雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

樋渡啓祐さん  今度は佐賀県知事選に

2014-12-05 06:36:49 | 樋渡啓祐さんのこと

 

★ このブログに 『武雄市&樋渡啓祐氏』 というカテゴリーをつくって、100回近く樋渡さんのことをアップしている。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/c/6d60e1c9aa560ca8bb15f44ecf23b229

私が見つけた樋渡啓祐さんは、未だ 高槻市の市長公室長 で、 高槻市の『こちら部長室』などで、見つけていたのである。

それからもう、10年に近くなっているのだが、その後、いろんなご縁があって、 ネット上でもいろいろあったし、現実に三木でも、神戸でもお会いしたりもしているのだが、今回は、佐賀知事選 に出馬されるようである。 

 

この9年間に、間違いなく全国区の有名人におなりなのだが、

『高槻市の市長公室長時代の樋渡啓祐さん』に目をつけて、オッかけたりしたのは、ひょっとしたら私が初めてだったかも知れないと、内心私の自慢なのである。

 

 

 これが、樋渡さんの 高槻市役所時代の『こちら部長室』 のブログ第1号である。

 

★私がブログを始めて何か月後に、何となく樋渡啓祐さんのことを書いたら、ご本人の樋渡さんから直接コメントが来てビックリした

当時は、コメントのことももよく解らなくて、頂いたコメントに返事もせずに終わってしまっているのである。

 これが、その時書いたブログである。  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/002a15cd168e8c5a70d100748b8b27ff

 

市長公室長樋渡啓祐氏のこと

2006-11-20 10:30:11  のことで上記のリンクの通りなのだがざっとこんなことを書いている。
 

樋渡啓祐氏。面識もないし、勿論話もしたこともなく、私とは直接は何の関係もない。

総務省から出向して、高槻市長公室長を平成15年4月より17年12月まで2年半ほど務められ、また総務省に戻られた。
1969年佐賀県生まれだから、まだ40才前の若さである。
高槻市のホームページ「こちら部長室」で62回に及ぶ、彼のコメントを読んだだけである。

その意見や仕事の進め方にこれほど共感を覚えたのは、先日ご紹介をした小野田滋郎さん以来といってもいい。

樋渡さんの「こちら部長室」の第1回は「全国一のホームページを目指して」で始まり第62回「さよなら部長室」で終わっている。
高槻市は今年のホームページコンクールで、見事全国一になり目標を達成している。

62回のコメントはそれぞれ面白いのだが、次の二つをご紹介したい。


第55回BLOG,BLOG,BLOG

「この4月まで、この言葉を知りませんでした。」・・・

「メールさえ打てれば、そんなに知識がなくても、HPが簡単に作れる。情報発信が容易である。同時にトラックバックなどで情報の入手も容易になる。

更に続けて、「アメリカではブログの誕生により、ホワイトハウスの会見にブログの記者の出入りが認められたり、わが国でもこの動きは加速すると思います。」

ご自分でも、ブログに挑戦され、高槻市のホームページにブログの採用を起案されている。
そして、「高槻市が全国に先駆けてブログ化に挑戦し、その成果がでることを楽しみにしたい。」

私は、・・・・「カン」だけで、これはイケルと思ったので、自分でも試してみることにした。・・・・・間違いなく時代の流れだと思うのである。・・・・・



第36回 求む 奇人、変人

・・・・・世の中の人の教育は、まともなことが多すぎて、面白い人、本当に仕事ができる人を殺してしまっていると思っている。

自分自身がどちらかといえば、奇人、変人に近い人たちに親しみが持てたし、事実そんな仲間も多いので、樋渡さんのような総務省のエリートがこのようなコメントを書いてくれたのは、「わが意を得た」と思ったのである。・・・・・・・

高槻市に「着任して1年経って思うのは、潜在的な奇人、変人の人たちが「普通、一般化」していないか、もっと奇人、変人をそのまま伸ばす方向を採るべき」といっておられます。まったく同感です。・・・・・・

