雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

北方領土 問題

2016-12-17 08:17:37 | 発想$感想

 

★ ロシアの プーチン大統領が11年振りに日本を訪れて、安倍総理と『北方領土問題』やロシヤとの『経済協力問題』の話し合いが行われていたのだが、『北方領土』という言葉から受ける感じは、北海道の遙か北方=北の遠く離れたところの話だと思っておられる方が多いのではなかろうか?

 

     

 

 稚内の北にある、かっての樺太の返還を求めるのなら兎も角、稚内より南にあり、北海道のすぐ東の4島をなぜ『北方領土』などとネーミンしたのだろう?

国後島などは、羅臼から標津までの海岸線を走れば、すぐ目の前にある島なのである。

それを見た人に『あれはロシヤ』と云ってら、みんなびっくりするに違いないのである。

1回だけだが、私は国後島を見て、びっくりしたのである

これはどう考えても、北海道の東に位置する島で、普通に考えて『日本の領土』なのである。

 

  

 

 

 

北海道を旅行される方も、釧路から釧路湿原ー摩周湖ー斜里ー網走 のルートぐらいまででそこから東の羅臼などまで行かれる方は、殆どおられないのではと思うのだが・・・

一度だけだが、斜里から羅臼峠の大変な道を通って羅臼町から標津町を経て釧路まで、車で走ったことがあるのだが、その海岸線を走る道左側に見える島が国後島と聞いてホントにびっくりしたのである。

これは『北方領土』などではなくて、関西の方なら感覚的にお解りだと思うが『淡路島』より近い感じの島なのである。

これが、現実には『ロシヤ』だとするならば、これはまさに『ロシヤは一番近い隣国』なのである。

元島民の方が故郷の島に自由に戻りたいと思うのは、ムツカシイ問題は抜きにして、当然のことだと思うのである。

 

  

 

 

★今回、プーチンー安倍さんの間での日ロ交渉が持たれて、

<日露首脳会談>経済活動交渉推進で合意 共同声明 が発表されたのだが、昨日の長門市での会談からずっと追っかけてみていたが、『流石安倍さん』と思える大成功の会談であったと思う。

今回の交渉でロシヤが2島の返還などを認めることが成功の条件などと思う人たちの発想がもともと間違っていると思う。

今朝の朝日の新聞論調など、読むのも厭だと思うほど、勝手なことを他人事みたいに書いている。

 

   

 

民法のテレビ局などに出てくる『専門家』や『評論家』も好き勝手なことを言っているが、安倍さんだったから ここまで行ったのだと思う。

 このような領土問題が戦後75年も経って、なお平和条約も結べていない一番の原因は、日本の歴代総理の就任期間の短さだと思う。一貫した信頼関係に基づいた交渉になっていないことである。長期的な交渉が必要な領土問題で、一貫してこれに取り組んだ人は『鈴木宗男』さんぐらいで、彼は今回の交渉を『大成功』と評価し大学の先生がたの論調をボロカスに言っていた。

日ロ両国にとって重大課題の平和条約の締結こそが目標と明確に謳われ、何よりも元島民たちの島への自由な往来が実現する可能性が具体的に出たことが前進だと思う。

すぐ、東側にある近くの島への往来が自由になる。住めるようにもなるかも知れない。

今回の結果は、単に国だけではなく多くの民間企業も関わったものであることは今後の進み方の速度も上がるだろう。

そんな道筋が見えてきた、『大成功の会談』であったと私は思うのである。

 

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補助金 雑感

2016-12-16 08:26:50 | 発想$感想

 

★ 燦々SunSun の仲間でもある殿界寿子さんが、こんなツイッターで呟いています。

 怒っています

 

  

 

 

彼女がなぜこんなに 怒っているのか? 

何となく、解っていますので、ちょっとその解説を・・・・

 

具体的には、三木市から出る 補助金なのですが、多分、日本国中 大なり小なりこんなことになっているのだと思います。

いま、東京の小池知事がおやりになってる改革も同じことだと思います。

 

★もう1年も前になるのですが、燦々SunSun のメンバーたちで『毎週水曜マルシェ』を半年以上続けていたのを、覚えておられる方がおられるかも知れません。

水曜マルシェ』と検索すると、こんな写真が今でも並びます。

 

 

緑が丘の『まちおこし』にと1円の補助金なども頂かずに、半年以上有志が集まって和やかでした

その集大成として、三木市主催での『緑が丘マルシェ』を12月にやろうということになりました。

 

そうすると『100万円の補助金』が三木市から頂けます。

まちおこしのために『市が支援する』という大義名分ですが、半年以上お金など掛けずにやってきたイベントに、1日で100万円の補助金が出ます。 確かにその規模は大きくなるのですが、『100万円』はいかにも大きすぎます

これは形の上では、『申請』となっていますし、実行委員会は地元ですが、実質は三木市の担当課の主催です。

100万円の予算』は使い切らないといけないような雰囲気で、どんどん贅沢に使います。

例えば、『のぼり旗』なども『水曜マルシェ』で作った値段の2倍ほどで地元が関係する企業に発注されます。確かに、それは地元支援になるのかも知れませんが、使われているのは税金です。

音響なども安くできる手立てはあったのですが、市役所の関係先に発注されます。それが幾らで発注されたかは解りません。

そして、100万円は多分使い切ってしまったのでしょうが、それは市役所の担当課だけが解っていて、メンバーに名を連ねた実行委員たちにも「公開されません」のでどこにどのように100万円が使われたのかは解りません。 そのあたりが非常に曖昧です。 

そんなこともあって、今年はこの三木市の補助金の出るイベントに関係しないことにしています

100万円の分け前でも貰っているのでは思われるのも『イヤ』だからです

 

★今年もごく最近になって、市役所のほうから声が掛かって、『緑が丘マルシェ』をやることになったようです。 

殿界さんは、商店街の事務局をしていますので、どうしても関係が出てくるようで『いやだ イヤだ』と言ってました。

そして、今年も何も計画のない時点で『100万円の予算』が三木市から示されたのだろうと思います。

その予算は、『使い切らない』といけないので、いろんな方が予算に群がるのだと思います。

ツイッターの呟き からはそんなことが予想されます。

 

★ このような『税金の無駄遣い』のような補助金の仕組みは、何とか改善・改革しないといけないのは、三木市だけではないと思いますが、いろいろ言われている『三木市』はぜひ姿勢を正して欲しいと思います。

この問題、私がこのように書いているのは、

先日、殿界さんも同席されていましたが、三木市議の方に、詳しくお話をして『三木市の補助金』だけでももう少しちゃんとならないか『議会で取り上げて頂けないか』とお話してあるからです。

若し、ホントにおやりになる気が、市会議員の方たちの中におありなら、このブログも、殿界さんのツイッターも、そのままお使いになったらいいのです。

このように私が書けば、ブログだけでも1000人以上がご覧になりますし、Facebook にもアップされますし、ツイッターでは56万人向かって発信されます。

神戸新聞なども一度、補助金問題を取り上げて欲しいと思っています。

どうしても動かないのであれば、『オンブズマン』でも立ち上げようか という仲間もいたりします。

 

日本の社会でのこのような税金の遣われ方は、あちこちに『補助金プロ』のような方が居て、その分捕り合いをやっているのが現実のような気がします。

どこかで、そんな流れが断ち切れないかと思うのですが、こんなことを問題だと思うトップも、議員も、役所の職員も少ないというのか『いない』のが現実なのかも知れません。議員たちが貰ってるお金の使い道も曖昧ですから、云えないのかも知れません。

そんなことで、殿界さんのツイッターの応援ブログです。

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鹿島アントラーズ と リアル・マドリード で世界一を

2016-12-16 06:27:08 | 発想$感想

★昨日の鹿島アントラーズが、南米チャンピオンを3-0で破ったことは、日本のサッカー界にとっては、まさに金星なのだった。

当然南米が一枚上だとは思われたし、前半は押されぱなしだったのだが、何はともあれ3-0で勝ったのは、日本のサッカーのレベルも、世界に通じるところまで来ていると言ってもいいのではないだろうか?

このチームの監督も日本人だし、メンバーも外人助っ人に依存したチームではない『日本人チーム』であるというところがいい。

果たして、三日後の世界一を争う相手はどこなのか?

