頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

働き方改革法案への批判

2018-06-30 14:20:02 | メモ帳

本日の朝日新聞ネット版は、「働き方改革法案」が成立したことで、過労死の遺族たちが怒っていると報じている。

https://www.asahi.com/articles/ASL6Y5HSYL6YULZU00L.html?ref=nmail

遺族はやり場のない怒りを政府に向けているようだが、それは筋違いである。なぜなら、仕事がきつくて体がもたないなら、まず上司に強く訴えるべきで、それで解決しないなら、辞職するべきだった。

しかし、マスコミは「故人は辞職すべきだった」などと論じたら、社会から猛反発されることがわかっているから、矛先を故人に向けない。日本の社会は死者を批判しないことを美徳とするからである。読者も「そんなにつらかったのなら、辞めればよかったのに」と心の中では思っても、それは口には出さない。

さらに、日本人は責任感が強く、与えられた仕事をやりとげることに使命感を持つ。その気質がかえってマイナス要素となった面もある。

「過労死」は他国では絶対に起きない特異な悲劇である。しかし、今後過労死は減るだろう。人手不足で、転職(転社)の機会が増えるからである。

ところで、遺族と朝日新聞は、高度プロフェッショナル(高プロ)制度が悪法であると決めつけているようだが、それも筋違いだ。確かに「高プロ」制度にはデメリットもあるが、メリットもある。朝日新聞と野党はデメリットだけとりあげ、批判しているように感じる。

そもそも、「高プロ」の対象となるのは年収1,075万円以上の所得がある人々で、その条件に当てはまる人は全体の数パーセントに過ぎない。そういう特殊技能を持つ人たちは企業にとって必要欠くべからざる人材だから、企業としても優遇せざるを得ない。「高プロ」に該当する人たちは、残業手当がなくても、それを勘案した給与になるはずで、企業とその人たちが自由に決めればいいことだ。

「高プロ」のデメリットだけを取り上げ、普遍的問題として騒ぎ立てるのは筋が通らない。


ワールドカップでの旭日旗

2018-06-26 11:04:05 | メモ帳

サッカー・ワールドカップのセネガル戦で、日本の応援団が観客席で旭日旗を掲げたと、韓国のネットや新聞が騒いでいる。「どうしてこんなに無知なのか」(中央日報)には恐れ入った。そのせりふはそのまま韓国に返したい。

https://www.youtube.com/watch?v=qc2_Tn11G3k

http://japanese.joins.com/article/579/242579.html?servcode=600§code=640

昨年、川崎フロンターレの応援団が韓国とのゲームで旭日旗を掲げたことで同チームはアジア・サッカー連盟から罰金を科され、上告したが却下された。韓国とのゲームなら、韓国人の気持ちがわからぬでもないが、対セネガル戦となれば話は別だ。

そもそも、旭日旗は海上自衛隊も使っている準国旗であり、それを否定するなら日本国に対する侮辱である。もし韓国がFIFA(国際サッカー連盟)に提訴したら、日本は徹底的に戦い、旭日旗のいわれを説明すべきだ。韓国人のobsession(妄想にとりつかれること)を糺すいい機会である。

 

 


湯河原における国際交流

2018-06-24 21:18:52 | メモ帳

6月28日、湯河原町図書館で“国際フォーラム in ゆがわら”なるイベントが開催された。案内によれば、ペルー・モンゴル・ブルガリアの出身者がパネリストである。彼らは湯河原町になんらかの縁がある外国人らしいが、私はなぜ彼らが湯河原(または日本のどこか)に住むようになったのかに興味を持って出席することにした。

まず、主催者のゆがわら国際交流協会から、協会(そしてこのイベント)の理念、“グローカルな町をめざして”の説明があった。グローカルとは、GlobalizationLocalizationを組み合わせた造語で、“幅広い世界観を持って身近な地域活動を行うこと”である。その具体的な活動については、上のゆがわら国際交流協会をクリックしていただく。

