最近・・・
打合せ前の会話は、現在、世の中を不安に陥れている「原発」関連か、
あるいは「東日本大震災」がらみの話題が多い。
そこで、相手からよく聞かれる言葉(表現)は・・・
「結局、人間は、自然を打ち負かすことができなかった、ということだよね」
ということだ。
何気ない言葉だが、私はこれを聴くたびに、哀しくなる。
そもそも、「自然」というものは、人類が競えるものでもないし、また同様に、
「打ち負かすなどという考えそのものが、傲慢である」と思っている私には、
そんな思考回路そのものに、違和感を強く感じてしまうのだ。
自然によって活かされていて、自然によって数多くの恩恵を与えられていながら、
全く“その事実”に対して敬意と感謝を感じていないというのは、横柄だと思う。
最大限に、自然から頂けるものを奪い取っておきながら、人類は容赦なく、
欲を膨らませていき、科学という文明によって、自分たちの都合の良い世界を
どんどんと つくりだしてきた・・・。
これが、現在までに至る軌跡(現実)である。
今、多種多様な“小さな疲弊した害”が現出してきているが、それには目もくれず、
さらに拍車をかけて、「便利で、都合の良い環境」を構築するために、一部の人は
世界的なネットワークをもって、密かに(秘密裏に)計画を進めている・・・。
それを批判しているのではないが、疑問を感じてしまうケースが存在するのは事実だ。
人間は、本来、自然や宇宙に対して「畏怖の念」を抱いてきた。
原始的ではあっても、そのような気持ちは、傲慢になりかけたときに、人類にとって
ストッパーの役目を果たしてくれる重要なものだったとも感じる。
人間の力は、自然の力に比べれば、とても微量であり、はかないものなのだ。
そんな昔から解りきった摂理を乗り越え、変えていこうとか、操作しようとか・・・
そういう意識になること自体、非常に危機的な状況ではないかと、私は思う。
自然の中に生き、自然と共に暮らし、自然のモノを食べ、日々を共存・共栄しようと
努力してきた古来の人々と違って、現在はあまりにも生活環境が変わりすぎた。
もう歯止めはきかないし、後戻りもできないだろう。
しかし、だからこそ「今なのではないか」と感じる自分がいる。
今こそ、いろいろな意味で、人間が地球に生を受けて、無理のない暮らしをしていた
時代の「考え方」を見直して、そこから参考となるべきものを学ぶべきだと思うのだ。
当然、同じような考え方はできないだろうけれど、また同じような生活はできずとも、
私たちが「大いなる自然」を“打ち負かすという意識”にとらわれている限り・・・
シアワセな暮らしぶりを維持していくことはできない印象がしている。
地球の片隅に住まわしてもらっている人類の命もまた、あまりにも短く、はかない。
だからこそ、ひと夏の蝉のように、ひとしきり泣き続けてこそ・・・全うできるものが
あるのではないかとも思う。
私は、一生懸命にがんばっている人には、「がんばりましょう」とは言えない。
しかし、後悔を残さず、物事を過剰にマイナスに考えず、皆で一緒に「前を向いて、
すすむことのお手伝いはできるのではないか」と確信する。
自然を敬い、自然の驚異にさらされてきた日本列島に生きる民族だからこそ、何度も、
立ち上がってくることができた歴史がある。
それは、素晴らしいものだ。
今回の「東日本大震災」に関しても、ただ単に「天災」として自然に矛先を向けず、
“被害をこうむることなく、生きながらえた人々の問題”として捉え、そして、
よく考えて対処していくことではないだろうか・・・と強く感じる。
なぜなら、その背景には、あらゆる複雑化した社会構造が隠れ、それと同時に、
現代の人々の価値観がひそんでいて、被災地の人々の暮らしに影響しているからだ。
だから、「日本全土の問題として捉えなければ、未来はない」ような気がする。
何度も言うが・・・自然が悪いわけではない。
しかし、自然は、時として驚異的な力を見せつけることがある。
太陽、空気、海、風、雨、雷、山、川、湖・・・あらゆる自然の意図は何もない。
自然は、常に無関心に、人類に襲いかかってくるだけだ。
というよりも、その自然現象が、人間側にとって不都合だっただけのことだと思う。
それが、災害という枠の中に、押し込められてきただけのことだ。
従来の地球の循環システムを考慮に入れず、ただ“人間中心”に物事を判断すれば、
都合の悪い自然現象は「災害」ということになる。
私たちは、だからこそ、自然に対して理解のできない何かを感じることがあるのだし、
太古の昔から「畏怖心」や「畏敬の念」を抱き続けてきたのだと思う。
そんな気持ちや姿勢を忘れた時や、時間の経過とともに傲慢な意識にとらわれた際に、
自然は圧倒的な力を見せつけるもののようだ。
自然に対する認識や、人間社会と自然界の関係については、個々の人々が、改めて
考えを深めて、今後の生活に反映させて、より良き人生観をもつための「起点」と
なってほしいと思っている。
私もまた、今・・・、一つ一つの現象と向き合いながら、自分の中で、認識を深めて
いるところである。
いつか、素敵な精神世界に到達できることを願いながら・・・・。