「首都直下型地震」の対策

2012年02月03日 | 社会 -

今日は「首都直下型地震」防災訓練があったようだ。

家族を心配して「家に帰ろう」とすることは、
二次的な災害をもたらすことになる可能性があり、
良し悪しのケースもあるみたいだ。
(混雑や渋滞が起こった時には)救急車や消防車の
通行を妨げることになる。
想定される首都火災の拡大を止めるためにも、道路は
緊急対策車両が通行できるようにしなければいけない。

(3・11は、すごい渋滞を引き起こした!)


とにかく、「近くの避難所に移動する」とか、
「無理に帰らない」ということも一案としてあるようで、
そのためにも“情報を得る”方法と、何らかの対策を
していくことが必要であることが分かった。

食料の備蓄や、滞在先の情報収集など・・・
どこで何があっても、冷静に対応する自分の気持ちもまた
必要なのだと感じる。
今日のように、寒さが厳しい日には、それなりの自己対策も
必須のような気がする。
ちょっとした準備が、安息をもたらすこともある。


3・11の時を振り返ってみても、いろいろな課題が
見えてきていたし、様々なことを体験した人が多かった。
経験したことをシェアしあって、対応と対策について
意見を交換し合うことも大切かもしれない。

私は、隣にいる人と、誠実に対話できる重要性も・・・
同じ国民として、まずは認識しておきたいところだ。
声をかけあうことが、非常事態にみまわれた際には、
自ずと発生してくることだと思う。

怖いからこそ、そのような稀なる自然災害時には、
気持ちをしっかりと持ちたいものだ。
そして、適切な判断と、情報収集には、気をつけて
おきたいと感じた。



人生における「仕事」の役割

2012年02月03日 | 仕事 -

仕事のやり方にも、個性というものが出ます。
昨日も、そのことを、しみじみと体感しました。
交渉のスタイル一つをとっても、細かく確認をしてく人や、
ざっくりとつかんでかじ取りをして部下にゆだねる人、
大言をはいた後に放置する人(忘れてしまう人)など・・・
本当に様々な人と出会ってきました。

才能があって、経験があっても、
独立して「経済的な苦労」をしてしまった後には、
すっかりとスタイルが変わってしまう人がいます。
ねっとりと細かく細かく話を繰り返し、
経済的な結果を強く考えるようになります。
ご自分では気づいていないと思いますが、
そういう過去の経験は、少なからず個人の性質にも
影響を与えているものです。
そして、それが仕事のスタイルに大きな変化をもたらし、
重箱の隅をつつくような「やり方」になってしまい、
時々「たまらんなぁ~」と感じてしまうのでしょう。

慎重な私が、そういう感想を抱くということは、
もっとさらに「すごい」ということです。
きっと大雑把な人と一緒にタッグを組むと、
とんでもない壁をつくってしまうかもしれません。
しかし、トラブルを避けようとして慎重になるのですから、
これは明らかに長所なのですが、それを相手に(強く)
感じさせてしまうのは短所になってしまうのかもしれません。

大企業内でも、そんなことはたくさんあって、
私は(現場の)「愚痴の聞き役」になることがあります。
気楽に感じて頂けるようで、他言しないという印象が
あるのかもしれませんが・・・・
それらの言葉の中に埋もれているモノの中には、
かなり重要なキーワードが隠れていることがあります。
私は、そういう愚痴の一つで、他者のネットワークの
関係性をはかる材料にしているのです。
人間関係というものは、踏み石のような部分があり、
きちんと踏むべき場所を間違えないようにしなければ、
時々面倒なことになります。
そういう意味では、私にとっては良い材料になっています。



起業するということは、人の人生にかかわること―。
自分が経営者として頑張れるかどうか・・・ですから、
扶養家族をかかえている家長の立場の人にとっては、
大きな選択となることでしょう。
だから、経済的な負荷がかかるのは当然と言えば当然です。

起業者向きの人かどうか・・・というのもまた、
なんとなく感じとれるものですが、
そのポテンシャルというのは無限大のように思います。

「起業したら、成功するタイプだよね?」
そう声をかけた27歳の若者がいました。
「えぇ~、ぼくがですか? 全然無理ですよ~」
彼の中には、全くそういう設計がないようでした。
給料が少ないと愚痴をこぼし、さりとて努力して「上を目指し、
向上しよう」という意識は弱く、現状維持に甘んじている・・・。
彼自身がそれでよいのだから、他者がとやかく言う問題では
ありませんが、そういう人々が多い現状は感じています。
仕事のスタイルとして、上司の指示に従うことを重要視した
かつての企業型人間です。 
意図的に大きなものに巻かれようとする人です。
それでいながら、指示されたことが正論だとは思っていなくて、
自律的ではないところがミソです。
本人の感情と、その人のポテンシャルとは別ものであり、
やはり「やる気」がなければ、何事も変わることはありません。

若者に蔓延する「自分自身へのあきらめムード」を感じた時、
それは、同時に「日本という国へのあきらめムード」なのでは
ないだろうか・・・と、私は感じます。


いろいろな経験と情報が、その人の全てに影響を与えて、
人生の可能性にも「チャンレンジ精神」を失わせているのが、
今の日本という社会かもしれません。
だから、経済格差と同じように、仕事面でも、
そうではない人との落差が、どんどんとひらいてきました。



日々の暮らしを支えるための仕事がない・・・。
大企業をあえて希望退職して、第二の人生を考える・・・。
人によって、本当にたくさんのケースがあるようですが、
生活の基盤をつくるために頼りになるのは「自分自身」だけ!
だからこそ、希望はなくさないようにしなければいけないし、
時には我慢して、自分と向き合うことも必要なのでしょう。

私は、いつまで我慢ができるのか・・・そこのあたりを
熟考中です。
それは・・・まさに「人生設計」なのだと思います。

あらゆるものには、「計画」&「設計」が必要です。
私の場合は、自分の人生における価値観の優先順位を考えて、
仕事という項目が、どの位置にくるのかを・・・
今、重点的に考えているというのが正直なところでしょうか。

この危ない日本という国に信頼を抱けなくなった時、
かつて世界に注目された日本経済の指針が揺らぎはじめた時、
特に考えなければならない重要事項となりました。