頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

新聞の押し紙

2019-11-28 17:09:05 | メモ帳

ネットが発展するにつれて、新聞の購読者数が減少傾向にある。それにつれて、「押し紙」すなわち“販売店に納入されるものの配達されず、廃棄される新聞”の存在が取り沙汰されるようになった。

「月刊Hanada」1月号に掲載されている上念司氏(経済評論家)の論文「拝啓、朝日新聞社様」が、この「押し紙」問題について言及しているので、それを参考にしつつ、頑固爺自身の見解を述べる。

購読者数が減少傾向になると、販売店は新聞社への注文部数を減らそうとする。しかし、新聞社としては販売部数の減少は売上減少になるだけでなく、広告スポンサーに対する説得力を弱めることになるので、販売店への納入部数は減らしたくない。そこで販売店に圧力をかけるから、「押し紙」が発生する。

新聞社は販売店が数量減少を望んでも、力関係で元のままの数量を納入し、その数量に対して請求する。だから、販売店は余った分を廃棄処分するしかないが、それでは経営が成り立たず、なんらかの対策を講じなくてはならない。

販売店の収入源として折り込みチラシがある。正しい配布数によって料金を請求する場合もあるが、「押し紙」による損失を少しでも取り戻したいので、新聞社から納入された数量でチラシ料金を請求することが慣習化している。

具体的な例で説明する。

販売店の顧客(購読者)が2000人として、月間購読料(朝刊のみ)を朝日新聞と同じ3,093円、仕入れ代金を6掛けの1,856円とする。

(1)「押し紙」(廃棄)がない場合

月間売上高                           2,000×3,093=6,186,000円

月間仕入れ高                       2,000×1,856=3,712,000円

粗利                                                  2,474,000円 (粗利率 40%)

 

(2)購読者が3割減って1,400人になったにもかかわらず、新聞社の要請で、販売店が前と同じ部数を仕入れる場合

        月間売上高                         1,400 ×3,093 = 4,330,200円

       月間仕入れ高                       2,000 ×1,856= 3,712,000円

       粗利                                                 618,200 円 (粗利率 14%)

 

(3)チラシ配布で「押し紙」の損失を軽減する場合

購読者は1,400人だが、販売店は新聞社には2000部を発注し、一件3.5円のチラシを毎日5件折り込む場合(休刊日は無視する)を想定する。

(チラシ広告主には2000部配布すると伝えるが、実際に配布するのは1,400部)

月間売上高:新聞     (2)と同じ4,330,200円

      チラシ 3.5×5×30×2000=1,050,000 円

      合計           5,380,200円

仕入れ高:2,000×1,856=3,712,000円

粗利: 5,380,200-3,712,000= 1,668,200円 (粗利率31%)

 

新聞社の「押し紙」への対応策として、販売店はチラシの配布数を水増しして広告主に請求するのである。ただし、チラシ配布数を正直に(この場合なら1,400)請求する良心的な販売店もある。

なお、チラシ配布は新聞購読者数の減少傾向が始まる前から行われていたことであり、「押し紙」とは直接の関係はない。そして、チラシの水増し請求は「押し紙」が顕著になってから行われるようになったと思われる。

さて、新聞本体とチラシの廃棄は資源のムダだが、新聞販売店としては生存を図るためには、やむにやまれぬ苦肉の策なのである。新聞社もこうした動きがあることは承知しているものの、打つ手がないのが現状である。残念なことだが、この傾向は新聞購読者の減少傾向が続く限りは続くと思われる。

蛇足だが、アメリカでは折込み広告は存在せず、広告はすべて紙面に印刷される(だから新聞のページ数が多い)。地理的に広大なため、新聞を当日に配達できず、全国紙が発達しないのである(例外は USA Today)。

 

追記 上念氏の論文も具体例で説明しているが、その数字に納得いかない部分があり、私独自の数字モデルを組み立てた。

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 


日本は李氏朝鮮を侵略したか―補足

2019-11-25 14:47:45 | メモ帳

前回言い足りなかった点を補足したい。

韓国では学校教育で「日本は朝鮮を侵略し、極悪非道な統治によって国民を苦しめた」と教えるから、一般大衆はもとより大統領から裁判官にまで反日意識が強固である。

文喜相国会議長が「天皇は慰安婦に謝罪すべきだ」という暴言を吐いて日本から逆に謝罪を求められ、「賊反荷杖」(悪人が居直った)と言った事件があったが、彼の反論は心の根底に「日本悪玉」感が染み付いているからだろう。

ところが、頑固爺は商社勤務の現役時代も米国で起業してからも、韓国企業と深いかかわりがあったし、度々韓国を訪れたが、当時(1970~80年代)韓国滞在中に反日意識を感じたことはない。その頃は慰安婦問題も徴用工問題もなかったし、竹島問題は別にして、すべてのイザコザは1990年代以降の話なのである。

日本が併合時代に過酷な統治を行ったのであれば、その統治を経験した年齢層に反日意識が強く、その年齢層がいなくなれば反日意識は徐々に弱まるはずだが、逆に年々過激になっている。その理由を考えてみると、大統領が反日思想を煽ることで国民の意識統一を図ってきたことと、北の意向を汲んだ市民団体の力が強くなったためということになる。つまり、現在の軋轢は併合時代の残滓ではなく、政治問題だと考えるべきである。

では、日本は今後どう対処したらいいのか。「韓国はどうしようもない国だから、断交しかない」という声もあるが、私はなんとかして友好関係を再現し、日韓関係をwin win (平和的共存共栄)の形に構築したいと願っている。

その観点から、韓国人が歴史の歪曲に気づいて、自然発生的に「歴史見直し」気運が醸成されることが望ましい。「反日種族主義」がベストセラーになったことは、その追い風になるはずだ。さらに、日本に移住して、真逆の歴史に気づいた韓国人(呉善花、シンシアリー、WWUKなど)にはさらに韓国語で情報発信して母国に貢献してもらいたい。

私なりの思い付きを並べたが、韓国人に歴史の真実を知らせる方策はまだまだあるはずだ。知見ある人々のご協力に期待する。

 

 

 