  

   

 

  

ここまで来たら、決勝戦は リアル・マドリード とやらせてあげたいなと思うが今夜の一戦はどんなことになるのだろうか?

と現在35連勝中の レアル・マドリードのサッカーを観ていた。

 

 

 ★リアル・マドリード と クラブアメリカ の試合は前半 クラブアメリカの善戦だったがアディショナルタイムに1点を取られて、後半はずるずるといってしまうのかと思ったが、得点を与えずに頑張ったのだが、これもアディショナルタイムにエースストライカー ロナウドに決められて、結果は2-0と順当な結果になったのである。

こんなヨーロッパ王者に 鹿島アントラーズはどんな戦いをするのだろうか?

世界のスーパースターをちりばめた リアル・マドリードを相手に、日本人チームで意地を見せて欲しいと思う。

 

  

 

 早速、 NHKの スポーツニュースでも 『決勝 鹿島アントラーズ VS レアル マドリード』と報道されていた。

 

日本チームとレアル・マドリードとは、11年ぶりの対戦になるのだが、過去6戦はこんな成績である。

 2002年 日本代表    0-1

 2003年 FC東京     0-3

 2004年 ジェフ市原   1-3

 2004年 東京ヴェルディ 0-4

 2005年 東京ヴェルディ 0-3

 2005年 ジュビロ磐田  1-3

 となっている。

果たして今回はどんな結果になるのか?

楽しみである。

 

 

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2016  Z1会忘年会

2016-12-15 06:50:33 | 発想$感想

 ★昨日は明石のホテル「キャッスル」で今年度のZ1会忘年会だった。

どんな忘年会なのかは、この動画をご覧になれば、その雰囲気はお解り頂けると思う。

大袈裟にいうと、なかなか世間にはこんな感じの忘年会は存在しないと言ってもいい。

 

出席者は 川重の常務からカワサキのライダーやメカニックまで、その職位はバラバラだが、そんな職位の差などは微塵も感じられない『一体感』がいい。

カワサキの二輪事業の創世期をともに支えた仲間意識で繋がっているのである。

 

 

  Z1会の会長は、この世界の名車の開発責任者であった大槻幸雄さん、副会長はそのエンジン開発を担当した稲村暁一さん。

 

   

 

 

今回参加の最年長者は、87歳の岸田さん。

 

 

 

 アメリカに 日本で一番最初にリンカーン工場を建設した斎藤さんもやってきた。

カワサキのライムグリーンを一番最初にレーサーのタンクに使ったのも、実は斎藤さんなのだが、そのことはあまり知られていない。 当時のカワサキは『赤タンク』だったのだが、ロードレースではホンダが赤タンクだったので、違う緑にしただけで、そんなに難しい意味はない。

 

  

   

 

  いつもながら『メーちゃん』は賑やかである。

 

 

 

  最後の記念撮影は、カワサキバイクマガジンのホンちゃんのカメラマンがとってくれたのだが・・・

 こちらは、その前に私のカメラで・・・

 

    

 

カワサキバイクマガジンの記事になるだろうから、詳細は避けて、雰囲気だけお伝えしておきたい。

 

 

 

★ちょっとZ1会とは離れた話を・・・

 

 昨日の私のブログ 『カワサキの二輪事業と私』をカワサキバイクマガジンのツイッター『カワサキ一番』が『リツイート』して頂いたのである。

 

  

 

そんなお礼の気持ちもあって、

昨日、現場に取材に来られた、岩崎さんと井田さんには、お話してるのだが、もう少し具体的に『カワサキバイクマガジン』を応援する方向で動こうかなとも思っている。

このZ1会の忘年会にも毎年東京から参加されて、取材して頂いているのである。

そして、そのツイッター『カワサキ一番』には https://twitter.com/kawasaki1ban

既に、こんな呟きが、写真として発信されている。 

私が今日井田さんに囁いたら、すぐ実行されたので私もすぐ応援しているのである

 

  

 

  このゴルフボールは 私が頂いた景品で、私がつまんで持っているのである。

ツイッターのフォロワーでは、NPO The Good Times の公式ツイッターのほうが圧倒的に多いので、 

お礼の気持ちも兼ねて、『リツイート』させて頂いたのである。

   https://twitter.com/rfuruya1

  

 このような連携が、常にできるような仕組みの『ご提案』を井田さんにはしておいたのである。

いまの『世の中』これくらいのスピードで動いているのである。

これらは、事前広報と位置付けて、その詳細は2ヶ月ごとに発行される『カワサキバイクマガジン』で、詳細記事にされたらいいと思う。

そういう意味では、私の動画なども、事前広報で『カワサキ一番』で取り上げられたらいいと思う。

 https://twitter.com/kawasaki1ban

 

映画館の上映予告と同じようにどんどん発信されたらいいし、末端のカワサキユーザークラブなどとももっと具体的に連携されたらいいのだと思う。

世の中、ヨコ展開のネット社会全盛の時代に、何時までも『タテ型社会の発想』だからダメだなと思っている。

もう少し『アタマを使えば』いまのバイクの市場などすぐ倍増できると思うのだが・・・目標が小さすぎるから従来の延長にしかならないのだと思う。

ネットの世界は、幾ら上手に使っても、『お金など一切かからない』のである。

  

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カワサキの二輪事業と私 その29  私の履歴書

2016-12-14 07:07:20 | 自分史

 ★このシリーズも何となく書き始めて30回近くになろうとしている。

いろんな資料がいっぱい残っているので、書くこと自体は幾らでもあるのだが・・・・次回からは1年ごとにまず時系列に追っかけてみたいと思っている

 

 今回はこんな表が出てきたので、

興味・ご関心のある方はこの表をよくご覧になってみて下さい。カワサキ二輪事業の50年粗っぽくですがよく纏まっていると思っています。

カワサキの二輪事業の50年を総括しています。

 

 

 

 

 

『年齢

 20代から70代までの纏めである。『カワサキの二輪事業』との関わりは20代から60年代で一応は終わっているのだが、70代になっても尚二輪関連とのご縁は続いていて、むしろそれをベースに生きているので、延々と『カワサキの二輪事業』との関わりが続いているのである。

 

『KHI/出向』 

 私は昭和32年(1957)24歳の時に川﨑航空機工業に入社し、その後川重・川車・川航の3社合併があって川崎重工業籍となっているのだが、その約40年間のうちちょうど半分の20年国内の販売会社に出向していて、端的に云うと、国内市場での末端第1線でのマーケッテングの経験を生かしたKHIでの業務展開だったと言っていい。

従って、川崎重工業の中だけで育った人とは、体質的にも全然違った目で眺められたし、事業中枢の企画室が殆どだったから『カワサキの二輪事業トータルの姿』を長く見てきたと言える。

特に50代からは、川崎重工業の大西・山田・松本・高橋歴代副社長の直接のご指示で動いていたのだがこの期間が、カワサキ二輪事業の一番の危機で、その対策に高橋鐵郎さんと共に奔走していたのである。

 

 

『部門』

 ご覧の通り40年の間に16回も職場を異動しているのだが、自分で希望した職場異動などは一切なくて、特に50歳代の私の人事はすべて、川﨑重工業副社長の直接の指名で、具体的な課題を与えられての異動ばかりなのである。

ほとんどの仕事は、『半年あれば目途が立つ』と言っていい。逆に『半年で出来ない』ようなやり方では何年経っても『物事が実現』などしないのである。

二輪事業という世界各地に展開する特殊な新しい事業であったこともあるのだが、30代で広告宣伝の仕事を任された時に『課長』という職位を頂いて、その後すべて何らかの形で『長』という立場だったし、仙台事務所長以降は殆ど全て販社経営など所謂『経営者』の立場ばかりで呼ばれた職位も常務・専務・社長などと若い時代から呼ばれ慣れしていたので、あまり職位などには興味がなくなってしまったのである。これは私だけではなくて事業創世期に海外などに出た若手は川重の係長時代に海外の社長をやってた連中もいっぱいいるのである。そういう意味では、今の現役諸君は気の毒だなと思っている。

 

