。

そんなこともあるし、今の車輛カンパニーのプレジデントの松岡京平さんは、もう20年以上も前の話だが、単車事業最悪の時期に本社の支援グループの一員として応援してくれたし、アメリカのKMCにも出向したリしたのでよく知っている仲である。そんなことで、車輛のこんな記事をみると、非常に嬉しいのである。。

昨日Z1会でゴルフで一緒だった那波ちゃんも当時の単車の仲間で一緒だったし、彼はその後車輛事業部にも移籍して、事業を手伝ったりしたのである。

 

★さらに昨今は中国でも、台湾でも新幹線が現実に走りだしているし、クルマ社会一辺倒であったアメリカでも新幹線が注目される時代になった。

現在の車輛カンパニーのニュースを見ても、

ワシントンの新型地下鉄電車の受注ニュースニューヨーク市交通局向け新型地下鉄車受注内定のニュースなどが載っている。

詳細はリンクした記事にの通りだが、その車輛のの構体製作および機器取付け、最終組立、試験はリンカーン工場(ネブラスカ州)で行われると書かれている。

このリンカーン工場は1975年に日本自動車工業会でもホンダよりも早くカワサキが一番最初にアメリカへの工場進出を果たした工場なのである。ジェットスキーなどの生産を主に行ってきたが、その広大な敷地の一部に車輛工場も建設されたのである。

『Kawasaki,Let the good times roll! 』    カワサキの『グッドタイムコンセプト』がスタートしたのもこの時期のことで、もう35年も前のことである。

20年以上も前だが、当時もひどい円高に悩まされた時期に、発動機エンジン工場のメァリ―ビルへの国内からの海外移転も起案された。当時言われていたのが『コストのドル化』であった。そのころの対応の一環として、車輛のリンカーン工場計画もその後、進められたのだろう。現在また円高が言われているが、多分このリンカーン工場が幾らかは援けになっているのだろう。

時代は変わるものである。

時代の流れは読めてはいたが、アメリカに新幹線が走る時代が来るとは、当時の仮説の中にあったのだろうか?

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昨日はZ1会のゴルフでした

2010-11-11 08:44:41 | カワサキワールド

★昨日は三木セブンハンドレッドクラブで、Z1会の今年最後のゴルフコンペでした。

4月、6月、9月、11月の定例コンペと年末の忘年会を兼ねた総会の5回で1年のスケジュールが決まります。

会員は約60名あまりカワサキ二輪事業の創世期のメンバーたちから、最近の新しいOBたち、川重のOBも、販社の連中も、販売店も、ライダーたちもというオモシロイグループです。

会長はZ1の開発責任者であった大槻幸雄さん、副会長をZ1のエンジン設計を担当した稲村さんが務めています。昨日は珍しく大槻さんが欠席でしたが、8組のコンペでいつもの通り賑やかでした。

あさ一番のミーテング中、私のヨコにいたのは、顔半分なのが那波ちゃん、thiraiさん、今は県会議員のエライさん、元カワサキファクトリーライダーの杉尾良文さん、その向こうは元カワサキフランスの社長というより、世界耐久チャンピオンのカワサキフランスチームのオーナー遠藤さん、遠ちゃんです。

9時半のスタートなのに、8時過ぎには殆どのメンバーが集まり、スタート前の談笑が続くのがこのコンペの特徴でしょう。

これもスタート前、右がこの会のマネージメントを仕切っている仲さん、平井さんのヨコがタッチャん、いまは、NPO The Good Times の副理事長で援けてくれています。

チームグリーンのレース監督を長く務めた平井さん自慢のジャンパーです。平井さんもNPOの理事さんですが、来春3月には往年のライダーたちとの懇談付きの工場見学と夜のパ―ティーを計画中でどんな素晴らしいメンバーになるか楽しみです。

確か3月4日、先着50名ぐらいで締切りですが、兵庫メグロのホームページか何かで、広報されるでしょう。既に参加申し込みもあるようですが、お見逃しのないyぽうに。

 

 私と昨日ご一緒したメンバーです。ちょっとお顔が解りにくいのですが、左からカワサキの一番最初の海外営業を務めた岸田先輩、もう81歳ですが宝塚のホテルや本場パリの舞台で、フランス語でシャンソンを歌ったりする粋人です。真ん中はKMCの社長や営業、企画部門を担当した野田さん。そして右は遠藤さん。遠ちゃんの本籍は川重ではなくて伊藤忠なのですが、カワサキバイクマガジンにも登場したりする、カワサキ親派です。

ゴルフの後の懇親会もまた楽しくて、上は杉尾良文、梁明、平井さんの昔のチームグリーンメンバー。

そして下は、稲むら、那波さん、昭和33年,川航入社組です。

昨日は大槻会長がおられませんでしたので、稲村さんが締めのご挨拶、次のゴルフは来年4月です。

いずれにしても楽しいゴルフの秋の1日でした。

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いのちの山河~日本の青空

2010-11-10 05:21:17 | NPO The Good Times

★「いのちの山河~日本の青空」という映画の上映会が12月11日(土)三木市の文化会館小ホールで行われることになっています。

どのくらいの方が、どの程度ご存じなのか?

