内村航平選手の笑顔

2012年08月08日 | 人物 -

今日、アポがあり、たどりついた場所が「コナミ」で、
玄関先に、内村選手のオリンピックの笑顔が飾られていた。

それは、まさに本社の入り口で、
まるで、誇らしげに見えた。

内村選手の功績もさることながら、演技の素晴らしさが思い出される。
手の先、足の先まで、気が遣われている「美しいフォルム」。

演技と同じぐらい、あの笑顔には好感を持ってしまうし、
何か「あったかいもの」が感じられて、すごく“幸せ感” が 漂う。

会社のメンバーは、“毎晩のように応援していただろう” と、
そう思ったし、個人総合「金メダル」は誰もが手にできるような
メダルではないので、自分のことのように嬉しかったことだろう。

あの看板は、全ての演技と結果に対するお礼というよりも、
内村選手へのお祝いの看板のように感じた。

清々しい笑顔だった。



それにしても、思い返すと・・・
彼と お母さんとの「絆」の強さには、感動さえ覚える。
応援席で 日の丸を掲げた内村選手のお母さんは、演技が始まると
目をつぶって、ただ祈っていた・・・。
自分の息子の演技を見ることなく、何かにすがるように・・・
とても真摯に、そして、とても必死に、見守っていたお母さん。

素敵な親子だと思った。

「親孝行したい時に、すでに親はなし」という言葉は有名だが、
そういう現実を経験した人が多い中で・・・・
内村選手は、素晴らしい孝行息子だと思う。
親からしてみれば、なんて誇らしい息子だろう。

二人の結びつきは、とても自然で、且つ、美しい。
そして、私には、とても、うらやましい。


睡魔に負けた反省の弁

2012年08月08日 | 雑感 -

昨夜、また、寝てしまいました。

しゅん。

ああ、しんど。

暑いし・・・。

睡魔との闘いの日々

2012年08月07日 | 雑感 -

なでしこの試合が観戦できず、いつの間にか睡魔に
負けてしまっていた私が、試合が終わった途端に
目が覚めたのは、やはり「気になっていたから」・・・。

あと数時間後の試合:男子サッカーも、同様である。


明日の朝、準備時間を短縮するために、資料の整理、
着ていく服の決定、かばんのチェック・・・全てを
終えて、試合を迎える。

先ほど、珈琲も飲んだ。

これから、ゆっくりとお風呂につかって・・・
出てきた時には、試合が開始するという計画だ。
風呂上がり後の「かき氷」も用意した。
万全だぜぇ~~。


リアルタイムで観戦できる試合というのは、本当に
貴重なものだと思う。
たとえ観戦したくても、テレビ放送がなかったりして、
インターネットで (後で) 結果だけを知ることになる。
ワクワク感もなく、結果だけ・・・だ。

たとえ、ロンドンと日本、離れていても、
時間を共有できるのは、オンタイムで鑑賞できるからこそ!

今夜は、寝ないように・・・。
そして、明日は、遅刻しないように・・・。


今日は 「 立秋 」

2012年08月07日 | 出来事 -

暦では、秋。

「立秋」といえば、朝夕が涼しくなり、秋の気配が立つ日。

しかし、実際は、まだ残暑が厳しく、
本当は、・・・1年で最も気温が高くなる時期であります。

ところで、昨晩は、寝苦しくて、何度、夜中に起きたでしょう。
扇風機を回して、反対側に向いて、むりむり横になる夜。

身体が適応していくように、やはりエアコンをつけたり、
水分をたくさん摂取したりしています。
けれど、気力的に「もういいかぁ~」と思ってしまうことも。

睡眠に満足感がえられないのが、本当は一番良くない傾向です。
疲れをためないように、昨年使った「冷やし枕」を使いますかねぇ?!