日本は李氏朝鮮を侵略したか

2019-11-23 11:24:35 | メモ帳

韓国の反日思想の根底には、“日本に侵略され、苛酷な統治を強いられた”という被害者意識がある。そして、日本人も贖罪意識によって、韓国人の感情に応えてきた。頑固爺はこの“日本の侵略と苛酷な統治”に疑問を持ち、韓国の近現代史を研究している。今回は、「韓国がタブーにする日韓併合の真実」(2003年ビジネス社刊、崔基鎬著)を題材にして、併合以前の朝鮮社会について考えてみたい。以下、赤字は同書からの引用、青字は同書の要約である。

●支配階級は民衆から富を収奪した

李氏朝鮮は腐敗しきって、国家の体をなしていなかった。・・・国は八つの道とその下の郡に分かれていたが、道長官に当たる観察使も、元と呼ばれた郡守も、買官することで、その無給の地位を手に入れた。・・・李朝末期には、観察使のポストはおよそ百万両(現在価値で1億円)だった。(16ページ)

地方に赴任する官吏は国王に巨額のカネを払って、無給の地位につき任地での徴税権を手にしたから、可及的速やかに投資を回収し、さらに利益を得るために過酷な徴税を行ったのである。その官僚になるのは両班と呼ばれる支配階級で、身分は固定化していた。

李朝の身分階層は、支配階級の両班(納税義務・兵役義務・建設工事の賦役を免除された貴族)、中人(登用試験の科挙に合格した常民で、官僚の補佐としての技術職になるか、または軍人に登用された)、常民(農民、商人、手工業者)、()に分かれていた。両班は、下層階級を支配し、しばしば暴力をふるった。常民が懸命に働いて裕福になると、無実の罪を着せて投獄し、財物を没収した。常民に美しい妻がいれば取り上げて妾にした。

李朝時代の各身分の人口構成は次のようである。(出所:学校指導書)

1700年代 両班 5% その他 95%

1800年代 両班 50% その他 50%

1900年代 両班 65% その他 35% (人口総数:1,300万人)(99ページ)

貴族層の両班は労働を蔑視し、生産活動は行わず、下層階級からその生産物を取り上げて生活した。上記の数字から、両班の苛酷な収奪により下層階級の人口が相対的に減少し、富裕な両班の人口が年々増えたことが窺える(日本の武士階級は全体の約8%)。李朝末期においては、65%を占める両班の生活を35%の下層階級が支えたのだから、その生活がいかに悲惨なものだったかが想像できよう。

ちなみに、日本の統治が終わった1945年の人口は2,800万人だったから、日本統治時代の35年間で人口は倍以上に急増したことになる。李朝時代とは格段の相違である。

●李朝末期の宮廷

国王と支配階級であった両班は、絶え間ない権力闘争に血道をあげるかたわら、農民を中心とした常民を徹底的に搾取し、国の経済が疲弊するのにいささかも顧慮することなく、浪費と贅沢三昧に耽った。

・・・わけても李朝末期にみられる大院君(国王の父)と閔妃(国王の妃)の対立は、その典型的なものである。両派は清国・ロシア・日本の3国から、その時々の優勢と思われる国を選んで、すり寄って保護を求めた。末期症状をさらに悪化させたのは、国王の高宗が愚昧で、酒色に溺れ、国政を一向に顧みなかったことである。(3ページ)

国王とその側近は連夜酒宴を催し、起きてくるのは午後遅くだったという。そんな有様では政治どころではなかっただろう。宮廷費は国家予算の半分を占めたという。予算規模が小さいとはいえ、とんでもない数字だ。施政者の腐敗・堕落は目を覆うものがあった。しかも、国王は日本の近代化要求を拒否した。近代化は自分の権力を弱めると懸念したのである。

李朝は軍隊を所有してはいたが、それは軽装備で暴動を鎮圧することが役割だった。清国の属国だから、軍隊の必要性がなかったし、軍隊を維持する経済力もなかった。そもそも、自分の国は自分で守るという思想も気概もなかった。

そして、閔妃暗殺事件、日清戦争、日露戦争を経て、日本の併合に至るが、国際情勢については別の機会に譲る。 

●日韓併合が朝鮮民族を救った

李氏朝鮮には人権がなかった。日韓併合はこのような社会不正を正した。日本人が汗水たらして、朝鮮の近代化と民衆の生活向上に努力した側面を無視するどころか恨むのは、甚だしい背恩妄徳といわねばならない。(234ページ)

わが国の人々の多くは、日本統治が犯罪行為であったごとく力説するが、それは事実を知らぬ妄説である。(4ページ)

このように、著者の崔基鎬(チェキホ)は、「日韓併合が朝鮮民族を救った」と認識しており(227ページ)、その見解を補強するものとして、中国の思想家、梁啓超の意見を次のように引用している。

梁啓超は清朝末期から民国の初期にかけて名を馳せた近代中国思想界の先駆者である。彼は隣国の李氏朝鮮にも興味を持ち、その著作の中で、李朝亡国の原因が宮廷、政治、社会の腐敗にあると指摘して、「朝鮮人自身が朝鮮を滅ぼしたのであって、日本を始めとする外国によって強いられたのではない」と論じた。朝鮮は滅ぼされたのではなく、自滅したのであった。(66ページ)

このブログ(10月23日)は、「韓国には不都合な朝鮮紀行」と題して、英国の女流旅行家イザベラ・バードの“朝鮮の改革には他力本願しか手立てがなく、その頼る相手は日本またはロシアである”という見解を引用した。その見解は李朝崩壊前の状況を指していたが、梁啓超の見解は李朝崩壊後にその原因を述べたものである。要するに、外国人は客観的に見て、朝鮮は自立できなかったと判断した。韓国の教科書は「日本の侵略がなかったならば、韓国は自力で近代化できた」と教えるが、李朝の崩壊は自滅であって、日本は加害者ではなく、韓国も被害者ではなかったのである。

ところで、本日(韓国がGSOMIAの延長を発表した翌日)の産経新聞のコラム“産経抄”は次のような意見を述べている。

「日韓対立の根本的解決には、過去の事実関係を徹底的に調査し、嘘がまかり通る状態に終止符を打つことが不可欠である。短期的には摩擦が増そうとも、嘘を一つ一つ潰していくことが肝要だ」

