頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

GoTo中止とコロナ感染激増の因果関係

2020-12-29 16:26:31 | メモ帳
去る12月23日(水)、老妻と共に拙宅から車で10分の湯河原温泉に行った。宿はニューウエルシティー湯河原で、楽天のサイトから予約した。

コロナ感染者が急増している時に、あえて温泉に行った理由は次の通り。

● GoToキャンペーンが中止になり、宿はすいているだろうから、感染リスクは極めて少ない。

● 無症状感染者は若い年齢層に多いと聞いている。週日なら客は引退者ばかりで、若年層は少ないだろう。

● 自宅からタクシーを利用するので、公共交通機関や送迎バスを利用しないで済む。

予想したとおり、宿は閑散としていた。懸念したのは、浴場の脱衣場と朝食バイキングの時の混雑だが、脱衣場にいた先客は二人だけ。朝食バイキングでも、テーブルは半分以上空席だったし、客は料理を取る際に透明の薄い手袋着用を求められるのなど、万全の対策が講じられていた。

「密」状態はどこにもなかった。この程度なら、温泉宿は盛り場の飲食店やカラオケ店より、感染リスクが少ない。宿泊後1週間が経過したが、今のところ爺にコロナ感染の兆候はない。

余談だが、チェックインの時、4千円(1人2千円)のクーポン券(楽天)を渡された。「えっ、GoToは終わっているはずだが」と思ったが、中止は12月28日以降であり、23日時点では終了していなかったのである。楽天さん、有難う!

ということで、コロナの件はすっかり忘れて、広々とした露天風呂で手足を伸ばし、夕食時にはワインと山海の珍味を楽しむことができた。コスパの良さにも満足。

さて、メディア情報では、「感染者の急増はGoTo事業に原因あり」という識者の見解を報じたが、果たしてそうだろうか。ニューウエルシティーの場合は、“GoToが中止になったことで、改めてリスクを実感し予約をキャンセルした客が多かったから、閑散としていた”とも推測できるから、因果関係はなんとも言えない。だが、“GoToのために感染者が急増した”という見解には疑問を感じる。

と思っていたところ、WILL2月号に掲載された「感染者急増、GoToトラベルに罪なし」の記事が目に入った。筆者は京都大学ウィルス・再生医学研究所の宮沢孝幸氏。その一部を引用する(赤字)。

・・・GoToトラベルは約4千万人が利用していますが、感染が確認された利用者は202人(11月末現在)しかいない。GoToトラベル利用者がコロナに感染する確率は一泊当たり約0.0005%。これは年末ジャンボ宝くじで三等(百万円)が当たる確率よりも低い。・・・GoToトラベル利用者の感染データが信用できないと主張する人もいますが、保健所はしっかりと感染者の行動履歴を追っています。・・・(以下省略)

爺の経験だけでは、“GoToトラベルはコロナ感染に無関係“とは言えないが、宮沢説には一定の信憑性がある。宿としてもクラスターが発生したら死活問題だから、懸命の防止策を講じている。

だからといって、“GoToを復活せよ”とは言わない。GoTo中止は国民に危機感を訴える効果があったと思うからであり、当面は拡大傾向を止めることが優先されるべきだからである。

だが、感染傾向が下火になったときは、遅滞なくGoToを再開すべきである。ブレーキを踏みつつアクセルを踏むのは至難の業だが、経済を殺すわけにはいかず、つけを後世に回すのは最小限にとどめるべきだからである。

菅首相にはこの“至難の業”を実行してもらわねばならない。頼むぜ、菅首相!

【お知らせ】今年はこれで打ち止めとします。よいお年をお迎えください。



安倍前首相の謝罪とコロナ感染拡大

2020-12-26 16:59:36 | メモ帳
安倍前首相が議院運営委員会の席上で、過去の国会における不適切発言を謝罪した。また菅首相がコロナ問題で国民に自粛を求める演説をした。この二つの出来事が同じ日(12月25日)におきた。

爺は、この二つの出来事を各新聞がどのように扱うかに興味を持った。安倍案件は国民が興味を抱く話題だが、国民生活に直接関係する話題ではない。一方、コロナ案件は国民がウンザリしている話題だが、生死に関わる最重要案件である。したがって、コロナ案件を優先する新聞は良心的であり、安倍案件を優先する新聞は興味本位である、と判断していいだろう。

その結果は写真に見る通り。朝日はかねてより安倍氏に敵愾心を燃やしてきたから、これでやっと安倍氏を仕留めたという達成感が紙面に滲み出ている。自社の都合を国民生活より優先させたのである。


読売のトップ記事は脱炭素案件で、安倍案件とコロナ案件は一面で報じているものの、小さな扱いである。毎日は見ていないが、ネットで見る限りでは、吉川元農水大臣の汚職問題がトップのようだ。一方、産経はコロナ案件をトップに置き、安倍案件は一面だがやや小さく報じている。

さて、この二つの案件に対する爺の認識は次の通り。

●安倍氏の謝罪
ニューオータニで開催された桜を見る会の前夜祭は、会費をホテル側の見積もり額(例えば8千円)に設定していれば問題なかった。今どき一流ホテルで開く会合の費用が5千円ということはありえず、参加者は8千円でも妥当と受けとめ、参加したことだろう。収入・支出をそのまま会計帳簿に記帳すればいいだけのことで、帳簿を隠す必要はなかった。端的に言って、この事件は会合開催責任者の単純なチョンボである。