ロンドンバスがらみの事故

2012年08月05日 | 自分 -

私が、ロンドンに長期滞在していた頃のことだ。

ご存じのように、ロンドンバスは有名で、
市内を 網の目のように バスコースが めぐっている。

ある日、混んだバスに乗っていた時、近くに東洋人の女性が
乗り込んできた。日本語の観光案内本を持っていたので、
すぐに「日本人だ」というのが、わかった。
不安そうに、何かを探している風情だったので、
「日本の方ですか?」と私が声をかけて、一言二言話し込んだ。


その時だった。

バスが、急カ―ヴをきって、その遠心力で、乗り口付近に
ふらふらと 立っていた彼女が、・・・なんと・・・
バスから 振り落ちてしまったのだ。


旧式バスの乗り口には、サンフランシスコのケーブルカーのように、
混んでいる時は、多くの人が 無理に乗り込んで、群っている。
しかし、バスの乗り方に慣れている「ロンドンっ子」は、
それなりに身体の踏ん張る場所を、コースによって、
コントロールしているのだが、観光客には それが分からず、
少しばかり気を抜いたりすると、バス乗車口辺りから落ちそうになる。

特に、旧式のロンドンバスの乗り口は、広くて、オープンなので、
混雑している際には、あのあたりは気をつけるべきだ。
けれども、実のところは、一番心地よい場所だったりもするし、
好奇心を くすぐられる場所だったりもするのだが・・・。



彼女の身体が 路上に落ちたことで、私の胸はドキドキした。
道の上に放り出されて、倒れこんでいる状態だった。

救急車を誰かが呼んだら、幸いにも、とんでもなく早く到着した。
それまでは、乗っていたバスは止まって、彼女の意識を確認したり
状況を聞いたりしていたのだが・・・
一言二言話していた私は、友人か知人と思われたみたいで、
また同時に、彼女は英語での反応が鈍かったので・・・
私が、ずっと 日本語で、彼女に話しかけて、声かけをしていた。

彼女の意識は、しっかりとあったので、とりあえずは安心していた。


結局、私は、救急隊員か警官かに 背中を押されて、そのまま・・・
救急車に同乗して、病院まで付き添っていくことにした。


レントゲンを撮ったが、何の問題もなく、結局・・・彼女は、
すぐに帰され、不幸中の幸いだった。(その後も問題なし)

私は、最後まで付き添った。

彼女が、ビックリしたのは、病院でお金を請求されなかったこと。
私が、一番ビックリしたのは、救急車の到着する速さ。
あっという間に 到着したので・・・。




その偶発的な事故の場所が、今夜のロンドン・オリンピックの
マラソンコースになっていた。
「あれ~、あそこだ・・・」
急に、フラッシュバックした事故のことを、景色が思い出させてくれた。

まぁ~るくサークル的にバスが回るため、時より危険な場所にも
成り得る 「トラファルガー広場」 である。
思い違いかもしれないが、とにかくそっくりだ。
近くには、高級有名ホテルがあり、多くの人が「彼女の事故」を
心配そうに見ていたのを覚えているが・・・。
興奮状態だった私の記憶は、本当に定かではない。



ロンドンは、バスのニ階で景色を観ているのは快適だと思うが、
混んだバスの乗り口は、とにかく、注意すべきだ。
そんなことを思い出しながら、オリンピック・女子マラソンを
観戦していた。

せっかくの美しい景色のロンドン市内のコースなのに、雨で
選手の皆さんも、観戦する私たちも、微妙な背景映像になった。
雨露が目につく映像は、どうしようもないが・・・
あの雨の状態で、曲がりくねった難しいコースを走るのは、
本当に大変だと思う。 足もとも、平坦ではない。
コースも狭い箇所がいくつもあり、路面に窮して 転倒している。


S・ウイリアムズの優勝

2012年08月05日 | 雑感 -

セレナ・ウイリアムズが、オリンピックも優勝!
数ヶ月前、ウインブルドンで優勝したばかり・・・。
同じ芝で、同じコートで、同じように優勝を手にした。

ウインブルドンでは、姉のビーナスと同じ五回の優勝を
したウインブルドンだったが、場所としては、姉よりも
一回多くなった。
セレナには、グランドスラムに、五輪が加わった。

年齢(30歳)に関係ない結果が、また目の前に・・・。

彼女は、病気からの回復などの経緯があるため、
おそらくテニスができることが嬉しくてたまらない・・・
そんな印象をうける。

大好きな「テニスがやれる喜び」と、「生きているという実感」。

アスリートではなくても、共感できる感情だ。


男女サッカー共に善戦!