これは何も高槻市に限らない。一般の民間企業でも油断をすると、直ぐこの風潮は体質となる。
全ての組織体にとって、「求む、奇人、変人」は通用すると思う。・・・・・

 

感謝 (樋渡啓祐)

2006-11-24 22:11:26
文中の前・高槻市市長公室長の樋渡啓祐です。今日、グーグルの配信メールで、「雑感日記」のことを知りました。

私も、挙げていただいた二つの記事は今でもお気に入りですし、今では市長という立場から、同僚職員に同じことを伝達しています。

そのためには自分自身が書いた記事そのものでなければならず、自戒しながら頑張っております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
 
 
 

★今回は佐賀県知事に立候補である。

佐賀県が武雄のようにオモシロイ県に様変わりするのだろうか?

 

上記の中で、特に『求む奇人変人』がいい。

カワサキの単車事業の創成期の人たちは、まさに『奇人変人の集まり』だったと言っていい。

そんな『奇人変人の集まり』になったのは、上の人達が単車事業に対しての経験が全くなかったので、下の人たちが自分の思う通りに動けた結果なのだと思う。

別に 奇人変人の素質がある人ばかりだったのではなくて、樋渡さんの仰るように 『潜在的な奇人、変人の人たちが「普通、一般化」』 しなかっただけなのである。

 

佐賀県も多分オモシロくなるだろう。

樋渡啓祐さんが上に来たら,奇人変人たちが、生き返るようなそんな気がする

でも、選挙大丈夫なのだろうな。

 

 

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燦々と太陽のように輝く活動

2014-12-04 07:07:36 |  燦々 Sun Sun

 

★ たとえ小さくても世の中の 『燦々と太陽のように輝く活動』をされているグループ 集めて

  それらを繋いで、

  さらに輝きを増すような 『お手伝い』 が出来ないかな?

 

と思って、Facebook の中に 『燦々というグループ』 を創ったのは、11月初め のことでした。

1ヶ月が経って、集まったメンバーは100人を超えました

みんな光輝くような活動を、すでになさっている  そんな方たちばかりです

 

         

 

いまこんな順番に並んでいますが、 この18人全員がNPO The Good Times の会員さんですし、

この方たちに限らず、125名の内100名以上が、NPO The Good Times の会員さんなのは、この5年間の活動の成果なのだと思います。 

http://www.thegoodtimes.jp/

         

        

 

NPO The Good Times は、異種、異質、異地域をみんな結んでいい時を過ごそう という基本コンセプトのもとに、

ネットをベースに、

社会におけるいい人間関係創り』=『Public Rerations 』=『PR 活動』 =『広報活動』 という本当の意味の 『広報活動』 をやっているのですが、

二輪関連を総括した World Good Riders Association  と並んで

世界の地域活動を総括する そんな大きな目標での  燦々 のたち上げを目論んでいるのです

 

 

★全くの白紙から、スタートしたNPO The Good Times は、5年を経過して世界に、100を超す団体会員と1万人を超える個人会員を擁するまでになりました。

その情報発信力は、公式ツイッターのフォロワーに代表されるように、世界46万人に向かって、いつでも情報発信出来るようになりました。https://twitter.com/rfuruya1

アメリカを総括する Ui International も 日本のお風呂の文化をアメリカに! をベースに活動をスタートしました。

 Ui のネーミングはもともと、ノーリツの給湯機をアメリカに広めようと言う『お湯を愛する』から来ているのですが、 

『You & I  あなたと私』 『友愛』 と言う意味も含めて、日本とアメリカの文化交流 すべてを包括出来るように仕組んでいるのです。

 燦々のネーミングも、 燦々と太陽のように光り輝く活動をされているところは、その規模の大小に関わらず、お手伝いをしようという基本コンセプトなのです。

 

      

 