いのちの山河~日本の青空 とはこんな映画です

一般の映画館の上映ではないのですが、全国各地でこのように、映画会が企画されていて、わが町三木でも来月に上映されることになったものです。

★この映画の上映会を成功させるために、『上映サポーターズ募集』が計画されていて、サポーターは、チケットの販売協力や、上映会当日のスタッフなどの役割と同時に、その他広報物への掲載などという項目があって、その広報を是非と、お願いされたのです。

サポーター募集のちらしには、

『この映画は1960年代の初め、岩手県の沢内村の人々が人間の命の大切さを訴え、大きな苦難に立ち向かっていく姿を史実に基づいて描いています。あれから50年、時代は変わっても、「いのち、医療、介護」に関する課題は後を絶ちません。安心して生まれ、育ち、老いることができる三木を目指すネットワークづくりのきっかけになればと考え、この映画の上映会を企画しました。上映会成功に向けて、あなたのお力をお貸しください。と書かれています。

このお話を、三木の市会議員のもて木みち子さんから、電話で協力を頼まれました。もて木さんは、議員さんと言うよりもNPO The Good Times のメンバーとしてのお付き合いです。3年ほど前には、『どこ竹の竹とんぼの講師養成講習』でもご一緒しましたし、ブログや、ツイッター仲間でもあります。

既に、NPO の理事さんのkwakkyさんはこんなブログで、こんな写真を使って、応援しています。

この映画祭の主催は、「いのちを考える 三木市民の会」となっていて、「三木市社会福祉協議会」などが、協力されています。

三木市社会福祉協議会は、今回NPO法人The Good Times の団体会員にも参加されましたし、『安心して生まれ、育ち、老いることができる三木を目指すネットワークづくりのきっかけになれば』とちらしにも書いておられますので、これは協力しないわけにはいきません。

昨日、もて木さんいお会いして、いろいろ具体的にお聞きしてきました。

★、この映画会に沢山の方が来られることも、勿論大きな目的の一ついなのですが、映画会のあと三木にネットワークができるように、その中心になって頂けるような方を、ということなので、山本医院の山本先生にお願いをしてみることにしました。

山本医院も、NPOのメンバーですし、三木市社会福祉協議会とともに、このような『ネットワーク造り』には最高のメンバーです。

山本先生も、ブログも、特にツイッターは熱心にやっておられます。昨日ちょっと電話をしましたら、まず大丈夫の感触です。

今日の夕方、病院の診療が終わってから、もて木さんと一緒に伺う事になっています。山本「医院も、三木市『社会福祉協議会も、紹介頂いたのはkwakkyさんですから、kwakkyさんにも声をかけています。

この週末はアネックスパークで、今年も『古代窯で焼く陶器』を養護学園の生徒たちと、三木の陶芸クラブの方たちも参加して行うことになっています。

関東のNPOメンバーたちも、この17日には集まるとか。

、昨年6月、『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』とたちあげたNPO法人The Good Times もここにこ来て、いろいろと具体的な動きも可能になりました。

『いのちの山河~日本の青空Ⅱ』の映画会、どんな進展をみせるでしょうか? 

 

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尖閣、ビデオ流出問題に想う

2010-11-08 11:14:09 | 発想$感想

★この問題は一体何だったのだろうか?

連日ニュースで政府の対応などマスコミは、詳しくというよりオモシロおかしく取り上げている。
特にテレビは、『視聴率を稼ぐには』もってこいの話題である。

確かに、いろんな問題が、包括されている問題ではある。
野党にとっても、マスコミにとっても『オイシイ話題』であるのだとは思うが、
これは、国の主権の問題だと思うし、それが侵害された場合の対応はどうあるべきかという基本的な態度の問題なのである。

●それを海保はちゃんと自分たちの責任で、ちゃんと果たしたのに、

●その報告を受けた、政府がその対応を間違ったのは明らかである。


★いろいろなことが言われ、あらぬ方向に、事態は流れているが、もっとも基本的な『政府の対応の間違い』を政府は素直に認めて後、その後のすべての対応を行わない限り、国民の理解は得られないのではないだろうか?