この意見はまさに、このブログで頑固爺が主張してきたことである。未来志向になる前に過去志向になって、歪曲された歴史を徹底的に修正すべきである。韓国人が正しい歴史を知るまでは、本当の日韓友好は成立しないと考える。

 

 

 

 

 


白鵬の独走となった大相撲

2019-11-22 13:25:30 | メモ帳

12日目が終わり、白鵬が星二つの差をつけて、独走態勢になった。よほどのアクシデントが起きない限り、このまま突っ走るだろう。

頑固爺はこの白鵬が大嫌いである。理由は、必ず立ち合いで、相手に張り手をかますこと。昨日の遠藤戦でも決まり手こそ、はたき込みだったが、張り手二発で遠藤は目を回し、そこをはたかれたと思う。張り手はルール違反ではないが、卑怯な感がある。

不思議なのは白鵬に張り手を見舞う力士がいないこと。横綱相手の張り手は失礼にあたるのか(笑)。あと三日間の対戦相手(御嶽海、貴景勝等)は、立ち合いで白鵬の両頬をぶっ叩いてはどうか。


韓国の嘘を暴く「反日種族主義」が品切れ

2019-11-20 15:37:37 | メモ帳

本日、産経新聞投書欄に下記を投稿した(青字)。

韓国の嘘を暴く「反日種族主義」が品切れ

韓国でベストセラーになった「反日種族主義」の日本語版の新聞広告を5~6日前に見て、昨日八重洲ブックセンターへ行ったら「品切れです。入荷まで数日かかります」と店員。東京駅構内の三省堂でも、やはり品切れ。この本は書店や出版社の予測をはるかに超えて売れているのだろう。そこで新聞各社にお願いである。同書のバカ売れ状況を紙面で報じてもらえぬか。狙いは、その記事を見れば韓国のマスコミが話題にするだろうから、韓国でさらに同書の販売部数が伸び、より多くの韓国人が歪曲された歴史を知ることで、反日意識にブレーキがかかるのではないか、という期待である。日韓対立を和らげるために、各紙はぜひ実行して頂きたくお願いする。

ご存知と思うが、マスコミ報道の前評判によれば、「反日種族主義」は韓国の歪曲された歴史認識を修正する著作らしい。辞任した韓国の法務大臣曹国が同書を「吐き気がする」と評したという新聞報道を読んだが、これまで学んだ歴史と真逆の史実を突き付けられれば、反日原理主義者がそう感じるのは無理もない。この本は韓国で十万部売れたそうだが、もっと多くの韓国人がこの本を読んで、真実を知ってほしいと願う。

そのためには、日本でバカ売れしている状況をマスコミが報じてほしいのである。韓国の新聞が日本での評判を報じれば、まだ同書を読んでない韓国人が興味を持って買うのではないだろうか。

産経新聞が私の投書をボツにするかも知れぬが、それでもよい。私の狙いは、産経新聞が「反日種族主義」のバカ売れぶりを記事にすることである。


旭日旗でなく、日章旗を掲げよう

2019-11-18 13:25:06 | メモ帳

「プレミア12」の野球で日本が優勝したことはご同慶である。

さて、その2日間続いた日韓戦をTVで見ていて、旭日旗は見当たらなかったが、TVカメラが捉えなかっただけで、やはり外野席にいたらしく、韓国がクレームしている。 

https://www.youtube.com/watch?v=FF-rJCusZ_M

https://www.youtube.com/watch?v=3ep6r7Rk-ns


旭日旗を貶めようとする韓国の態度には辟易するが、それが理不尽な言い掛かりであることは明確に主張すべきである。最近、日本政府がネットに旭日旗に関する日本国の主張を掲げたことは、その一環として評価する。

筋を通すことは必要だが、スポーツの観客席で旭日旗を掲げることは控えるべきだと考える。理由は、韓国が旭日旗を嫌っていることは、日本人ならだれでも知っていることであり、それでも旭日旗を掲げるのは、たんなる“嫌がらせ”でしかないからである。今どき、観客席で旭日旗を掲げるのは日本人の品位を落とすことになると懸念する。

国威発揚が目的なら、日章旗でいいはずだ。スポーツのサポーターの皆さんは、オリンピックも含め今後は旭日旗でなく、これまでと同様に日章旗にしてもらえぬか。ご賛同頂けることを期待する。

 


GSOMIA破棄に関する韓国マスコミの反応

2019-11-17 11:30:15 | メモ帳

韓国人のシンシアリー氏は日本に移住したが、韓国のマスコミを広くチェックして、日本人に興味がありそうな話題を拾って、自分のブログに提供している。

同氏の最近の関心事は“GSOMIA破棄” で、本日も韓国の某紙(かなりマイナーな存在らしい)の露骨なコメントを引用している(赤字部分)。

・・強制徴用問題は、(※文在寅大統領が)手を出して台無しにしてしまった代表的なケースだ。朴槿恵政府は最高裁と協力して状況悪化を防いだ。ムン・ジェイン政府はこれを『司法壟断』という名前で断罪した。今、どうなっているのだろうか。双方の対立は経済戦争にまで広がった。23日0時にはGSOMIAも終わってしまう。米国当局者たちは、相次いで韓国を訪れGSOMIA復帰を圧迫した。下手に触れたせいで、韓国だけ孤立する事態となった。誰一人責任を負う人がいない。反省もない・

・・なぜ政策が無いのか。勉強しない、悩まないからだ。経験もない。そんな状態で執権したのだ。金大中政府の5年間は金大中の個人技で穴を埋めることができた。盧武鉉政府5年間は、様々な実験と失敗の連続だった。ムン・ジェイン政府はさらに、よけいに触って動作不能にしてしまう。収束すらできずにいる。だから「ムン・ジェイン政府のレイムダックが国のために利益」という評価が共感を得ているわけだ。問題を解決する能力がなければ、最初から触らなければよかったのだ。壊して再建できないなら、最初から壊すべきじゃなかったのだ。無能にすら及ばないのが、無知である。

 では、大手マスコミはどう反応してえいるか(赤字)。

朝鮮日報(16日の記事)