★ 燦々の活動の中枢には、関西国際大学地域活動を専門に研究されている松本茂樹先生が、学生たちと一緒に手伝ってもらえることになりました。

このプロジェクトのスタートは、三木のサンロード商店街の事務局員をされている殿界寿子さんの燦々グループ旗揚げによるものです。

それを 私と同じ緑が丘にお住まいの河田明彦さんが手伝うことにしたのです。

 

      

 

コープの西側で Good Times Plaza を展開されている登山道夫さんも、

NPO The Good Times のHPなど担当してくれている松島裕さんにも手伝って貰えそうです。

さらに 『おおきなき』 で活動されてる木下貴恵さんも、手を挙げて下さっています。

 

若し一緒にやってみたい と思われる方は、 殿界寿子さんにお声をかけてみてください!

来年1月には、具体的に船出をします。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです。

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カワサキブランド と 私が出会った技術屋さん

2014-12-03 08:21:31 | カワサキワールド

 

カワサキバイクマガジンが 送られてきた。

今月号の目玉は、世界の話題となっている Ninja H2/ Ninja H2R である。

 

 

          

 

Ninja H2 の方は国内で270万円で発売されると発表されたばかりである。

今後、間違いなく カワサキのブランドを継承する 機種になって行くに違いない 。

 

 

★今までのカワサキの歴史の中で、名車やヒット機種はいろいろあるが、

カワサキブランドを強烈に印象付けたものはマッハⅢ  と Z1  900/750 の2機種がその代表格であろう

 

これらの機種の開発者たち、エンジン開発者は、2サイクルの松本博之、 サイクルの稲村暁一さん、そしてその開発責任者が、大槻幸雄さんなのである。

年次で言うと、大槻さんが、私の2年上、稲村さんが1年下、松本さんは私とほぼ同年代なのでよく存じ上げている。

誤解を恐れずに言うと、よく言えば個性的だが、率直に言えば奇人変人なのかも知れない。

いろんな技術的な要素などもあるのだろうが、開発者の強烈な個性が、強烈なマシンを生み出すことは間違いないのである

 

 

★ 私は、企画やマ―ケッテング分野が長く 技術屋さんとの接点は少なかったのだが、不思議なほどこの3人の方とは繋がっていて想い出も多いのである

 

●大槻幸雄さん

3人の中でも、特に関係があったのは大槻さんで、カワサキ創成期のレース仲間だし、その後(昭和41年、1966)FISCOの日本GP監督が大槻さんで、そのチームのマネージメント担当が私だったのである。

その翌年から二人ともレースを離れて、大槻さんは市販車の担当をされることになり、私は東北の営業担当となったのだが、デ―ラ―会議に来られた際、世界一の二輪を創る と言っておられたのが『Zの構想』だったのだと思っている。

大槻さんとは、今現在も繋がっていて、Zの40周年記念イベントをアメリカで行った2年前には、Zの開発などには何の関係もない私に『おまえも来い』などと仰るものだから、その時点で KAWASAKI Z1 FAN CLUB を創ることになったりしたのである。  ttp://z1fc.com/

 

 

● 松本博之さん

カワサキの歴史の中で、一番のヒット商品と言うか一番数を売ったのは、Kawasaki GTO 110ccであることは殆ど知られていない。

CKD なので台数は記録されていないのだが、東南アジアで生産されて毎年20000台も売れたダントツの大ヒット商品なのである。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/10713ef4387a2f8db272a3acfa1804e7

この機種の開発をお願いしたのだが、当時の技術部長の大槻さんは頑として首を縦に振ってくれないのである。

その時『私が造りましょう』と助け船を出してくれたのが松本博之さんで、その一言で生まれたのが、Kawasaki GTO 110cc なのである。

この機種によってカワサキの東南アジア市場の今がある と言っても過言ではナイ。

カワサキの2サイクルエンジンは松本さんの手によるものが多く、マッハⅢも勿論松本さんが開発担当なのである

 