『仕事の内容』

二輪事業ではないのだが『IBMの償却システム』という仕組み創りが最初の大きな仕事で、この経験が非常に役に立ったし、二輪事業そのものが企画・開発・生産・販売・末端ユーザー対策などの『仕組み創造』の事業だし、特に販売はセールスが売り歩いた4輪車と違って、二輪販売店をどのような形で構築するかという、まさに『仕組み創り』だったので『システム』という言葉がいっぱい並んでいるのである。

そんな中でも、特に一般の方が出会っていない業務が広告宣伝とレースだろう。『広告宣伝』はこれは非常に奥の深い分野なのだが、広告宣伝課を30歳で担当した時にその予算が1億2000万円という当時のサラリーマンの年収が40万円の時代にそんな膨大な予算を3年間持っていたので、電通・博報堂・大広と言った一流広告代理店の本社企画部門のスタッフたちが群がってきたのである。そんな一流のマーケッテング専門家とのお付き合いで、若い時代に本格的なマーケッテングイメージ・ブランド戦略など非常に高度なことを学ばせてもらった経験が『カワサキ独特のブランドイメージ創造』にも幾らかでも貢献できたとは思っているのである。

それと密接に関係したのが『レース』なのである。それもカワサキの創世期のレースで、ホンダ・スズキ・ヤマハの競合他社に対して、勝るものが一つもなかった時代にレースだけは『赤タンクのカワサキ』として、レース界で明確にその位置が確保できたし、広告宣伝と合わせて担当していたので、非常にその展開はやりやすかったのである。

仕事関係で、もう一つ私自身が『専門分野』と言えるのは『経営再建』というか『赤字対策』なのである。仙台事務所長の時期はまだ地方は自前の代理店があった時期でその経営が非常にムツカシク、メーカーの意図通りに拡販に協力する代理店ほどその資金繰りから経営は『赤字転落』が続いた時期で、次々にメーカーの資本が入り子会社化されてゆくのである。

こんな実態をみたり経験して、私自身は経営は『資金繰りが基本』だということは身に染みて解っているのである。40代・50代と続いて国内販社・川重二輪事業本体の経営再建をいずれも2年で『経営再建』が実現出来たのは、若い時代の仙台での経験や、東南アジアでの華僑の事業展開のやり方が身についていたからなのである。

従って、私のカワサキでの仕事は、システム構築・広告宣伝・レース・経営再建 の4つかなと思っているのである。

 

『全く新しいこと』

全く新しいこと』といういう分類を創っているのは、担当したいろんな仕事は『新しい仕事』ばかりだったのである。

私は16回も職場を異動しているのだが、『前任者の引き継ぎ』を受けたことは一度もないのである。全く新しい課題ばかりだったので、すべてが新しいやり方でしか通用しなかったと言っていい。

一番最後の仕事だけが二輪事業ではなくて、『北海道川重建機』という子会社ではない優良会社の社長を頼まれているのだが、これは当時川重副社長で建機関係も担当されていた高橋鐵郎さんに頼まれたのである。 子会社でないからなかなかいうことを聞かないし、ムツカシイ役員や株主がいて大変なのである。川重の中でなかなか適任者がいなくて2年でいいからと単身赴任したのである。私にとっても新しい経験だったが、仙台時代の自前の代理店がどんなものだったかという経験が大いに役に立って、2年間で次の社長は川重から出せるような雰囲気の会社に仕上げて戻ってきたのである。実質オーナーの方からは『何年でもやってください』と言われていたのだが、お約束通り2年で単身赴任を終えて戻ってきたのである。『北海道川重建機』にも、その従業員の方にも『二輪事業の良さ』みたいなものは感じて頂けるような2年間であったのである。

 

『一言で云えば』

勉強機関

カワサキにとって二輪事業は全く経験のない新しい事業だったのである。技術屋さんたちも確かにエンジンについては専門家が揃ってはいたが、二輪車の専門家はいなかったし、販売に関しても末端の販売網など解る事務屋は一人もいなかったのである。ましてや海外市場など解るはずもなく手探りの第一歩、勉強からスタートしているのである。

新しいシステム構築

企画・開発・生産・品質保証・部品補給・販売・販売会社経営・販売網構築などなどすべてが新しいシステム構築だったのである。それは個別の分野の個別システムの構築からスタートしたのである。

経営再建

量産事業の基礎は数である。数の増大は魅力である。シェア競争がそれに拍車をかける。ただ、やり過ぎるとその反動はすさまじい。今まで事業を引っ張ってきたアメリカ市場が突如大きな足を引っ張る要素になり、一時事業の継続もムツカシイかと思われるカワサキの二輪事業の危機の時代があったのである。

事業経営

そんな経営危機の時代を乗り越えて、何とかトータルの事業経営の仕組みもできて『事業経営』に専念できるようになったのは、事業をスタートしてから約20年の年月を要したと言っていい。私の50年代・60年代は、幾多の経験を経て事業経営に『専念』できる出来る環境にようやくなったと言っていい。

 

70年代・80年代

そして、70代・80代にもなっても尚、カワサキの二輪時代のノウハウ・ソフトで NPO The Good Times など、現代の『ネット社会』の中で結構楽しく過ごせているのである。

 

 

『その時 カワサキは』

この50年間、一緒に歩んだカワサキは、こんな出来事があったのである。

みんないろいろ、カワサキの二輪事業に大きな影響を与えているのだが、

60才代になって

 ● Good Times コンセプト復活

 ● 川崎重工業 大庭浩社長

 ● 川崎重工業 高橋鐵郎副社長

 ● 川崎重工業 田崎雅元社長

 この4つの出来事は、少なくとも私の協働で実現したと言わして頂けるのかなと、秘かに思っているのである。

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

 

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パスポート

2016-12-13 07:09:56 | 発想$感想

★昨日は、新しい切り替え申請をしたパスポートが出来上がったので、受け取りに行ってきた。

  

       

 

一番最初にパスポート申請をしたのは、昭和46年12月(1971)だろうと思うから、もう45年も前になる。

大阪万博があった翌年で、その頃はまだ海外に行く人など珍しかった時代である。

全国のカワサキの販売店100店ほどのアメリカ視察団の副団長として、初めての海外渡航であった。

多分、二輪業界としては初めての試みだったと思う。

 みんな海外など初めての人ばかりで、世界の仕きたりなどにも慣れておらず、ただウロウロしていたのが懐かしい。

当時は飲み物特に酒などは主催者のあてがいぶちで、個人で注文する風習など全くない時代だったから、『ビール』と言ったらどんなビールが出てきても大丈夫なのだが、『アメリカの? 日本の? どの銘柄?・・』と聞かれるとみんな困ってしまっていたのである。日本流に『適当に何本か持ってきて』が全く通じないアメリカ本土は大変で、帰りに寄ったハワイでは何とか『日本流』が通じてホッとしたのである。

その時、アナハイムのデズニーランドにははじめて行ったのだがその後何度もアメリカには行っているが、デズニーランドに行ったのはその時だけである。

当時のカワサキのアメリカの本拠は Santa Ana  だったのである。

 

いま娘家族が住んでいるのが Santa Ana  の隣町の Irvine だから、この地域の移り変わりみたいなのは、何となく分かるのである。

 

   

 

  

★今からパスポートを切り替えて、10年間の期限があるのだが、 今からホントに海外に何回行くのかな?とも思うのだが、来年の1月に期限は切れてしまうので、『まあ、取っておくか』と書き換えをしたのである。

書き換えの期限が10年の長期になったので、前回の書き換えの時、どんなことをしたのかも、すっかり忘れてしまっていて、書き換えの手数料が16000円も要るなどすっかり忘れていた。

それに、申請と受け取りと二度足を運ばねばならないのである。

本人でないと、代理人ではダメなようだから、結構手間と時間がかかるのである。

 

すぐ思ったのが

これは大会社の社長でも、知事でも、秘書にやらすのはダメなのかな?

総理大臣の安倍さんは、どうするのだろう?

さらに上の皇太子や、皇族はどうするのだろう?

