世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

XJAPAN WORLD TOUR in TOKYO ~攻撃続行中~ 無敵な夜 チケット ゲトー!

2009年04月29日 22時54分29秒 | Weblog
先日、このブログに記載した通り、今週末、X JAPAN のライブに参戦する。
(XJAPAN WORLD TOUR in TOKYO ~攻撃続行中~ 無敵な夜)
仕事帰りに東京ドームにてX。
なかなか乙ではないか。

表参道を徘徊したあと、マイミクみな殿からチケットを受け取った。

みな殿は、昨年7月にマイミクNOBLE殿経由で知り合うことができた素敵女子である。
10ヶ月ぶりに会うので緊張したが、気さくに話してくださったので、リラックスできた。

豚っ鼻鳴らす程に爆笑するぐらい。
リラックス、リラックス。

先日、みな殿は占いに行ったそうなのだが、その話がヤバいぐらい面白かった。
みな殿が占い師の口調を再現してくれたんだが、腹が捩れるぐらい笑った。

一通り、みな殿と話をし、みな夫殿の運転する車で帰宅。

↑車内にて撮影。

夫さんは、唐沢寿明似のイケメンで、しかも優しそうだった。
みな殿との夫婦の会話も自然体で「良い夫婦だな」って思った。

車の中で「Blue Blood」を流してくれたお気遣いも嬉しかった。

あー!
いよいよ、あと3日でライブである。
緊張と楽しみで興奮気味。
ドキドキする。
株主総会前夜よりも…。
今夜はチケットを抱いて眠りたい気分だ。


気合入れていけ~!!!!!


みな殿&夫さん、ありがとうございました★
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表参道へ、クマに会いに

2009年04月29日 22時46分11秒 | Weblog
新緑に包まれた表参道を歩く。
気持ちが良い。

イラストレーター渡辺宏さんの絵が好きである。
ほんわかとしたパステル調の色彩に惹かれる。

以前、歯医者さんの待合室に彼の作品(クマ)が飾ってあるのを見て、一気にときめいてしまった。
今日は渡辺さんのイベントが表参道ヒルズであるというので向かった。

表参道はスゴい人混みであった。
歩くのもままならない。
緩やかな坂道の上からは、人々の頭がぎっしりと見えた。

表参道ヒルズ到着。


渡辺さんのイベントに参入。


原画はちょっとお高め価格。
版画はそれよりだいぶ安くなるらしい。
死ぬまでに、彼の作品(クマ)を一作品は欲しい。

絵は買えないので、せめて家に飾るポストカードとタオルを購入。

ヒルズ内を散策。




1階だと思って歩いると、気づかぬうちに2階に来ているというアンビリーバボーな現象が、この空間では発生する。
なだらかなスロープのせいである。
横だけでなく、縦を意識した空間設計が面白いといつも関心する。

もうすぐ母の日なので、ヲサレな和物雑貨店でプレゼントを購入。
その後、みな殿に会うので、お土産も。

帰りは裏原宿~竹下通りを通過し、原宿駅へ向かった。
ポップな彩りの店先、若い熱気にタジタジしながら。

週の半ばの休み。
とても充実したものになった。
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2003年

2009年04月29日 03時59分40秒 | Weblog
世界中で豚インフルエンザが広まっているらしい。

この騒ぎで思い出すのは2003年。
SARSが流行したとき。
私は25歳だった。

あのとき、吉熊は我が家にやってきたんである。
もう6年になるのね、吉熊。

2003年は私にとって思い出深き年だった。

・年始、深夜に隣のアパートが火事になった。
ボーボー燃えていた。
「やべっ」と思い、宝石とパソコンを担いで逃げた。消防士さんが我が家に入り込み、火事の写真を撮影していたっけ。

・振られた。


・主任になった。振られた憤りを昇華させ、試験前2週間は毎日小論文の練習をしていた。もぎ取った栄光への架け橋。


・冒頭に記したように、吉熊、家にやってきた。
はじめは全裸でテレビの横に放置していたんだが、いつしか可愛がり始めた。
母親が洋服を編んでくれ、着せたところ「僕、吉熊」とぬかしやがったぜ、あいつ。
今や「吉熊」で検索すると上位に入るこのブログ。
こんなになるとは吉熊本人も思ってないに違いない。


・実家近くにFKDインターパークができた。何でも揃う郊外型ショッピングモールに感動。


・夏休みは毎日雨だった。旅行に行かない代わりに、クロスのダイヤモンドネックレスを購入。前から欲しかったのでコーフンした。


・母方の祖母他界。非常に厳しい人だった。でも真っ直ぐで真面目な人だった。
亡くなる前は痴呆がだいぶ進み、見舞いに来た私に「足尾から来たんかい?」と言っていた(祖母は足尾出身)。
でも娘である母のことは覚えていて「ヨーコちゃん」と呼んでいた。


・初めて後輩ができた。半年で辞めていったけれども。


まだブログを書いていなかった2003年だが、思い出すままにこんなに書き連ねることができる。

きっと誰にでもそんな一年があるんだと思う。
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ありがとう

2009年04月29日 03時59分27秒 | Weblog
朝晩冷える。
春であるはずなのに、冴え冴えとした空気が秋を感じさせる一日だった。

午前中は、全店に配布する書類を手配し、午後は支払いの締めや決裁済み稟議書の処理をした。

午後から、●●●ィ~(部長)が出張。
彼が出掛けたあと、某書類がリリースされた。
重要度数的には、
「重要ったら重要なんだけど…だけど微妙」
レベルだったのだが、念には念を入れることにした。
内容を要約し、彼の携帯電話のメールに送信した。