Yahooの意識調査でも、63%の人たちがビデオの流出を歓迎したりさらに20%の人たちが、やむをえないと言っている。
意識調査で問われたら、こんな答えになるのだろうが、こんな明らかな違法行為に拍手を送る態度も、決していいとは思わないのだが、
それ以前の政府の判断と、取った対応が『なっていない』事は間違いない。

これは外交のテクニックなどの問題ではなくて、もっと本質的な問題なのである。



国民は、内閣支持率の方でも、この問題の対応にNO と言っているのだから、
菅さんも、特に当面の責任者であったと思う仙石さんも、素直に非を認めることはできないのだろうか?
明らかに間違った場合は、正々堂々と謝ればいいのである
それほど『何かになりたい』 『権力にしがみつきたい』ばっかりで、『国をどうしたい』などという国家観みたいなものは、今の政治家は持ち合わせていないのだろうか?
若しそうだとしたら、政治家になどなってはいけない人が、政治家になっているのである。

今は野党である自民党も、この問題を政局にするのではなくて、
日本の国はどうあるべきか。
国民に訴え、国民を正しい方向に引っ張る態度が欲しいと思うのである。

琉球新聞が、尖閣ビデオ流出 海保激励の声も「罪問われるのおかしい」と言っているが、
このように言わざるを得ないのは、何か一本、芯が抜け落ちてしまっているように思う。


★ロッテと中日、最初は大味な日本シリーズであったが、最後は、熱戦が続いた。
ロッテファンや、中日ファンのあの熱狂的な応援ぶりを観ていると、
是非政治家の人たちは、『日本国のファン』を造って欲しいものである。

日本の国も、日本の国民も、元々みんないいものを持っているのである。
少々平和ボケして、『日本の国のファン』になることを政治が、教育が忘れさせてしまっている。

決して戦前の軍国主義に戻れなどと言っているのではない。
少なくとも、『自分の国が好きだ』と言い、それを『守り育てよう』と思う国民を育てて欲しい。

個人の幸せ、個人の権利主張とともに、『公』や『国』に対する想いが抜け落ちないように、お願いしたいものである。

そんなことを考える契機として、大きな事件であったと思う。


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昭和33年、新入社員2年目、青春時代

2010-11-08 06:04:15 | 自分史
★前年度の4月に入社してから1年間は試用期間だったそうである。
この年の3月31日に、初めて本雇用としての採用通知を貰って、職級という級の通知を貰った。

仕事の方は財産管理でその償却計算や、机や椅子、社用自転車の修理などが主なものであったのだが、
前年の秋からは工具器具備品と車輛運搬具の担当となり、その財産台帳もないようなずさんな管理状況がどうしても気になって、
別に指示されたわけでもないのに、勝手に台帳を作ろうと思い立って現場廻りを始めたりして、結構忙しかったのである。
間違いなく財産課で一番多くいろいろとこなしていて、とても見習いの試用期間とは、自分でも不思議に思った。

『少々さぼって適当にやらぬと、みんな仕事を背負わされるぞ』と言ってくれる先輩もいたが、お構いなしにいろいろ一生懸命やっていた。
一番、手間がかかったのが、木製の椅子の修理で、半月に1回トラックにいっぱいほどの数の椅子の修理があった。
どう考えても、金は掛るし直しても直ぐ壊れるし手間だったので、当時発売間もない鋼製のネコスという銘柄の椅子に順次代えて行く方がいいと、ネコスからの売り込みもあって、そう思っていた。

当時から健康問題に熱心だった砂野仁さん(副社長)に個人的なことで呼ばれた時、
『背もたれも動いて、健康にもいいですよ』などと話をしたら、
ホントにそれが実現して、4月の時点からネコスの椅子採用が決まったのである。
砂野さんのコネでの入社だし、砂野さんとは中学に入学する前からの『おじちゃんとボク』の関係の時代もあって、本音で話が出来たのがよかった。



★前年の昭和32年から、新人採用は一挙に多くなっているのだが、
この年には、大学卒だけでも技術屋さんを中心に60名もの新規採用があった。

たった1年の違いだが、32年と33年は、随分とイメージが違うようにも思う。
昭和の生まれで言うと、『昭和ひと桁とふた桁』の違いなのである。
33年の年次には、あまり戦前臭さみたいなのがなくて、何となくスマートなのである。
後、川重の社長も務めた田崎さんや、ZIのエンジン設計を担当した稲村さんなどは、この33年次の入社なのである。

レースなども一緒に仲間としてやった田崎さんがよく冗談で言っていた。
『昭和ひと桁は、早飯で、ダンスがダメで、英語に弱い』と、確かに、昭和一桁の先輩たちは全くその通りであった。
もっと言えば、女性に全然ダメなのである。

それに比べると、33年からは、むしろ『戦後』で育っているのである。
当時の川崎航空機ですら、木製の椅子からスチールへと換えようとする、そんな時代であった。



★すべての椅子が一挙に変わるほどの予算はないのは当然のことで、どこからどのように配るのか?。
具体的にどのように配ったのかは忘れてしまったが、配分先の決定なども上の人が決めないので、ぜんぶ自分の裁量で決めることができた。
そんなことでいろいろと関係のあった、各現場の財産管理担当者の人たちからは、結構目を掛けて頂いたのである。
いろんな相談もあったし、1年の新人以上に扱って頂いたのは幸せであった。

机も新しく購入するものはすべてスチール製にしたし、 高い修理代のかかるものは、修理をせずに新しいものに換えた。
結構大きな額であった修理代の予算はゼロに近くなったのである。
さらに言えば、新しいものは経費購入だったので財産物件計上の必要もなく、台帳も償却計算もなしで大いに助かったのである。

