頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

コロナ後のライフスタイル

2020-06-30 13:39:08 | メモ帳

爺が30余年の米国在住にピリオドを打って日本に永久帰国したとき、とりあえず都内にマンションを借りて、終の棲家を探し始めた。希望する条件は、気候温暖で景色がいいことと、東京に2時間以内で行けること。その結果、湯河原の海岸に近い場所にあるマンションを選んだ。

自宅から歩いて5分の海浜公園は、左に真鶴半島、右手に伊豆半島、正面には大島を望み、三方が山に囲まれている眺望は抜群。温泉場で名が通った土地だけに、温泉宿が何軒もある。スーパーマーケットは3軒あり、小粋なビストロもある。われながらいい場所を選んだと満足している。

湯河原に限らず一般論として、地方は車の交通量が少ないので運転がしやすいとか、不動産価格が安いということもあり、退職者にとって地方移住は大きなメリットがある。しかし、移住は長年培ってきた地縁を放棄することであり、普通の人には心理的抵抗感が大きい。つまり、地方移住はそう簡単ではないということだ。

地方移住を促すいい案はないものかと考えていた時、「地域政党ゆがわら」のHPを見つけた。https://www.facebook.com/seito.yugawara/

「地域政党ゆがわら」は、新人の女性町会議員が唱導するグループであり、“子育てにやさしい街”を謳い文句にしている。その趣旨は地方移住を促すコンセプトとして面白いが、親が湯河原に住んで収入が得られることが大前提である。はて、この難題をどう解決するか。

そこに浮上したのがテレワーク。業種にもよるが、コロナ騒動で自宅勤務が脚光を浴びているようだ。ネット販売なら事務所は東京や横浜でなくてもいい。英会話教室や料理教室も、ネットで用が足りる。知恵を働かせれば、いろいろな業種でテレワークが可能だと思う。

さて、コロナ騒動が終わったあと、ライフスタイルはどう変わるか。テレワークの普及にとどまらず、ネット上で相手と双方向にコミュニケートすることが日常茶飯事になるだろう。そうなると、距離は交流の阻害要因ではなくなる。

コロナを契機として、IT技術の有効活用が進展し、地方移住の阻害要因である地縁の重要性が薄れるだろう。そうした価値観の変化により、地方移住が今よりも盛んになり、首都圏の一極集中が緩和される結果をもたらすのではないだろうか。


日本人の自虐意識

2020-06-28 11:00:17 | メモ帳

麻生財務相が「新型コロナへの日本の対応がうまくいっているのはなぜか」という質問に対し、「民度が違う」と答えた件で、国内では「その発言は他の国を貶めることになる」などという批判があった。

爺は6月18日の投稿、「民度発言に対する海外の反応」において、海外マスコミには麻生発言を批判した論調は見つからなかったこと、さらに日本の一部のマスコミが麻生発言に否定的だった理由は、「日本人特有の自虐性にあり」と述べた。しかし、「自虐性」については、話が長くなるという理由で、次の機会に先送りした。

今回は、その先送りした「自虐性」について考えてみたい。

第二次世界大戦終了後、連合軍総司令部(GHQ)は、日本人が再度軍国主義の道に進まぬように、日本人の思想改造を実施した。具体的には、新聞各紙に太平洋戦争史を掲載させたこと(昭和20年12月)、GHQが新聞記事の検閲を実施したこと、NHKのラジオ番組「真相はかうだ」(後に「真相箱」と改題)の放映、戦争指導者を裁いた東京裁判、そして戦争に協力した有力民間人の公職追放である。その一連の措置によって、「日本は悪である」という考え方が国民に刷り込まれた。そして、「日本は悪」の意識は、贖罪意識になった。

戦後の政治家は、その贖罪意識が常に念頭にあるから、必要以上に卑屈な謝罪外交を繰り返し、国益を損なってきた。謝罪することで人間関係を円滑にするという日本独特の精神文化が、贖罪意識と結びついた側面もある。

GHQが去ってからは、マスコミ各社(読売と産経を除く*)の「日本は悪者」の意識は、権力監視機能に転化し、現在に至っている。

*(注)読売新聞は1951年に正力松太郎の公職追放解除を境に、論調を中道に修正した。一方、産経新聞が全国紙になったのは1950年で、最初から政府支持の色彩が強かった。

「日本悪者」意識は左派系マスコミ(読売と産経を除く各社)に今でも引き継がれており、日本の長所を誇ることを憚る意識となった。これが、朝日新聞と毎日新聞が麻生発言を批判した背景である。

さて、日本が戦争を招いたことは事実であり、敗戦当時に日本人が贖罪意識(自虐思想)を抱いたことはやむをえない。しかし、戦後すでに75年、戦争に関わった年代は殆どこの世を去った。若い世代は先人の過ちをいつまでも引きずる必要はない。これからは、日本の美点は美点として誇ることを憚る必要はない、と爺は考える。

 

 

 


緑の信号をなぜ青と呼ぶのか

2020-06-25 14:30:57 | メモ帳

交通信号の緑をなぜ青と呼ぶのか。爺は以前から疑問に思っていたが、「まぁどうでもいいや」と、特に突き詰めて考えたことはない。日本人ならほとんどの人が爺と同様だと思う。

しかし、カナダ人のデビット・ベネット氏(レノボ・ジャパンの社長)の著書「不思議すぎる日本語」によれば、ベネット氏はこの表現(に限らず、数々の日本語の不思議な点)に興味を持ち、いろいろ調べたらしい。