安倍氏は首相としての案件が山積していたはずで、後援会の会合の会費をいくらにするかなど、責任者に任せていたことは理解できる。しかし、5千円では安すぎると思わなかったのはうかつだった。野党は「有権者に対する利益供与だ」と批判しているが、それは安倍氏攻撃のための言い掛かりに過ぎない。

●菅首相のスピーチ
TV画面からコロナ感染拡大の危機感は伝わった。飲食店のさらなる営業時間短縮も論じられたが、客が行かなければそれまでだ。国民が自粛するのが先決である。国民の自覚が不十分なのだが、それを言うと支持率が落ちるとでも思ったのか。

コロナ騒動が始まってから、もうじき一年。国民はコロナの話題にはもう飽きて慣れてしまい、気が緩んでいる。だから、盛り場の人出が減らず、感染者は増えるばかり。国民の外出を減らすことが喫緊の課題である。

上に述べたように、各紙(産経を除く)が菅首相の談話をトップに据えなかったのは、新聞社も気が緩んでいるからではないのか。

安倍前首相の謝罪は読者が興味を持つ話題である。しかし、安倍氏は公金をくすねたわけではなく、そして安倍氏とその周辺のヘマは国民生活に影響しない。一方、コロナ収束は国民すべてが願っていることである。新聞各紙は、国民すべてがさらなる自粛を必要だと考えるように紙面を構成すべきだった。それが公器たる新聞の役割である。

12月26日の紙面構成に関する限り、産経新聞に軍配をあげる。ただし、産経の見出し「重症病床一床に1,500万円」は頂けない。首相の演説のキモは「国民にさらなる外出自粛を要請」である。しかし、産経の編集者は「それでは新味がない」と考えたのだろう。これでは産経にも“慣れ”があったと言わざるをえない。産経も他紙と同罪である。


韓国の慰安婦ビジネス

2020-12-24 17:15:51 | メモ帳
ドイツのベルリン市に建てられた慰安婦像は、日本政府の抗議にもかかわらず、撤去されないことになったことはご承知の通りである。

この慰安婦像を最初に制作したのは、彫刻家の金運成(キム・ウンソン)と金曙炅(キム・ソギョン)夫妻だが、ネット情報によれば、金夫妻はすでに95体以上を制作し、一体3,300万ウォン(約317万円)で販売しているらしい。慰安婦像には小型の廉価版もあり、これまでの金夫妻の売上高は30億ウォン(約2億9千万円)になるという。

金夫妻といい、寄付金をくすねた正義連といい、慰安婦をタネに金儲けをする人々がいるとは呆れるばかりである。

さて、パクリ天国の韓国のことだから、模造品が出現しそうなものだと思っていたら、金夫妻から著作権侵害を訴えられ損害を被った市民団体や高校がいるらしい。


このネット情報を見て、改めてドイツに設置された慰安婦像をネットで見ると、韓国いたるところにある慰安婦像と同じデザインである。ということは、在ベルリン韓国人団体は金夫妻に発注して作ってもらったのか、それとも金夫妻に著作権料を支払ったのだろうか。

一方、昨年の名古屋のトリエンナーレに出展された慰安婦像は日本人が制作したはずだが、金夫妻から著作権料を請求されなかったのか(笑い)。

余談になるが、日本人が制作した慰安婦像は金夫妻によるオリジナル版とデザインが全く同じだった。当時、爺はこのブログで「コピーだから芸術とは言えない」と述べたが、評論家やマスコミは異なる価値観から議論した。

終わったことだからどうでもいいが、あの慰安婦像は今どこにあるのだろう?

憲法改正を阻止したい近隣諸国

2020-12-22 13:15:46 | メモ帳
戦後間もなく、共産党が勢力を伸ばした時期がある。GHQが実施した日本人骨抜き作戦の一環として、保守的な人々を追放する一方、共産主義者に活躍の場を与えたからである。

共産主義者たちはソ連(当時)の意向を汲んで活動していたが、そのソ連は日本に憲法を改正させたくなかった。そこで、彼らは現行の憲法を「平和憲法」と呼ぶことにした。「平和」は誰しも望んでいることであり、水戸黄門の印籠のごとく、誰しも反対できないからだ。実に巧妙な作戦である。(この部分は「百田尚樹の日本国憲法」からの引用だが、「平和憲法」の名づけ親が共産主義者でなくても、護憲派が掲げる錦の御旗であることは事実である)

6~7年前、日本の市民団体が戦争を放棄する第九条を世界遺産に登録させようと運動したとき、同調したのは韓国の団体だった。2014年4月19日の朝日新聞は次のように報じている(赤字)。

韓国の識者らが18日、ソウルで記者会見し、日本の憲法9条をノーベル平和賞に推薦する署名運動を始めること明らかにした。日本国内の平和憲法を守る動きと連帯し、来年度の平和賞を目指す。