それでも決算期の旧い財産物件の償却計算の量は半端ではなくて、手動のタイガ―計算機をずっと回し続けていた。
この年の終りころには、償却計算の機械化が出来ないかなどナショナル会計器などの展示会を観に行ったりしている。

会社に異動があることも周囲で何回か経験した。
この年には新人が入社して、旧い人たちが移籍していった。
そのたびごとに、仕事が増えていったが、それはあまり気にもならなかった。
『財産課は地味でオモシロくない』などと言われていたが、いろいろ動けたし、交渉事もいっぱいあって、むしろ企画や管理に行った同期の連中よりはずっとオモシロイと思っていた。



★当時はまだ25歳の若さであった。
10年間ほどやっていた野球は、硬球から軟式に変わって、会社のクラブチームでやっていた。
別に、技量が上がったわけではないのだろうが、間違いなくチームの中心選手となって、野球人生の中では一番打てたし、確かこのチームでは盗塁で刺された事は一度もなかったと思う。
そんなことで、土日も野球で忙しかった上に、会社のチームだけではなくて、内外ゴムが明石高のOBたちを中心に集めたチームにも雇われて、県で優勝したりした。
野球で言うなら軟式ではあったが結構面白かった。

会社の各課でも、各部対抗のソフトボールの試合などもあって、野球では大いに顔だった。
当時はサッカーなどはほとんどなくて、世の中スポーツと言えば=野球という時代だったのである。

当時は給料もボーナスも考えられぬほど安かった。
初任給は、12000円だったが、支払いは月2回に分割されていた。
年末に貰った冬のボーナスは、前年の32年が17400円、33年の2年目で、18200円だった。
なかなか、大変な時代だったのである。


★この年の11月27日に、同年代の皇太子に美智子妃が決まっている。

そんな年であった。
まさか、会社で社内結婚になるなどとは、思ってもいなかったが、
財産課のすぐ隣の勤労の給与掛にいた家内と付き合いだしたのも、この年である。
5月に初めて映画に誘って、踊りに行ったり、夏淡路の洲本に泳ぎに行ったりして、秋には結婚しようと思った。
何事でも、ハマってしまう性格だが、この時期には完全に家内にハマってしまったのである。

その後、肺結核で入院などしたので、結婚したのはずっと後だが、この年にそれは決めていた。
人の繋がりは、ひょんなご縁だといつも思うが、財産課に配属されていなかったら、多分会わなかったと思うし、
神戸高校卒業の後輩だと聞いて余計に身近に感じたのは、間違いない。

若し青春時代、というのがあったとするなら、私の青春時代は、この年から始まっている。



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三木金物まつり

2010-11-06 19:00:16 | みっきぃふるさとふれあい公園
★2日間で18万人の人が集まると言われる『三木金物まつり』

三木に40年近く住んでいるのに行ったことがなかったのだが、今年で3年連続で行っている。
大勢の人を見に行くようなものなのだが、毎年何か買って帰っている。
今年はのこ切りと、すだちの植木を買って帰った。

それだけなら、別に『道の駅みき』で普通の日に買っても同じなのだが。お祭りの雰囲気の中で買うのがいいのだろうか?



朝、10時と言うのにこんな人出である。市役所前の広大な駐車場がこんなに様変わりなのである。
既にいろいろ買って、駐車場への戻るバスももう一杯だった。
どこから、どんな人たちが来るのだろうか?



三木金物の直売会場も満員で、
肥後の守の長尾元佑さんともお会いしたが、今年から息子さんがあとを継がれるとかで、
お店も、息子さんが独りで頑張っておられた。





伝統の肥後の守が消えることなく残るのでほっとしている。





これだけの3329点の金物で作られている『金物鷲』は私と同じ昭和8年生まれだと言うのだが、いつ見ても素晴らしい。
そのままでは置いておけないので、イベントごとに作られるのである。






金物だけではなくて、いろんなものだ展示されている。
これは『愛石くらぶ』の石の展示である。
 
お土産に1人2個まで「お土産石」でお持ち帰り下さいとある。

ただの石なのだが、ひとの心理はおもしろい。
みんな選んで持って帰っているので、ついつられて二つ頂いて帰った。

三木の人たちの『三木金物まつり』 いろんなブログがならぶだろう。
今日、もう一度出かけて見ようか、などとも思っている。

人が集まり、その人を観ているのが、何か魅力なのだろうか?
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尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題

2010-11-05 16:18:43 | 発想$感想

『2010年11月05日 00時37分46秒
尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題、オリジナル映像がYouTubeに流出か』

こんな見出しで、GIGAZINEが、ニュースを流している

ちょろちょろしたものではなくて、6本の現物がそのまま写っている。
迫力満点である。



★昨日はこのニュースで持ちきりであった。

どこから流れたのか?
誰が流したのか?

