- 遊説ツアーの会場で、トランプ陣営には熱狂があるが、バイデン陣営にはそれがない。
- トランプ氏がコロナに罹患したときは、彼の大きな失点と思われたが、すぐ回復して、むしろ支持者を増やす結果になった。
- 一般論として、黒人票は民主党支持と認識されているが、ミネアポリスに始まった一連の騒動が沈静化したら、多くの黒人がトランプ支持に転向していた。
- メディアが発表する世論調査の結果はあてにならない。隠れトランプが多いからである。
10月15日の産経新聞に掲載された小論「慰安婦呪縛解いた安倍政権」(阿比留瑠比)は、13日の同紙に掲載された安倍元首相とのインタビュー記事の裏話がテーマである。以下、産経新聞から引用する(赤字)。
産経紙面では紙幅の限界もあって書いていないが、安倍氏はインタビューでこうも語っていた。「慰安婦の証言がどのように構成されたかということは、産経新聞のスクープによって国民の皆さんに明らかになった」。
安倍氏がいうスクープとは、産経新聞が韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手して書いた平成25年10月16日の記事「報告書、ずさん調査 氏名含め証言曖昧 河野談話、根拠崩れる」である。
証言の事実関係は曖昧で別の機会での発言との食い違いも目立ち、氏名や生年月日すら不正確な例もあり、慰安所のない場所で働いていたと主張するなど、河野談話の根拠が極めてずさんであることを明らかにした。
また、平成26年元日の記事「河野談話 日韓で『合作』要求受け入れ修正」は、河野談話が原案の段階から韓国側に提示され、相手の指摘に沿って細部まで修正されるなど、日韓合作にほかならない実態を暴いた。
要するに、河野談話の原稿は、韓国との合作、というより、韓国の指示どおりに作られたと解せられる。では、なぜ河野氏は唯々諾々と、韓国の要求を受け入れたのか。
Wikipediaの「河野洋平」の項に次の記述がある(青字)。
河野談話は証拠に拠るものではなく、河野の個人的な政治信念に基づくものであることは、本人により認められている。『朝鮮日報』(2012年8月30日付)の取材に対して「私は信念を持って談話を発表した」「(慰安婦の徴集命令を裏付ける証拠資料がないとする批判には)処分されたと推定できる」と述べている。
ここにある河野氏の「信念」とは、朝日新聞の誤報を信じたことであり、「信念」というより「思い込み」という表現の方が適切である。
売春禁止法が施行された1956年(昭和31年)当時、爺はは大学2年生だったが、女郎屋にいる女郎たちは自分の都合で、もしくは彼女らの親が貧乏だったために、身を落とすことになった事情はなんとなく知っていた。
女郎屋は「拉致」などという荒業に頼らずとも、女性を集められた。爺より年上の男性なら誰でも、そんなことは常識である。そして、高給で釣れば女郎たちは戦地に職場を移すことを厭わなかったはずである。慰安婦の中には親に売られた素人女性もいたが、大半は女郎や妓生からの転職者(やる作業は同じだから、転籍者か)だったと推測する。
そんなわけで、爺は朝日新聞の「拉致」誤報は信じていなかった。しかし、河野氏は売春禁止法が施行された時は未成年だったから、売春婦の実態が分かっていなかったのではないか。だから、慰安婦の「拉致」も信じていたのでないか。そして、それが同氏の「信念」ないしは「思い込み」になった!
