世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

法要と桜

2009年04月05日 21時47分46秒 | Weblog
妹が朝の電車で帰省。
昨晩は横浜でミスチルのライブに行っていたらしい。


朝、喪服と真珠のネックレスで完全武装。

祖母の法事のため、隣町の石橋のお寺に行く。
何人かの親戚は既に到着していた。

20代の頃までは、こういう会に出席すると必ず、
「イイ人いないのか?」
と尋問されたんだが、30歳を過ぎたあたりから、誰も何も言ってこなくなった。
元々親戚では影の薄い存在だったのだが、ここへきて、一層目立たなくなったと思う。
歳を重ねるのも満更悪いことばかりではないと、こういうときによく思う。
老いた娘を演じるのは苦ではない。

春の柔らかな光が本堂に注いでいて、なんとも清らかな時間が流れた。

お坊さんの読経のあとは講話。

「今はとても幸せな時代です」
みたいなことを話していた。
お坊さんは話が大変上手く、北朝鮮のミサイルなどの時事ネタを然り気無く講話に取り入れていた。

お墓参りのあと、割烹料理店、鈴香和にて食事を堪能した。
この親戚一族は、宴会になると一人一言づつ語るのが定番となっている。
今日は祖母の一周忌ということなので、みなひたすら祖母に因んだエピソードをスピーチしていた。


マイミクである従兄弟のダッポコさんの話が面白かった。

昔、我が家で火遊びをしていたダッポコ少年。
怒った祖母に叩かれたらしい。
生前、祖母は春の日和のように穏やかな人であったのに。
13人いる孫の中で、祖母に叩かれたのは、恐らく自分だけだろうという感想でスピーチをクロージングした。

そんなダッポコさんも10月には父親になる。
不思議な気分だ。
妻のTAREZOさん(マイミク)は数少ない吉熊のファン。
良かったね、吉熊。
ステキなご夫婦である。

「次は〇○家の長女、いってみよう」
という父の前振りに、前へ進む私。

私は、中学時代に生徒手帳を紛失したときの話をした。
雨の中、祖母は一緒に近所を探してくれたんである。
煙る雨の中に浮かぶ、祖母の丸まった腰を思い出す。


妹は、祖母の話をしながら泣いていた。
親戚一同、涙。
こういう上手い演出を私は昔から妹に持っていかれていた。

そんなこんなでお開き。
次回は祖母の三回忌と祖父の二十七回忌だってお。

帰宅し、少し休んでから妹と散歩に出掛けた。
我々が卒業した雀宮中学校。

桜が満開だった。
桜の花と誰もいない夕日の射すグランドという絶好のシチュエーションに、センチメンタルな気持ちになる我々姉妹。
中学時代、好きな人の時間割を把握し、「この休み時間はあの廊下で待ち伏せていれば姿を目撃できる」と騒いでいた自分。
若かった。
そう、あの頃の方が恋愛していた。
純粋だったからかもしれない。
今なんて、なんか、こう…オッサンだし…。

ここへ来ると当時の私と会える気がする。


















あと何回、桜を見ることができるか分からないけれども、その年ごとに咲く桜を愛でる気持ちの余裕は持っていたいと思う。

お袋の味ともいうべき、カツオだしのうどんを食べ、19時過ぎに雀宮駅を出発。


明日からも仕事。
怒涛の一週間を乗り越えよう。

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