日韓市民団体の運動はもちろん、日本が改憲できなくなることを狙ったものである。ノーベル委員会はこの推薦を却下したが、水面下ではこの運動はまだ続けられているらしい。

ところが、韓国の防衛費は21年度予算で4兆7千憶円だが、今のペースだと2026年には約6兆2600億円になる(2020年12月22日付、産経新聞)。これに対し、日本の来年の防衛予算は5兆3,422億円だから、遠からず韓国の方が多くなる。国民一人当たりの負担額は日本の倍以上だ。

文政権は北朝鮮とは融和政策を進めているから、韓国の仮想敵国は日本であることは明らかである。自分は軍備拡張を推進していながら、日本には憲法を改正させないように画策しているのだ。日本のお人好しぶりを痛感する。

一方、中國の国防費は2020年度で約19億円。中国の軍事力は米国、台湾などを念頭に置いており、日本だけを狙ったものではないが、それにしても巨額であり、看過できない。北朝鮮については今さら言うまでもなかろう。

護憲派と近隣諸国の利害は一致している。護憲派がこの現状をしっかり認識しているのか疑問に思うのである。


憲法とコロナ禍の関係

2020-12-20 10:58:12 | メモ帳
このところ、東京都では連日コロナ感染者が600人から800人で、全国でも連日3,000人を超える。なぜこうなったのか。ネットで拾ったニュース(毎日新聞12月19日)によれば次のような事態が起きている(赤字)。

コロナ禍でも客足が回復して盛況な店もあった。都内のキャバクラ店で働く女性(29)は「週末は今も満員で、給料はコロナ前と変わらない」と明かした。この店も時短要請には応じていない。店員らはマスクなどをつけておらず、客と従業員が密に隣り合っているという。「年末は稼ぎ時だからね」と笑顔を見せた。

時短はあくまで「要請」であり、「命令」ではない。なぜ「命令」にできないのかというと、憲法に行き着く。「百田尚樹の日本国憲法」(以下同書)(祥伝社2020年12月20日刊)から引用する(赤字)。

・・・有事の際は想定外のことが起きるものです。・・・(だから)日本以外の国は憲法に緊急事態条項を設けているのです。この条項に基づいて緊急事態宣言を発動し、超法規的措置をもって動くのです。

なぜ日本国憲法にこうした記述がないかと言えば、やはりGHQが作った憲法だからでしょう。占領時に有事が起きた時は主権のない日本ではなく、GHQが対処するので、わざわざ憲法に盛り込む必要がなかったのです。しかし、1952年にGHQは撤退しています。その時点で緊急事態にどう対応するか、憲法に明記しておくべきでした。(P.28)

・・・日本では2020年4月16日に全国で緊急事態宣言が発出され、国民に外出の自粛が要請されました。しかしながら、これはあくまで「要請」であり、守らなくても罰則はありません(P.30).

・・・緊急事態条項をめぐる議論になると、必ず反対派は「時の政権が独裁者のように振舞えることになるから危険だ」と主張します。首相に大きな権限が与えられることで、恣意的に使われるようになると危惧しているわけです。(P.32)

下線の部分の実例として、朝日新聞の社説(2018年5月4日 「平和主義と安全保障 9条を変わらぬ礎(いしずえ)として」から引用する(赤字)。

・・・自衛隊が憲法上の機関という「錦の御旗」を得れば、時の政権の判断次第で、米軍支援や海外派遣、兵器の増強がなし崩しに拡大する恐れがある。その時、9条の平和主義は意味を失う。

上に示した文章は憲法9条と自衛隊の役割に関することを論じており、緊急事態条項ではないが発想は同じである。つまり、「政権は信用できない」という点である。

伝染病の感染拡大とか他国からの攻撃などの緊急事態において、いちいち議会に諮っていては政権が即応的に対処できないから、例外的に超法規的な権限を与える必要がある。しかし、朝日新聞は<政権は信用できないから、その権限を与えてはならない>と主張している。

しかしながら、「時の政権」はわれわれ国民が選んだ人たちによって作られるのだから、間接的にせよ、われわれが作る組織である。その組織を信用できないというのは論理的に矛盾している。

朝日新聞(などの左派系メディア)は年柄年中、政権を批判しているから、自然に社内に政権に対する嫌悪感が生まれ、それが<政権は信用できない>という思想に繋がっているのではないだろうか。

コロナの場合、「要請」ではなく、「命令」であっても第三波襲来を防げたとは言い切れないが、強制力がある「命令」であれば、感染拡大は今ほどひどくならなかった可能性はある。「要請」であるがゆえに、気分の緩みが生まれたのではなかろうか。

ところで、憲法前文に次の記述がある。

<平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した>

この部分は、諸外国を善人だと認識しているわけだが、護憲派はこの条項に異を唱えていない。外国に対しては性善説を適用しながら、前述のように自国の政府には<信用できない>と、性悪説を適用している。護憲派の人々はこの矛盾に気づかないのだろうか。






美人ゴルファー待望論

2020-12-17 13:56:09 | メモ帳
先日の全米女子ゴルフオープンの最終日、3日目までトップだった渋野日向子はスコアを三つ落して第4位に終わった。ゲーム後の記者会見ではスマイルはあったものの、目が潤んでいた。来年に期待する。