・・・GSOMIA破棄が敗着であることはすでに誰の目にも明らかだが、それでも韓国大統領府は態度を改めず意地をはり続けている。米国は激怒しているが、韓国大統領府の鄭義溶(チョン・ウィヨン)安保室長は「韓米同盟とは全く関係がない」と強弁している。彼らは一体何を期待しているのか。

(頑固爺注)“敗着”は日本語にはない言葉だが、意味はなんとなくわかるから,意訳しなかったのだろう。

中央日報(17日の社説)

 ・・・いま韓国政府は安保政策を立て直さなければいけない時だ。非核化の意志を見せず挑発を繰り返す北朝鮮に堂々とした態度で対応する必要がある。そして何よりも韓米同盟を立て直さなければならない。その試金石がGSOMIA終了の撤回だ。

マスコミに叩かれ、北には冷たくされ、文在寅大統領は四面楚歌となった。進むも地獄、退くも地獄。文は23日に地獄への道標を見ることになる。


中小企業改革論

2019-11-16 15:21:12 | メモ帳

消費税が10%に上ったが、今後の高齢者人口の一層の増加を考えると、早かれ遅かれ更なる増税が必要である。一方、人口減少に歯止めがかからず、労働人口は減るばかり。誰が見ても、日本経済には抜本的対策が必要である。この窮状に焦点を当て、日本の長期的グランドデザインを提案しているのが、近刊の「国運の分岐点」(David Atkinson著 講談社+α新書)である。同書の主張をまとめると、以下(青字)のようになる。

【日本経済の地盤沈下】

●一人当たりGDP(単位US$)

米国 62,606、 台湾 53,023、豪州 52,373、ドイツ 52,359、イギリス 45,705、日本 44,227,韓国 41,351、スペイン 40,139

日本は韓国にも抜かれそうな形勢である。

●時間当たり最低賃金(単位USドル)

ドイツ 11.07、イギリス 10.25、台湾 10.09、米国 9.33、韓国 8.32、スペイン 8.19、日本 7.10、ギリシャ 6.42 

日本の最低賃金はスペインやギリシャよりは多いが、韓国より少ないのには泣けてくる。

●経済成長率 世界平均 2.74%

米国 2.38%, EU全体 1.64%、イギリス 2.01%、フランス 1.48%、日本 0.88%、イタリア 0.64

要するに、日本はいつのまにか経済では二流国になった。その原因は、日本には経営効率が悪い中小企業が多すぎるからである。

【中小企業優遇策】

1964年に日本政府は法人税軽減などの中小企業優遇策を講じた。その結果、中小企業(従業員数、製造業 300人以下、卸売業 100以下、小売業 50人以下)が急増した。中小企業の経営者は、会社を大きくしない方がいいという考えになったのである。

それでも、人口が増えている間は一人当たりの賃金(すなわち生産性)は上昇したが、人口が減少し始めると賃金は上昇どころか、低下傾向になった。

消費者(顧客)が減っても売り上げが減らないようにするためには、値下げが必要だった。それが賃金の低下をもたらした。

【中小企業統合の必要性】

中小企業数社が統合した場合、経理・総務などの管理部門に携わる人員を減らせる。支店が多い業種なら、支店を減らせるから家賃総額が減る(銀行は中小企業ではないが、一時20行以上あった都市銀行が今では5行になった)。宣伝も一括して実施できるから、効率がよくなる。会社が大きい程一人当たりの給料が高いのは、世界共通の鉄則で、企業規模が大きくなれば、生産性が上がり賃金を上げられるのである。

会社を統合すると余剰人員が発生するデメリットがあるが、今後さらに悪化すると思われる人手不足は会社統合に適した状況である。

【いかに会社統合を進展させるか】

これまで日本では、「中小企業は日本の宝」という「中小企業神話」が存在した(例 TVドラマの「下町ロケット」)。これからは、発想を百八十度転換して、「中小企業=悪」という認識に変えることが必要。それには中小企業が自発的に統合を進める施策を講ずべきである。

【頑固爺所感】

“賃金を上げるには中小企業の統合が必要” という理屈は理解できる。しかし、政府が統合の旗を振っても(税制改革など)、中小企業が簡単に方向転換するだろうか。

まず、問題は社長である。2社を統合したら、社長が一人失業する。その処遇をどうするか。一人は会長にまつりあげることで名目上は解決できるが、経営方針で衝突したらどうなるか。また、統合で弾き出される従業員の処遇も考慮しなくてはならない。

すなわち、Atkinson説には各企業とも、総論賛成、各論不賛成になるだろう。さらに、競争している企業同士が簡単に統合に踏み切れるかという問題もあるし、未知の企業同士ならば統合のきっかけがないという問題もある。

そこで必要になるのは行司役ないしはフィクサー役である。その役割をこなせるのは取引銀行だと思う。

こうした実務論になると、頑固爺がいくら考えても、“ごまめの歯ぎしり”のようなものだから、このへんでやめておく。ともあれ、日本経済の苦境打開には、Atkinson説は是非とも実行すべきと考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地球温暖化、CO2悪玉説の怪

2019-11-15 15:35:38 | メモ帳

先般このブログで地球温暖化CO2悪玉説に関する疑問を提起したが、本日(15日)付けの産経新聞に「温暖化プロパガンダに警戒を」と題した渡邊惣樹氏(日米近代史研究家)の論文が掲載されているので、かいつまんでご紹介したい。以下(青字)は同論文の要点である。

地球温暖化問題を先導したのは、1929年生まれの石油で財を成したカナダ人モーリス・ストロング(以下MS)で、彼の狙いは豊かな先進国(特に米国)から開発途上国への富の移転だった。

●1969年、環境保全に熱心だったスェーデン政府に近づき、国際環境会議(ストックホルム会議)の議長に就任。

●1972年、MSは地球環境をモニターする国連会議(UNEP)を立ち上げた。

●1992年、国連はリオデジャネイロで地球サミットを開催。その議長はMS。

●1997年、京都議定書調印。その骨子は先進国だけにCO2排出義務を負わせたこと。中国は途上国に分類され、2030年までCO2削減義務を負わないことになったが、そこ暗躍したのがMSらしい。