ホンモノであることは間違いない。
国が流さないと言い、国会議員にも7分に編集した一部しか見せなかったものを、
今回のモノは、そのすべてが公開されており、テレビなどではその一部であったが、
GIGAZINEのこれは、そのすべてが公開されている。


追記としてこんな記事もあり、ユーザーにより元動画が削除されたことも報道している。

『追記:
時事通信によると、海上保安庁がこの映像が本物であることを確認したようです。

さらに追記:
11月5日朝7時30分ごろにユーザーによって元動画が削除されました。』


★各新聞は、いろいろと一般的に伝えているが、

『尖閣ビデオ投稿者「sengoku38」公務員法違反だろうが、よくやった!』
という見出しで書いている、

テレビウオッチのこの記事はおもしろい



★この問題、今後どんな展開になるのだろうか?

政府の対応が生ぬるくて、国民はほとんどが不満を持っていただkれに、今回の結果にもよくやったなどの、おかしな評価が出るのだろう。

GIGAZINE の動画は、すべてが見られると思うので、ご関心のある方は、じっくりご覧下さい。



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Tumblr

2010-11-05 06:00:27 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
The Good Times Tumblr が出来てから1カ月ぐらい経つだろうか?

NPO のメンバーたちのブログを集めたものだが、
中味も出来上がりも、結構気に入っている。
これが出来てからメンバーの人たちのブログとの距離がぐっと近づいた感じである。

NPOのアドバイザーをしてくれているbunCさんが、作ってくれて毎日の運用も彼に任せ切りなのだが、
一体、『Tumblr』とは何なのか?
と言うことがずっと頭を離れない。

『タンブラー』で検索すると全然違う『グラス』のような意味の事が並ぶのである。


★『Tumblrとは』で検索するといろいろ現れます。

まず、Wikipedia では、
ブログとミニブログそしてソーシャルブックマークの良いとこ取りをしているウェブスクラップサービスである。 シンプルさに重点を置くことによりユーザビリティを向上させている。また、投稿する際にブックマークレットを使用することもでき、この点でもユーザビリティの向上に一役買っている。』
などと冒頭の解説にあるが、読んでもあまりピンとこない。


次に、現れるのがこちらである
tumblrとは、一言で言うとメモ感覚で投稿できる簡単なブログです。
写真やビデオやブックマークなども投稿できます。

最初の感想ですが、マイクロブロギングとかいってtwitterと比べられてる感がありますが、使ってみるとどうも違いました。
twitterは向こうに人がいることをすごく意識するツールですが、それに比べるとこちらは自分用のメモちょうという感じです。


続いて、tumblr を始めようと言うこんなサイトもあります。


そしてtumblr 解説総まとめと称して、こんなサイトも。


これから15分でtumblr を始めるためには、とこんなのもありました。


★どれもみんな簡単に書いてありますが、どうもよく解りません。
ブログに『リンクを貼る』時も、『写真を貼付』する時もそうでしたが、何か難しそうでした。
出来てみると大したことではないのですが、できるまでが大変です。

今日は自分のために、ちょっと整理をしています。
『Tumblr』とグラスのタンブラーはスペルが違っていて、『Tumblrは造語である』とどこかに書いてあったのですが、
どこにあったのか見つけることができません。

近いうちに、bunCさんにTumblr の講習をして貰う予定です。
彼は1時間ぐらい説明したら、簡単に出来ますよと言うのだが、なかなかそうはいかないだろうと、自分のために予行演習をしているのです。

★それでも考えてみると、よくここまで来たものだとも思います。
現役のころは一切パソコンは触りませんでした。
画面すら見たことはありまんでした。

年金生活になってから、パソコンを買って、初めは情報収集だけのパソコンだったのですが、
ブログをやりかけて、それも幾つものモノを試して、
SNS の世界につかまって、
昨年末からツイッター、
そして今Tumblr をなんとかしようかなどと、思ったりしています。

何とかなるでしょうか?
近くに先生がいたら、簡単なのでしょうが、独学はしんどいところはあるのですが、出来たときの達成感は格別です。


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山田和広くんの紹介の馬場君と

2010-11-04 06:20:33 | NPO The Good Times
★山田和広くん、通称 「やまかず」くん、三木では知っている人は知っている。

彼の名刺には、『僕は一生三木にいます 三木市民』 と書かれている。
もう何年か前に、『三木市民と言う名刺を持つ青年』というブログで、ご紹介したことがある。
2007年のことだったのだが、その後、
『続、三木市民と言う名刺を持つ青年』というブログを、今年の3月に書いているので、今回は3回目のことである。

『やまかず』くんは京大法学部中退、今は塾の先生をしている31歳である。
背は185cm、独身、男前である。
カワサキのelminaterに乗るカワサキマイスターのお客さんでもある。
来年春の市会議員の選挙には、立候補することを明言して、既にいろいろと活動をしている。

一生三木にいるのだから、将来もずっと市会議員ではオモシロくないかも知れない。

こんなブログも書いているし、
ツイッターでは、三木市で私と彼とがダントツでそのフォロワーを誇っている。
NPO法人 The Good Times のメンバーでもあり、
2008年、さるとるさんが起案した道の日のゴミ拾いには、今日紹介の馬場君と一緒に参加してくれたりしている