パネリストは自己紹介のあと、それぞれ日本に来た動機や苦労話、出身国の紹介などを日本語で語った。

異色はモンゴルから来た元力士。四股名を大河といい、横綱の白鵬関と同じ頃に来日した。奥様はモンゴル人。来日した当初は日本語に苦労したらしいが、今では日常会話程度なら流暢に話す。私は30年米国に居住したが、彼は私の英語より上手に日本語を話す(笑い)。湯河原町に居住して仕事も持っているらしい。

ペルー出身のセシリア・ボルダンさんは、今から十数年前来日して、いったん帰国したが、夫君とともに再度来日。今は介護施設勤務。日本語がかなり流暢である。

ブルガリア出身のエリー・エレオノラ・村田さんは芸術家で、日本人の夫君とともに隣町の真鶴に住んでいる。日本語はたどたどしいが、同席した夫君に助けてもらいつつ、日本語でスピーチした。そして、スライドでブルガリアの風物を紹介した。

パネリストの意見として、湯河原の知名度が低いという問題点が指摘された。確かに、隣の熱海は外国人観光客が増えて賑わっており、閑散とした湯河原とは雲泥の差である。だが、湯河原には“閑静な温泉場”というウリがある。それでいいのではないか。外国人観光客が少ないことは、日本人観光客にとってはプラス要素である。

ところで、地方に住む外国人が増えていることは知っていたが、わが湯河原町にもこういう人たちがいるとは知らなかった。三人に共通していることは、山や海があり風光明媚な湯河原に魅せられたこと。私は5年前に湯河原に移り住んだが、湯河原を選んだ動機は彼らと同じである。言うなれば価値観を共有する方々であり、親近感を抱いた。彼らが湯河原で安定した生活基盤を築くよう陰ながら応援する次第である。

蛇足だが、当日の参加者はザッと70人。湯河原にこんなに国際交流に関心がある人がいるとは驚きである。私は来年もこのイベントに出席するつもりである。


外国人旅行者がサポートする国産ウィスキー

2018-06-20 15:12:19 | メモ帳

先日、風呂が沸くまでの時間潰しのつもりで、テレビ朝日の「ニッポン視察団」という番組にチャネルを合わせたら、意外に面白くて風呂はそっちのけで最後まで見てしまった。何がそんなに面白かったかというと、外国人旅行者に人気があるの紹介である。

外国人旅行者が爆買いする商品は、医薬品・化粧品・衣類ぐらいだと思っていたら、意外な商品がぞろぞろ紹介された。焼き海苔(スナックとして食べるらしい)、七色とうがらし、菓子類(特に、煮た梅の実を漉して板状にしたスナック)、あぶらとり紙(顔の脂を取る紙)、箸(中国や韓国の箸は先端が尖っていない)、古着、ソックス(カラフルなもの、五本指のもの)、版画など。人気順に16位までが紹介されたが、一番人気はニッカウィスキーの余市*。これは意外だった*

ここで日本におけるウィスキーの歴史を簡単に振り返ってみよう。1960年~1970年代は、外国から帰国した時の土産品はスコッチウィスキーだった。盆暮れの贈答品にもスコッチが使われた。輸入が制限されていたために価格がバカ高く、価値があったのである。

1960年代に私が日常飲むウィスキーはサントリーのトリスだった。“トリスを飲んでハワイに行こう”というキャッチコピーが評判になった。トリスのボトルを買うとハワイ旅行が当たったのである。

19701980年代は、日常飲んだウィスキーはサントリーの通称ダルマだった。ずんぐりむっくりした黒いボトルが一世風靡した。このダルマをバーでボトルキープするのが呑み助のお約束だった。

その後、ウィキーの国内消1983年(昭和58年)をピークに減少の一途を辿り、2008年(平成20年)には最盛期の3分の1にまで減少した。衰退の理由は、消費者の好みが多様化し、需要がワインと焼酎にシフトしたことにある。

輸入ウィスキーも需要が大幅に減退した。平成元年の酒税改正により、小売価格が大幅に安くなったことが原因である。価格低下が需要減退を招くとは逆説的だが、価格が安くなったために、贈答品としての価値を失ったのである。