優勝したのは韓国の金阿林(キムアリム)である。この件に関する朝鮮日報の記事を引用する(赤字)。

韓国人選手たちがひときわ輝いて見える全米女子オープン(賞金総額550万ドル=約5億7000万円)で、今年も韓国を代表するスターたちがリーダーボードの上段で首位争いに名を連ねた。世界ランキング1位の高真栄(コ・ジンヨン)(25)は15日、優勝者金阿林(3アンダー)に1打差の2位で同大会を終えた。


記事は韓国人選手の活躍で、高揚感に満ちている。全米女子ゴルフのランキングを見ても、1位は上の記事にも登場している高真栄で、10位以内に韓国選手4人が名を連ねているから、韓国が熱狂するのは無理もない。

韓国人選手がLPGAを席捲していることには敬意を表するが、韓国選手が強くなったことと米国の女子ゴルフ界の人気が低迷するようになったことは、結果的に時期を同じくする。相関関係があると考えていいだろう。

米国にいる友人(日本人だが米国籍)は、「韓国選手がトップの時はTVの放送を見ないよ。皆同じような顔をしている上に、キムとかパクとか同じような名前が多くて、誰が誰だかわからないから馴染めないんだ。TVの放送回数も減ったように思うよ」と言う。

残念だが、LPGAの人気低迷には打つ手がない。米国選手が強くなるしかないだろう。

では日本ではどうか。今年はコロナ禍で海外の選手があまり参加しなくなったためか、日本人選手が勝つことが多かった。それでも今後、米国のようなことにならないとは限らない。

日本女子ゴルフ界の人気を高める鍵は、美人ゴルファーが増えることだと考える。差別的発言と言われそうだが、女子ゴルフは美人である方が盛り上がる。誰も口には出さないが、これが本音だと思う。

この観点で、爺が期待するのは原英利花選手。写真に見るようにかなりの美形で、足が長く身長が173センチだからスタイルがいい。年齢も21歳だから、前途有望。このような選手が強くなると、ギャラリーが増え、TV中継の視聴率が上がる。

渋野日向子選手も美人の部類に入るし、笑顔を絶やさないところがいい。渋野とか原のような選手が強くなることが、日本の女子ゴルフ界が盛んになる鍵である。





憲法改正を阻むものはなにか

2020-12-14 15:15:20 | メモ帳
「逆説の日本史」(小学館刊 現在25巻まで発行、週刊ポストに連載中)の著者、井沢元彦(敬称略)は歴史の専門家ではないこともあって、既存の歴史学にとらわれないユニークな理論を展開する。例えば、日本民族古来の心理である「穢れ忌避」、「言霊」、「怨霊信仰」を理解しないと、日本史の基本的流れがわからないと主張する。

2015年12月に和歌山市で開催された「正論」懇話会での「憲法改正を阻む穢れ・言霊・怨霊信仰」と題した井沢の講演の要旨をネットから引用する(赤字)。

憲法9条改正ができないのは歴史的な要因が大きい。反対する心情は長く続いた日本民族の歴史、あるいは心理に根ざしている。一言でいえば神道だが、その基本は何か。それが憲法にも繋がってくる。

日本国憲法、特に9条改正を阻む歴史的要因は3つあり、1つ目は「穢(けが)れ忌避」、2つ目は「言霊」、3つ目は「怨霊信仰」である。

穢れは、日本民族が昔から抱いている独特の感覚で、最たるものは「死による穢れ」だ。平安時代以降、天皇家の権威が確立すると、誰も天皇の座を奪おうなんて考えなくなった。そうすると、穢れを嫌う天皇家は軍事と警察業務から一切手を引いてしまい、貴族もそれに習った。死の穢れに満ちているから軍隊なんていらないということ。その結果、夜盗強盗のオンパレードとなった。そして自分の生命財産は自分で守るしかないと「侍」が生まれた。

穢れが諸悪の根源であるというのが神道の基本的考え方。日本は、必要に迫られたときは侍文化が強いが、いざ平和になると軍隊があるから世の中が良くならないという発想が出てくる。これが軍隊を持つことの障害となる。

言葉に霊力があるとされる「言霊」も、憲法9条を唱えれば外国から侵略されないという考えに繋がる。いかに日本国憲法が「われわれは平和を守る」「軍隊を持たない」と宣言しても、外国の侵略者は日本の憲法を守る義務はない。にもかかわらず、日本人には「憲法さえ守れば平和になる」という人がいる。それは言霊の影響がある。

そして死者を恐れる「怨霊信仰」。怨霊の考え方があるから「死者の犠牲を無駄にしてはいけない」と考える。第二次世界大戦に突入したときの東条英機の論理は「日本が満州国を建国するに当たっていったい何万人が死んだと思っているのだ」。これにはなかなか勝てず、「それより今生きている人間が大切」という考え方にはならない。その結果、多くの日本人が戦争で死んだ。すると、その犠牲を無駄にできないため、今度は「尊い犠牲の上に憲法があるから変えることは絶対に許されない」となる。

