頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

お知らせ

2022-01-19 09:21:41 | メモ帳
この爺、不覚にも昨日、公園の階段で転倒し、肩を骨折しました。一方、高齢となり、このブログを終了する頃合いを見計らっていたという事情があります。つきましては、この怪我を天の声と捉え、ブログを終了することにしました。

長年のご愛顧に厚く御礼申し上げるとともに、各位の益々のご健康とご清栄を祈ります。



次の総理は林芳正?

2022-01-16 13:08:44 | メモ帳
文芸春秋社が政治・経済分野の記者123名に対し、「次の総理は誰か」というアンケート調査を実施したところ、第1位は31票を獲得した林芳正でブッチギリのトップ。そして、第2位は18票の河野太郎、第3位は16票の茂木敏充だった。ちなみに、4位以下は、岸田文雄、高市早苗、石破茂、安倍晋三と続く。

回答者が林芳正を推す根拠は、防衛相、農林水産相、文部科学相など重要閣僚を歴任して経験が豊富であること、政策通で事務方が作るメモなしで政策関連の質問に答えられる安定感、さらに英語に堪能であることなどである。

そして、その記事は、次のような回答者のコメントを引用している。(赤字)
林の強みは、米中双方にパイプを持つこと。外相として絶妙のバランス感覚を発揮して結果を残せば、総理候補の大本命になるだろう。(通信社・政治)

その「文芸春秋」誌2月号は上の記事の次に「同志を募り、手を挙げる」というタイトルで林芳正氏の談話を掲載しており、同氏は堂々と総理になる意思を表明している。

これの記事を読むと、次の総理は林芳正で八分通り決まりのような印象である。ところが、国際政治学者の藤井厳喜氏がメルマガ「ルネッサンス」(1月12日)で大略、次のような見解を述べている(青字)。

岸田総理とバイデン大統領は11月初旬に英国のグラスゴーで開催されたCOP26の気候変動に関する会合のあと、早急に日米首脳会談を行うことで合意していた。しかし、その日米首脳会談は開催されるどころか、日程も決まっていない。

遅延の理由は、林外務大臣が中国の王毅外相との電話会談で訪中を要請され、「予定を調整します」と回答したためである。日米政府の慣習としては、日本の外務大臣はブリンケン国務長官と会うことを先行させるべきであるが、その日程調整をする前に訪中を約束したのは、林の重大なミステークである

林は日中友好議員連盟の会長だった。外相就任時にその会長職を辞任したとはいえ、米国は林を親中派と認識しており、米国との日程調整をする前に、林が訪中を確約したことは日米のこれまでの慣習を破るものである。

だから、日米首脳会談が行われないのだ。岸田総理は、何かの理由をつけて、林外務大臣を更迭しなくてはならないだろう。

<バイデン政権が親中派として警戒している林外務大臣が、ブリンケン長官と会う前に王毅外相に訪中を約束したことでバイデン政権が気分を害した>という藤井説は一定の信憑性がある。すなわち、上に赤字で示したコメントでは、<林外相は絶妙のバランス感覚がある>と評しているが、実際には<親中>の方に重心があった、というわけだ。

そうはいっても、日米首脳会談が行われていないのは、オミクロン騒ぎで遅れているだけではないだろうか、という観測も成り立つ。マスコミは、出来事は報じるが、あるべきことがないことは報じない。だから、日米首脳会談が行われなくても、国民は気づかない。

この問題にどう決着がつけられるか、興味深く見守りたい。





「愛子天皇への道」はない

2022-01-13 13:42:50 | メモ帳
近所の医院の待合室で時々眺める女性週刊誌を見るかぎり、愛子さまは女性界の大スターである。20歳になって以前より美しくなった感があることが影響しているのだろう。

そんな中、「文芸春秋」2月号に「愛子天皇への道」(石井妙子ノンフィクション作家)という記事が掲載された。

皇位継承順位の第一位は秋篠宮で、第二位は15歳の悠仁さま、第三位は常陸宮であるから、愛子さまが天皇になることはありえない。だが、筆者の石井氏は愛子天皇を願っているようだ。記事から引用する(赤字)。

国民の間では、この数年で、「女性が天皇になってもいいのではないか」、「女性天皇が結婚し、そのお子様が天皇(女系天皇)になってもいいのではないか」という意見が圧倒的になっている(NHKが2019年に行った世論調査では7割以上)。