●2003年、MSは米国民主党の重鎮アル・ゴアと結びつき、シカゴCO2排出権取引所(Chicago Climate Exchange民間企業)が開設されたとき、ゴアがその株(3%)を取得するよう取り計らった。

●2006年、ゴアはドキュメント映画「不都合な真実」を製作。

同年、MSは国連石油食糧交換プログラムの資金100万ドルを横領したかどで、米国連邦裁判所に起訴され、有罪となり中国に逃走。

●2010年、シカゴ排出権取引所が売却され、ゴアは巨額の利益を獲得。

●2012年、4年後に大統領になるドナルド・トランプは「地球温暖化CO2悪玉説は、米国製造業から競争力を奪うために中国が創造した嘘である」と発言。

●2015年、パリ協定締結。MS死去。

●2017年6月、トランプ大統領はパリ協定からの離脱を表明。

筆者の渡邊惣樹氏は、この小論ではモーリス・ストロングがいかに地球温暖化問題に係っていたかに焦点を当てているが、「月刊WILL」12月号に掲載された「グレタさんの陰で環境利権者たちが暗躍」と題した論文では、利権者たちに焦点を当てている。

頑固爺は、CO2排出を制限することは必要だと思っているが、温暖化CO2主犯説は疑わしいと考えている。この小論では、プレーヤーの怪しさ(中国との関係)が浮き彫りになり、疑惑は一層深まった(下線部分)。

さて、北海道は今、猛烈な寒波に見舞われているが、温暖化で寒波がやってくるという矛盾を温暖化説を唱える学者はどう説明するのか。

ともあれ、日本の主要メディアはCO2悪玉説の怪しさから逃げているように感じる。

 

 

 

 

 

 

 


観桜会問題は早期幕引きを図るべきだ

2019-11-13 10:08:00 | メモ帳

本日(13日)、各紙は安部首相主催の観桜会に後援会のメンバーが数百人招待された件を報じた。特に朝日新聞は一面トップの扱いである。打倒安部内閣を社是とする感がある朝日としては、絶好のチャンスなのだろう。詳しくは新聞をご覧頂くとして、この事案の争点は、“税金を使った観桜会に首相の後援会メンバーを招待するのは筋が通らぬ”ということである。

頑固爺がたまたま観た先週の国会中継で、野党がこの観桜会の“招待基準”について質問した時、首相は「後援会のメンバーが各界の功労者と重複することはありえる」と答弁したが、これは説得力に欠ける。数人だけならこの答弁でも逃げ切れるかもしれぬが、数百人となると理屈に合わない。

頑固爺は安倍首相の支持者だが、“なんでもかんでも安部を支持”ということではない。この件に関する限り、安倍氏の脇が甘かったと思う。長期政権の驕りが生じたか。

野党は勢いこんで国会でこの問題を追及することは必至。こんな次元が低い問題で、大事な審議時間を無駄に費やすのを見ることになると思うと、気が重い。安倍首相は謝罪するなりなんなり、早期幕引きを図ってもらいたい。


「身の丈」と「雨男」がなぜ悪いのか

2019-11-12 13:24:44 | メモ帳

頑固爺はアメリカでの生活が30余年であったため、価値観に普通の日本人と比べて多少ズレがある。最近では、荻生田光一文科大臣の「身の丈」発言と、河野太郎防衛大臣の「雨男」発言に対するマスコミと野党のバッシングにズレを感じたので、今回はこの問題をテーマにしたい。

荻生田文科相の発言はこうだった。「裕福な家庭の子供が回数を受けてウォーミングアップできるというようなことがあるかも知れないが、自分の身の丈に合わせて2回をきちんと選んで頑張ってもらえば・・・」

これにマスコミ各社が噛みついた。その代表として朝日新聞の社説(10月9日)を引用する。「入試には貧富や地域による有利不利がつきまとう。その解消に努めるのが国の責務であり、ましてや不平等を助長することはあってはならない。それなのに、教育行政トップが“身の丈”を持ち出して不備を正当化したのだ。格差を容認する暴言と批判されたのは当然である」

当時、荻生田氏は大臣になったばかりだったから、前任者が作った制度を踏襲する立場で、「各受験者が“身の丈”にあう形で受験してもらいたい」と発言したわけだが、そのどこが間違っているのか。貧富の差や地域による不平等はできるだけ解消するように努めるのが政府の責務であることに異論はないが、不平等は一朝一夕に解消できるものではなく、それで荻生田氏を難詰するのは筋違いである。さらに、そんな不都合な制度ができた時、マスコミや野党はなぜ黙認したのか。

そもそも、国民それぞれが貧富の差や地域差を自覚しつつ、日常生活の方向を選択しているのであって、それが“身の丈”に合った行動である。すなわち、“身の丈”に合った行動は世界共通の普遍的規範なのである。

批判すべき対象は制度そのものであるべきだが、マスコミや野党の矛先はなりたてホヤホヤの大臣に向けられ、バッシングを浴びせたのは理不尽だと考える。

一方、河野防衛相の「雨男」発言に対する批判は論外である。悪天候を押して頑張ってくれた自衛隊員をねぎらうスピーチの中での冗談であって、それで気を悪くする被災者がいるとは思えない。「雨男」発言を批判する人々は、よほど根性がひん曲がっているのではないか。

さて、荻生田と河野両氏が問題発言について謝罪した時、上述の論旨をこのブログに掲載しようと考えた。しかし、冒頭に述べたように、私の価値観は一般日本人とズレているので、ブログ読者の共感は得られないと判断して、私見の開陳は控えた。ところが、119日の産経新聞の囲み記事に、門田隆将氏(保守派論壇誌の常連)による私とほとんど同じ趣旨の寄稿文を見つけ、「世の中には私と同じ考えの人もいるんだ」と安堵した。そこで、事件発生後2週間も経ってから、“六日の菖蒲”“十日の菊”であることを顧みず、投稿することにした次第である。

では、冒頭に述べた米国では、このような論議は起きるだろうか。答えはノーである。そのわけは、米国は多民族国家であるため国民の価値観が多様であり、こういう些細なことに対する主観的主張に同調する人は少ないからであある。そして、こうした発言は失言にはならないから、謝罪もない。そもそも、彼らは簡単に謝罪しない。米国には米国の特殊事情があるから、その価値観が普遍的とは言えないが、この件はかなり日本独特の価値観に根差したものだと考える。