その後、ハイボール人気でやや持ち直したとはいえ、長期的視野で見れば、まだまだウィスキーの消費量は低迷したままである。だから私は、日本酒とともに、ウィスキーは典型的衰退商品だという観念を持っていた。

それがなんと国産高級ウィスキーが外国人旅行者の人気商品になったとは!! 日本酒業界も輸出に活路を求めているが、ウィスキー業界も外国人に救われるのだろうか。まずはご同慶である。

 

(注)どうやって順位を決めたのか? まったく異質の商品の人気度をどうやって比べるのか、という突っ込みを入れたいところだが、たかがTVの娯楽番組だから、無粋なことはやめておく。また、ニッカの余市だけが人気があるというのも解せない。国産高級ウィスキー全般に人気がでている、と理解しておく。

 


保守派論客の地位を確立したケント・ギルバート

2018-06-18 15:49:52 | メモ帳

前回に引き続いて、ケント・ギルバート氏(ギ氏)の「マスコミはなぜそこまで反日なのか」に対する所感を述べる。太字は同書からの引用である。

最近の日本のメディアは、日本人の精神を壊すような反日的な情報操作をやっています。日本を貶めるとか、国民全体のやる気をなくさせるような報道ばかりです。

ギ氏は筋金入りの保守派である。私は保守派を自任しているが、彼は私以上に保守派だと感じる。

経済にしても、悲観的な記事が多すぎます。経済記事を通じて、前向きで、景気がよくなるという雰囲気を作れば、多くの人がお金を使い、日本の景気はもっと順調になると思いますよ。

日本の株価は他国に比べて低いようだ。その理由が、「メディアが日本経済を否定的に報じるからだ」と思えば納得である。

一方、気分を落ち込ませると経済も落ち込みます。これからもっと景気が悪くなる、年金受給額が下がる、税金が高くなる、そんなことばかりを報道して、一方で、日本人はお金を使わず貯蓄にばかり回していると批判している。

「悲観的な報道によって、消費者の消費意欲が阻害されている」という面があるのは否めないと思う。ギ氏に同感である。

メディアの記事は書く方向性が、取材する前から決まっています。経済なら、悲観的に書く方が安全で、読者の反響もいいと思われています。・・・安倍首相に関する記事であれば、メディアは権力に対して批判的に書くものと思っていますから、支持率が上がる記事を書くより、否定的な記事を大々的に書きます。読者は何があったかが気になるので読みますが、しかしその記事を通じて、日本の将来がよくなるわけではありません。

欧米のメディアも似たり寄ったりではなかろうか。

政治不信が政治家のせいだとメディアの多くは批判します。もちろんそれもありますが、政治不信を煽っているのは多くのメディアです。彼らは自らが、日本の政治の方向性を決めていると思い込んでいるのです。

同感。

政府は、マスコミの報道姿勢に対して、もっと毅然と対応すべきです。事実関係の間違いに対しては、もっと強く反論すべきですし、政府としての見解もしっかり言うべきです。・・・

マスコミは、政府が記者や記事に抗議すると、すぐに言論弾圧であるといいます。私は全然そうは思いません。政府の見解を政府がいうのは当たり前であって、それは自由ですよ。マスコミも、それに対して政府の抗議そのものを否定するのではなく、その内容について自分たちの意見や見解をいえばいいわけです。国民は、そのやりとりを見て、どちらが正しいのか、自分で判断するのです。それが健全な民主主義社会の言論と議論です。

ギ氏は自分がトランプ大統領支持者だと明言しており、この部分はトランプ氏がメディアをあからさまに批判していることを念頭に置いての意見だろう。それはともかく、ギ氏は、安倍政権がメディアを批判すると、すぐさま「言論弾圧だ」と反発する日本のメディアに不快感を持っているようだ。確かに、トランプ氏に比べれば、安倍政権はメディアにかなり遠慮しているように感じる。

さて、ギ氏は日本ですっかり保守派の論客という地位を確立した。いい居場所を見つけたものだ。アメリカよりも居心地がいいに違いない。印税が十分入っただろうから、もう日本人向けの評論はほどほどにして、これからは韓国批判・中国批判を英語で執筆し、アメリカで出版してくれないかな。それが成功させてもらっている日本に対する恩返しである。