なかなかの好青年であり、さるとるさんといいコンビでもある。



(中央背の高いのが、やまかず、前列が馬場くん、真ん中の列左端がさるとるさんである)

★つい先日、そんな「やまかず」くんから、
『以前、緑が丘のごみ拾いをしたときに僕と一緒にいた同級生の馬場という男が、明石で子供たちのために汽車を走らせられないか?という相談をしたい。』
という話があって、
昨日、馬場君と三木でお会いしました。

ミニSLフェアは、最近は直接関係はしていませんが、
今年もカワサキワールド主催で神戸メリケンパークで11月27,28日」に行われるようです

馬場君は明石の市役所にお勤めで、明石のどこかでやりたいとのことでしたので、
明石の鉄道マニアでこの話の発起人みたいな福井昇くんと繋ぐことにしました。

たまたま、昨日は道の駅三木で、こんなイベントが行われていて、



『S850M』というハンドルネームを持つ福井君は、愛車S800を会場に持ち込んでいましたので、そこでいろいろと話をすることができました。。



★馬場君も、やまかずくんの同級生ですから31歳の好青年です。
明石市役所にお勤めで、同僚たちと一緒にいろんな事をやりたいという夢をお持ちです。

朝1時間ほど雑談しましたが、大丈夫と思いましたので、
NPO法人The Good Times の個人会員にお誘いし入会されました。
今後は仲間として、その活動を積極的に応援しようと思います。
福井君もNPOの理事さんです。

福井君は現役時代、アメリカ以外にはなかったジェットスキーを日本をはじめヨーロッパなど世界に広めた仲間です。
ソウルオリンピックの開会式当日のデモンストレーションにも一緒に参加しました。
ミニSLや鉄道車両も『常設の施設ができないか』など、明石でも大きな夢を持っています。
そんな仲間のいる明石での話ですので、単なるイベントではなくて、オモシロイ展開になればいいなと思っています。


★私が具体的に、応援をする人たちはすべて、NPO The Good Times の会員さんです。
福井君はそんな中でも、ジェットスキーと言う成功の実績を経験した中心人物なので、馬場君のいい相談相手になれると思います

そのNPO The Good Timesの支援システムはどんどん整備されて、本当に活動をしたい人には、最高のシステムとなりつつあります。
三木市社会福祉協議会も仲間になりましたし、
今回は明石市の職員の面白そうなグループです。

ミニSLの汽車を走らすのは one of them として、もっと大きなコンセプトでやりましょうとハッパを掛けておきました。
明石は、私の生まれ故郷ですし、育ったところです。
何かお役に立てればと、思っています。

馬場君、早速ツイッターに参加するように勧めました、直ぐ参加されることと思います。
今月末の神戸メリケンパークのミニSLフェスタまでに、具体的な計画を立て、当日現場でその様子を観て、
年内に一度、明石のどこかで小さな予行演習をすれば、と言うことにしました。
それくらいのスピードで走れば、何とかなるかも知れません。
何事も走りながら考えられるかどうかが、キーです。

馬場君、走りながら考えられそうなので、応援しようと思っています。
福井君と会えたのも天の恵みのような気がします。


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クライマックスシリーズ&日本シリーズ

2010-11-03 06:00:02 | スポーツ
★ロッテと中日の日本シリーズ第3戦を今やっている。
どうももう一つ盛り上がらない。

NHKのBS放送でアナウンサーも解説者も、至極おっとりだから、余計にそう思うのかも知れない。
かっての日本シリーズのような文字通り日本一を競うと言うような緊迫感がない。
大体、長いリーグ戦を戦って優勝したチーム同士の対戦でない事がそう思わせるのだろう。

プロ野球だから興業収入を稼ぐために、リーグ戦後の試合数を増やしたい気持ちは解るが、
100試合以上も戦うリーグ戦の優勝はどういう意味を持つのだろうか?



★海の向こうの大リーグがワールドカップに出場するチームを決めるために戦うのは、
チーム数も多いし、地区ごとのリーグ戦だから、何となく解るのだが、日本の場合はそんなこともないし、
今回のロッテは3位のチームだから、若し中日が破れるようなことになると、セントラルの優勝チームはパシフィックの4位みたいな感じになってしまう。

プロ野球は高校野球などと違って、ピッチャーを含め大所帯だから、その時その時でチーム力は異なる総合力で戦うことになる。
どのチームでも優勝チームに勝つチャンスはあるのだから、クライマックスシリーズで3位のチームが勝つチャンスがあるのは当然で今回はその結果の対戦である。
この優勝チームがまた、日本の代表として韓国や台湾と戦うことになる。

どうも、代表の決め方としては、もうひとつすっきりしない感じである。



★だんだんサッカーに似てきたように思う。
サッカーも、リーグ戦の他にタイトル戦がいろいろあって、どのチームが本当に強いのかよく解らない。

ただ、サッカーの場合は全日本として国を代表して戦うことが多いので、タイトル戦の優勝が野球とはちょっと違った意味を持っているように思う。

巨人―西鉄だとか、巨人―南海などのずっと昔の日本シリーズには、もっと日本中が湧いたような気がするが、
特に今年のこのシリーズは、今のところ盛り上がらない感じである。