 

総理大臣ぐらいになると何とか別の方式があるのだろう と思ったりした。

 

 

★場所は神戸三の宮の国際会館の14階のこんな事務所である。

先日の申請の時は混んでいて、1時間以上も掛かったのだが、今日の受け取りは非常にスムースで10分ぐらいで終了したのである。

   

 

多分これが私の最後の パスポートになるだろう。

そんな想いで、記念にブログにアップしておこうと思ったのである。

  

 

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伽耶院のホームページ について

2016-12-12 05:17:51 | NPO The Good Times

★『伽耶院』と検索するとこんなページが現れる。

      

 

★その『伽耶院のホームページ』とはこんなページなのである。 http://gayain.exblog.jp/

伽耶院が NPO The Good Times の団体会員さんに入会された2010年7月以来、ホームページをお持ちではなかった伽耶院の四季折々の催しなどをその素晴らしい景観とともに、ブログ形式で私が纏めてアップしてきたものである。

伽耶院』という名刹のイメージを損なわないように毎年四季折々に訪れて、写真や動画で紹介してきたのである。

 

     https://www.youtube.com/watch?v=HLKc1s3Ns68

 

        

 

       

       

 

        

 

        

 

        

        

        

        

        

                 

 

      伽耶院は こんなお寺なのである。

  私の一番好きなお寺である。

 

★ 先代のご住職は、ネットなどもう一つお分かりにならなかったので、こんなお手伝いをしていたのだが、この10月に先代のご住職が80才を迎えられたのを機に、引き継がれたご住職は、いま新しい 伽耶院のホームページをお創りになったのである。   http://www.gayain.or.jp/

 

     

 

     

従来のホームページをどのように引き継いでいくのか、そんなこともあって昨日は伽耶院に新住職を訪ねていろいろご相談をしてきたのである。

私としても、肩の荷が下りてホッとしているのだが、新ご住職からも、今までのブログのホームページが立派で、それを見て沢山の方に来て頂いて『感謝している』と言って頂いてホントによかったなと思っているのである。

 

★ただネットの世界のことだから、既に正規のホームページが出来ているのに、今でもブログのホームページが上位に来てしまって、正規のホームページが現れないのが現実なので、今後具体的にどのように対策すればいいのか、知恵を絞らねばならないのである。

伽耶院が NPO The Good Times  の団体会員さんであることに変わりはないので、今から色々正規ホームページの応援対策を考えようと思っている。

幸い初対面ではあったが、お若い新ご住職とも非常にいいお話が出来たし、今後上手く展開できるような気がしているのである。

まずは、このブログでご紹介をして、Facebook やツイッターでの情報発信を頑張りたいと思っているのである。

 

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 安倍ー橋下 忘年会の主題は 「新党」?

2016-12-11 07:17:27 | 大阪維新の会、橋下徹氏

 ★ツイッターというのは140字と決められていて短い文章しか書けないと一般には思っておられるようだけど、Twilog という仕組みがあって、これを使うと長い文章でも大丈夫なのである。

これを上手に使っているのが『橋下徹』さんで

 http://twilog.org/t_ishin/asc  これが橋下さんの Twilog で、大阪市長時代からずっと続いている。

 

結構毎日のように発信されていて、読者というかそのフォロワーも170万人もいるので、新聞並みなのである。そしてマスコミも、ここからニュースにすることも多いのである。

 

 

 

 

★12月になってからものを少し纏めてみると、一番多いのは小池さん関連、東京都政なので、橋下さん小池塾の講師を断ったりしてるけど、小池さんの東京には並々ならぬ関心をお持ちなのがよく解る。

以下緑の部分は橋下さんのTwilog をさらに纏めたものだが、各問題に対する橋下さんの意見である。

 

1.オリンピック施設問題

オリンピック施設をめぐるドタバタ劇は費用削減できたので大成功。小池さんが、オリンピック3施設の移転は全て断念するとのこと。おそらくこれから批判的な評価が増えるだろう。しかし今回の小池さんの政治は大成功だ。1億円減額でも大万歳。1億円だよ!それを100億円以上の減額になる模様。都民はこれだけで小池さんに4年分の報酬を払う価値あり。

政治家は、物事を変える時には大騒ぎをする必要がある。大山鳴動して鼠数匹でもいいじゃないか。今回の減額幅は、鼠数匹どころのものではない。減額幅は200億円超にも迫る模様。大成功だ。

 

2.豊洲問題

しかし豊洲は大失敗。補償費用や機会損失はゆうに数百億円を超える。費用対効果が全く見合っていない。地下空間に合理性があり、安全性にもほぼ問題がない。それに数百億円もかけるのは、完全な判断ミス。

豊洲は費用対効果が全く見合っていないので行政的には大失敗だけど、都民からの支持率を高めたということでは政治的には成功したことになるんだろうね。

 

オリンピックの施設問題大成功、ただ豊洲問題行政的には失敗だが、政治的には成功と言っている。何だかんだと言いながら、小池都政を評価しているのである。

 

3.東京都議会

重要なのは平成29年度予算大改革! 予算200億円枠が話題になっているけど、こんなのは全国の自治体みんなやってるよ。額を公に言っていないだけ。小池さん、根回し完全なしの議会を実行したらしいけど、根回しをしないことと質問を把握することは別。質問はしっかり事前把握しないと答弁ができない。答弁のすり合わせは不要だが質問は事前収集が必要。

 

この辺りの議会対策は、大阪での経験からの論評だと思うが、大した問題ではないと思う。

 

4.新党問題

小池さんを支える7人の侍が自民党から除名処分を受けた。小池さんのシナリオ通りだろう。こうなれば大将である小池さんも自民党を離党する大義ができた。というよりも離党しなければ仲間だけが自民党を追い出され、この原因の張本人が自民党に留まるというおかしな話になる。あとは新党へまっしぐら

小池さん、新党結成するなら年内がタイムリミット膨大な事務作業が待ち受けるので、それでも時間が足りないくらい。平成29年度予算が成立するまで水面下で準備して、春に一気に攻めるウルトラCか。

 

★東京都関連でやはり一番の関心事は『新党問題』だろう。多分間違いなく新党はできると思う。

自民党東京都連はともかく、安倍さん『新党結成』には賛成というより、一番新党を創って欲しいのは安倍さんだと思う。官邸は積極的にその支援の方向だと私は見る。

私が安倍さんの立場でも『新党は歓迎』と考えるだろう。

自民党は既に安定しているし、野党があのだらしなさだから、これ以上自民党が増えるよりも党外の『新党』の議員が増えることのほうが『実質的な安倍派』が増えることに繋がり、さらに自民党内の安倍さんの立場が安定するという読みに違いないのである。

安倍さんがめざす憲法改正など同じ票数なら、自民党員より『新党の票』のほうが世間一般の賛成票ということで値打ちだろう。小池さんも橋下さんも『憲法改正には賛成』なのである。『自民党がやる憲法改正には反対』でも『小池さんや橋下さんがやる憲法改正』なら『賛成』する東京や大阪の市民は多いはずで、国民投票で決まるはずだから大票田を抑えるには『新党』が一番手っ取り早いはずである。

24日の『安倍・橋下忘年会』は多分、そんな話が主題なのだと思う。

橋下さんに言わすと そんなに時間はないという

 

 

 

 

 

昨日は 『安倍さんと橋下さんの忘年会

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/d535bc1ec9aff8bf7141fde5e6e8c27c

 とサラーっと流したが、それから橋下さんの、Twilog などチェックしていたら、やはり『新党問題かな』と思ったのである。

私の読みは結構『当たる』のである。

 

 

 

ここまで書いていたら、夕方こんなニュースが夕方流れた。

小池さんも、橋下さんと同じように『そんなに時間はない』と仰る。

動き始めた感じである。 

ひょっとしたら、安倍さん-橋下さん―小池さん すでに繋がっているのかも知れない

 

 

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橋下徹さん、安倍さんと忘年会?・・・

2016-12-10 09:24:19 | 大阪維新の会、橋下徹氏

橋下徹さんと安倍さんが24日に会うらしい とこんなニュースが流れた。

橋下さんも安倍さんも、私は大好きな政治家である。

そういう意味では『トランプさん』も好きである。

なぜ? と言われても困るが、一般の政治家とはちょっと変わっているところがいい。

 

   

 

 

