今日、ホイットニー・ヒューストンの訃報が入った。
くしくもグラミー賞のパーティ直前の出来事だったので、
世界中が驚きの連続だったと思う。
あれだけの歌唱力と存在感をもった人なのに・・・
この10年は、様々な依存症に悩まされ、大変だったようだ。
48歳という若さで、“無念の死ではなかったのか” と
感じられるけれど・・・薬物やアルコールをはじめ、いくつかの
「依存症」から抜けられず、厳しい現実をかかえていたようで、
本人の気持ちとしては「どうにもならない日々」だったのかも・・・。
アメリカの栄華はきらびやかで、手にする報酬もケタが違う。
まさに「アメリカンドリーム」だ。
だからこそ、一度は「ものすごいパワー」や「驚くべき財力」で、
最高峰を極めた人物は、自己コントロールに失敗することもある。
様々な問題をかかえたり、目先の快楽に没落していく様や、
辛さ・悲しみ・落胆に耐えきれず、自分の存在さえも軽んじて、
将来の展望さえもなくしてしまうケースがあるようだ。
著名人だからこそ、人の目も気になるだろうし・・・
第二の人生を構築するとしても、乗り越えるべきモノは、
多々あるのは、容易に想像できる。
パパラッチが横行しているお国柄でもあるし、
自由にならないこともあったと思う。
けれども、自分ではきちんとしているつもりでも・・・
自己評価としての「大丈夫」というのは、あてにならない。
依存症は、一種の精神疾患であり、放置することは致命的である。
現在も、多くの有名人が依存症や精神疾患でリハビリ施設に
入っているのが、アメリカの現実・・・。
どんな人生であろうと、その人の偉業と才能は消えることはない。
しかし、「どのように生きたか」と同じぐらいに注目されることは、
その人が「どのような終焉を迎えたのか」ということだ。
人生史としては、トータルで「その人」自身が感じられるもので、
その一つ一つの流れが貴重な要素となる。
同じ人間として、その部分について、複雑な感情は絶えない。
病気であっても、精神的な問題を抱えた状態は、あらゆる複雑な
状況が からんでいるために、経済的な問題以上に 切ない。
彼女は、精神的な安定からは程遠い状況だったような報道が続き、
波乱に満ちた彼女の人生が、とても衝撃的に思えてくる。
最近は、精神的な不安障害に苦しめられ、安定剤を服用する日々で、
奇行なども指摘されていたようだ。
皆で盛り上がった主演映画ー「ボディガード」が懐かしい。
彼女の絶頂期であり、誰よりも輝いていた頃だ。
しかし、本当に 不謹慎だけれど・・・・
シンガーの「(満足できる)声」が でなくなっていく年代は、
生態学的に 50代すぎからだと(一般的には)言われている。
彼女のすばらしい歌唱力とスター性を (これ以上ゴシップにまみれず)
記憶の中にとどめておくことができるのは、彼女の人生の時間が
止まってしまったからであり、それは まぎれもない事実である。
そういう無茶な納得の仕方もまた、一つの方法論かもしれない・・・。
そう思えるほど、絶頂期の彼女の歌声は素晴らしかった。
この数年のステージでは、思うような声がでてなかったり、
声質が変わったりしていて、映像を観るのも切ない感情がついてくる。
健康的な精神状態を維持でき、ボイストレーニングも欠かさないような
そんなシンガーであったら、まだまだ人を魅了できたはずだ。
だからこそ、この死を惜しむ声が止まらないのだろう。