ともあれ、河野談話は河野氏の無知によって生まれた。そして、その河野談話が日本の手かせ、足かせになり、10億円を支払っての日韓慰安婦合意(2015年)につながった。
朝日新聞は2014年になって拉致の誤報を認め謝罪したが、韓国では「拉致」がすでに事実として定着してしまっていたから、朝日の謝罪を意図的に無視した。
慰安婦問題を歴史的に辿ってみると、放火したのは朝日新聞だが、そこに油を注いで大火事にしたのは河野氏だったことがわかる。放火の材料を朝日に提供した故吉田清治も含め、慰安婦問題は日本人の自作自演による三文芝居だった。
知れば知るほど、腹の立つ話である。
文芸春秋11月号の目次を見て、最初に読もうと選んだ記事は「野党共闘『政権再交代』に勝算あり、小沢一郎と共に菅政権を倒す」である。筆者は中村喜四郎衆議院議員。同議員は以前、自民党に所属していたが、現在は立憲民主党に鞍替えした。党を変えるに至った理由についてはこう述べている.
「それは自民党がすっかり変わり果ててしまったからです。・・・そして暴走する自民党に対抗できる力を野党につけてもらいたいと考えるに至りました」
では、中村氏は「政権再交代」をどのように進める計画なのか。同氏の主張を文中から引用する。(赤字)
なぜ自民党は衆参選挙で六連勝できたのか。最大の原因は投票率の低下です。安倍政権に不満や不安を抱く人が「投票しても無駄だ」と、投票所に足を運ばなくなった。そうなれば政権与党の組織力がモノをいいます。安倍政権は、国民を無視して選挙に勝てるという異常な構図を作り上げたのです。
中選挙区最後の選挙となった93年と前回3年前の選挙を比べると、投票率は67.26%から53.68%になっており、13.58ポイントも下がっています。票数に換算すると14,444,000票。1500万人に近い有権者が日本の政治を諦めたということにほかなりません。そのうち7割以上が批判票だと思われますが、7%でも投票所に足を運ぶ人が増えたら、とんでもない結果が出ます。だから次の選挙で野党は、こうした有権者に「もう一度だけ選挙に行ってくれ」と本気で訴え、その気概を見せなければなりません。
要するに、中村氏は“自民党の政治に諦めた人が多いから、投票率が下がった。だから、投票率が上がれば反自民の票が増えるはず“と考えているようだ。
中村氏は現状をあまりにも自分たちに都合のいいように解釈していると思う。その理由は次のようである。
●有権者は“政治が変わる”と思えば、これまで棄権していた有権者が投票所に足を運ぶことはあるだろう。しかし、そのためには野党が“われわれは今後〇〇をします”と、政策を語らねばならない。ところが、中村氏の論文には、その政策がまったく述べられていない。8ページの紙数を与えられているのだから、政策を述べることは十分にできたはずだ。
●反自民の旗印を高く掲げ、共産党も含めた野党共闘態勢が固まったというだけでも、これまで棄権していた有権者が投票所に足を運ぶようになることは、多少はあるだろう(実際に、2009年にそういう事態が起きて、民主党は「政権交代」を果たした)。反自民に凝り固まった人々が元気づけられるからである。しかし、それだけで中村氏が期待するような十数ポイントもの投票率アップになることは考えにくい。
爺は投票率の低下は有権者の諦めによるものだという中村氏の説にはある程度は同感するが、投票率を上げるには野党が未来への道筋、つまり政策、を示すことが先決だと考える。
ところで、この論文のタイトルには小沢一郎氏の名前が入っている。しかし、中村氏は小沢氏との関わり合いを述べているだけで、小沢氏が「政権再交代」という大芝居においてどんな役割を果たすのかについては述べていない。文芸春秋の編集部が考えたタイトルだと思うが、誤解を招く表現である。
本論に戻る。爺は現在の自民党政治に不満はない。しかし、一般的には、上述のとおり、“国民は自民党政治に諦めている”という中村氏の主張には、ある程度、同感である。そして、その閉塞感を打破するには野党の奮起が必要だと思う。野党の建設的攻勢があって初めて、与党政権に緊張感が生まれる。批判だけでは、政権のマイナス点にはなるものの、野党のプラス点にはならず、大局は変わらない。