ところが、こうした国民の声は国会には反映されてはいない。長きにわたった安倍晋三政権は、男系男子主義の立場であり、・・・まったくこの問題には取り組まなかったからだ。

この筆者はあからさまに愛子天皇を主張しているわけではないが、行間にその願望が滲み出ている。そもそも「愛子天皇への道」というタイトルそのものが、愛子天皇を願っていることを示す。

さて、天皇家は初代の神武天皇から126代の徳仁今上天皇にいたるまで、男系継承の伝統を守ってきた。数人の女性天皇はいたが、結婚せず子どもはいなかった。男系にこだわったことが「万世一系」と呼ばれる所以である。

「万世一系」の最大の危機は第26代の継体天皇の時である。第25代の武烈天皇が崩御した時、後継ぎがいなかったため、応神天皇の5代の子孫とされるとんでもない遠縁の人物が即位し,継体天皇となった。即位はしたものの、なぜか大和の都に入ったのは19年後であることはなにかの支障があったことが窺われる。さらに、「継体」という名前自体が<国体を継いだ>いう印象があり、謎を感じさせる。

それでも、天皇家が男系による継承というそれまでの習慣を守ったことは、男系で一貫性を保つことが国民の尊崇の念と権威を維持する根源であると考えたからであろう。

そして、継体天皇以降はさしたる支障もなく男系が受け継がれてきたが、その背景には側室の存在がある。実際に、明治天皇も大正天皇も側室が生んだ子である。

2004年に当時の小泉首相が女性天皇の道を開くことを提唱したが、それは悠仁さまが生まれる前であり、悠仁さまが誕生してからは、女性天皇の案は消えた。

問題点は悠仁さまのあと、男系が支障なく引き継がれるとは限らないことである。万一、悠仁さまに男性の子どもがいなかった場合はどうするか。それには継体天皇の例にならって、天皇家の男系の血統から次の天皇を選べばいい。つまり、「愛子天皇の道」はないのである。

昨日ここまで書いて今日、文面を再度見直してからアップする予定だったが、本日の新聞に皇位継承に関する有識者会議の報告書が提出されたとあった。その記事によれば、有識者会議の案の骨子は、<男系男子の維持を重視する>ことだという。わが意を得たり、である。

今後、この事案は国会で議論されるだろうが、有識者会議の原案通りになることを願う。



「日曜討論」所感

2022-01-10 15:16:59 | メモ帳
今回は、1月9日朝に放送されたNHKの番組「日曜討論」をテーマにしたい。この番組は共通の質問に対して、各党の党首がどう答えるか、という形でまとめられた。以下、各党首の発言から爺が関心を持った部分を赤字で示し、それに対する所感を述べる。

自民党:岸田総裁
(沖縄と山口の両県における米軍基地付近での感染拡大に関し)不要の外出を認めないことで、米軍の合意を得た。

米軍がコロナの感染源になるとは盲点だった。その責任を問う声がないことは、誰もこの盲点に気づかなかった、ということだろう。

今さら兵士たちの外出を禁止しても、もうオミクロン株による感染拡大は始まってしまったが、やらないよりはましである。

この爺も広島県鞆の浦のホテルの1月末の予約をキャンセルした。残念だが、やむをえない。

公明党:山口那津男代表
(文通費に関し)透明性を高めること及び国庫への返納を積極的に進めたい。

その方針は評価するが、それではこの事案に消極的な自民党と仲間割れになりはしないのか(笑)。

立憲民主党:泉健太代表
(憲法改正に関し)現行憲法を変えなくてはならない決定的要因はなにかを問いたい。

尖閣や台湾問題は喫緊の課題であり、万一の事態に備えておかなくてはならない時に、こうして白ばくれているのはいかがなものか。爺としては、<自衛隊の存在は認めず、いざ有事の時には頑張って頂戴ね、という虫のいいことを言うだけでは、隊員たちの意気は上がることはなく、阻喪させるだけだ>と言いたい。

辺野古の滑走路建設はやめなくてはならない。辺野古がなくても、日米関係が毀損するわけではない。

では普天間基地はそのままにするのか。普天間が危険だから、辺野古に移設することにしたのではなかったか。辺野古を止めるなら代案をだすべきだ。鳩山由紀夫元首相の「最低でも県外だ」という民主党時代の妄言から全く変わっていない。