 

 

 

 

 

 


首脳会談を撮影したのは誰か

2019-11-10 14:15:30 | メモ帳

去る8日、産経新聞は「日韓首脳対話 無断で撮影、韓国側が公表、紳士協定違反」という見出しの記事を一面トップで報じた(写真)。

その記事は次の文章で始まる(赤字)。

安倍晋三首相と韓国の文在寅大統領が4日、訪問先のタイのバンコック郊外で、短時間言葉を交わした際、韓国側が日本側に無断で撮影を、その写真を公表していたことが7日、分かった。・・・韓国側は首脳会談をアピールし、関係改善の糸口を見出す思惑があったようだが、韓国側の“だまし討ち”に日本政府は対韓不信を強めている

このあとに続く部分は省略するが、知りたい方は下をクリックされたし。

https://www.youtube.com/watch?v=EMxyrvDjtAk

この会合はもともと予定されていなかったが、文大統領の要請でASEAN会議の合間に急遽セットされた10分ほどの非公式会合である。したがって、その場にはメディアのカメラマンはいなかったはずだが、11月5日の各紙はその会合を写真入りで報じた。

頑固爺もこの写真は見たことがあるが(多分5日の読売新聞)、言われてみれば確かにその写真を誰が撮影したのかは問題視してしかるべきである。

産経によれば、この写真を撮影したのは文大統領の随行員(鄭義溶国家安全保障室長だという証言あり)で、改めて掲載された写真の説明には“韓国大統領府提供、聯合ニュース経由=ロイター”とあるから、この写真は韓国政府から聯合ニュースにわたり、そこからロイター通信経由で各紙に配信され、5日の各紙の紙面を飾ったことになる。

その時点では、各紙はその写真が誰によって撮影されたのか、疑問を持たなかった。しかし、産経だけは誰が撮影したのか不思議に思い、調べた結果を3日後の8日になって発表した、という流れだろう。

さて、文氏としては日本との関係改善に努力しているということを韓国々民と米国に知らしめるために、安倍首相を無理にショート・ミーティングの席につかせたわけだが、写真でその会合を視覚的に補強したかったと推測する。

礼儀として、韓国側は写真を撮ったこととそれをメディアに提供することを日本側に伝えるべきだった。その点で確かに韓国側の対応は非礼である。しかし、産経の“だまし討ち”という表現は言い過ぎのように感じる。さらに、一面トップに据えるほどの事案ではなかったのではないか。当日はよほどニュースがなかったのだろう(笑)。

さて、当該記事に続いて、“日本側の発表を韓国首相が批判”という見出しの話題は次のようである。

【ソウル発】韓国の文在寅大統領と安倍首相がタイで4日に行った面談などに関する日本側の発表について、韓国の李洛淵首相は7日、「対話の内容も紹介せず、国際的な基準に合うとは思わない」と批判した。・・・日本の外務省が、安倍首相は文氏に「わが国の原則的立場をしっかりと伝達した」などと発表したのに対し、韓国大統領府は、両首脳の対話による問題解決に重点を置いた発表を行っていた。(以下省略)

李洛淵首相は“韓国政府の発表に比べて、日本政府の発表は説明不足だ”と批判しているわけだが、たった10分の対話の席上で、文大統領が安倍首相に関係改善の具体策を提案したとは思えない。百歩譲って、重要な提案があったのであれば、日本政府はそのように発表しただろう。“国際的な基準に合うとは思えない”というほどの大げさな話ではない。

文大統領としては、「韓国政府が関係改善に向けて、こうして努力しているにもかかわらず、日本が乗ってこないのだから、日本が悪い」というストーリーに組み立てたいのだろう。文氏は日韓基本協定を反古にしようといろいろ画策していることが窺える。

では韓国の新聞は産経の記事にどう反応したか。以下、中央日報の記事を引用する(青字)。

8日の産経新聞は1面トップ記事で「両首脳による面談の写真は、韓国側が日本側に無断で撮影、公開していた」と報じた。続いて「韓国が一方的に首脳間の対話を内外に示そうとしたためだが、日本政府は用意周到な韓国側の“不意打ち”に対韓不信を強めている」と伝えた。

同紙によると、青瓦台(大統領府)が両首脳の対話場面の写真を公開したことに対し、「信義則に反する」として憤る反応が複数の日本政府関係者から出ているという。

日本側は写真を撮影した人物として青瓦台の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長を挙げた。控室に入ることができるのは首脳と通訳の4人だけだが、写真に写っている人のほかに「第5の人物」がいたということだ。・・・

同紙は青瓦台がホームページに写真を掲載し、「文大統領が日本の首相と歓談」と韓国語だけでなく英語、日本語などでも説明し、「対外的なアピールも狙った」と主張した。一方、日本外務省がホームページにこれを紹介しないのは「そもそも日本側は日韓首脳が対話する事前の準備はしていなかった。写真撮影はなおのことだった」と伝えた。

首脳間の非公式対話の写真撮影とこれを公開することについてルールはないが、外務省の幹部は「個人のSNSでも、誰かと写った写真をアップするときは、相手の許可を得るのが常識だ」と話すなど、日本側は韓国の行為を「エチケット違反」とみなしている、と伝えた。

4日の文大統領と安倍首相の対話について日本側は「接触」「対話」という表現を使用し、正式会談でない点を強調している。茂木敏光外相は「10分間の言葉を交わしたことをもって大きな評価をするのは難しい」と意味を縮小したりもした。

毎日新聞も前日、「青瓦台の写真公開は両首脳が『座って対話をした』という点をアピールしたかったため」という分析を出したりもした。

このように両首脳の対話の意味を縮小しようとするのは、22日の韓日軍事情報包括保護協定の最終期限を控えて韓国を追い込んだと信じる安倍政権の内心の表れという見方が出ている。

