今回の「東日本大震災」では、数多くの人が被災されました。
大規模な天災や、大震災、大災害などにおいては、ほんの“わずかの差”が、
「その人の人生を完全に変えてしまう」ということを、強く感じます。
また、生死を分かつことになる“境界線”というものは、様々な要因がありますが、
私自身は「情報」というものについて、身近に、より深く、考えさせられました。
天災や災害が、どのくらいの規模で、どのような状態なのか・・・ その全体像を
できるだけ早く把握して、その後の対応を決定し、どんな救難活動をしていくのか・・・
これは、重要なキーポイントになると思われます。
今は、通信衛星での防災行政無線が、全国のほとんどの市町村に設置されていて、
情報が伝わるようになっていたはずなのに、大震災の揺れがあまりにも大きく、
激しかったために、肝心の情報システムが作動しなかったのではないかと思われ、
そして、その上に大津波による壊滅状態は停電を引き起こしたでしょうし・・・
おそらく、非常の電源装置も役にはたたなかったでしょう。
世界最大の大震災&大津波のもとでは、人間が自信を持って作り上げたシステムは、
意味をなさなかったのかもしれません。
道が分断されているなど・・・あらゆる状況を掌握して、対策をたてるまでにも、
ある程度の時間を要したのは、このような情報のやり取りが基本となりますが、
なかなか順調にいかなかった部分が、多々あったようです。
そのため、被災者のもとへ物資が届くのにも、何日も時間がかかりました。
道もなく、車もなく、ガソリンもなく、・・・・本当に苦慮する日々でした。
被災だけではなく、原発の問題なども絡み、事態は混迷を極めましたし・・・
あまりにも活動人員が少なく、被災状況が激しかったのも、理由の一つでしょう。
心が痛い毎日でした。
あらゆる重要な情報を伝えることは、非常時にこそ活かされるべきものなのに・・・。
今回は、様々な事情で、非常に残念な結果となってしまった印象があります。
今更、過ぎ去ったことを後悔しても辛いだけですが、いつか検証できる時期が来たら、
この経験を必ず無駄にすることなく活かしてほしいものです。
私としては・・・
地震もさることながら、大津波の到来に関しては、「避難勧告」が出された時に、
各家庭には、どのようにして伝えられていたのか、非常に気になるところです。
結局、またたく間に襲ってきた大津波にのまれ、行方不明になられた多くの人々が
逃げ遅れたことによって、自宅に取り残されたり、津波に連れ去られたりしました。
私も、そうだなぁと思うのは、「自分のところは大丈夫だろう」と、自分勝手に
楽観的に 思い込みがちな時があります。
この各々の「危機意識」が、今回の対応にも影響を与えたのかもしれませんが・・・
基本的に、誰もが想像しなかった未曾有の事態だったのが、どうしようもない現実で、
これに関しては・・・ただ、無念に思う気持ちが後を絶ちません。
日本は、地震の多い国であり、それを皆が知っていながらも・・・今回のように、
その「危機意識」を(咄嗟に)「適切な行動に移すこと」は、難しいのだと感じます。
私自身も、あまりにもびっくりして、腰を抜かしたように虚脱状態が続きましたし、
大きい揺れに耐え続けた“恐怖心”は、思い出すだけで身ぶるいするぐらいです。
自然の災いのもとでは、人間は無力な存在になってしまうこともあります。
しかし、だからこそ、もっと国民全員の危機意識の向上が必要なのかもしれません。
地震大国ーニッポンだからこそ、場所にかかわらず、全員が持つべき“危機管理”。
そして、その意識を共有して、切迫した状態を想像しながら、災害の緊急時に備えて、
対応していくことが、生死を分ける境界線になる可能性があるのではないかと思います。
また、避難行動につながる防災対策として、その具体的な「情報」が、地域の全住民に
厳しい心構えとして 伝わっていないことが、大きな問題ではないかとも感じます。
「情報」は、それを必要とする人に 完全に伝わらなければ、「情報」とはなりません。
現在も、多様な呼びかけが HPを通して 全国各地から被災地の人々に向けられていても、
インターネットなどが使えない避難所では、「情報」として成立していません。
我が故郷:徳島県でも、公団住宅250戸と、30万円の準備金と、雇用提供などを
用意している(交通費込)ようですが、移住した被災者は まだ一家族だそうです。
このような受け入れ体制を呼びかけている県や、市町村はいくつかあるようですし、
被災者支援団体や受入れボランティア団体などの活動も具体的になってきています。
しかし、まだ情報が伝わっていないことが現実としてあるのなら、残念なことです。
仮設住宅に全員が入居できるまでには、一年近い時間が必要かもしれませんので、
しばらくの間だけでも、手足を伸ばして休息できる環境で、ゆっくりとお風呂に入って
いただきたいという思いでいっぱいです。(あくまでも、私個人の想いですが・・・)
とにかく、「情報の共有」は、あらゆる場面で、本当に大切なことだと思います。
しかし、福島原発問題の事情説明会見もそうですが・・・
「情報の共有」は大切なことなのに、それがうまくいっているとは思えない現状があります。
なぜなのでしょう。
世界的に、危機的な状態が続いているのに、次々と問題があからさまになってきます。
風評被害も広がり、被災地域以外にも、影響が出てきているようです。
各団体が、いろいろな場所で、微妙に違う説明会見をすれば、混迷を極めるのは当然のことで、
国民だけではなく、世界の人々にも、さらなる不安を与えかねません。
そういう意味においても、「情報の共有」は、日本国民に向けても、国際社会に向けても、
日本が果たさざるべき義務なのだと思います。
原子力発電の先進国としても、今回の事故対応処理は・・・非常にシリアスな状況です。
一日も早い原発問題の終息と、安心できる環境確保を心から願いながら、これからの対応を
見守っていきたいと思っています。