今のところまだ序盤だが、1-1である。
野球を観ながらブログを書いている程度の、冷静な観戦である。
明日の朝、どんな結果になっているのだろう。
(結果はまた大味な試合でロッテ勝った。)

もし、セントラルも若し3位の阪神でも出場していたら、違った意味で、もっと盛り上がっていたのかも知れない。



写真は、『The Good Times Tumblr』 からお借りしました。



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昭和32年(1957年)  川崎航空機入社

2010-11-02 05:16:40 | 自分史
★昭和32年、神武景気と言われた。
前年までの就職難の時代から一転、技術屋さんは無試験、面接だけで入社が決まったのである。
年初には、既に就職は決まっていた。

大学時代、ロクに勉強もしないで、野球に打ち込んでいた。
3,4回生をキャプテン、5回生を監督という野球部生活であったが、練習はよくしたので、運動具店などへの借金は逆に大きく増えて、
このままでは、卒業できない状況にあったのである。

当時運動部主催のダンスパーティ―ィーが流行りだったが、これはどれも200人前後を集めた楽しいパ―ティーが普通であった。
そのパ―ティ―を『借金返済のため』と言う明確なコンセプトで、前年末から企画した。
神戸三宮に出来たばかりの『新神戸国際会館』を舞台に、普通のパーティーの10倍の規模のモノを狙ったのである。


日記をひっくり返していたら、そのパーティ-券がが出てきた。
入場料1枚100円である。

部員が一生懸命売りさばいて、先輩方の協力などもあって、
その収支を見たら、
収入204,096円   支出103、421円  利益100,675円 となっている。
支出は会場費27200円、バンド12000円、印刷費11000円ほどで、一番大きいのが税金32,700円である。

10万円の利益がでて、運動具店の支払いもしたのだが、それでも幾らか払い切れずに残ったと記憶している。
初任給12000円の時代だから、10万円の利益は結構大きいものだった。
今の金に直したら200万円ほど儲かったことになるだろう。




★学生生活、最後の想い出みたいなものである。
終戦の引き上げ時に1年、大学で5年まで行ったので、早生まれだが、就職は結局1年遅れて、この年24歳であった。

この年は何と言っても、川崎航空機入社が一番のニュースである、
学校の成績は無茶苦茶悪かったし、入社試験も社長のコネで、『入社した』と言うよりは『入れて貰った』みたいなものから、
事務屋の同期はみな企画や本社総務などまともなところの配属であったが、私は明石だが何故か名前は神戸製作所と称する部門の財産課配属となったのである。

周囲の人や、先輩たちからは、『地味なところで、面白くない、全然目立たぬ部門』と言うのが、定説だった。
財産課、文字通り会社の財産管理をする部門なのだが、
川崎航空機という会社は、戦後軍事産業と言うことで凍結されていて、少し前に再開された会社で、戦前の機械や、空襲で破壊された工場の鉄骨などを売りも営業収入と並んで収入源となっていた会社でもあったのである。

当時の財産物件とは、1万円以上が原則なのだが、何か工場新設などの場合は『300円以上は財産物件』に計上出来たようで、
机もイスも、自転車も、極端に言えばすだれやバケツも、財産物件に計上されていて、当然ながら決算期にはその償却計算をするのである。。
多分、経費に落としたら、たちまち赤字になってしまうので、財産物件に計上したに違いない。
戦前からある機械などは、台帳もあったが、工具器具備品などは、台帳もないし現物確認もできていない、
ただ決算期に、償却計算をする計算表だけがあると言う、とても会社とは思えぬ状況だったのである。

こんな財産課に配属されて、直ぐ車両運搬具の担当となった。車両運搬具と言えば格好いいが、ほとんどは場内用の自転車なのである。
戦前、10万人が勤めたという工場の敷地は23万坪もあると言われていて、自転車でもなければ工場間の移動は大変なのである。
さらに、秋からはそれに机や椅子など数の上では圧倒的に多い工具器具備品を担当することになった。
何千円の机でも、100万円の機械でも、人力で計算機を回して償却計算をする手間は変わらないので、
新入社員ではあったが、秋には女子1名が私の補助、カッコよく言えば部下ができたのである。




★オモシロくないと言われた財産課だが、私には結構面白かった。
まだ日本も貧しくて、机やいすや、自転車など、自らが使うものに、みんなひどく執着があり、関心があったのである。
その配分や修理などが日常業務だったのだが、当時各部門にいた財産管理担当者がその交渉相手だったのである。
これらの人たちは各部門でそこそこの人で、ちゃんと対応するとちゃんと跳ね返ってきた。
秋口には、『財産課は良くなった』という評価は、直接私の耳にも入るようになった。