稲村暁一さん

この人の開発に懸ける真面目さと言うか一途さは、尋常ではナイ。

稲村さんについては、雑誌でもよく語られているし、ご自身でも言っておられるあの通りなのである。

彼は今ゴルフコンペZ1会の副会長だが現役の頃、彼にゴルフを教えたのは私なのである

 

そのころは、こんな環境だったのである。  ホントか?  と思われる方が多いと思うがホントの話なのである。

当時の理事室はめちゃくちゃ広くて、その一部には、本格的なゴルフの打ちっぱなし場があって、幾らでもゴルフの練習が出来たのである

それを創ったのは、アメリカのリンカーン帰りの佐伯企画部長で、(元川重副社長)発想が日本離れ?していたのである。

当時の事業本部メンバーは、高橋鉄郎本部長以下、カワサキの創成期を支えたメンバーが事業本部のトップを構成していて、事業本部の名称もCP事業本部(コンシューマー・プロダクト)などと、カッコよかった時代なのである。

そんな奇人、変人みたいなのが揃っていたので、そんなムードの中で、カワサキらしい特徴のあるマシンが生まれやすかったのかも知れない。

Ninja 900 が開発されたのも稲村さんが技術部長時代で、その担当者の一人が山田浩平くんだったのである

 

いまはNinja のネーミングは定着したが、このネーミングの発想はアメリカからで、当初は日本側は『黒装束のイメージ』でダメだししてたのを、当時のKMCの社長をしていた田崎さんが、『アメリカではゼロぜロセブンのカッコいいイメージ』と大庭本部長を口説き落として決まった経緯がある。

その場は、大庭さんと田崎さんと私の3人しかいなかったので、これは間違いのない話なのである。あのとき、あんな経緯で決まった Ninja が30年たった今も続くとは、誰も思っていなかったに違いないのである

 

 

★前述した3人の技術屋さんのほかに、 いろいろと深く関係のあった技術屋さんがもう一人いる。

それが今回発表されたNinja H2/ Ninja H2R  の開発責任者の山田浩平くんである。   

 

何年か前に、

山田浩平くんが技術本部長になった時に、手紙をくれて、『私が本部長の間に、カワサキらしい車を開発したい』と決意表明とも取れる、技術本部長の就任挨拶を頂いたのである。山田浩平くんは、若いころX-11の開発を担当していて、そのサーキット走行などで当時のTIサーキットや、SPA直入の走行テストで面倒見たので親しいのである。

その後も、ひょこむという SNS にも『胡蝶』さんと言うハンドルネームで参加していて、私の周りの二輪のユーザーたちとも、直接繋がっていたのである。そのころアップした私のブログ、『胡蝶さんのブログ』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/d4d93d0b0851aeae5460c7296bf1511b  にはこんな風にいろいろと纏めている。何年か前に、大槻さんと明石の川重を訪ねた時、山田浩平くんも応対してくれて、そと時『300馬力のマシンを創っています』などと言っていたのである。

 

確かに、こんな技術的に高度なマシンの開発には、川重工の技術がいることも確かだが、一番のベースは、開発する人の強烈な個性や、マシン開発に懸ける想いが一番のベースだと思うのである。

こんなカワサキのちょっと桁はずれた、おもろい人たちも最近では少なくなっているのだが、それはオモシロイ人がいないのではなくて、奇人変人の素質のある人がそれを発揮できる環境にナイ、ちょっとまともな雰囲気になり過ぎているのではと、思ったりするのである。

 

かって単車の事業本部長もなさった大庭浩さん(元川崎重工社長)が私にしみじみと言われたことがある。

『船などと違って、二輪はホントに1人でで創ってしまうな』    

エンジンと車体やデザインなど何人もの人たちの協働作業だが、その基本コンセプトは強烈な想いのある1人の技術屋さんが創ってしまうのである

それが出来るのが、また二輪独特のオモシロさなのである

 