「マスコミはなぜここまで反日なのか」を読む

2018-06-13 16:31:45 | メモ帳

戦後間もないころ、「真相箱」というNHKの連続ラジオ番組があった。私はまだ小学生だったが、この番組を毎回寝床の中で聞いた記憶がある。

終戦まで軍国少年だった私は、日本の航空隊が米国の軍艦を何隻も沈めたというような新聞記事を読んで、胸を躍らせていた。しかし、それにしては米軍がどんどん北上し沖縄まで来ているし、B29が毎日のように各地を爆撃するので、「なんだか変だな」とは感じていた。

「真相箱」を聞いて、「そーか、大本営発表は大嘘だったのか」と納得した気になっていたが、ケント・ギルバート氏の著書「マスコミはなぜここまで反日なのか」(宝島社)を読んで驚いた。あの「真相箱」は占領軍が日本人に戦争に対する贖罪意識を植え付けるためのプロパガンダの一環だった、という。ギルバート氏によれば、「真相箱」にはかなり誇張があり、それを批判した知識人もいたらしいが、小学生だった私は「真相箱」が真相だとばかり思っていた。

その占領軍(GHQ)によるプロパガンダとは、WGIP (War Guilt Information Program )すなわち「日本人に戦争責任の罪悪感を刷り込む計画」であり、日本人の民族性と伝統を徹底的に否定することで、日本人から愛国心を奪うことを意図していた。そのために、GHQは新聞社、出版社、映画会社などすべてのメディアに30項目からなる日本国民に伝えてはならない「べからず集」を強要した。

その30項目には

●     GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判

●     戦勝国(米国、英国、ソ連、中国)および朝鮮人に対する批判

●     戦争犯罪人への正当化および擁護

●     占領軍軍隊に対する批判

などが含まれる。

マスコミに唯一許された批判は日本政府に対するものだった。「今の日本のマスコミが、政府や自民党に対する批判となると、まるで鬼の首を取ったように躍起になるのは、ここに原点があります」(主題著作10ページ)。

こうして毒された日本のマスコミは信じられないミステークを重ねてきた。

教科書誤報事件

1982年、文部省が歴史教科書の検定において、元の原稿の日本の中国「侵略」を「進出」と書き換えたというニュースを各新聞社とテレビ局が流したが、これは勘違いによる誤報だった。この誤報は修正されず、教科書検定に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされること」という規定が設けられる原因となった。

これは「日本は内政干渉を歓迎します」ということを意味する。これが、朝日新聞の本多勝一記者が書いた「中国の旅」とともに、中国に南京大虐殺というフェイクニュースを流させる原因となった。(同書124ページ)

靖国神社参拝

1985年、時の総理大臣、中曽根康弘氏が靖国神社に参拝した際、朝日新聞が「総理大臣が、A級戦犯が祀られている靖国神社に公式参拝するのはいかがなものか」と批判し、それ以来、中国が「靖国」を外交問題にするようになった。

慰安婦問題

朝日新聞の大誤報であり、謝罪はしたものの、誤報だけは生き残って、韓国に日本叩きのツールを与える結果になった。

毎日新聞英語版の反日記事

2008年、毎日新聞の英語版MAINICHI Daily News は日本を貶める誇張・捏造記事をネットに流した。執筆者も編集者もアメリカ人。(同書135ページ)

 

さて、ギルバート氏は日本のマスコミが反日である原点はWGIPにありと喝破し、それによって引き起こされた数々のミステークの実例を述べているわけだが、私にはギルバート説を素直に受け入れることはできない。

なぜなら、私は冒頭に述べたように、小学生の頃にWGIPに洗脳されたはずだが、現実には産経新聞の主張に共感することが多い保守派だから、である。

私が「真相箱」のファンだったのは善悪の分別がない年ごろだったから、番組を聞いても洗脳されなかったとも考えられる。しかし、それならば現在のマスコミの第一線で活躍している方々は、私以上にWGIPに洗脳される機会がなかったはずである。それとも、職場の先輩諸氏がWGIPに洗脳され、その思想を脈々と後輩に伝えてきたのだろうか。それならば現在のマスコミ諸氏は先輩から受け継いだ思想を自分の思想よりも優先しているのか。