好き、嫌いはそんなに理屈があるわけではないので、その理由がどんなところにあるのか、自分でもよく解ってはいないのだが、

直感的に、橋下さんの動く方向も、安倍さんのやり方も『いいな』と思っているのである。

 安倍さんは一国の総理大臣で、めちゃ忙しいはずなのに、そんな1日を今は民間人である『橋下徹』さんと話す時間を創ったりするところがいいと思っているのである。

いま、何をすることが、大事なのかということがよく解っているように思う。

 

 

★このお二人、ある意味変わっているのである。

橋下さんは、弁護士から芸能人になり、いきなり大阪府知事になったら、その次は格下の大阪市長になったりして、維新の会を立ち上げたと思ったら、市長も代表もやめてしまって、また民間人に戻ってしまった。

その辺の評論家は、衆議院に出るとか総理を目指すとか勝手なことを言っていたが、私は『絶対にそんなことはしない』と思っていた。

自分がやりたいことをやるためには、必要なのは『職位』などではないのである。

衆議院議員になった途端に、自分のやりたいことがやれなくなってしまうのをよくご存じなのである。

 

世の中には何になりたいというよりは、何をやりたいと思う人もいるのである。

橋下さんの知事から市長は、完全に世間一般の逆なので、これはびっくりしたのだが、その生き方がオモシロくてずっと応援しているのである。

民間人になった今も、総理から忘年会?に誘われる。

安倍さんも普通ではそんなことはしないはずだから、どんな長期戦略をお持ちなのだろうか?

 

安倍さんがごく最近会ったり、会おうとしている人、トランプさん・プーチンさん・橋下さん・オバマさん

こんな世界的な人トップレベルの方の中に橋下徹さんが入っている。

 

 

★私も既に83歳で、来年は84歳、年男である。

私も安倍さんや橋下さんを見習って、世の中のどのような方とも同じようにお付き合いも、話もできるように生きたいと思っているのである。

昨日は久しぶりにカワサキの会合みたいなのがあって、いろんな方にお会いできたしお話も出来たのである。

 

KMJの社長の寺西さんとも、元ハーレージャパンの社長をされてた有名人の奥井俊史さんともお会いできたし、お話もさせて頂いたりして、それはそれでよかったのだが、同じように、昔仲間の黒瀬くんや、東京のモーターハウスアサノの浅野公一郎くんや八尾カワサキ加藤さんの息子さんなど、若い人たちといい時間が過ごせたことがホントによかったと思っているのである。

 

    

 

 一番左が加藤さんの息子さんである。私のヨコは初めてお会いした仙台の早坂さん。今日は早速Facebook でトモダチになった。そして一番右が奥井俊史さんである。

この方たちカワサキにも関係あるのだが、ハーレーでも繋がっているのである。

 

   

     

 

 このバイク、500万円もかけているのだとか、そのオーナーが株・忍者の伊藤彰さん、50年カワサキ一筋なのである。 確かに、若い頃は面倒見たかも知れないが、『古谷さんには世話になった』といまは何もしていないのに、毎年何かを何度も送ってくれたりするのである。下手に『旨かった』などと言うと続けて送って来りするので困ってしまうのである。

昨日は、この伊藤彰さんとお会いするために大阪まで行ったのだがいろんな人に出会ってしまったのである。

一番右が浅野公一郎さん、初対面なのだが、浅野輪業時代のお父さん にはお世話になたのでクロちゃんと写真撮ろうとしたら横にいたので一緒に入ってもらったのである。

 

 安倍さんと橋下さんたちは、24日に忘年会らしいが、私は一足先に12月8日に忘年会ではないけれど、いろんな人たちとホントに『いい時間』が過ごせてよかったなと思っているのである。

 

Kawasaki. Let the good times roll !    

カワサキに出会う人たちがハッピーになるような活動をカワサキは展開し続けますというような感じの意味なのだが・・

Furuya . Let the good times roll !

  古谷に出会う人たちが、ハッピーになるように、『いい時間が過ごせる』ように務めたいと思っているのである。

 

 

 

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 カワサキ新販売網政策について

2016-12-09 09:53:25 | カワサキワールド

KMJの新販売網政策 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/e904b8cc5c9f513dd24f570ddad122a2  の続きである。

 

 ★ 『12月8日オープン』とは どんな意味のオープンだったのだろうか?

カワサキプラザ大阪』は営業所ではなくて、一般のユーザーに対する販売窓口=店舗のオープンなのだから、そこに集まってくる人たちは、『ユーザーたち』なのだろうと勝手に思ったのが想定外だったのである。

 この施設が『末端ユーザー』を呼び込むお店だという『基本コンセプト』が全く抜け落ちた対応になってしまっている。

こんな施設については、社内関係者へのお披露目末端ユーザーに対するものと明確に二つの行事があって然るべきである。昨日のオープンは間違いなく身内関係者へのモノだったのである。この一事を見ても、今回の新政策の中で『末端の一般の人たち』に対する配慮が欠けてしまっているのである。

私の現役時代、末端の人たちへの施設『SPA直入のオープン』当日は4000人のライダーたちが訪れてその前でのテープカットだったのである。社内身内関係者への披露は事前に分けて行うのが筋だろう。

このようなことなら『12月9日オープン』とすべきだと思った。昨日『一番感じた』のは、このことなのである

まずは、動画でもご覧ください。こんな感じで、テープカットなどの行事が行われたのである。

 https://www.youtube.com/watch?v=XCejTYRA83Y

寺西社長のご挨拶の中でも、今回の施策が末端のユーザー、さらに広げて一般の方たちにも二輪の世界をと、口では仰っているのだが、その対応が全くできていないと思ったのである。

 

カワサキ特約店制度の発起人の一人で、常に厳しい正論しか言わない『伊藤彰』さんに、このプロジェクトどのように思っているのか 率直な彼の意見を聞きたくて、昨日新装なったカワサキプラザ大阪でお会いする約束をしたのだが、予想外のいろんな方たちが遠く関東・東北から販売店の方も来られていたし、KMJのメンバーも関東からも明石からも多数来ていたので、懐かしい人たちに会えて話も出来たのである。

それはともかく、彼の言い分はこのようなものだった。

今回のカワサキの新販売方式には 株・忍者は参加しない。 理由は、あの条件で参加しても採算が見込めないからである。これは自分の判断だからカワサキに泣きこんだりはしない。然し、50年カワサキ一筋、ホンダ・ヤマハ・スズキとの取引を断って、1台の他社製品も売っていない。カワサキの方針はすべて守って、尽くしてきた私の50年は、一体何だったのか?

これは昨日、寺西社長の前でも、清水君にもはっきりと言っていた。

カワサキと共に歩いてきた販売店』で同じような想いをお持ちの店も多いと思うし、そんな人たちの想いみたいなものを、このプロジェクトを企画推進するメンバーたちはよく理解した上で進めて欲しいなと思ったのである。

 

寺西社長、清水、谷くんのこのプロジェクトのキーパーソンお三人には、それぞれ個別ではあったが『私の言いたいこと』は短い時間ではあったが、それぞれに結構ちゃんとお伝えした積りである。

販売店を集めて会議形式でいくら意見交換してみても、こんな微妙でムツカシイ問題の解決などには決して繋がらないのである。お三人との話は横に伊藤彰さんがついていたので、どんな話だったかは伊藤さんはご存じなのである。

兎に角、今のカワサキの上層部には 末端の本音は全く通じていないのではないかと思ったのである。

それは表向きはこのプロジェクトに賛成して、遠くから大阪まで来ていた販売店の方たちの話しぶりからも私はそのように感じたのである。要は販売店は『言いたいことが言えていない』のである。逆にいうとKMJサイドは、ご自身の言いたい説明に終始して『ホンネを聞こうとする態度』に欠けていると思ったりした。

 

★今回の寺西さんのご挨拶の中で、『このようなプラザは、私たちのやりたいことを実現する舞台装置だと』仰っている。

確かにそんな面もあるのだろうが、時代はもう店舗などを売りにする時代ではなくて、むしろ『店舗がない』ことがウリで通じる『ネット時代』なのである。そんな時代に今更店舗にお金を掛けることなど、販売店の力を削ぐこと以外の何物でもないと私は本音でそう思っている。今回『カワサキプラザ大阪』の新店舗を見せて頂いて、それは『感じ方』だから、百人百様だとは思うが、別にびっくりするようなものは何もないように思った。