ここに名前の出た人、みんなNPO The Good Times の早くからの会員さん、仲間です。

NPO The Good Times はそんなちょっとおもろい人は、お誘いしています。

 

 

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鈴鹿サーキットの2日間

2014-12-02 06:49:48 | 発想$感想

★11月の最後の2日間を、鈴鹿サーキットで過ごした。

考えてみると、人生の殆どを二輪と関係して過ごしてきた。

人生で「出会った人」はともかく、何となくでも「お付き合いのあった方」は、圧倒的に二輪関係者で、それも川重関係者よりも外の方の方が圧倒的に多いのである。

そしてそんな関係は、81歳の今も続いている

今回鈴鹿サーキットに約100名の二輪愛好家が集まったのだが、 その中の数人を除いては、KAWASAKI Z1 FAN CLUB をスタートさせて後、この2年間の間に繋がった人たちなのである

 

 自分自身は二輪車に乗ったりもしなかったし、、勿論所有したこともないのだが、なぜ二輪のユーザーが多いのだろうかと不思議に思うこともある。

二輪の愛好家は、一言で言えば、何となく単純で解り易いような気がする

勿論、いろんな人がいるのだが、そんなに裏のナイ単純な人が多いような気がしてならない。

私自身は、根っからの『性善説』だから、解り易い人に関しては、それなりにちゃんと理解出来て、それなりにちゃんとお付き合いが出来るのである。

 

そのベースには、レースがある

レースでの競争』と言う単純で解り易い世界で生きた人たちの『勝利に対する一途さ』 その努力の過程が好きだし、 

優勝の喜び』 や 『敗れた時の悔しさ』 などレースの結果は、単純で明確なのがいい。

そんな『正直な世界』に生きた人たちの、単純さみたいなのがいいのかもしれない。

 

 

 

20年ぶりに鈴鹿サーキットで2日間を過ごした。

鈴鹿サーキットは、昨年がその50周年だった。

1961年10月51年前の未だオープンしていなかったスタンドが土だった当時の鈴鹿サーキットを知っている。

1960年代は、カワサキのファクトリーのマネージメントを担当していたので、よく鈴鹿に通った。

たった1回しか行われていない『鈴鹿24時間耐久レース』の時も鈴鹿の現場にいた。

夕方5時にスタートしたのだが、24時間走り続けると、『香港までの距離を走ります』 とアナウンスがあったのを覚えている。

 

それから20年ちょっとのブランクがあって、1990年代の夏は、4耐、8耐、全国安全運転大会と毎年夏の3週間を鈴鹿で過ごしていた

今回、さらに20年のブランクの後訪れた鈴鹿サーキットは、素晴らしく立派に変わっていた

 

 

スタート時代の面影を残していた1990年代のサーキットからは全く新しいものに変わっていた

その施設は全くの新設で、改修などではないのである。

コースレイアウト以外は、スタンドも含めて、全く新しいものになっていた。

裏の池などもなくなっていて、ちょっと寂しい気もした。

今回は『モリワキ祭』への参加者としての参加なので、初めて『入園料』を払っての鈴鹿だったが、ずっと車を止めていた懐かしい安全運転コースに車が止められたので、昔と同じような気分になった。

 

★そんな鈴鹿に2日間いて、若い人たちにちゃんとお付き合い頂いて、自分でも『結構若返ったような気分になった』のである。

 

鈴鹿までの180キロは、自分の車に3人で、私はちょっと運転しただけであとはお客さん然と後部座席でやってきたのだが、

帰りは、よく通った鈴鹿への道を、昔のように独りで運転してみたくて、ちょっとお先に失礼して、独りで180キロを昔のように名阪を走って三木まで戻ってきた

昔と同じように、180キロを2時間ちょっとで、4時前に鈴鹿を出て、6時ちょっとすぎに家に戻ったのである

 

