ライズ外伝

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ポタリングしてます。

日光御成道ポタリング(参

2019-01-10 | 道中
つづき




気になる道の呼称

古いから、旧日光御成道なのかもしれないが

新しい道に対して旧道


将軍がいなくなった現在は御成道とは呼べないのか?

岩槻街道の本郷通り

でもここから先は中山道と合流


全ての道が日本橋に通じるとなると

ほとんどの道を日本橋街道と呼ぶのだが

行き先が基準となると中山(なかせん)ってどこ?と






東大と言ったら赤門が有名

もともとは加賀の前田家屋敷


そして「弥生時代」の弥生とは

この東大の敷地の弥生町で発見された遺跡から命名されている







緩やかに下りまた登る

この辺は、本郷と呼ばれるだけあり重要な拠点

鎌倉街道はここから鳥越と落合に走っていたとのこと

川越街道(春日通り)はここから





日本橋の標識が見える

英語表記はNihonbashi

JapanBridgeではない



なにやら通行止め?に

自転車を押して通過する





「神田明神」

初詣客で人が凄い

神田明神は江戸城の鬼門の位置に移動した神社

平将門を祭っている


坂を下る

ここからは平地、後2キロ





鉄橋をくぐり外堀へ

昔は萬世橋はなく昌平橋の隣に「筋違橋門」がありました

本ルートはそこから





ビフォーアフター

須田町は昔と少し違います

日本橋へはここから一直線


ここよりお茶の水の方面の神田山を削って

日比谷の入り江を埋めたとのこと





下町とは本来「城下町」のことを呼び

この神田周辺や日本橋界隈を「下町育ちの江戸っ子」という

江戸っ子は親子三代にわたり江戸に住んでいる人のこと

江戸の範囲の定義も難しいらしい

(英語のダウンタウンは直訳だと下町だけど繁華街をさす)



本町通りを過ぎると


『日本橋』

ゴール・・・・なんだけど

将軍は江戸城に行くことに気づく


さっきの本町通りに戻る



常盤橋から大手門に行き江戸城に入るのが本ルート

この辺の道も少し変わった








昔の常盤橋は修理中

地図のようにクランクして進む







大手町は箱根駅伝大会終了後


この手前まで日比谷の入り江が来ていた模様


古代東海道はココを通り下総の市川国府へ





『将門首塚』

元々の神田明神はここにあり今の所に移転

ここは平安時代の陸地の証明





そして内堀に

大手門でゴール

江戸城の正門

でもここは大名の出入り口であって

将軍は半蔵門の方だったとも言われる?






殿様は天守閣に住んでいると思われがちだが

中奥に住んでいる(大奥の手前)

天守は火事で燃えてなくなって再建しなかった経緯


江戸城は1457年に太田道灌によって造られ

北条氏の配下に置かれる

1590年に小田原北条が落とされ

豊臣秀吉の命礼で徳川家康が江戸城に入る


江戸の町の整備にともない

鎌倉時代の道も、平安時代の道も変更された

江戸は家康が入ってから栄えた街のようだけど

江戸時代以前からある神社仏閣をみると

それなりに栄えていたような気がする


今回はちょっとやり残しがあるようなので

もう一度チャレンジしてみたいと思います

敬具


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