2012年08月04日 | 出来事 -

ロンドンオリンピック、サッカーが凄く輝いている。
期待もできるし、試合もまた面白い。

日本って、こんなにサッカーが強かったかな、って
言うぐらい、頑張ってくれている。

スポーツも、人材だから、バランスの良い才能に恵まれ、
やはり一つ一つの結果をもたらしているのだろう。
とにかく、観戦していて、熱をおびるのが何よりだ。

男子サッカーも、なでしこに続いて、ベスト4へ。
男子としては、44年ぶりらしく、まさに「歴史」となる。
残った2試合を、悔いのないように、頑張ってほしい。



冷凍庫の貯蔵食品

2012年08月04日 | 食事 -

暑い日々が続き、最近の傾向としては、
アイスクリームや、かき氷系の「冷たいもの」を、
冷凍庫に、常にキープしている。

練乳好きの私は、「白くま」が多い。

昨年は、「パルマ」だったが・・・

今年は、「白くま」。

たくさんキープしていても、
無くなる速度も速い。

それだけ、暑いということなんだ。


寝起きも、昼間も、食後も、大OKだと思うけれど・・・
お風呂あがりの「白くま」は、冷たさとデザート感覚が
一緒になったような状態で、もう、やめられない。


アレルギー性 気管支喘息

2012年08月03日 | 出来事 -

この時期になっても、まだ「咳」をしている人を
頻繁に見かける。 つい、目がいくようになった。

「春ごろから 咳こんでいなかったかなぁ ? 」

時間をかけて聞いてみると、やはり本人はアレルギーを
持っていて、「咳は、良くなったり、悪くなったりで、
相変わらず “咳止め” の薬を飲んでいる」とのこと。

少し前の私が経験したことを 話してあげると・・・
「実は、皆から、そろそろヤバイと言われている!」
そう語って、少しばかりインターネットで 情報を
集めたと話していた。不安そうでもあった。

アレルギーが原因で、咳が出て、気管支炎になり、
挙句の果てには、喘息になってしまうなんて!
びっくりしてしまうよねぇ。 当然だと思う。
私も、そうだったから・・・。

でも、それ以上に仕事中に、咳を我慢するのは
とても辛いし、夜中の咳こみは本当に嫌になる。



呼吸器科は、内科とそうかわらず・・・
大学病院でも、呼吸器科があっても、専門医がいなくて、
ほとんど内科の延長線上だったり、適切な判断ができない
医師ばかりの病院もある。
また、呼吸器専門の高額な機器がないと、気管支の状態が
的確に診断できないこともあり、やはり高くても正確な
自分の病状・喉の状態を知るべきだと思うので、極力・・・
専門医と専門機器がある病院を探すべきだと思う。
薬を飲んでいても、咳は止まらず、それが数ヶ月続いたら、
アレルギー性の咳喘息や、アレルギー性の気管支喘息を
疑うべきかもしれない。

大嫌いな薬も、少し我慢して飲めば、咳は必ず止まる。

確実に止まるので、アレルギー咳の薬を飲むべきだと思う。


病院関係は、セカンドオピニオン、サードオピニオンが、
フツーになってきた昨今だからこそ・・・
気楽というと語弊があるが、不安があったら、病院(医師)は
変えるべきだと思う。


私も、完璧に治すことを目的として、まだ今でも、吸入と
薬を一錠だけ服用している。

症状によって違うけれど、とてもひどかった私の場合は、
だいたい二ヶ月ぐらいの治療で、完璧に咳は止まった。
私は、それから二ヶ月ぐらいになるが、咳が止まってからも、
まだ吸入と服薬を続けている。


驚愕の「クライアントの要望」

2012年08月03日 | 仕事 -

いつも、いつも、やってくる。

まただ・・・と、思った。


担当者は、早口で、何を説明しているのか分からず、
聞きなおすと「ドッカーン」と雷が落ちてきそうな性格。
その人が、しぼんで、電話口で話している。


好きか、嫌いか、というのは、言うべきことではないと
そう思っているので、私は言わない。
  相性から言うと、疲れるか、疲れないか・・・
  あるいは、負担か、負担じゃないか・・・
  あるいは、ストレスがかかるか、かからないか・・・
そういう表現を使ってみて、彼の「仕事上のやり方」を
考えてみると、「No」というイメージがわいてくる。
実際、負荷がかかるし、疲れるし、ストレスもかかる。