もう20年以上も前になるのだが、カワサキが展開した東京の『カワサキプラザ新宿』や『博多のIMS』のように『世界で一番の商品はそれに相応しい立地と店舗で売りたい』というような『基本コンセプト』は全く感じられなかったのである。末端のユーザーや一般の人たちが自然に集まる絶好の立地で展開した百人百様に驚く奇抜さなど皆無なのである。

いまのカワサキプラザの立地はかっての営業所で、一般ユーザーからみると『不便』としか言えない立地だし、今あるものを手軽に利用しただけのものである。

全国で仮に100店舗が出来てたとしても、コンビニなどとは自ずと数が違うのだから、同じ形の店舗にする意味など皆無と言ってもいい。一般の認知度向上などには決して繋がらないのである。なぜなら『イメージとは他人の評価』なのである。

こんなShopを創って喜ぶのは、その土地の土建屋さんと中に入れるというコーヒー屋ぐらいで、バイク関係者が喜ぶとは決して思えないのである。

 

カワサキの新政策を続けられるのはイイが、今の店舗の形態を今から投資する販売店に強制することだけは絶対におやめになって、同じ形態にするのは、カワサキの元営業所だけにすればいい。

販売店も『店舗投資の負担』さえなければ、即時に100店でも200店でも手を上げるところは多いと思う。昨日ご一緒した株・忍者の伊藤彰さんでも、賛成して参画されるに違いないのである。

 

今まで、進めてきたメンツもおありだろうから、これがカワサキOBとしての私が、今の状態でカワサキの新政策に対する提言である。今回のカワサキの新政策が目指すものは『店舗』ではないだろうし、候補に挙がるようなお店の店舗は既にそれなりに立派なはずである。

 

 

 

 ★今回この会合に私が顔を出したので、寺西さんなど現役諸君はある意味大変だったと思うのだが、私もカワサキのOBだから、カワサキも二輪業界も上手く行ってほしいのである。

いま、一番カワサキのトップ層に伝わっていないのは、末端の人たちの『ホンネ』なのである。

昨日、大阪に来られていた販売店の人たちも、この『新方策』に賛成ではあっても、『言いたいこと』はいっぱいあるように感じられたのだが、ぜひ現KMJのトップの人たちもそれを感じて欲しいのである。

 

★昨日、お会いしたいろんな方たちの中で、一番お会いできてよかったのは、元ハーレージャパンの奥井俊史さんである。

初対面ではあるのだが、もう15年以上も前、奥井さんがトヨタから二輪の世界に来られて、あまりの違いに驚かれて大阪の『船場』の岡田博さんに相談されたら『カワサキの古谷さんに』とご紹介があって少しだけ関係があったのである。

私は当時から、ホンダさんの青山にも何回もお邪魔してKAZEなどのユーザー対策をお話ししていたし、ハーレーの奥井さんにも当時のカワサキの資料や考え方など何らかの形で差し上げたと思っていたのだが、昨日のお話だと私のデーラーミーテングの話なども、結構いろんな情報をご存じだったのである。

私が引退して後、カワサキは当時のノウハウなど殆ど切り捨ててしまったが、カワサキの基本コンセプトハーレー流に展開されたのが奥井さんだったので、少なからず奥井さんとは基本的に考えが合うと思っていたのである。

寺西社長は、伊藤忠の頃に奥井さんとはトヨタ4輪の関係で繋がっていて、そんなことで今回のカワサキの新方式にも奥井さんの知恵が入っているのだとは思うのだが、ハーレーがカワサキのコンセプトを『ハーレー流』に展開したように、今回はハーレーのコンセプトを『カワサキ流』にアレンジして展開することが必要かと思うのである。

いつかどこかで『続きを』と言われていましたが実現できればいいなと思っている。

   

 

岡田博さんとは親交のあった伊藤彰さんを奥井さんに繋いでおいた。『いつか一人でお店を訪ねます』と奥井さんは言っておられたが、ぜひ実現することを願うものである。

    

 

 

★ 同じ日、別の会議のあった吉田純一さんから私のFacebookに頂いたコメントである。

既にFacebook で公になっているのでここでもご紹介しておきたい。

少なくとも吉田純一さんとは、寺西さんでも清水君でも忌憚のない意見交換をして頂きたいと思っている。

純ちゃんは、こうは言ってるがカワサキのOBだし、ちゃんと話せばちゃんと解る人だと私は思っているのである。

吉田 純一
 
吉田 純一
今日カワサキ2017年販売店ミーティングがあったのですが、皆さんあほらしいのか、大した意見は出なかったです。販売店やユーザーの声は全く聞かないし判らんから意見に対しすれ違いの答えで又宿題として持って帰って検討するとか、カワサキは駄目ですね。
 
古谷錬太郎
 
古谷錬太郎
今日の感想は別途纏めます。関東からナベさんや浅野さん来てましたし、予想外の方に会えてよかったです。吉田さんに会えるかなと思てたのですが、別の会議だとか、寺西さんにもちゃんと伝えましたが、一度文句を言ってる吉田さんや。メーちゃんのところに部下を連れずにい一人で行けば本音の話が聞けますよと言っておきましたが、なかなか実現はムツカシイでしょうね。
 
 
★これもなかなかムツカシイだろうが、
 
 寺西・清水・奥井・吉田・伊藤・古谷の雑談会でも開催して頂ければ、少しはスムースに運ぶのではと思ったりしている。
 
 こんな新政策など4年も掛からずに半年あったら十分実現するのである。
 
 
 
 
 
 
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12月8日 

2016-12-08 21:42:58 | 発想$感想

 ★75年前の12月8日、私は小学生だったのだがその日のことを鮮明に覚えている。『大日本帝国は米英に対し宣戦布告し、戦闘状態に入った』というニュースが流れ、真珠湾攻撃の大成果が報道された。

 

    

 

マレー作戦では、日本軍は驚異的な速度でマレー半島を進軍し、イギリス軍を急追して開戦以来70日でイギリス軍は降伏し、シンガポールを陥落させた。

そのお祝いに小学生全員にゴムまりが配られたりしシンガポールは昭南島と名付けられた。そのあとも、南方戦線では進軍が少なくとも半年ぐらいは続いたのである。

山本五十六・連合艦隊司令長官が「是非やれといはれれば初め半歳か一年の間は随分暴れて御覧に入れる。然しながら二年三年となれば全く確信は持てぬ」と語った通りになったのである。

 

★小学校3年生時代の12月8日は、私にとってそんな想い出のある昔の言葉で言えば『大詔奉戴日』だったのだが、4年後の昭和20年8月15日に終戦を迎え、その年の12月8日に、朝鮮京城(今のソウル)から日本に引き揚げてきたのである。

その時は中学1年生だったのだが、その12月8日から、『私の人生は一変した』と言っていい。

それまでの何一つ不自由なこともない生活から、戦後の日本での予想もできないような生活が待っていたのである。

それが『不幸であった』とは決して思っていない。『新しいスタイルの生活』がスタートしたのである。家計を支えた父母たちは多分間違いなく大変だったのだと思うが、中学時代の私はむしろ『それが新鮮』に映ったのである。

 

そういう意味で『12月8日』が来るたびに、日米開戦の日と同時に、引き揚げてきて日本の地を踏んだ『新しい生活』が始まった『12月8日』といつも秘かにそう思うのである。

戦争は大変なことである。それ以上に『敗戦』ということは大変なことなのである。

父母にとってみれば、今までのものが全くのゼロになり、一切何の補償などもないのである、災害なども大変だと思うが、いろんな補償があるだけマシかなと思ったりする。

そんなことを経験したので、それ以降少々のことがあっても『大変だ』などとは思わなくなってしまったし、世の中に『大変なことなどナイ』と思ってしまうのである。

 

★戦争はダメだなと思う。

そんな戦争を戦った日米が今は同盟国である。

 
安倍晋三首相は今月下旬、真珠湾を訪ねる。慰霊の言葉とともに、日本がなぜ無謀な戦争になだれ込んだのかを語ってほしい。歴史からの教訓に区切りがつくことはない。』
 
今朝の天声人語である。
朝日新聞の天声人語の論調の裏には、『安倍政治』への批判みたいなものが感じられるのだが、もっと素直に今回の『真珠湾訪問実現』を褒めるおおらかさがないのが、今の朝日の問題点なのだろう。
 
 
 
★そんな12月8日、『カワサキプラザ大阪』を訪ねることにしている。
新しいカワサキ』を目指す新政策の一環としての展開の『カワサキプラザ』なのだが、どんな感想を持つのだろうか?
 