さて、中央日報は写真撮影に関する産経の記事に反論していない。同紙も言外に韓国側の態度が非礼であったことを認めていると解していいだろう。

首脳同士の対話についても、中央日報は日本の報道の分量が少なかったことを非難していない。そもそも、準備もなしの僅か10分の対話をいくら言葉で飾っても、李洛淵首相が言うところの「国際基準の会談」にすることには無理がある。このミーティングは単なる文氏のアリバイ作りだったと考える方が妥当である。

日韓の温度差については、下記をご覧いただく。このブロガーは一見軽い印象だが、話の中身は重いと評価する

https://www.youtube.com/watch?v=I8wU8R_hCOs 

 

 


コロコロ辞める大臣

2019-11-04 17:32:35 | メモ帳

菅原一秀経産相が辞めたと思ったら、今度は河井克行法務大臣が辞めた。こうコロコロ辞めると大臣の重みがなくなる。昔の「末は博士か、大臣か」という利発な子どもへの褒め言葉は、今や死語になった。

辞任の理由もお粗末極まる。香典を秘書が持参したとか、夫人の運動員に規定料金より多く謝礼を支払ったとか。そんな分かりきった違反をするのは公選法を知らないのか、それとも文春砲を見くびったか(笑)。

なぜ、菅原経産大臣の秘書は、大臣秘書という肩書をつけて、自分の名前で香典を渡すくらいの機転を働かせなかったのか(笑)。

なぜ、河井夫人は規定額を超える額を自己資金から払った形に繕わなかったのか(笑)。週刊文春に暴かれるや否や電光石火のごとく辞任したということは、選挙違反だということを十分承知していたのだろう。それにしては防御態勢がまったくなってない。阿呆か。

運動員報酬の規定額は15,000円で実勢相場は3万円らしいが、それなら現職議員はみな選挙法に違反しているはずだ。ということは、文春砲はこれから他の議員に対しても炸裂するのだろうか。

大臣になるほどの人たちは頭がいいのだろうと思っていたが、そうではなかった。残念である。

                                            終

(お知らせ)数日間旅行に出るので、来週までブログを更新しません。ご了承ください。


(続)地球温暖化CO2主犯説を考える

2019-11-03 16:45:52 | メモ帳

前回に続き、「地球温暖化の不都合な真実」(以下、本書)からの引用を続ける。以下、「脅威派」とは“今進行中の地球温暖化は人類に災厄をもたらす”と主張する人々、「懐疑派」とはその主張に懐疑的な人々を意味する。なお、赤字は本書の文章そのままの引用であり、青字は本書を簡潔に言い換えたもの、黒字は頑固爺のコメントである。P-○○とは本書に掲載されたページを示す。

【IPCCの理念】

国連の下部機構であるIPCC(International Panel on Climate Change)の第5次報告書(2014年)は次のように述べる。(下線は頑固爺)

・“気候システムの温暖化には疑う余地はない”  気温、海水温、海水面水位、雪氷 減少などの観測事実が強化され温暖化していることが再確認された。

今世紀末までの世界平均気温の変化はRCPシナリオによれば0.3~4.8℃の範囲に、 海面水位の上昇は0.26~0.82mの範囲に入る可能性が高い。

• 気候変動を抑制するには、温室効果ガス排出量の抜本的かつ持続的な削減が必要 である。

一方、本書はIPCCを次のように認識している。

IPCCはCO2が気候に及ぼす影響を検討する。母体の国連は「対策」を考える組織だから、IPCCは「危機を訴える」のが使命になる。もしCO2に問題ないとわかれば、国連は世界経済を管理下に置き、世界エネルギー需給を差配するという名目を失い、IPCCは存在価値がなくなる。(P.34)

CO2に問題なければ、IPCCは存在する意義がなくなるから、その報告書は毎回表現が過激になる傾向がある。(2014年の第5次報告書が最後で、2022年に第6次が発表される予定)

【CO2温暖化説の国際政治との関連】

地球温暖化CO2主犯説は単なる科学ではなく、国際政治に関する問題であるとして、本書は次のように述べる。

IPCCは人為的CO2温暖化説を広めるために国連が作ったロビー集団だと言える。IPCCの幹部が公式の席でこう発言している。「実のところ温暖化政策は口実に過ぎません。私どもは富裕国のお金を貧困国に渡し、富を再分配したいんです。」

IPCCの前議長ラジェンドラ・パチャウリ氏も地球温暖化を「私にとっての宗教ですよ」と公言しており、IPCC報告書の目的は「世界の理性ある人々に、温暖化対策が必要だと思われることです」と語る。(P.44)

2010年11月、IPCC第四次報告書(2007年)の責任執筆者で、第三作業部会(温暖化対策)の共同議長でもあったオトマー・エーデンホーファーが本音を吐いた。「我々は温暖化政策で世界の富を再分配し、富裕国から貧困国にお金を流したい。(P.214)

インド政府は国連のCO2削減指令に反発して、2009年国連にこう申し入れた。「国民の40%が電気を使えない現在、CO2排出に努めよとは無慈悲というものだろう。」(P.281)

デンマークの統計学者ビョルン・ロンボルグは「温暖化対策に省エネに1兆円の税金を使っても、7000万人*の貧困層は貧困と闇から抜け出せない」と主張する。(P.284)

*(注)この7000万人の根拠は不明。

CO2削減を義務づけられると、日本のように、基準年以前にすでにCO2をかなり削減済の場合は、それ以上の削減はつらい。また、インドのように、これから発展しようという国々にとっては、CO2排出を制限されることは経済成長を遅らせることを意味する。

一方、国連としてはCO2排出を国家間で調整することにより、富裕国と貧困国の格差を是正する役割を果たしたいという思惑がある。

【CO2濃度】

大気中の微量ガスCO2は動物の呼気に含まれ、地球上の全植物が利用する。2013年に大気中のCO2濃度が400ppmを超え、温暖化脅威派を心配させた。どんどん上がるCO2濃度の悪影響を和らげるという触れ込みで、排出量取引やEPA(環境保護庁)規制、国連の気候関係条約などができた。

だが温暖化パニックをよそに、高名な科学者たち、とりわけ地質のプロは、400ppmのCO2など「ゴミ」とみる。地球の気候や気温は何百もの要因で変わる。CO2はその要因のひとつにすぎない。名だたる気象学者たちも、CO2濃度が今の2倍や3倍になったところで、気候や気温にほとんど影響ないとみる。(P.56)

