ライズ外伝

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足立区一周サイクリングⅣ

2021-05-12 | 道中
つづき(古隅田川編)

堀切橋を渡ると葛飾区堀切

前回取り残した小菅エリアに行く

出発して6時間半






堀切橋から小菅ジャンクション下へ

前回は水戸橋から堀切橋を渡ってしまった

東京留置所は足立区だと勘違い(葛飾区でした)

ここから一旦荒川沿いを北上するのが正規ルート






『東京留置所正門前』

留置所が建つ前は『小菅御殿』と呼ばれていた伊奈家の屋敷

伊奈家は利根川を銚子の方に掘った一族

それまでの利根川は江戸湾に流れていたので

江東区江戸川区は海の中

中川が古利根川と呼ばれるのはその名残

江戸川もその頃できた

家康が江戸に来るまでは足立区、葛飾区、墨田区も湿地帯や島状態

人が住めるような土地ではなかったと言われたゆえん







小菅万緑公園から古隅田川沿いを走る

荒川は江戸時代以降に人工に掘られた河なので

今と昔では地形が違う

足立区と葛飾区の境界線は昔は古隅田川

古くは武蔵と下総の境界線だった時代もある






綾瀬川を渡る

綾瀬が足立区で小菅は葛飾区


ここより北側の方に新選組が流山に入る前に寄ったとされる

『五兵衛新田』の屋敷がある

新選組をかくまってもおとがめはなしだったのか

どういった関係だったのだろうか




首都高下を南下し水戸橋方面へ

首都高は小菅JCで2つに分かれている

古隅田川は暗渠になり一部見失う

旧日光街道の手前の道を左折する






このエリアは古隅田川沿いに進むのかと思いきや

綾瀬駅まで道なりに進む

昔は綾瀬駅の裏まで川が流れるルートでした


今の綾瀬駅は元は西側にあって移動した経緯

千代田線開通し、北綾瀬駅が出来た時に移動したもよう

0番ホームがある


北千住駅と綾瀬駅は足立区




北口のコッペパン屋さんが気になり寄る

お土産として持ち帰ったら旨し

パサパサでないもっちり系のコッペパン、写真は無し


南口の駐輪場沿いが境界線

南下する

ここも探すのは難しい





この辺は川が暗渠されている

道が直線でないのは川の名残

川が蛇行しているのは、川の流れを緩やかにするためらしい






ここから中川まで、川を埋めた道を進む

アスファルトが出来てから埋めたと思うけど

元々あった水は何処に行ったのか?







所々川だった名残がいい

河だったところは地盤は低い

水は高い所から低い所に流れるのが基本






再び常磐線をくぐる

直線ならたいした距離ではないのだが

曲線で進むのがここの境界線の特徴

左が足立区で右が葛飾区、いいね♪





何だかんだ、旧水戸街道と似たような方向に進む

このルートは古くから主要だったのか?

鉄道も旧街道沿いに整備されている





私見だけど、道が整備される前は馬より船が主流だったと思う

関東で馬車が発達しなかったのは、湿地帯でぬかるみが多かったから

関東は水運文化ではないかと推測する


関所は『道』にはあるが『川』にはあったのだろうか?

渡し船は自由に移動できたかのか謎

車じゃないけど船を持てるのは限られた人







道沿いにある四角い石は『橋』の名残

ここに橋がありましたという

船が通れるほど深かったのか?

葛飾区が武蔵国になってから橋が出来たと思う

江戸時代には水戸街道が主になり

古隅田川は衰退したのかも






狭い路地が続く

これが『古隅田川』

軍用金伝説もある



また常磐線をくぐる






大型ショッピングモールまで来た

ほぼゴール、元は紙工場跡地

日立製作工場の方には引き込み線があった





マンションの間が境界線

中川に向かう

中川は足立区で、亀有は葛飾区






ゴール

惜しい、60k弱

5時45分頃到着






200mほど移動

だいたい60k、7時間45分、約8時間弱

自宅から計算すると10時間、80kコース

前回とは1時間半くらい差が出た


こっから更に家まで1時間

さすがに疲れた

事故が無かったのでなにより

いい走りでした



足立区完

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