この大阪の拠点は、私の第1線営業のスタートの地であり、『カワサキ特約店制度』の生まれた地なのである。
そこで当時『店制度を一緒に進めた仲間』の株・忍者の伊藤彰くんとお会いする約束になっているのである。
 
その感想は、また別途纏めたいが、たまたまだが12月8日になったのである。
 
 
 
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温泉マーク

2016-12-08 06:11:54 | 発想$感想

★2020年のオリンピック開催に向けて観光立国を目標に『外国人にやさしい街づくり』が進められていて、

温泉マーク』も『新しいマーク』を創ろうとしていたが、業界などの反対でそのままでの存続が決まったというニュースが流れた。

 

 

 

 

 左から3番目が『新しいマーク』だそうで外国人には新しいマークのほうが温泉と解りやすいという評価のようだが

有識者から賛成意見も出ず、業界団体などからは反対意見が出て、そのまま存続が決まったようである。

 

 

  

 

 『なぜ、変える?』という業界団体などの反対意見も多くて、そのままの存続が決まったようである。

 

  

 

 このような検討の結果のようで、よかったなと思っている。

 

 

★温泉マークについては、こんな記述があった。

 

地図記号として最初に現れるのは、1884年(明治17年)において陸軍参謀本部が測量した大阪地方の准正式地形図に用いられたものである。

明治時代から公衆浴場や風呂付の旅館の施設を示す記号として使用されていた。

1950年ごろから、男女同伴の客を当て込んだ旅館が享楽の場のイメージアップを狙い積極的に宣伝に利用し、温泉マークは性的な意味を帯びるようになった。クラゲを上下逆にしたような形状であることから、隠語としてさかさくらげとも呼ばれ、連れ込み旅館を意味した。

1970年代になるとカップル専用ホテルの主流は連れ込み旅館から洋風の外観のラブホテルに移り、さかさくらげは死語となった。性的な意味を失った温泉マークは浴場を示すマークとして定着した。

台湾や朝鮮半島でも日本統治時代以来、旅館などで使用され続け、韓国では現在でも温泉マークが旅館を表す記号として使用されている(温泉施設、公衆浴場にも使用されている)。

 

 

★ 旧く明治の時代からのスタートで、確かに『さかさくらげ』などと言われた時代もあったのだが、今の人たちには何のことか解らないだろう。

台湾や韓国で、今でも使われているということは『マーク』としてそれなりに評価されているということがから、台湾・韓国と協働して、このマークを国際的なものにするようにすればいい。台湾はともかく、韓国と一緒に努力するものが一つぐらいあってもいいように思う。

 

要は、世界に向けての広報をちゃんとやれば定着すると思う。

温泉は世界に誇れる『日本文化』だし、世界の人たちは『日本発の独特のマーク』で日本の温泉を理解出来る様に継続した努力を続けたらいい。

今回、こんな議論があったことで、幾らかでもその認知度は向上したのだろう。

こんなブログをアップして、Facebook やTwitterで流したら、ほんの幾らかでもその『お手伝い』になるかもと近あブログをアップしているのである。

 

 

              

 

               これは 温泉マーク です。

 

 

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プロ野球選手の年俸 雑感

2016-12-07 06:54:19 | 発想$感想

★プロ野球選手の契約更改の時期である。

大谷翔平選手が2億7000万円で契約更改したという。

大谷翔平選手のこの金額は、『ちょっと安いのでは?』という声も聞こえたりした。

 

    

  

『謎多きプロ野球選手の年俸・・・・』という記事が出ていた。

   http://www.sankei.com/west/news/161205/wst1612050006-n1.html

 

プロ野球選手の年俸については、どうももう一つ納得できない面がある。

新人からベテランまでの開きが『大きすぎる』ような気がしてならない。

大谷のような特別の選手なら兎も角、こんな選手がと思われる人が何億円も貰っているし、複数年契約などと言って一端高額で契約すると何年間もそんな金額が貰えるのが不思議である。

例えば、阪神の鳥谷は『いい選手』であることは認めるが、年に4億円も貰うのは不思議である。今年は不振で後半はベンチにいたのに来シーズンは4億円そのままのようである。そのような契約だからそれは仕方がないのかも知れないが、レギュラーでショートを守るであろう選手の年俸はその10分に1以下なのである。

大谷の2億7000万円より高い』というのはどう考えても不思議である。

まあ、そんな世界なのだから、横からいろいろ言うのももう一つだが、どうも納得がいかないような気がする。

 

★ リンクした記事にはこんなくだりがあった。

 総額を人数で割ったチーム別の平均年俸で今季トップだったのがソフトバンクの6960万円

昨季まで4年連続で1位だった巨人が5787万円で2位。阪神は3949万円で3位だった。

日本一の日本ハムは3278万円で6位、25年ぶりにセ・リーグを制した広島は9位の3111万円。年俸が低い若手選手が多いチーム事情もあって「費用対効果」は上々だった。

ただ来季のこの調査で「異変」が起こりそうだ。その要因は黒田の引退。広島の今季の年俸総額は18億9791万円だが、推定年俸6億円の黒田が約3分の1を占めていた。今季の年俸総額12位は球団初のクライマックスシリーズ出場を果たした14億6401万円のDeNA。広島が「黒田ロス」で早くも「最下位」転落の危機を迎えている。

 

★最近年々プロ野球選手の年俸が高くなり過ぎているのは大リーグの影響かも知れぬが、広島の例でも分かるように黒田の年俸がチームの年俸総額の3分の1を占めるというのは異常としか言いようがない。

厳しいプロの世界で戦っているのは解るが、ゴルフのように高額所得者はいるが、来年それが保証されているわけではない。

一般のサラリ―マンと同じレベルのプロ野球選手がいっぱいいるのだが・・・1億を超える選手が正直多すぎるような気がしてならないのである。

 基本的には、その年、その時点の成績で年俸を1年ごとに決めるゴルフのようなやり方の方が納得できる。例えばその年1軍に登録、試合に出た人の最低年俸を決めて、最も活躍した人の年俸は上げてもいいが翌年限定とし、次の年活躍しなければ大幅ダウンとすればいい。

 来年の年俸は大谷翔平が一番高額であっても、みんな納得するのでは・・・ 鳥谷は来年度は4億円ではなくて『数千万円』まで減額するぐらいにすれば解りやすいと思うのだが・・・

 ゴルフやサッカーなどに比べてプロ野球のトータルシステムそのものを全体で見直して、プロ野球各チームの平均化を図らないといけないのではと思ったりする。

リーグ全体でプロ野球が成り立っているので、売り上げ総額を6球団で分割するようなことにすれば、もう少しましになるのかも知れない。

 

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流行語大賞2016

2016-12-06 05:53:55 | 発想$感想

★ 今年の流行語大賞が『神ってる』に決まったらしい。

まったく暇だからこんなこと調べているだけで、別に『流行語大賞』に関心ががあるわけではないのだが、世の中が『こんなことにどのように反応してるのか?』に関心があるのである。

だから、殆どの文章は、どこからか拾ってきたもので、私が書いたものではない。世の中の人はそう言っているのである。

 

 

 選ばれたベスト10は

  

 私は『聖地巡礼』『ゲス不倫』『PPAP』 は何のことかわからなかったし『マイナス金利』や『盛り土』は流行語というには違和感があると思った。

『神ってる』については、Yahoo の意識調査で80%近い人が納得しないと言っている。

 

  

  

それに寄せられた『コメント』を拾ってみると

 

●「保育園落ちた日本死ね」や「ゲス不倫」などたとえ流行っていたとしても受賞に似つかわしくない言葉が受賞してる上に、本当にごく一部でしか流行ってなかった言葉が大賞受賞とか、エントリー候補を批判しただけで炎上させられたりとか、もうこのイベント自体やならないほうがいいのではないか?

