もちろん長期に渡って活動を続けていたからではあるが、このバンドほどメンバーの出入りが激しいバンドも無いのではないかと。
1980年8月ドラムのコージー・パウエルが脱退し新ドラマーとしてボブ・ロンディネリが加入し、コペンハーゲンでニュー・アルバムの録音を開始した時期がレインボーの第六期にあたる編成だった。しかし、ボーカルのグラハム・ボネットが親しかったコージーの脱退でやる気をなくし、新しいボーカリスト、ジョー・リン・ターナーをリクルートし2人体制のボーカルの構想を持ち出すとグラハムはさらにやる気をなくしてバンドから脱退。
そして11月からジョーを正式ボーカリストに起用しグラハム抜きで録音を開始したのがこのバンドの第七期の編成にあたる。そして翌年にようやく完成したアルバムがDifficult To Cure。
(誰しも手術前にこの医者団の姿をみれば恐怖を覚えるのは間違いなし!)
ラス・バラードのポップなハード・ロック、I Surrenderをシングル・カットし大ヒットさせ、アルバムもゴールド・ディスクを獲得し成功を収めた。 その秘訣は今までよりシンプルな曲作りでポップ路線に舵を切ったからである。
(恐怖を高める小道具の数々)
これによって今までのファンはなんじゃこりゃ〜!となったが、同時に特にアメリカのマーケット新しいファンがその親しみやすいサウンドに飛びついた。
スタジオ盤はラジオ・フレンドリーにポップに仕上げ、リッチーのハードなギター・プレーを所望のお方は是非ライブにお越しやす!って2面作戦をとったわけである。
残念ながら、このメンバーでの編成も長く続かず、1981年の秋にはまたまたメンバーが入れ替わることに。
本当にメンバーを固定できない症状はDifficult To Cureで、これじゃリッチーもI Surrenderとお手上げ。