昔は、護憲派の論理は「軍隊なんていらない。だから憲法を変えてはならない」だった。しかし、護憲派でも今は、軍隊の必要性を認めている。必要性を認めつつ憲法9条を変えてはいけないと言う。これは(自衛隊に対して)「働け。だけど絶対にわが家の一員としては認めない」ということ。憲法が軍隊を持つことを否定しているということは、9条がある限り自衛官は軍人としての尊厳や地位、権利は一切認められない。これは平安貴族が武士に抱いた差別感と同じ。

 また、日本の憲法は世界に嘘をついているということにもなる。まともに9条を読んだら、日本にはレーダーや戦闘機など、何もないはず。しかし実際にはある。「軍隊があるじゃないか」「いや、自衛隊です」。これは大嘘だ。しかし、それを良しとするのが日本の言霊文化。言葉でごまかせばよいというのが、残念ながらわれわれの中にある。

この講演要旨を補足するために、逆悦の日本史 23巻 「神代以来の「穢れ忌避信仰」が復活した『憲法九条死守』という思想」から引用する(赤字)。(P.121)

鎌倉武士の奮戦によってモンゴル軍は撃退され日本に平和が確保された。ところが、武士の貢献を全くみとめなかったのが、朝廷や貴族つまり「穢れ忌避信仰」を持つ人々であった。
・・・
武士の奮戦によるものではないとするならば、何か特別な理由を考えねばならない。そこで貴族たちが考えた屁理屈が「神風」だった。現実の軍事力ではなく、神風が吹くという天皇サイドの霊力が日本国を守ったのである。そう主張したからこそ、彼らは救国の英雄である北条時宗に何の恩賞も与えなかった。(P121)
・・・
強大なはずの大日本帝国陸海軍が日本を守れなかったという教訓が余程身についてしまったのかもしれないが、戦後日本は平安貴族と同じで、軍隊の効用つまり防衛力や抑止力を一切認めない考え方に戻ってしまった。
・・・
そこで鎌倉時代の貴族が神風を持ち出したように、戦後日本人は平和憲法を持ち出した。「戦後の平和は(軍事力ではなく)平和憲法によって守られた」である。これはお気づきのように「平和が来ると叫べば平和が来る」という言霊信仰に基づくものだ。(P.123)

現代の日本人が「穢れ忌避」、「言霊」、「怨霊信仰」のような中世的思想を深層心理に抱いているということはありえない。しかし、結果的に井沢説の通りになっているのも事実である。

下の図で、赤い縦線は中国公船が日本の領海に侵入した隻数、青線は接続水域(自由に漁業や資源開発を行える海域)に侵入した隻数を示す。急速に増えたのは2013年秋以降。横軸は時(月・年)。
                     

この図表では公船のサイズを示していないが、中國の巡視船は1万トンを超えるものがある一方、海上保安庁の船は最大でも7500トン。さらに中国は145隻を保有するのに対し、海上保安庁は67隻で、質量ともに中国が圧倒的に優る。(出所:「尖閣諸島が本当に危ない!」宝島社、2020年11月刊)

尖閣諸島は日本の領土だが、この数年で漁船さえ近づけなくなった。それどころか、いつなん時中国人が上陸するかも知れない危機的状況になっているにもかかわらず、マスコミはほとんど知らん顔。

数年前までは、中國公船の領海侵犯はニュースになったが、最近はスルーされることが多い。マスコミが慣れてしまったのである。<湯に入れたカエルは、温度を徐々に上げると、死ぬまで気づかない>というが、まさに日本はその“茹でガエル”状態に似ている。

「口に出すと本当にそれがおきるから、口にしない」という中世の言霊信仰を笑ってはいられない。マスコミが尖閣の危機を報道しないかまたは矮小化して、憲法改正から逃げるのは、言霊信仰に似た思考なのである。




契約を蹴飛ばした韓国の缶詰メーカー

2020-12-12 16:08:55 | メモ帳
前回の柔道選手の嘘に関連して、韓国の缶詰メーカーによる契約不履行の話をしたい。

今でこそ日本の輸出缶詰産業は円高のためにすっかり衰退したが、半世紀前は花形産業だった。大手商社は米国に駐在員を派遣して、それぞれ自社ブランドにより、独自の販売ネットワークを構築していた。主要アイテムはツナ缶詰とミカン缶詰である。そして、日本産缶詰ばかりでなく、台湾産のパイナップルやアスパラガスなど他国製品も扱っていた。

そこに登場したのが韓国のオイスター缶詰。水煮と燻製の2種類があり、水煮はオイスターシチュー用、燻製は酒のつまみ用に使われる。米国ではニューオルリーンズ周辺で缶詰が生産されていたが、カキを手で剝く作業が嫌われて人手が集まらず、メーカーが撤退して韓国品がその隙間を埋めたのである。

韓国のメーカー各社は米国向け販売を日本商社に依存した。当時は、メーカーの幹部クラスは皆、日本語を流暢に話せたこともある。慰安婦や徴用工の問題もなく、ビジネス環境は良好だった。

1970年代の初めごろ、私は兼松江商社(当時)のニューヨーク支社に駐在し、輸入缶詰販売のマネージャーを務めていた。韓国産オイスター缶詰は長年の仕入れ先であるT社から買っていたが、1社だけとの取引では相場がわからず、複数のメーカーから仕入れたいと考えていた。ちょうどそこにソウル支店から、K社が取引を申し入れているとの情報が入った。