来年からは「審査員が大好きな言葉大賞」とか「流行らせて野球をブームにしたい大賞」でいいんじゃないですかね。
実際、どうでもいいんでしょ?流行ってるか流行ってないかは。
 
審査員は一般人ではない故、感覚がかなりズレている。ましてや審査員の意識が一般人代表と思っているところが、毎回のズレを表している。鳥越が居なくなってもそれは変わってない。もう流行語大賞ではなく、流行語にしたいで賞と変えたら
 
●神ってるという言葉知ってるの広島ファンだけじゃん
 
●「保育園落ちた日本死ね」というのは、山尾志桜里とマスコミによる自作自演じゃないのか?
それより「二重国籍」とか出てこないのはおかしい。
 
●マスコミは喜んで報道するだけではなくて、コメンテイターたちに自由に批判を含めた意見を言わせるように。
「神ってる」なんか使われているシチュエーションに出会ったことがない。
 
●特定の人が選ぶから。本来ならば、ネットとかソーシャルネットワーク等で選定されるべきかと思う。
 
●もう、なんというか…混迷状態だよ。ふざけ過ぎもいいとこ。流行語大賞自体、廃止したほうがよくね?
 
ここ数年、初めて聞く言葉が流行語大賞になっている。。。。街頭インタビューでも「え~、初めて聞いたことばです。」と言ってる方が多い。ユーキャンにお金を払って、どこかの企業が強引に流行らせようとしてるのかな。。。。
 
 
 
 
★ 少なくとも、2016年1年を通して流行った言葉も少ないから、こんなこと『いい加減にやめたほうがいい』ように思う。
 
Wikipedia にはこんなことが書かれていた。
 
 
 
2016年「保育園落ちた日本死ね」

2016年は政治的な言葉のノミネートが少なくなり、国政関係では民進党の山尾志桜里衆院議員が国会で取り上げたブログ記事「保育園落ちた日本死ね」がトップ10に入った。授賞式には、この日記を投稿した人物でもなく、日記を国会で取り上げた山尾が登場し「今は新語・流行語でも、早く『死語』にできるよう頑張りたい」と述べた。

しかし、ノミネート時点で中国出身の評論家である石平がTwitterで「普通の日本人の間では、『日本死ね』のような言葉が流行った気配はないし、流行るはずもないのであろう、わざと流行らせたい人がいる」と断じ、トップ10受賞後も「『中国死ね』『韓国死ね』と叫べば確実にヘイトだと非難されるが、『日本死ね』は大丈夫だ。結局この日本で、日本に対するヘイトだけは、いつでも大手を振って罷り通るのだ」と批判した。

また、5児の父あり、自身も保育園に落とされた経験を持つタレントのつるの剛士も、Twitterで「きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。皆さんは如何ですか?」と呼びかけ、授賞式で山尾が笑みを浮かべていたことについても「こんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました」と吐露した。このツイートには7万以上の「いいね」「リツイート」が付くなど大きな反響を呼び、これをきっかけとしてネット上で受賞の是非について論争となった。

怒りの矛先は賞を主催しているユーキャンや選考委員にも向けられ、ユーキャンのTwitterアカウントには「お前ら、コトの重大さわかってるのか?」「日本死ねとか選んだことを謝罪すべき」「社会に及ぼす影響を考えたんですか?」「命を愚弄する言葉。正気なんですか?きちんと答えて下さい」「日本人の心を深く傷つけたのわからないのか?」といった批判コメントが相次いだ。さらに、ユーキャンのWikipediaのページが何者かによって「株式会社ユーキャン死ね」と書き換えられ、ページが半保護状態になるまで編集合戦が繰り返されるなどネットの各地で炎上した。

 

確かに・・・・これは選ぶべきではなかっただろう。

 

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高齢者の自動車事故

2016-12-04 13:49:37 | 発想$感想

★ 高齢者の自動車事故について『そこまで言って委員会』で激論だった。

 

    

 

      https://www.youtube.com/watch?v=75VZVnYvOBs

確かに、最近高齢者の事故が多いが、78歳で今も車を運転している『木村太郎』が高齢者と24歳以下の若い人たちの『事故率』は若い人のほうが多いと持論を展開していた。

よく解らぬが、ひょっとしたらそうかも知れぬ、自動車保険の保険料は若い人の方が高いはずである。

木村太郎さんは、『何歳になっても車に乗る』と言っていたが私も聞かれたら、木村太郎と同じように答えると思う。

いまの運転免許を持ってる人の数は、圧倒的に高齢者のほうが高くて、最近の若い人たちは免許を持っていない人も多いようである。ゴルフ人口も同じような傾向で、今の高齢者は『車とゴルフ』が華だった昭和の時代に生きてきたので、車に対する想いも特別なのだろう。

 

 田嶋陽子さんも東京にいる時はタクシーだが、地方に戻ると自分で車を運転する。地方の交通事情では車なしには生活できないなどと言っていた。

 

 

ちょっと調べてみたらこんな記事に出会った。

木村太郎さんが言うように確かに事故数は増えているのだろうが、事故率は若い人のほうが高いようである。

 

高齢者が交通事故を引き起こす確率 実際には決して高くない

高齢者の運転による事故が頻繁にニュースになる。世の中には「高齢者の運転は危険」という刷り込みもなされつつある。しかし、この“常識”が必ずしも正しくないことが明らかになってきた。
平成24年の65歳以上のドライバーの交通事故件数は、10万2997件。10年前の平成14年は8万3058件だから、比較すれば約1.2倍に増えている。これだけを見れば確かに「高齢者の事故は増えている」と思ってしまうだろう。しかし、65歳以上の免許保有者は平成14年に826万人だったのが、平成24年には1421万人と約1.7倍となっている。高齢者ドライバーの増加率ほど事故の件数は増えていないのだ。
また、免許保有者のうち65歳以上の高齢者が占める割合は17%。しかし、全体の事故件数に占める高齢者ドライバーの割合は16%で、20代の21%(保有者割合は14%)、30代の19%(同20%)に比べても低いことがわかる。

年齢層ごとの事故発生率でも比較してみよう。
平成24年の統計によれば、16~24歳の事故率は1.54%であるのに対し、65歳以上は0.72%。若者より高齢者のほうが事故を起こす割合ははるかに低い。この数値は30代、40代、50代と比較して突出しても高くない。
また、事故の“種類”も重要だ。年齢別免許保有者10万人当たりの死亡事故件数を見ると、16~24歳が最も高く(8.52人)、65歳以上はそれより低い件数(6.31人)となっている。

高速道路の逆走など、一部の“トンデモ事故”がメディアなどでクローズアップされるだけで、実際には高齢者が事故を引き起こす確率は決して高いわけではないのだ。脳神経疾患や認知症が専門である鳥取大学医学部の浦上克哉教授は、高齢者の運転についてこう語る。
「一口に“高齢者”といっても、視力や注意力など、運転に必要な能力には個人差が大きい。運転のように、長年の経験によって覚えている記憶を“手続き的記憶”と呼びますが、一般的にこういった古い記憶は年を取ってもある程度保たれます。もちろん高齢者は自分の現在の能力が若い頃と違うと知る必要があるが、“高齢者の運転=危険”と杓子定規に決めつけることはできません」

 

グラフで見る限り絶対数はこのようになっているが、高齢者が増え若者の免許保持者が減少しているので絶対数ではこんなグラフになるのだろう。

 

    

★ 確かに、自動車保険の年齢条件を見る限り、高齢者よりは若い人のほうが危ないのだろう

だが、高齢者はどんどん増える世の中なのである。

事故率が低いからと言って、交通事故死者がどんどん増えては困るのである。

安全運転対策』の『死者数削減』については『二輪車での事故死』が多かったこともあって、長年国の中央とも協働して二輪業界でも『安全運転対策』を展開してきたのである。

その結果、交通事故死はピークで16000人にも達していたのだが、現在は5000人を割る水準に達しているのである。

 

  

 

  高齢者の交通事故は、放置すると間違いなく増加するので、より具体的な効率のある対策が必要だと思うのである。

私自身は、つい先日も書いたが、『アタマと身体鍛えよう』と思っている。

 

  

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