プリンストン大学の名誉教授で、物理学者のウィリアム・ハパーは2009年の公聴会でこう証言した。「地球史上、CO2濃度が280ppmまで下がった時期はほとんどありません。1000ppm以上が平常。ずっと濃い時代もありました。当時の地球は楽園でした。植物も動物もすくすく育つ。ですから、当時よりだいぶ低いCO2濃度に近づくのが恐ろしいなどというのは、たわけた脅しにすぎません。」

デンマークの統計学者ビョルン・ロンボルグはこう主張する。「2100年までに世界が1京円(1兆円の1万倍)を使っても、地球は0.3度しか冷えない。時間に直すと、気温上昇をたった4年だけ先延ばしするだけ。IPCCの気候モデルをもとに計算すればそうなる。私の空想ではない」(P.270)

CO2の適正濃度は誰にもわかっていない。そして、過去にもCO2濃度が今の2倍以上の時代があったとなると、脅威派(IPCC)の主張は色褪せる。

【温暖化騒ぎの本質】

フランスの高名な物理学者で政治家でもあるクロード・アレーグルは1992年に温暖化の危機を訴えていた。しかし、温暖化の証拠を調べた結果、意見を真逆に変えた。いまや彼はフランスで一番声が大きい懐疑派だ。アレーグルは語る。「エコの掛け声が一部の人間を大儲けさせる。・・・アル・ゴアのノーベル賞受賞は政治的喜劇だ。・・・彼の映画は嘘だらけ。要するに政治の話だ」(P.124)

懐疑派で名高い環境主義者パトリック・ムーアは温暖化騒ぎの本質をこう見抜く。「環境保護のポーズを有権者に見せたい政治家や、寄付金を集めて世界のエネルギー政策を仕切りたい環境団体、警告好きのメディア、研究費が欲しい大学と研究者―そんなエリート集団の波長が合って、大きな流れをつくったんです。」(P.134)

米国の環境保護庁(EPA)は、温暖化対策をしても世界のCO2排出はほとんど減らず、気温もほとんど変わらないと認めた。2016年のパリ協定をかりに万国が守っても、地球の気温は変わらない。要するに温暖化対策は、グローバル統治を願うエリート集団の黒い本音を隠す煙幕だった。(P.224) 

ミシガン州選出の共和党下院議員、エネルギー・商業委員会のフレッド・アプトン委員長は、コネを悪用して税金をかすめとるアル・ゴアを批判してきた。・・・省エネ活性化予算と、排出量取引の立法化をにらんで、ゴアは仲間に声をかけ、さまざまな関連組織を作り、あるいは既存の組織にもぐりこんだ。排出量取引法案が議会を通れば、ゴア自身も大金をさらに稼げる。(以下省略)

【脅威派と懐疑派の勢力比較】

脅威派の総本山であるIPCCには130カ国から2000名もの科学者が集まっている。一方、懐疑派は最近脅威派からの転向者が増えたこともあり、2010年の段階で1000人(P.20)。脅威派の方がはるかに人数が多い理由は、脅威派には国の補助金が出るし、企業からの寄付金も多く集まるからだ。さらに、学閥の関係で異端者は昇進が難しいこともある。

人数では脅威派の方が多く、量的には勝っているが、脅威派から懐疑派への転向組が多いこと、脅威派の主張には綻びが見えていることから、質的には懐疑派の方に分があると思う。

【白けるアメリカ人】

2007年にアカデミー平和章を授章したゴアは、「公共の乗り物を利用しよう」と呼び掛けているが、その私生活は真逆の日常であるようだ。

「彼のテネシー州にある豪邸は年に220万円(一般家庭の20倍)も電気代を払う。庭の温水プールだけでも、一般家庭6軒分の電気を使う。以前は2億円未満だった純資産が2008年には8億円に増えた。2006年に彼が作った映画「不都合な真実」が大当たりしたためである。」(P.244)

2007年3月21日の上院公聴会でジェームズ・インホフ議員*がゴアの莫大なCO2排出を咎め、「家庭省エネ宣言書」に署名するよう迫ったが、ゴアは署名を拒否した。その宣言書の文面は次のようである。

家庭省エネ宣言書

私は、地球温暖化が人類の生存に影響する道徳的・倫理的・精神的問題と考え、

家庭のエネルギー消費が世界の総エネルギー消費を左右すると考え、

家庭の省エネが温室効果ガスの排出削減につながると考え、

指導的立場の人間が模範を示すべきだと考えて、

2008年3月21日以降、自宅のエネルギー消費を一般家庭の平均値以下にすることをここに宣言します。

大親友のレオナルド・ディカプリオも言行不一致のお手本だ。・・・ニューヨーク市で環境関係の賞をもらうために自家用ジェットで飛んだが、そのジェット機が排出したCO2は1万台の車が一日に排出する量だ。(P.246)

*注)インホフ上院議員は温暖化懐疑派の筆頭的人物で、本書に賛辞を寄せている。

これでは一般国民は白けるばかりだ。だから、CO2排出抑制は国民の関心を呼ばない。アル・ゴアとか一部のハリウッド・スターたちは、神輿を担がずに、周りで大うちわで扇いでいるだけなのだ(笑)。

【頑固爺所感】

2006年にアル・ゴアが作った映画「不都合の真実」には、キリマンジャロの雪は10年後にはなくなるだろう、というナレーションがあったという。しかし、その雪は今でも健在である。北極熊の頭数が減っているという話もホラだった。太平洋の小島の海面が上昇して、住民が移住しなければならないという話は、地面が沈んだだけだった。米国東海岸では、このところ毎年豪雪に見舞われているが、脅威派はそれも温暖化の一環であると主張する(笑)。

CO2が今の400ppmの水準から、かりに1000ppmになったとして、気温が何度上昇するかという命題に答えられる学者はいないーというより計算する理論がない。

ということで、地球温暖化説は壮大な与太話だった。だからといって、CO2排出を抑制する必要がない、とは言わない。なぜなら、CO2排出抑制は局地的な大気汚染を防止することだから、である。

問題点続出で、IPCCの第6次報告書がどのような内容になるか楽しみである。