ロサンゼルスの郊外、トーランス市郵便局の駐車場での出来事。
駐車場には20台ほどのスペースがあるが、全部ふさがっていると、車は入口の外に列を作って待ち、一台出るたびに順に入ることが不文律だ。その時は5-6台の行列ができており、一番前にいた私が空きスペースができたのを見て、車にアクセルを入れたとたんスルスルと横をすりぬけてそのスペースに入った車があった。たまたま、別のスペースが空いたのでそこに駐車してから、その不届きなドライバーに文句を言いに近寄ってみると、それは韓国系らしきの男性だった。
“Hey, smart guy! That’s not a right way to do!” (ずるいじゃないか。そんなことしていいと思ってるのか)
“#!@~x>*$&\”(意味不明の発言)
“Are you Korean?” (あんた韓国人かい?)
“Yes. So?” (そうだけど...?)
“That’s why. Now, I know. Never mind.” (それでわかった。もういい)
要するに、「普通の人なら文句言うところだが、韓国人なら民度が低いから、仕様がないと諦める」という意味で、かなりの侮辱的発言である。しかし、その男性には意味が通じなかったようだ。
私の「韓国人は民度が低い」という認識は30年ほど前、ソウルの繁華街で夜11時過ぎに目撃した光景によるもの。タクシーの空車が来ると、10人以上の人が群がって我勝ちに乗ろうとした。「なぜ行列を作って整然と待たないのか」と疑問に思ったのである。
ほかにもある。一つは、公衆トイレの個室がめちゃくちゃ汚いこと。筆舌に尽くしがたいという言い回しがあるが、まさにそれである。もう一つは、海水浴場の水面がごみ捨て場同然だったこと。もっとも、この二つも30年ほど前のことだから、最近は改善されたかも知れぬが...。
なぜこんな話題を持ち出したかというと、例の旅客船沈没事件に関する中央日報(4月23日)の社説である。
乗客の安全に責任を負うべき船長と船員には、一般の人々よりも強い職業意識が必要だ。しかし韓国社会全般に根を降ろしている「とにかくまず自分が生きよう」という精神がもたらす潜在的危険は、一部の職業にだけ当てはまる問題ではない。韓国社会は「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべき」だと暗に教えてきた。家庭・学校・職場を問わず、犠牲と分かち合いよりも競争と勝利を強調し、清き失敗よりも汚い成功の方をモデルにして走ってきた。今でも、富と権力のため不正と脱法行為にいそしみ、摘発されてもずうずうしく復活する一部高位層の存在は「どんなことをしてでも生き残るのが勝利の道」というメッセージを伝えている。「弱者を先に」「遅くなっても一緒に」という社会倫理や道徳は、教科書に出てくる退屈な話程度の扱いだ。生まれつき利他心を持ってはいない以上、これまで一度たりとも重要とは思ってこなかった行動を突然取れるはずがない。生死の境目という瞬間にそのような行動を期待するのは無理がある。
この意見は大げさで、自虐的すぎる。そのわけは、韓国人の日頃のビヘイビアーを見ていれば当然やりそうなことで、今更悲憤慷慨することではないからだ。規模は異なるが、私の経験談からもご理解頂けると思う。韓国人の気質はそう簡単に変わるものではない。