維新の会は文通費だけを問題にしたが、(使途が問われないことに関しては)政策活動費や政党交付金も同様だから、議論の幅を広げ、全党共通のルールを作るべきだ。

最初にこの問題を取り上げた維新の会とは違うと言いたいらしい。それが本気ならそれでいいが、まさか議論の幅を広げて紛糾させ、時間切れにして先送りにしようというのが本音ではあるまいね?(笑)

維新の会:馬場伸幸代表
(文通費の件)維新の会は領収書添付をすでに始めた。

よしよし、そのようにひとつずつ解決してもらいたい。ついでに、泉健太氏の言うように、政策活動費なども同じように願いたい。

共産党:志位和夫代表
(外交政策に関し)軍事に軍事で対抗していてはきりがない。わが党は平和外交に徹する。

相手が話し合いに応じるならそれでいいが、現実はそうはいかない。万年野党の立場でなくては言えないセリフである。
                            終                                                                            


佐渡金山は日韓の次の火種か

2022-01-07 15:57:53 | メモ帳
佐渡金山は2010年にユネスコ世界文化遺産の暫定リストに登録されて以来、保留になっていたが今回ようやく候補に選ばれ、最終審査に入ることになった。

それはご同慶だが、韓国は佐渡金山登録問題を日本非難の絶好のチャンスと捉え、待ち構えている感がある。実際に、端島(軍艦島)が世界文化遺産に登録された時、韓国はマイナスキャンペーンを展開し、一定の成果を収めたからである。

韓国のハンギョレ新聞は12月29日と1月4日に佐渡金山の件を大きく報じて、次の問題点を指摘している。以下、ハンギョレの記事からの引用である。(赤字)

(1)佐渡金山における朝鮮人労働者の存在
佐渡金山での朝鮮人強制動員は1939年2月に始まった。以後、1942年3月まで6回にわたって1005人を募集で連れて来るなど、計1200人を強制動員*した。
(注)「募集」と「強制動員」は互いに矛盾する概念であることにハンギョレの記者は気づいていないのだろうか。それはともかく、強制動員(徴用)が始まったのは戦争末期の1944年以降であり、1942年は募集による動員だったから、ハンギョレの認識は誤りである。

(2)軍艦島登録の際のユネスコの警告
2015年に端島(軍艦島)を登録する際、朝鮮人強制動員の歴史など、遺産に関する「歴史全体」を伝えるという約束を自ら破り、ユネスコから警告*を受けた事実がある。
(注)日本の当局がユネスコから警告を受けたことは新聞で報じられたが、日本側の対応についての報道はなかったように思う。

佐渡金山は戦後の1952年に大幅に縮小され、1989年に閉山したが、第二次大戦当時、労働者の中に朝鮮半島出身者もいたことは事実である。韓国はその労働条件が苛酷だったことを根拠に日本を貶めることを狙っていると思われる。

さて、この佐渡金山の世界文化遺産申請は日本にとって、マイナス要素の方が大きいと判断する。その理由は(1)ユネスコが信頼できないこと(2)現代の価値観と過去の価値観が異なること。

  • 信頼できないユネスコ
軍艦島の件では、ユネスコは日本に対し“歴史全体を伝えていない”と警告したが、その警告は事実上、“韓国の言い分を十分に取り入れていない“と言っているに等しい。つまり、韓国のマイナスキャンペーンが奏功したのである。

過去にも国連は、クマラスワミ報告で慰安婦が日本軍に拉致されたと断定したことがあり、韓国・中国の主張をそのまま採用する傾向がある(「国連の正体」藤井厳喜著)。

残念ながら、日本は国連におけるプロパガンダ戦争に負けているのである。また、国連における議論において、日本代表が日弁連であり、そのリーダー格は戸塚悦郎というバリバリの反日闘士であることも日本のマイナス材料である。

●現代と過去の価値観の差
韓国はこの案件を「人権無視」という観点から攻撃してくるだろう。昔の価値観では当たり前だったことでも、現代の価値観では人権無視と判断されることがあるのが日本の不利な要素である。

例えば、2014.年に朝日新聞が慰安婦拉致の誤報を認めた時、その同じ紙面で朝日新聞は「慰安婦問題の本質は人権問題だ」と論点のすり替えを図った。戦前は、売春は合法だったのだから、朝日の主張は理屈に合わない。問題点は、知見が十分あるはずの朝日新聞の記者でさえ、こんなミステークを冒すことである。この例からしても、人間だれしも過去の出来事を現在の価値観で判断する傾向があると考えざるをえない。