だからこそ、野党には遠からず行われる総選挙に備えて、共闘態勢だけでなく、政策もしっかり磨いてもらいたいのである。
ドイツのベルリン市ミッテ区の公道に設置されていた慰安婦像に関し、茂木敏充外相がドイツ政府に撤去するよう要請し、最終的に区長が韓国系市民団体に撤去命令を出した、と報道された。
この問題に関し、韓国の政治家やマスコミが韓国政府の対応が手緩いとして非難しているが、政府はこれまで「慰安婦像設置は民間が勝手にやったことなので、政府は関知しない」という立場を取っているから、政府が介入できないのは当然である。
日本はこの論争には高みの見物でいいのだが、韓国人が並べている理窟の中に面白いものがあったので、取り上げる。情報の出所は日本在住の韓国人評論家シンシアリー氏のブログで、対象となった記事は聯合ニュースの発信である(赤字)。なお、爺が笑ったのは下線を施した部分。
2015年の慰安婦合意は、日本軍慰安婦問題の無条件的な解決を明らかにしたわけではなく、両国は、被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の治療のための事業の誠実な履行を前提とした。合意時に議論された在韓日本大使館の前という特定の場所の問題を別にすれば、慰安婦像の設置自体は、両国の合意の精神に合致する事業だと評価する余地がある。被害者が経験した人権侵害と戦時性暴力の惨状を世界に知らせ、これを歴史の教訓にできるからである。
これに対し、リー氏はそのブログで次のように批判している(青字)。
妙な主張です。「被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の治療のための事業の誠実な履行」が慰安婦合意の前提だから、ドイツに慰安婦像を建てるのは慰安婦合意に合致している、と。
しかし、「被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の治療のための事業の誠実な履行」となっているのは何なのかというと、慰安婦財団を作って運用することです。だから『事業』となっているのです。そして、その事業を行う財源の設立のために日本が10億円を出捐し、財団の運用は韓国が行う。前提というなら、これが前提でした。そして、これで不可逆的に解決した、と合意しました。
ですが、その財団を解体したのが韓国です。慰安婦合意の『前提』となる財団を解体して、他国に慰安婦像を作り、管轄自治体から『これは明らかな反日だ』と言われて、撤去されることになった。それが今の状況です。「被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の治療のための事業の誠実な履行」を解体させたのが韓国なのに、今になって何を言っているのでしょうか。
リー氏の主張は、客観的に見て正鵠を射ていると思われる。それはそれとして、爺の所感を述べたい。
●よくまぁ、自分たちに都合のいい屁理窟を考えつくものだ。連合ニュースのライターともなれば、慰安婦問題には精通しているはずだが、そういう人物が“慰安婦像は両国の合意の精神に合致する”と言うのには、口アングリである。当時の日韓合意には“韓国政府は慰安婦像の撤去に努力する”という項目があったはずだが、それを忘れたのか。
●ベルリン市の住民からすれば、得体の知れぬ東洋系少女の像を街の真ん中に建てられ、さぞ目触りだったことだろう。今となっては、像建立に賛成した区議会の議員たちは、市民から非難を浴びているのではないか。
●ドイツの地方自治体は、“韓国系市民団体に「これは人権侵害の問題だ」と言われ、「そうか、それなら仕方がない」と安易に像の設置を許可したのだと思う。茂木大臣は詳しく事情を説明したらしいが、基本的には“ドイツの地方自治体は、中立の立場でいていただきたい”という要望を伝えたと思う。
日韓どちらの言い分が正しいかは別として、地方自治体は外国間の紛争に巻き込まれるべきではないことを覚ったことだろう。