すぐに
「ありがとうございました」
という返事が来た。

そういうのって、嬉しい。

中には「やってもらってあたりまえ」みたいな態度を取る偉い人が多い中、●●●ィ~のように感謝の言葉を伝えることができるのってミナクルだと思う。

次回からもちゃんと頑張るよって思う。
そもそも、ありがとうって響きが良いではないか。

上司に感謝の心を述べるとき、つい「すいません」と口にしてしまう私だが、次回からは「ありがとうございます」が言えるようになろう。

勿論後輩たちにも。
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14才の母

2009年04月29日 03時00分00秒 | Weblog
ネットの動画で「14才の母」を観た。
今更という感があるが。

あらすじはタイトルのとおり、14歳の女子中学生が妊娠をし、出産に至るまでの経過を描いたものである。

娘の母親役の田中美佐子の抑えた演技が良かった。

というか、これ。
妊娠した当事者の話というより、田中美佐子が主人公というきらいがあるんだが。
気のせいだろうか。
「14才の母の母」が正しいのではないだろうか。

また主人公が薬局で妊娠検査薬を万引きするシーンに引いた。
窃盗ではないか。

14歳の妊娠については特に何も思わなかった。
しつこいようだが、妊娠検査薬の窃盗の件が頭をちらついて、その後の話に集中できなかったんである。

また根本的に話自体にリアリティがなさすぎだった。
私の拙い思考では付いていけなかった。
恐らく「24才の母」でも「34才の母」でも「44才の母」でも付いていけない。

私は「母」というとうちの母親しかイメージができないから。
(いわんや、自分が母親になるだなんて)

よく分からなかったけれど、主題歌がミスチルだったのと田中美佐子の演技が気になって全部観てしまった。

このドラマについての感想を読んでみたら、
「14歳で妊娠なんて無責任だ!」
という意見が目につく。
「性行為をするということは妊娠する可能性を持っている。すなわち妊娠する覚悟がない者は性行為をするべからず!」
という意見も。

…だったらしなくて良くね?
と思ってしまう私である。
めんどくせ。


話を変えて、世界の低年齢出産の記録は…なんと5歳だそうだ。

以下、ウイキペディアより。

リナ・メディナ(Lina Medina、1933年9月27日 - )はペルーのポーランジェ出身で、5歳7か月21日という医学史上最年少で子供を出産した女性。
リナは、5歳の時に腹が大きくなったために両親に病院に連れてこられた。当初は腫瘍を疑われたが、診断の結果妊娠7か月であることが判明した。医師のヘラルド・ロザーダが彼女をペルーの首都リマに連れて行き、他の専門家によってリナが妊娠していることが確かめられた。1か月半後、1939年5月14日、彼女は帝王切開で男児を出産した。骨盤が小さすぎて通常の分娩が不可能だったためである。手術は麻酔下でロザーダ、ブサイユ、コルレッタ医師によって行われた。その様子はフランスの医学会の会員であったエドムンド・エスコメル医師による報告(手紙)の形でフランスのLa Presse Medicaleという学会誌に掲載された。その手紙には、リナが8か月で初経を迎えたこと、4歳で乳房が成長し始めたこと、妊娠後骨盤が広がるなど骨格的な成長が見られたことなどが併せて記載されている。

彼女の息子は2.7kgで、主治医にちなんでヘラルドと名付けられた。ヘラルドはずっとリナが自分の姉であると思っていたが、10歳の時に実は母親であることを知らされた。彼は健康に成長したが、1979年に40歳で骨髄の病気で亡くなった。この早逝が、彼が生まれたときの母親の年齢に起因する物であるかどうかについては不明。

リナ・メディナの妊娠が通常でない方法で行われたという証拠はない。ただし、世界初の体外受精による妊娠・出産は1978年であり、この時代にその技術があったとも考えにくい。しかし、リナ自身は、(最も重要な)子供の父親は何者なのか、そしてどのようにして妊娠したかも明かすことはなかった。2002年にロイターが彼女にインタビューを申し込んだものの、拒否されている。

リナの妊娠が明らかになった直後にリナの父親が疑われて逮捕されたが、証拠不十分で釈放されている。この逮捕に関して、リナの父親が近親姦を犯したのではないかと当局に通報したのはロザーダ医師であったとも言われている。リナは後にラウル・フラードと結婚し、1972年に33年ぶりに2人目の男の子を出産している。彼らはリマ市内のリトル・シカゴと呼ばれる貧しい地域に住んでいる。


この件はデマであると言われることもあるが、これまで何年もの間に多くの医師が胎児のX線写真などを根拠に事実であることを確認している。5歳以下での極端な性的早熟というのも、非常にまれではあるが全く例がないわけではない。だが、このような幼い少女による妊娠・出産は現在でも非常にまれである。


どういう経緯で妊娠したんだろうか。

14歳の妊娠には興味がないが、5歳の妊娠は気になる。
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