そこで、日本に一時帰国したとき、韓国にも寄ることにした。親しくしているT社の朴社長からゴルフの誘いがあったこともある。そこでソウル支店に連絡し、K社の事務所を訪れる手はずを整えた。こうして、K社との取引が始まり、契約がまとまった。その一方でT社とも契約し、トータルでその年の需要量を確保した。

ところがNYに戻ってしばらくして、ソウル支店経由でK社から、“今年は天候不順でカキの生育が悪く、納入が遅れる”という連絡が入った。T社に状況を問い合わせ、カキの生育が悪いことはは確認できた。

そして間もなく、K社から“契約はなかったことにしてほしい”という連絡が来た。“2割(とか3割)減らしてほしい”という話ならまだわかるが、全量不履行とは理不尽である。

急遽T社に追加契約を申し入れたところ、“数量は問題ないが、価格を前回より高くしてほしい”という要求があり、やむをえずその申し出を受けた。

想像にすぎないが、K社は当社との契約を反古にして、その分を他社に高値で転売したのだろう。私は<高値分×契約数量>の金額をK社にクレームしたが、K社の李社長は“天災だから勘弁して下さい”の一点張りで、そのまま逃げ切られた。

韓国で調停(arbitration)にかけることも考えたが、敵地で当方の主張がどれだけ認められるかの確信はなく、旅費などの経費を考えて、泣き寝入りとなった。今思いだしても腹が立つ出来事である。

ところで、K社を弁護するつもりはないが、この程度の不祥事は貿易業界では珍しいことではない。私は台湾産のツナ缶詰をめぐり台湾商社に煮え湯を飲まされたこともあるし、ブラジルのコーンビーフ・メーカーに酷い目に会わされたこともある。

世界中でもっとも律儀に商業道徳を守るのは日本企業である。それが信用を築いているのだとは思うが、お人好しだと舐められている感もなきにしもあらず。日本の外交も同様である。諸外国の政治家たちを見習って、日本の政治家たちはもっと図々しく、ふてぶてしく振舞って、国益を守ってほしい。国際社会では性善説は成り立たないと思い知るべきである。






韓国柔道選手の不正行為

2020-12-10 15:40:13 | メモ帳
韓国の柔道選手が働いたとんでもない不正行為をネット情報から要約する(青字)。

朝鮮日報によれば、韓国の検察は、視覚に障害があると偽って健常者をリオデジャネイロ・パラリンピックなどに出場させ、政府の褒賞金を不正に受け取ったとして、韓国柔道代表の元監督を起訴するとともに、メダリストを含む選手13人を在宅起訴した。

この不正は、2016年のリオデジャネイロでの世界パラリンピック大会だけではなく、2014年に仁川で開催されたアジア・パラリンピック大会、2018年のジャカルタでのアジア・パラリンピック大会でも行われた。そして、監督と選手たち十数名はメダル獲得により、韓国政府から総額1,130万円相当の報奨金を受け取った。

この不正行為は想像を絶する事件だが、解せないことは親兄弟や友人など親しい人たちは彼らが健常者であることを知っていたはずなのに、なぜ黙っていたかである。さらに、その選手たちが“嘘をついても周囲から非難されないだろう”と、多寡をくくっていた(だからこそ不正行為に及んだ)ことである。

その背景は、韓国社会には一般的に、“嘘をつくことは日常茶飯事であり、大したことではない。他人の嘘を批判しても、かえって自分が指弾される”という意識があるのではないか。そう考えると、“むしろバレたことが不思議”ということになる。

韓国と日本でベストセラーになった「反日種族主義」(李栄薫編著)は、次の文章から始まる(赤字)。

韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。2014年だけで偽証罪で起訴された人は1,400人です。日本に比べ172倍です。人口を考慮すれば、一人当たりの偽証罪は日本の430倍になります。虚偽に基づく告訴、すなわち誣告の件数は500倍だといいます。一人当たりにすれば日本の1,259倍です。

この事件は、その監督と選手たちだけの問題ではなく、一般的に韓国人には倫理性が欠如していることを事実で証明したものと言えそうだ。ビジネスマンはもとより政治家も、韓国人とは心してつきあう必要がある。






TV番組「クールジャパン」論

2020-12-08 16:47:34 | メモ帳
NHKのBS1で日曜の夜6時から放送している「クールジャパン」は、爺の数少ない毎回見るTV番組の一つである。 “よくまぁ、毎回面白いテーマを思いつくものだ”といつも感心している。

先の日曜日の放送のテーマはオデンだった。実は、爺は米国で日本食レストラン業界を対象とした月刊紙を発行していたから言うが、オデンは欧米人が好きになることはないと断言する。その理由は、主な食材である竹輪、薩摩揚げ、ごぼう巻き、はんぺんなどの練り物は、こんにゃくと共に、その食感があまりにも異質だから。焼き豆腐、がんもどき、卵、ロールキャベツ、大根はいいが、練り物なしではオデンとは言えないだろう。

しかし、当日の出演者たちは皆オデンを礼賛した。私の認識と違った理由は、彼らは日本在住が長く、そして配偶者が日本人であったりして、日本と深いつながりがあるから。彼らは標準的外国人とは言えない人たちだからである。