●その論理はドイツのみならず、自由民主々義の国ならどこでも通用するはずである。私有地に設置された像には打つ手はないが、公有地なら像を撤去するよう、政府には米国を始めとして像が設置されている諸国に同じことを要請してもらいたい。その点で、日本は先鞭をつけてくれたベルリン市に大いに感謝すべきである。
爺は日本学術会議という組織の名称には記憶があるものの、具体的にそれがどういう組織なのか、どんな活動をしているのかに注意を払ったことはない。「お前が不勉強だからだ」と言われればそれまでだが、大部分の国民は爺程度の認識ではないだろうか。
その理由は、日本学術会議がこれまであまり目立った活動をしていなかったからではないのかと思っていたら、やはり「法律に基づく政府への勧告が2010年以来、行われていないことから、河野行政・規制改革相の下、妥当性を検証する」とあった(読売新聞10月9日)。
では、その勧告とはどんなものかと「日本学術会議法」を読んでみたら、第五条に「勧告」に関する記述があった。(赤字)
第五条 日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。
一 科学の振興及び技術の発達に関する方策
二 科学に関する研究成果の活用に関する方策
三 科学研究者の養成に関する方策
四 科学を行政に反映させる方策
五 科学を産業及び国民生活に浸透させる方策
六 その他日本学術会議の目的の遂行に適当な事項
要するに、役割がしっかり定められている。そして、その役割に対して報酬が与えられる。
会員手当(45,000,000円÷210人≒214,000円)は大したことがないが、学術会議会員となれば肩書に箔がつき、活動に有形無形のメリットがあることは言うまでもない。さらに政府の研究開発費や補助金の配分に関わることは、学術会議の大きな利権である。
それでいてその役割をろくに果たしていないとはどういうことか。この学者たちは良心に照らして恥ずかしいと思わないのだろうか。
一方、学術会議は中国科学技術協会と提携しているという。学術会議は軍事目的の研究は行わないと宣言しているが、中國では科学技術に軍事と民生の境がないことをわかっているのだろうか。
また、学術会議は2007年以来、答申もなかったというが、これは政府が諮問しなかったためだろう。換言すれば、政府は学術会議を活用していなかったことになる。
端的に言って、日本学術会議は存在価値がないということになる。
さて、学術会議事務局の常勤職員は50人で、年間3億9千万円の人件費が支払われている(単純平均で一人当たり780万円)。この職員たちはどんな仕事をしているのだろうか。下司の勘繰りだが、時間を持て余しているのではないだろうか。
YouTubeで「日本学術会議」と検索すると、いろいろな意見がでてくるが、学術会議に否定的なものばかりである。
政府が推薦された会員候補者を6名任命せず、その理由を明確に説明しなかったことは、いささか乱暴だったと思う。しかし、それが突破口となって、学術会議のいろいろな問題点が炙り出されたことはよかった。発足してから71年も経てば、錆びついた部分もでてこよう。この際、河野改革相が徹底的に制度を洗い直して、新しい出発点とすることを期待する。
今回のテーマは、遅まきながら安倍政権への回顧だが、本論に入る前に爺の立ち位置を説明しておきたい。
今年の4月ごろ、安倍首相(当時)が自宅で寛ぐ映像がネットやTV画面に流れたことがある。その時の爺の印象は“このところ首相は休日返上で頑張っているらしいから、そういう息抜きの時間は必要だ。それはともかく、この映像を流した目的は、国民にStay homeというメッセージを送ることだろう。適切な映像だ”である。
しかし、ネットやマスコミの反応は“国民がコロナで苦労している時に、こんな優雅な姿の映像を公開するとは不謹慎だ”だった。すなわち、安倍政権に対する爺の立ち位置は、一部の国民とは違うことを念頭に置いて、以下の本論をご覧頂く。
安倍政権の功績はいろいろあるが、爺としては、外交面の功績を筆頭に挙げたい。特に、これまでの“謝罪外交”に歯止めをかけたことを高く評価する。韓国とは関係が悪化したが、それはちゃぶ台返しをした文大統領の責任である。