また、今回のクライアントの背景や関係性が、非常に複雑で、
久し振りに、大いに気を遣って、初めてどうにかやれている
という風に、マジに思う。
だから、私としては、最大限に疲れる仕事だということだ。



昨日も、また、大きな要望の変化がつきつけられた。
そのため、今日は、あたふた・・・状態だった。


珍しくないことだ。
しかし、それが「当然のことだ」と思っているのが、
あまりにもキツイし、計画性がないし、横暴なことである。

昨日の連絡は、さすがに、担当者も「申し訳ない」と
珍しい言葉を使いながら、当方の出方をうかがっていた。
ここで、クレームをつけることもできたが・・・
私としては、「早く、この仕事を終わらせたい」という・・・
気持ちが強かったので、あえて冷静に対応をした。
しかし、通常であれば、これだけ大きな要望の変化は、
普通では受け入れられないことである。
私が、これまで動いた時間、仕事の交渉、アレンジ他、
すべてが無くなってしまう・・・ということだ。

クライアントからすると、仕事を落としていると思っていても、
私からすると、「仕事を受けてあげている」という姿勢を持ち、
決して理不尽な要望には応じないという気持ちがあって、
その交渉の仕方にも、常に神経を払っている。
状況によっては、ペナルティを要請することだったある。

クライアントに対しても、立場は50・50だという気持ちで、
毅然とした態度は守っているつもりだ。

だから、ある意味で、余計に、疲れる・・・。

言われたことに疑問を感じず、その通りに動いていれば簡単だ。
しかし、私の場合は、交わした契約書を思い出して、原理原則に
則って、頭で判断してから、声に出すように癖をつけている。

ストレスの大元は、このような何でもないことにも
潜んでいると、確実に思っている私は・・・
この仕事を遣り遂げて、「精神的な自由を手にしたい」 と、
心から感じている。


昨日の私は・・・
殊勝な声を聴きながら、内容の重要さにパニックになりつつ、
その一方では、担当者の「いやぁ、本当に申し訳ない」という声に、
私の感覚が冷えていっていったのを、確実に覚えている。


正直に言うと、私にとっては、良い方向へ向かっていると
言えなくもない。
仕事が減ったのだから・・・。
まぁ、そう考えるのが、楽であり、安易な納得のさせ方だ。

他では、そういう考え方にはならないが・・・
今回は、全てが異例なことだという印象がしている。

このような交渉の事例と、毎回の交渉の一つ一つが異例であり、
学びと経験となっているのだと思うが、現在はまだ・・・
そういう風には思えないところが、きっつい現実なのだ。


「太陽」との付き合い方

2012年08月02日 | 雑感 -

早朝から、とても「暑い」です。

遮光カーテンの先の光量が、しっかりと予想できるぐらい
部屋の中にまで「熱」が入ってきています。

すぐに、水分をとり、顔をあらって、すっきりすると・・・

1時間前(朝6時)から、布団が干せます。
たった2時間でも、ホカホカになりますし、大好きな太陽の香りが
布団にもついてきます。

今は、布団やタオルを干して、熱が入ってくるところには、
最近まで使っていた茶色のストールを干しました。
強い光は、かなり柔らかくなりました。


暑くて寝られないのではなくて、働けるために起こしてもらっている
ような感じです。
この時期だけの太陽との付き合い方です。
恩恵は、大いに受けましょう。

自宅にいられる方は、「干しいも」や、「干し野菜」など、保存食を
つくってみてはいかが??
「干しいも」は熱を加えますが、他の野菜は切って、ただベランダに
干しているだけで大丈夫です。



体操の28年ぶりの金メダル

2012年08月02日 | 出来事 -

マスコミからのプレッシャーにも負けず・・・
内村航平さん(23歳)が、個人総合で金メダルです。
28年ぶりの快挙だということですが、
実は、「おそらく、そうなる」という想いから、
「もしや」という気持ちに変化していました。
最初の平行棒の失敗(落伍)から、何かが微妙に
変わって、動き始めていただけに、良かったです。
2008年から、日本のトップを守り通してきた彼が
やっと悲願の個人総合金メダルです!