それとも、産経・読売を除くマスコミの人々は、反安倍政権である方が販売部数増または視聴者増に寄与すると考えているのだろうか。

この話はここまでにして、別の機会に再度論じることにする。

 

 

 


外国人観光客を避ける方法

2018-06-11 10:10:09 | メモ帳

外国人観光客が増えていることは、わが国にとって有難いことである。しかし、個人的には好ましくないと思っている。そのわけは、①観光地が混雑すること ②旅先で生活習慣の違いにより不愉快な思いをすること。

例えば、食べ放題の食堂で、客が立ち去ったあとに山盛りの食べ残しがある皿があると、見るだけで不愉快になる。韓国では少しだけ食べ残すことが礼儀らしいが、その礼儀は食べ放題では通用しない。また、大浴場で体を清めず、いきなり浴槽に入るのも気に食わない。

だから、行先を決める時、まず観光地としてメジャーではない場所を選ぶ。私は日本全国の有名観光地にはほぼ行ったから、もう二番手の観光地でいいということもある。

そして外国人観光客が少なそうな宿泊施設を選ぶ。その点で、“かんぽの宿”には外国人が少ないように感じる。“かんぽの宿”を利用したのはまだ数回だから、「傾向」として断定はできないが・・・。

こうした基準で最近選んだのは、恵那峡(岐阜県)の“かんぽの宿”。名古屋と長野を結ぶ中央本線には外国人が少ないだろうと思ったら、当たりだった。そして、恵那峡の“かんぽの宿”に外国人は全くいなかった。予想外だったことは、その建物が立派であること。一般論として、“かんぽの宿”は宿泊施設としては二流だが、恵那峡では“かんぽの宿”の建物が一番立派で、ローケーションもベスト(写真)。おまけに大浴場が巨大。2泊したが費用は平均一泊@11,500円(消費税込み)だから、安い部類に入る。綜合して、かなり満足度が高い。

かんぽの宿の客室からの眺望

恵那峡は木曽川の上流だが河口は別として、この辺りがもっとも川幅が広いらしい。ゆったりと流れる緑色の川の水と周囲の新緑の調和が素晴らしい。そして、随所に奇岩がそびえ、遊覧客を飽きさせない。恵那峡のベスト観光シーズンは紅葉の頃らしいが、新緑の今でも十分楽しめる。

ところで、恵那駅から歩いて数分のところに広重美術館がある。浮世絵に描かれている江戸時代の風景はいつ見てものどかで、当時の人々はそれなりに幸せな生活を送っていたのだな、と感じさせる。蛇足だが、ここでも外国人の姿はなかった。めでたし、めでたし。

中山道広重美術館 絵草紙屋再現コーナー

 

 

 

 

 


大東亜共栄圏の記憶

2018-06-07 15:49:12 | メモ帳

「犠牲者120万人、祖国を中国に奪われたチベット人が語る、侵略に気づいていない日本人」(ぺマ・ギャルポ著)というおそろしく長いタイトルの著作を読んだ。

題名から判断して、この本は中国に侵略されたチベットの悲劇を克明に記述し、日本人に警告を発しているのだろうと想像していたが、その話題は九つある章のうちの二つだけで、三つの章は日本の現状を憂慮するとともに今後どうあるべきかに焦点を当てている。ギャルポ氏は日本人以上に日本の問題点を熟知しており、共感する部分も多い。彼は安倍首相とうまが合うに違いない。

本稿ではそのチベット論や日本論ではなく、194311月(終戦の約2年前)に東京で開催された「大東亜会議」に焦点を当てたい。(正直に申して、私はギャルポ氏の著作を読むまで「大東亜会議」についてまったく知識がなかった)