ともあれ、韓国は現代と過去の価値観の違いを無視して、人権無視を言い募るであろうことは容易に予想できる。仮に、日本がこの論争に勝ったとしても、ネガティヴ感が薄まるだけで、ポジティヴ感に変わるわけではない。

一方、佐渡金山を世界文化遺産として登録するメリットは何か。言うまでもなく、観光資源としての格が上がることである。たしかにそれはメリットだが、人権無視国家として印象づけられるデメリットと天秤にかければ、デメリットの方がはるかに大きい。

ここで爺がゴチャゴチャ言っても、日本は佐渡金山の世界文化遺産登録を推進だろう。それはやむをえないが、せめて歴史的データを十分に用意し、また軍艦島の議論を復習し、韓国を論破できる態勢をしっかり整えて、論戦に臨んでほしいと願う。






出版物の倫理性

2022-01-04 12:57:33 | メモ帳
最近、コロナのために出不精になり、本は新聞広告を頼りにしてネットで買う。その流れで、12月下旬の新聞広告を見て、山口正之著「中国への断交宣言」(以下本書)(新潮社 2021年12月15日刊行)を購入した。

この著者の名前はWiilやHanadaでお馴染みだし、タイトルから判断して中国をこき下ろす内容だと推測できる。多分、ウィグルでの人権蹂躙、香港における民主化運動の弾圧やインチキ選挙、台湾に対する武力威圧などの中国の傍若無人ぶりがテーマだろう。中国の理不尽な振る舞いには爺も呆れているので、識者の意見を知るのもよかろう、と考えことが本書購入の動機である。

ところが、読み始めると内容がなんとなくしっくりしない。「温家宝はいったい何しに日本にやってきたのか」で始まる文章があったので、“はてこれはいつ書かれたのか”、と不審に思い、その項の最後を見て驚いた。なんと、(2007年5月24日号)とあるではないか。今から15年前に書かれた文章らしい。「号」とあるから、週刊誌に掲載したエッセイを転載したのだろう。

そこで最後のページを開いたら<本書は小社刊行の「変見自在」シリーズより再録し再編集したものです>とある。だが、この文章は論理的に成立しない。なぜなら、新潮社に「変見自在」シリーズという刊行物はないからである。この文章は<小社刊行の週刊新潮に掲載している「変見自在」シリーズより再録し再編集したものです>とするべきではないか。

表紙に<変見自在セレクション>とあるのは、そういう意味であることがやっとわかった。そういわれてみれば、時々買う週刊新潮にそういうエッセイ・シリーズがあったような気がする。

そこで、本書の各項の日付を調べると、最も古いのが2006年1月で、最新が2020年3月9日だから1年10カ月前である。発表済の論考やエッセイを単行本にすることはよくある。しかし、15年前から1年10カ月前までに発表したエッセイを、さも最新の話題を集めた単行本のように装うとはいい度胸である。

内容も<再編集した>にしては疑わしい箇所がある。例えば、「格安中國航空は命も安い」という見出しの項に次のような箇所がある。(赤字)

中国に下水はない。生活排水も工業廃水もみなドブに捨て、それが長江に流れ込む。流入汚水は「年間約300億トン」。油脂に重金属も入って、それがコロイド化して長江の流れに適度なトロミをつける。

中国の環境汚染はよく知られたことだが、このエッセイの日付は2012年12月とある。いくらなんでも、この10年の間に長江の水質は改善されているのではなかろうか。

さて、本書の題名は「中国への断交宣言」であるが、内容はその題名とは無関係であり、最近の中国の理不尽ぶりについてはまたく触れていない。これではまさに羊頭狗肉である。本書に書かれていることには共感するが、全体としては古本を新刊書として購入したような印象である。

出版社と著者の立場から見れば、古い文章を集めて新刊書にしたら手間がかなり省けるから、グッドアイディアである。だが、こんな商法が倫理的に許されるのか。出版社だけではない。著者の高山正之も同罪である。

新潮社は日本の一流出版社だと思っていたし、著者もこれまで贔屓にしていただけに裏切られた感がある、残念である。



初日の出at 湯河原

2022-01-01 10:27:30 | メモ帳
令和4年の元旦は好天に恵まれ、見事な初日の出となった。観衆は花火の時よりも多く、推定2千人。今年こそコロナが終息し、いい年になることを祈る。

帰途、千歳川の川べりに立ち寄ったら、カワセミがいた。


Have a Happy New Year, Everybody!