本人談「夢みたいです。これからも体操人生が
続くので、皆さんに恩返しをしたいです」。
個人総合は、金メダル確実だと思っていたけれど・・・
ご本人の感想は、「夢みたい」だったんですね。

すっかり、寝ていたのに、夜中に起きたのは、
これを観るためだったのでしょうか。
私も、すごく「嬉しかった」です。



オリンピックも、世の中も、「当然」とか、
「絶対だ」ということはないのです。
そういう一方的な思い込みは、全てを狂わす要因で、
あまり健康的でもありません。

内村選手も、北島選手も、最初の出来事は、
なんとなく周囲の環境がそうさせたように感じていて・・・
だからこそ、本来の自分に戻ったようで良かった!

もう少しだけ、後悔なきよう頑張ってください・・・ネ。
あなたのロンドンオリンピックは、まだ終わっていませんから。


バスタオルに太陽の香

2012年08月01日 | 出来事 -

「暑い」、暑い・・・と、唸っている日中に、
じっくりと日光消毒されたバスタオル。

「暑い」と言いながらも、こういう良さもあるのか・・・と、
帰宅して、さっぱりした後のバスタオルに、それを感じる。

しっかりと、熱消毒されたタオルには、太陽の香りと
気持ちの良い触りぐあいがあって、私のお気に入り。

これは、ある意味で、一長一短ある内の「ひとつ」だ。

こんなところにも、地味な・・・季節感があるなんて・・・。


母への思慕を綴ったメモ

2012年08月01日 | 自分 -

若くして 亡くなった母のことを書いたメモを見つけた。
ちょうど私が介護生活中のことだが、まだ母への思慕が
高かった頃のメモだと思う。

私は、手帳を常に持ち歩き、仕事用と私用とに分け、
何かあると、すぐにメモる傾向がある。
予定や、感想、アイデア、その他、何でも・・・。

そういう膨大な捨てるメモの中から、見つけたものだ。
ルーズリーフの中に、埋もれていた。


    

    ― ― ― 以下メモより ― ― ― ―


   母が逝ってから、七年になる。
   父の世話と、自分の生活に精一杯で、実家の隅から隅まで
   これまでは 手を入れることができなかった。

   呉服箪笥には、虫よけ防虫剤を入れるだけの七年間――。
   このたび、初めて、全ての着物を開き、風通しをした。

   桜 舞い散る 春の日。
   我家を通り過ぎる風にのって、部屋中に 着物がおどった。
   まるで、五月の節句に 川にわたす“鯉のぼり”のように、
   色とりどり・・・。
   ゆらりゆらり、ゆらりゆらり・・・。


   一度も袖を通したことのない娘用の着物が幾つもあり、
   その見立ては どれも素晴らしく、私好みの色味である。
   「さくら色」と「もえぎ色」が好きだった母の好みは、
   今や、私の好みとなった。

     年月の流れを感じる。
     言葉はなくとも、伝わるものはある。
     感じるものもある。

     なんて、親不孝な娘だったのだろう・・・と、
     涙があふれた。

    
   喪服や、紋付、羽織、・・・
   一通りのものが、私用に 全て用意されていた。
   これらを準備していた時の母は、どんな心境だったのだろうと
   複雑な想いにかられる。
   説明を受ける時間もないまま、母の葬儀を迎えた・・・。


   ひとしきり、思い出に沈んでいたら・・・
   昔の若かりし頃、元気に飛び回って、
   人と会っては、高らかに笑い転げていた母の顔が浮かんだ。

   本当に魅力的な人だったと思う。


      ― ― ― ― ―  <終わり>


結局、母の葬儀には、借り物の着物(喪服)を着てしまって、
未だ母の用意してくれていた喪服は新品のままだ・・・。
なんという・・・悲劇だろう・・・。

   

今でも、母のお友達だった人と、電話でよく話をする。
大事なタイミングで(笑)、携帯にかかってくることも・・・。
私から かけることもあるが、すると「帰ってるの?」と
問われるので、言葉を失くすことがある。

過日は、久し振りに、母の親友に電話をした・・・。
懐かしかった。
最近、(家が離れているので)実家の近所の人に問い合わせて、
私が「元気か」と気にかけてくれ、しっかりと情報を得ていた。
その偶然に、二人で、笑いあったが・・・
感謝の気持ちで、それ以上のものが見つからなかった。


今も変わらず、母がつなげてくれている「縁」は、本当に
貴重なものである。

言葉がないくらい、有り難いことだ。