「大東亜会議」に出席したのは、独立国だったタイ、戦争が始まってから日本が独立させたフィリッピンとビルマ(ミャンマー)、日本が支援していた中華民国(南京政府)と満州国、そして独立運動を推進していたインドである。ギャルポ氏はこの「大東亜会議」の意義を次のように述べている。

他国に植民地化され、民族の誇りを奪われ、かつ本来ならば自分の祖国で、二級市民時には奴隷のように扱われていた民族にとって独立を成し得たということがどれほど感動的なことだったか。それは国を失った私のような民にはよくわかる。各国のリーダーたちの言葉は、決して日本に追従するだけのものではなく、自国の立場、自民族の立場をしっかりと訴えようとしていた。

その各国リーダーの一人がインド仮政府のチャンドラ・ボースである。彼の演説のキモの部分を紹介する。

我々自由インド仮政府並びにその指導下にあるものは、まさに米英帝国主義に対し最後の決戦を開始せんとしているものでありまして、我々の背後には無敵日本の強き力のみならず東亜の解放せられたる各国民の総意と決意ありとの自覚のもとに、今や我々は不倶戴天の仇敵撃滅に進軍せんとしている次第であります。・・・この会議こそは解放せられたる諸国民の会議であり、正義、主権、国際関係における互恵主義および相互援助等の尊厳なる原則に基づいて世界のこの地域に新秩序を創建せんとする会議なのであります。

ずいぶん日本を持ち上げ頼りにしているが、それだけにチャンドラ・ボースの独立を願う熱意がひしひしと伝わってくる。彼はインド国民軍を率いて日本軍とともに英国と戦ったが、日本の敗戦とともに反逆者として裁判にかけられた。そして、結局インドは1947年に独立を果たす。

こうした歴史の流れを辿ってみると、第二次世界大戦がインド独立の引き金になったことがわかる。その後、インドネシア(オランダから独立)、ベトナム(フランスから独立)など東南アジア諸国が続々と独立を果たしたが、すべてその契機は第二次世界大戦だったことは明らかである。

さて、第二次世界大戦の頃、私は小学生だったが、いまだに当時『大東亜共栄圏』というスローガンがあったことを記憶している。戦後今に至るまで、私はそんなスローガンは戦争を正当化するための空念仏だったのだろうと勝手に思っていたが、ギャルポ氏の著作を読んで、案外そうではなかったのではないかと思うに至った。

すなわち、「大東亜会議」の意義は『大東亜共栄圏』という壮大な理念の根幹であり、当時の日本の指導者たちは第二次世界大戦を『大東亜共栄圏』を実現するための聖戦と本気で考えていたのかも知れない。

 


史実を歪曲する韓国の歴史教科書

2018-06-02 13:01:43 | メモ帳

ネットでたまたま韓国の国定歴史教科書を日本語に翻訳した動画を見つけた。

https://www.youtube.com/watch?v=UvcGHKc3k1I

反日的内容であろうことは予想していたが、内容にはとんでもない歪曲がある。訳文の文脈を整理すると、次のような論旨になる。

日本は統治時代に、鉄道、道路、水道、銀行、病院などの社会基盤を整備したが、それはわが国(朝鮮)にいる日本人のためのものだった。そして、その資金は日本政府からの借款で賄われたので、わが国の政府は多額の負債に苦しむこととなった。

「社会基盤の整備は、朝鮮に住む日本人のためのものだった」というロジックは、反論するのも阿呆らしい暴論だが、それはさておき「わが国の政府は日本からの多額の借金に苦しんだ」という部分は史実の歪曲にほかならない。

当時は「わが国(朝鮮)の政府」は存在しなかった。存在しない政府が「多額の負債に苦しんだ」とはどういうことか!? 「多額の負債に苦しんだ」とは、裏を返せば日本の朝鮮経営が赤字だったことを意味するものであり、その赤字補填は日本人の税金でまかなわれた。そして、最終的に終戦時にすべて韓国と北朝鮮に無償供与された。

とにかく、かなり無理な論理展開になっている。幼いうちからこういう教育を受けていれば、反日思想に凝り固まるのは当然であろう。