ところで、司会の鴻上尚史は必ず“これは皆さんの国でも受け入れられると思いますか”とか、いかにしてこの商品を外国で売るかというマーケティング的な質問するが、食べ物に関しては、この質問はあまり意味がない。

その理由は、彼らが日本料理の間口をこれ以上広げることは難しいからである。寿司やラーメンはすっかり海外でポピュラーになったが、彼らの胃袋は一つであり、彼らには彼らの食べ物がある。司会者として会話を盛り上げるためのテクニックと理解しておく。

鰻蒲焼、お好み焼き、鍋料理など、まだ海外でポピュラーになっていないが好まれるだろうと思われる料理を、外国人が日本にやってきて始めて知れば、日本の食文化の奥深さに驚嘆するだろう。観光客を呼び込むにも、日本へ行かないと食べられない料理があることがプラスになる。

ところで、この番組で気にいらないことは、番組の最後に取り上げたものや場面を比較して、どれが一番クールかを鴻上尚史が彼の判断で決めること。オデンで言えば、高級オデン専門店と街の大衆的オデン屋を比較して、“どっちがクールか”と比較することはナンセンス。これは司会者が悪いのではなく、そういう演出になっているのだろう。

この番組の趣旨は、日本独特の文化や風習を外国人がどう評価するかだと思う。日本人は誰でも、日本の文化が外国人にどう評価されているかに興味があるからである。だから十数年も続く長寿番組になるのだろう。今後もさらに長続きするよう工夫をこらしてほしい。

ところで、この番組に注文をつけるなら、日本人にとって当たり前のことが外国人には奇異に映ることがあることを伝えてはどうか。例えば、挨拶するとき日本人は何遍も頭を下げるが、これは外国人にはない風習であり、クールには感じられないはずだ。良い悪いではなく、なにが違うのかは知っておくべきだ。

ということで、今後は“外国人にとってクールではない”ことも伝えてくれることを期待する。もっとも、それではタイトルをUncool Japanに変える必要があるからダメかな(笑)。

GO TO 雑感

2020-12-06 13:35:32 | メモ帳
昨年までは、年に4~5回は温泉旅行を楽しんでいたが、今年は3月に近場(タクシーで3千円弱)の熱海伊豆山に行ったのが最後である。7月ごろコロナが下火になったので、秋になったら行くつもりで目的地も決めていたが、爺同様に旅行を我慢していた人がドッと繰り出すだろうから混雑するかもしれない、と懸念した。

そこにGO TO キャンペーンが発表された。“なにも政府が後押ししなくても、旅行に出かけたい人は出掛けるだろう。ムダに税金を使うことはない”と思ったが、爺ごときが反対を叫んでもどうなるものではない。

そしてキャンペーンの詳細が発表された時点で、旅行は諦めた。その理由は、乗り物や宿泊施設の混雑が予想されたこともあるが、高級施設に行ったら、“普段は高くて来れない貧乏人が、補助金を当てにして、やってきた”と思われるのが業腹だということもある。もちろん、コロナが下火にならないことが最大の理由だが。

特定地域をGO TOの対象から外すかどかの論議があったとき、TVニュースで“国がはっきり基準を決めてくれないと困る”と言っている人がいたが、“自分の行動を他人に決めてもらうのか”と呆れた。旅行に出掛けるかどうかを決める最大優先事項は、コロナ感染リスクをどう判断するかであり、政府がなんと言おうが、自分の行動は自分で判断して決めることではないのか。

そもそもGO TO キャンペーンの原資は赤字国債であり、今後税金で返済していく借金である。つまり、次の世代が負担することになるから、老い先短い高齢者は利用を遠慮すべきではないのか。

そんな意地を張っていても自分が損するだけだからと、GO TO Eatの食事券を7イレブンに買いにいったら、店員は“もうとっくに売り切れてます”とバカにしたような表情を浮かべた。

ということで、とうとうGO TOの恩恵を受けずに終わった。ウジウジ愚痴っても仕方がないし、早期収束を願うのみである。










日本人の贖罪意識と慰安婦問題

2020-12-03 16:00:25 | メモ帳
今回はWGIPが慰安婦問題に及ぼした影響について考察する。「日本人はなぜ自虐的になったのか」(有馬哲夫 新潮新書 2020年7月)から引用する(赤字)。

吉田の作り話を信じたのは、マスメディアを通じて暴虐で残忍な日本軍の行為についてさんざん聞かされていたことで、旧日本軍に対して不信感を持つような素地があったからです。

宮澤政権の外交上の大失態も、「あの罪深い日本軍だからそのようなことをしたかも知れない」というWGIPによるマインドセットがあったからこそ、やすやすと朝日新聞にミスリードされて生まれたのではないでしょうか。

このような誤報をしたのは朝日新聞だけではありません。全国紙、地方紙問わず、ほとんどの新聞が朝日新聞と同じ誤報を流していたのです。・・・

したがって、WGIP由来の「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」を持っていたのは、朝日新聞とその読者にとどまらない。他の新聞も、読者も、そして日本人の大部分がそれらを持って、だからこのようなことが起こったのです。