さて、保守系各論壇誌の11月号は、安倍政権の回顧と称賛で埋め尽くされた。その中で、爺が注目したのは、Hanadaに掲載された藤原かずえ氏による“安倍政権こそ弱者に寄り添った”である。
この論考は次の文章で始まる。(赤字)
安倍首相ほどマスメディア・野党・活動家・政権不支持者から罵られ続けた首相もいません。彼ら「反安倍陣営」は、自由意志を持つ国民が一貫して支持した長期政権を「腐敗した一強の長期政権」、その中心にいる安倍首相を「強引な手法で政治を私物化するタカ派で歴史修正主義の独裁者」といったレッテル貼りをして、人格攻撃を続けました。(以下省略)
同感である。爺の印象では、モリカケ問題におけるマスコミの常軌を逸した安倍攻撃が特にひどかった。安倍氏にも誤解を招くような発言があったが、爺のような門外漢でさえ、“この案件の大筋は見えた。安倍氏にはなんらやましいことはない”と認識した時があったが、その時でもマスコミと野党は“疑惑はさらに深まった”と叫び、安倍氏に身の潔白を証明するよう迫った。やってないことを証明することは不可能であり、爺は反安倍勢力の理不尽さに呆れたものである。
その時、爺は“首相とはずいぶんしんどい仕事だな。首相でなくてよかった(なるわけないが)”と同情した。
さらに爺が憤慨したのは、2017年10月の衆議院選挙における出来事である。安倍首相を取り囲んだ集団が大声で演説を妨害したとき、安倍氏は“あんな人たちに負けるわけにはいかないんです”と言った。これに対して、マスコミは“あんな人たち”という言葉使いを攻撃したが、選挙妨害をした集団こそ非難されるべきだった。
新型コロナへの対応も後手後手に回ったと批判されたが、10ヵ月経った今にして思えば、台湾や韓国には劣るものの、全世界的には日本の被害は非常に小さいことは明らかである。
そして、安倍政権の退陣時の支持率は、朝日新聞による調査でさえ71%という高い水準となった。もちろん、情緒票もかなりあったとは思うが、総じて国民は悪夢から醒めたかのごとく感じたのではないか。
アベノミクスが失速したことは残念だし、爺としては、憲法改正や北朝鮮の拉致被害者を取り戻すことまでやってほしかった。しかし、過去の政権に比べればはるかにましである。
安倍晋三氏はまだ政界から引退する年齢ではない。第三次安倍政権とまではいかなくても、また国のために尽くして頂く機会があることを期待する。
ともあれ、安倍晋三さん、ご苦労様でした。
【お知らせ】
次回投稿は10月12日(月)の予定です。
「反日種族主義との闘争」に記述されているいくつかの事柄から、今回は韓国大法院が新日本製鉄に対し4名の原告に強制動員被害慰謝料を支払うよう命じた判決を取り上げる。
この判決の論点はいくつかあり、本書はその論点の誤りを逐一指摘している。
判決の主張の一つである「旧日本製鉄が訴訟原告たちを日本に労務者として連れていき、仕事をさせたのは反人道的不法行為である」の根拠は、「日帝強占期の日本による韓半島支配は不法な強占だった」である。
大法院は就労形態がどうであれ(原告4名全員が応募で就労した)、植民地支配が不法だったから、朝鮮人労務者を日本の製鉄所で働かせたことが不法行為だったというわけだ。
この点について、本書は次のように述べている。(赤字)
日本の植民地支配が不法だというのは、彼らの一方的主張に過ぎません。韓日併合は、大韓帝国の主権者である純宗が国権を日本の天皇に譲渡したことで成立しました。・・・純宗は国権に対し、そのときもそれ以後も、反対の意思を表したり、無効だと主張したりしませんでした。これは、国権所有者が自身の意思で国を明け渡したことを意味します。
この部分を読むと、本書は「大韓帝国は国権を日本に譲渡したのだから、日本の朝鮮併合は合法だった」と主張しているような印象を受けるが、本書の論点はそこではない。次の文章(赤字)をご覧頂く。