そんなことで、工具器具部品の担当にもなったのだろうが、この科目は財産物件と言いながら、台帳もないし現物の照合もできていないのである。
先輩が担当している機械などは、曲りなりに台帳はあったのに、自分の担当の『工具器具備品にはない』と言うのがどうも気に入らなかった。

『よし、それを作って、現物照合もする』などと言ったら、他の課の先輩が『それは不可能だ』と言ったのである。
確かに、まともに言えばその通りである。
机や椅子にしても2種類あって、旧いものは財産に計上されているが、新しいものは経費で購入なので財産物件ではないのである。

その見分けは、確かに難しいのだが、小さなプレートを作って、財産番号を打ち込んで現物に貼りつけて、それを財産物件にしてしまうことにした。
いい加減な性格が幸いしたのである。
来る日も、来る日も釘と金づちを持って、現場の机や椅子を数え上げ、財産物件を作り上げたのである。
正確に言えば違うかもしれぬが、台帳がないよりはましなのである。




★しんどい仕事だが、そんなに難しくはない。こういう根気のいる仕事は得意な方である。
『おまえはいつ見ても金づちを持って現場を歩いている。』 と先輩たちにからかわれたが、『不可能』と言われた作業は出来上がったのである。
指示されたわけではないが、自分流に勝手に作ってしまったのである。

こんな性格は、今も続いていて、ツイッターのフォロワーを10万人にするというのも、よく似ている。
5月に思い立ってスタートしたこの計画も、今現在93000人、今月中に多分10万人達成できるだろう。

出来たからと言って、それがそんなに大したことではないのだが、『やれた』という達成感は、やったものでないと解らぬ気分の良さである。

学生時代のダンスパ―ティーも、
机や椅子の、台帳づくりや現物確認や、
今やっている、ツイッターのフォロワーも、みんな同じじことである。

こんなことをやるのは、
頭がいい悪いは、あまり関係がない。
大学出などと言う学歴も、関係ない。
結構アタマが良くて、高学歴の人が、むしろ出来ないのである。
こんなことができない人は、ホントは仕事もできないのだと、私はずっと思っている。

昭和32年、川崎航空機はまだ、こんな会社だった。
私自身は会社1年目から、勝手気ままに、結構楽しんでいたのである。


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レース場での結婚披露宴の予行演習

2010-11-01 05:24:55 | M/Cレース

★昨日の日曜日、午後から雨になったそんな雨の中で、
MIKI ANNEX CUP with TEAM TAKASE と言うモトクロスレースが行われていて、アネックスパークまで出かけたのである。

そのチラシには 
“テーマはLOVE&MX  未だかってない最強のラヴスペクタクル!”
と意味ありげに書かれていたが、

そのご当人も、レース参加者にも知らされてはいなかったようである。

1週間ほど前に、アネックスパ―クの山田さんから電話があって、
来月結婚するライダーがいるのだが、披露宴にどうしても出席できないので、レース場で披露宴もどきのパ―テイをやりたいので、祝電でも打っていただけませんか?
と言うことだったのだが、thiraiさんも出席と言うので、のこのこと出かけて行ったのである。


★レース中からこっそりと入念に準備は進められていた。
その甲斐あって、大成功ライダー仲間たちの温かい祝福のいい催しであったし、
来月、結婚披露宴の本番を迎えるご当人たちにとっても、本番に勝るとも劣らぬいい予行演習であったに違いない。

写真をいっぱい撮ってきましたので、ご覧ください。





雨の日のモトクロス、出走前はまだ綺麗ですが、
走り終わると、こんな様子です。
でも、雨にも負けずみんな元気に完走しました。



今日のイベント、裏方を務めてくれて、こんな盛り上げ隊のぬいぐるみ姿は、
全日本モトクロスレディス2位にランクされている安原さやさんです。
彼女はMiki ANNEX PARK のコースアドバイザーでもあります。



披露宴には欠かせないこんな可愛いウエディングケーキも彼女の作です。






レースも終わって、いよいよ表彰式が始まりました。
レディス、キッズクラスから順番に表彰式も滞りなく終わって
いよいよです。



まず新郎の加藤吏一君が呼ばれました。
続いて新婦も。







元チームグリーン監督のthirai さんが乾杯のご挨拶をされるころには、
流石、現代のモトクロスライダーのカップルです。
その子供さんまで、壇上に登場しました。





その間も雨は降っていたのですが、みんな傘をさして、お二人を温かく見守ってくれていました。
ホントにいい雰囲気での進行でした。



披露宴のクライマックスは、やはりこれです。
ウエデングケーキにお二人でめでたくナイフが入れられました。
元カワサキなどのファクトリーライダーで今は県会議員の杉尾良文さんからも祝電が届いていて、
披露されるなど、本番さながらに行われたレース場での結婚披露宴の予行演習、なかなかのものでした。



新郎、新婦退場です。



そして、引き出物もちゃんと準備されていました。

ここまでやるとは、ホントに思っていなかったので、ビックリが連続のいいイベントでした。


安原さやさんのブログです。
忙しすぎて、写真などはありませんが、11月31日、既にアップされています

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