そもそも、女性を拉致して慰安婦にするなどということが嘘っぱちであることは、常識的に考えればすぐわかる。なぜなら、本土では若い男性は兵隊に召集され、半島では本土での労務者動員があり、売春需要が激減していたからその道の女性が余っていた。だから、女性の配置転換をすればすむことである(実際に日本人の女郎たちは戦場に出掛けた)。新人をリクルートするにしても半島では本土以上に貧困だったから、拉致などという荒業をしなくても、女性を集めることは容易だった。

それでも、朝日新聞をはじめとする各新聞社が、裏付けもとらずそのまま吉田清治の与太話を信じたのは、「悪いことをする日本軍なら、そのようなことをしたに違いない」と考えたからにほかならない。

GHQが実施したWGIP(日本人洗脳計画)は、GHQが解散した時に終了していたが、洗脳された思想はそのまま残り、マスコミに引き継がれていた。宮澤喜一首相(1992年当時)の謝罪も、河野談話(1993年)もマスコミの「洗脳」に影響されたと考えればつじつまが合う。

日本は戦争当事者である米国とは講和条約締結によってけじめをつけ、同盟関係を結んで良好な関係を保っており、今となっては「贖罪」を意識することはない。ところが、韓国との外交関係では贖罪意識が残っている。

百歩譲って、併合という特殊事情があることから、韓国に対するかぎり、「贖罪意識」が必要だとしても、永久ということはありえない。日韓基本協定締結から55年を経過した今、慰安婦問題に限らず、すべての案件で「贖罪」意識をなくしてもいい頃合いだと考える。




日本人の贖罪意識と原爆

2020-12-01 14:55:26 | メモ帳
今回と次回の2回にわたり、占領軍が実施したWar Guilt Information Program (WGIP)について考察する。

WGIPとは、日本人に先の戦争に対する贖罪意識を植え付け、戦争責任を感じさせるために行った心理戦のことでる。

参考文献は「日本人はなぜ自虐的になったか」(有馬哲夫 新潮新書 2020年7月)。有馬氏はたびたび米国国立公文書館を訪れ、占領軍に関する文献を調べて、WGIPに関する著作「歴史問題の正解」「こうして歴史問題は捏造される」などの著作を発表している。

さて、「日本人はなぜ自虐的になったか」(以下、本書)には、WGIPの詳細と策定の経緯が語られているが、このブログではその部分は省略し、WGIPの効果に焦点を当てる。今回は本書第8章「原爆報道に見る自虐性」について考察する。

以下、本書から要約する(青字)。
広島の原爆死没者慰霊碑の碑文には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」ちある。明らかに主語は日本人であり、「日本人は過ちを犯したので、その罰として原爆が投下された」と解釈できる。これに対して広島市は「原爆の犠牲者は人類全体の平和の礎(いしずえ)となって祀られている」と説明している。

一方、長崎で原爆投下にちなんで作られた像は「平和祈念像」と呼ばれ、「平和公園」の中にある。そして、資料館の被爆者の証言ヴィデオでは、インタビューワーが「原爆を投下したことは正しいことでしたか」と聞くと、ほとんどの被爆者は「戦争を終わらせるためにはしかたなかった」と答えている。

最後に「原爆投下についての正当性については賛否両論があります」と付け加えているが、否定する側の意見は画面にでてこない。公平性を考えれば、否定する人の意見も加えるべきである。

【爺の所感】
民間人を殺戮することは国際法違反であるが、それには触れず争点が「平和」にすり替わった。「日本は戦争を始めた悪者だから、なにをされても文句言えない」という自虐思想が根底にあるのではないか。見事なまでのWGIPの成功である。

米国政府の公式見解は「原爆投下は百万人の米国兵士の命を救った」であるが、米国には「原爆は、日本を降伏させるためではなく、戦後に予測されるソ連を威嚇するために使用された」とする文書が残されている。

原爆投下の正当性に関して、日米のマスコミはどう伝えたかを調べてみよう。

米国では1995年にABC放送が「Hiroshima: Why the Bomb was Dropped」という番組を放映し、「原爆投下か本土上陸作戦か、だけしか選択肢がなかったわけではない。皇室維持条項を含む降伏勧告とソ連の参戦という選択肢もあった。したがって、原爆投下という選択はしっかりした決断に基づいて決断されたものとはいえない」という結論で締め括っている。

一方、日本のNHKは2018年8月12日のBS1で、原爆使用「賛成派」2人と「仕方なかった派」1人のアメリカ人科学者たちに論じさせた。米国には「原爆を実戦使用すべきではない」と主張した科学者も多数いたにもかかわらず、「不賛成派」は番組にでてこない。

【爺の所感】
商業放送であるABCでさえ、公平に論じているにもかかわらず、公共放送のNHKが原爆投下を正当化した。NHKの番組制作者はかなりの知識人のはずだが、それでもこういう番組を作るとはWGIPによる洗脳工作が影響しているとしか考えられない。「日本人はバカではないのだから、70年以上も前のものに騙されるはずがない」という人もいるが、残念ながらWGIPは連綿として残っているのである。

次回のテーマは「日本人の贖罪意識と慰安婦」の予定。