私は「植民地支配は合法であり正当だったと主張しているのではありません。韓日国交正常化を韓日両国がこの問題をどのように扱ったのかを述べているのです。植民支配が合法か不法か白黒つかなかったため、韓日両国はそれを論議の外に置き、そうやってその件を乗り越えることで国交を正常化したのです。
条約とは、両当事国の合意で締結するものです。半世紀の後に「植民支配は不法だったから、当時の〇〇は不法である」という主張を学者がすることは許されます。しかし、一国の司法部がそのような主張を採択し、相手国の国民に賠償を命じることはありえません。これは国交正常化以前に戻ろう、と言う意味にしかなりません。
すなわち、本書は「日韓両国は、併合の合法性についてはあえて結論を出さず、国交正常化を優先したのだから、大法院も国交正常化が行われた事実を大前提とすべきである」と主張しているわけだ。爺はこれを卓見だと評価する。
個人請求権については、本書は次のように述べている。(赤字)
会談において、韓国側が日本側に提示した対日請求八項目のうち、第五項には「被徴用韓国人の未収金,補償及びその他請求権の返済要求が入っています。「徴用による精神的被害に対する慰謝料」は、この「その他請求権」に含まれます。当時、韓国は日本に、被徴用者の一人当たり200ドルの補償を請求しました。日本は韓国の要求を拒否しました。結局韓日両国はこの補償問題を、個別請求権の金額を合算せず、一括して無償3億ドルとすることで落着させました。この3億ドルには被徴用労務者補償金が含まれていた、と見なさなければなりません。
爺は下線部分に疑義がある。爺の(というより、日本人の一般的)理解では、日本側は「賃金未払いなどの個別補償は日本政府が各個人に支払いましょうか?」と言ったのに対し、韓国側が「全部一括して韓国政府に支払ってください。韓国政府が別途対応します」と言ったはずである。だから、この部分に関しては納得しないが、「この3億ドルには被徴用労務者補償金が含まれていたと見なさなければなりません」という結論には異論ない。
さて、9月18日の産経新聞に掲載された本書の編著者である李栄薫氏のインタビュー記事の一部を引用する。(青字)
産経:日本政府は「請求権問題の『完全かつ最終的』な解決を定めた日韓請求権協定に明らかに反している」との立場だ。
李栄薫:その通りだ。未払い賃金の支払いを求めるなら、最初から協定に従い自分の国(韓国)を提訴すべきだった。
李栄薫氏のこの意見には、韓国人でも道理をわきまえた人なら同感するのではないか。大法院の判決は国民情緒(および文大統領)に迎合した結果だと考える。もっとも、韓国の裁判はそんなものかも知れないが・・・(笑)。
日本学術会議が推薦した学者の内、政府が6名を拒否した件が議論されている。爺はこの件に関する見解を「世界史も大好き」様から問われて次のように回答した。(赤字)
世界史も大好き様
学術会議の推薦を政府がそのまま承認しなくてはならないなら、システムが形骸化しているといわざるを得ません。政府に拒否されるのが嫌なら、学術会議だけで決めて、学術会議の結論として発表したらいいんじゃないですか。
ここまでは「11年目の反省」のコメント欄に掲載されたが、世界史も大好き様からの次のコメントがコメント欄に掲載されていない(爺にはメールで連絡された)。ついては、そのコメント(青字)と爺の返事を下記する。
世界史も大好き様のコメント
頑固爺さん様
日本学術会議法の第17条を読んでからコメントして下さい。さもないと大恥をかきますよ。
このコメントに対する爺の返事は次のようである。
世界史も大好き様
日本学術会議法は読んだことがありません。正直申して、そんな法令があることさえ知りませんでした。ご教示に深謝します。ともあれ、その第17条とは、これですね。
日本学術会議法第十七条
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
この条文では、総理大臣は推薦された候補者を拒否できるとは書いてありませんが、候補者を拒否してはならない、と書いてあるわけでもない。常識的に、総理大臣の一存で決めていい、という意味ではないでしょうか。したがって、冒頭の赤字部分の私の返事が間違っているとは思えません。