この2日間、 気分的にはホントに若返った。

疲れなど一切残っていない。

昨日編集した動画も、自分でもなかなかの出来栄えだと思っている。

鈴鹿サーキットが、 昔を思い出させてくれて、 そのころと同じような気分にさせてくれたように 思っている。

 

 

 

こちらは動画に寄せられたコメントの一部です。

 

         

 

  そんな気分が乗り移ったのか、昨日はFacebook で若い方からのトモダチ申請が相次いだのである

 

           

 

   ひょっとしたら最後の鈴鹿になるかもしれないが、なかなかの2日間だった。

 

 

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KAWASAKI Z1 FAN CLUB at SUZUKA モリワキ祭

2014-12-01 07:57:02 | 発想$感想

★ 11月29、30日の両日, SUZUKAサーキット開催された『モリワキ祭』に KAWASAKI Z1 FAN CLUB として参加した。

 

 

 

遠く盛岡からも、沖縄からも仲間が参加し、 

 

鈴鹿のコースをモリワキ祭に参加したライダーたちの100台を超えるカワサキZでのサーキット走行は壮観だった。。

 

 

 

大阪の八尾カワサキ、京都の山科カワサキも出展していたし、

 

 

 

レースには遠く九州から能塚モータースもエントリーしていたし、レジェンドライダーの走行にはキヨさんも塚本昭一くんも走っていた。

 

 

 

ホンダさんのサーキットだから、勿論ホンダさんも出展はされてはいたが、元気のあったのは断然カワサキだったような気がする。

 

そんな現地での様子を 動画に纏めてみた。

どんな雰囲気だったのか?

 

もう何度も、出会った仲間たちが醸し出す雰囲気は独特である。

 

まあ、なかなかこうはならない。

 

 

みんな、ちゃんと繋がってると、自然とこんな感じになる。

ここに出てる方、みんなNPO The Good Times の会員さんなのである。

 

主催者のモリワキさんのご夫婦と、 出展参加した山科カワサキの ヨシケンさん

 

 

 

伊豆スカイラインでのライダーたちの安全走行を、一生懸命やっておられる Betty Rose さんである。

今年の7月、浜松の会合以来の再会である。

また、仲間が増えた。

 

 

このイベントを仕切られたモリワキの『みどりさん』  と

KAWASAKI  Z1 FAN CLUB の渡部代表、関東の向笠さん、そして事務局の登山さんである。」

 

 

 

 

 

クロスビーとも、昨年7月以来の再会

勿論、KAWASAKI Z1 FAN CLUB の会員さんである。

 

 

 

こちらは、World Good Riders Association の柏原代表と 佐藤繁事務局長

一緒にいるのは 八尾カワサキの 加藤社長さん、昔の仲間同士でどんな会話になってるかは 動画でお聞きください

 

 

 

テンガロンハットは、 関東の砂山さん、Facebook でのトモダチも いっぱいの名物男

 

KAWASAKI Z1 FAN CLUB 代表の渡部達也さん

壇上から、2日間に亘って、格調高く 語りかけています。

 

 

 

 

 

 

モリワキさんとカワサキがどんな関係であったのか?  今の現役の方たちは、知らないのかも知れない。

 

確か、モリワキさんから、KMJへの出展の依頼もあったと思ったのだが、 なぜか出展されていなかった

よしけんと加藤さんとが協働でブースを出してくれたから、恰好も付いたし

KAWASAKI Z1 FAN CLUB がZ1を100台も集めてから開場では カワサキが一番元気に見えてよかった。

 

 

私自身は、20年ぶりの鈴鹿だったが、ホントにいろんな方にお目に掛れて楽しかった

二輪車新聞の福原さんもロードライダーの月岡さんも久しぶりだったし、谷尾商会の方ともお話しが出来た。

腰山峰子さんや、はっぴーエンドの森田さんからは最新の鈴鹿のレース事情なども聞くことが出来た。

 

充実した、楽しい2日間だった。

それにしても、20年ぶりの鈴鹿の変わりようは見ごとであった。

 

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