生きるための「選択」

2012年02月01日 | 自分 -

最近、自分が「活かされていない」と感じている。
その理由は、あまり具体的ではない。
まだ、自分の心が 掴み切れていないからだろう。


普通なら満足できる「やりがいある仕事」を任されていても、
実感がなかったり、楽しくやれないような時がある。
そんな状況(状態)を、私はいつも・・・
自分の言葉では “やった感がない”と 言っている。
今日の私は、まさに・・・そうだった!
濃密なミーティングを重ね、新しい出会いをしても、
ときめかない私は、輝きが薄れてきている。


昔の私は、「情報」も「経験」も、まるで むさぼるように、
欲していた時期があったけれど、
今は・・・
一つ一つを選別して、区別して、判別している。


やはり人は、「生きていてこそのものだ」と思う。
生(命)があることに感謝しながら、その一方では、
欲深く「手ごたえ」のようなものを求めているものだ。


「生きる」ためには、「支え」になるものが必要で、
人によっては、それを「生きがい」と喩える場合もあるが・・・
私には、何という言葉が適切だろう。
この概念と感覚を 的確に伝えられるイメージは何だろう。


実際、自分の「価値観」が変わったことには変わりがないが、
その“変わったもの”が、さらなる変化を遂げることもある。

今は、しばらく、時間を費やしたい気分だ。



人が・・・生きるために、常にしている選択というものを、
私もまた「するべき時がきたのかもしれない」とも感じる。

後悔したくない人・・・それが自分だから、
活力のない状態で、放置してしまっては “自分が可哀想だ”。
あまりにも気の毒すぎて、生きている実感も 味わえないかも・・・。



ほんの少しだけ「生きる」ことが明確になってきた気がするのは、
さらに「生きている」ことを意識しはじめたからだ。
それも、特に大事なのは、「自分のために生きる」ことに、
強くアンテナを張りだしたことかもしれない。
それが、昔と今の自分にとって、驚異的な違いだと思う。
決して悪いことではない・・・。
時間の重要さを感じるし、自分を冷静に見つめることもはじめた。

「今しかできないこと」
「今やった方がよいと思えること」
私は、そういうことを 意識的に考えている。

そして、
日々の決めごとに流されず、
他人の言葉にも支配されず、
常に「意識している」ことからスタートして、
いつか「未来の自分を見つけ出したい」・・・・・
・・・・・そんな真摯な気持ちでいっぱいだ。

その先にあるものを、私は「心のセカンドキャリア」と呼びたい。