“緑のおばさん”は、正しくは“青のおばさん”であるべきだし、京浜急行の駅名“青物横町”もヘンだ。野菜が青いわけがない。ベネット氏の結論は、「日本語の青は範囲が広く、緑は青の部類に入る」である。

それでは、なぜブラウンを茶色と呼び、ライトブルーを空色と呼ぶのか。お茶にはグリーンもあるし、空はグレイのこともあるではないか。こうなると習慣だという以外ない。

ベネット氏によれば、外国人が日本語を学ぶとき、もっとも苦労するのは“てにをは” らしい。しゃべる時の“てにをは”はともかく、「お母さんは、やさしい人です」の文章で、なぜ「僕のお母さんわ」では間違いなのか。なぜ「学校へ行きます」が正しくて、「学校え行きます」は誤りなのか。これも習慣というほかない。

外国人にとって難解な漢字には、訓と音の読み方があり、前後関係から使い分けなくてはならない。例えば、「今」の読み方はイマまたはコン。しかも「今日」ならば、キョウだからややこしい。

“野郎ども”の“ども” は複数を表す接尾語である。しかし、“子ども”の“ども”は、昔なら複数を意味したが、現代では複数を意味せず、複数にしたいなら“子どもたち”にする。

こんなに厄介な日本語だが、われわれ日本人は日常、支障なく使いこなしている。ことによって、日本人は言葉の天才なのかも知れぬ。(笑)

お知らせ
次回の投稿は6月28日の予定で、テーマは「日本人の自虐癖」です。

 


国のカタチから見た韓国と北朝鮮

2020-06-24 13:42:14 | メモ帳

韓国と北朝鮮の関係が険悪である。脱北者が韓国から北に撒いたビラに端を発し、北のナンバー2である金与正が韓国を口汚く罵り、北にあった南北連絡事務所を爆破した。そして、北は報復措置として、韓国に大量のビラを撒こうとしている。朝鮮戦争以来の最悪の状況である。

なぜ、こんな状況になったのかを検討するに当たり、両国の国のカタチがどうなっているのか、という基本的命題から考えてみたい。現在の日本の言論界の見解を集約すると次のようになるだろう。(ただし、頑固爺の個人的見解も多少入っていることを申し添える)

韓国の憲法は「大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し」と記している。

3・1運動とは、1919年(大正8年)3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動だが、挫折した。それ以降、日本総督府が宥和政策に転じたため、独立運動は再発せず、1945年8月の日本の敗戦まで総督府の安定した統治が続いた。

大韓民国臨時政府とは、3・1運動が挫折して直後に、上海で設立された組織。しかし、国際社会で認められたわけではなく、日本軍と交戦した実績はない。

4・19運動とは、1960年3月に行われた大統領選挙における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時の李承晩大統領が下野した事件。

韓国は、日本の敗戦によって棚ボタ式に独立が与えられ、日本の敗戦の日である8月15日を光復節と呼んで祝日としている。しかし、それでは民族としての誇りが許さない。そこで、国の起点を1919年3月1日に置き、それ以降は上海の臨時政府が独立運動を続け、日本の悪逆非道な統治に耐えつつ、1945年の光復に結び付けたという虚構の歴史を組み立てた。

一方、北朝鮮の憲法はその序文で次のように述べている。(赤字)

偉大な首領金日成同志は朝鮮民主主義人民共和国の創建者であり、社会主義朝鮮の始祖である。金日成同志は不滅のチェチェ思想を創始し、その旗のもとに抗日革命闘争を組織指導して、栄えある革命の伝統を築き、祖国解放の歴史的偉業を成し遂げ・・・

さて、韓国の憲法は、3・1とか4・19などの画期的事件を引用しているが、いかにも苦し紛れで、理念が明確ではない。当時は、第一次世界大戦(1914~1918)を挟んで、民族自決が世界の潮流となった時であり、多くの国々が独立を果たした。フィンランド(1917)、ポーランド(1918)、チェコ(1918)、エジプト(1914)、アフガニスタン(1919)、モンゴル(1913)などである。

韓国で1919年3月1日に起きた独立運動は、こうした世界の流れに触発されて起きた暴動だが、準備不足で、民衆の総合力を発揮することなく、総督府によって鎮圧された。それ以降1945年に至るまで、独立運動は起きていない。

韓国の教科書では、冒頭に述べたように、“35年間にわたる日本の悪逆非道の統治に耐えて、1945年の光復(日本の敗戦)によって、その努力が実った”という歪曲した歴史を構築した。そして、すべての韓国国民が“悪逆非道の日本統治”を信じこみ、政府は国民の連帯感を“反日民族主義”に置いている。

一方、北朝鮮の創始者である金日成は、1937年から日本の敗戦まで、中国吉林省と北朝鮮の国境にある白頭山に拠点を置き、朝鮮側にある警察や、消防署、役場などを襲撃した。しかし、その活動は局地的ゲリラ戦で、北朝鮮の独立に貢献したわけではない。それでも、北朝鮮は国民の連帯感の根源を、憲法に記されているように、“金日成民族主義”に置いており、チェチェ思想という理念が明確である。

しかも、北では金日成から正日、正恩という独裁者の世襲制が確立されており、韓国の大統領のほとんどが、亡命・暗殺・投獄・自殺など悲惨な末路に終わっていることと比較すると、国のカタチとしては北に軍配が上がる。

だから、韓国では親北勢力の力が強く、南北統一の夢が語られる。経済力では韓国が北を圧倒するものの、統一ということになれば、国のカタチが優先され、北が支配する可能性が強い。しかも、統一された時に、北で核施設が温存されていれば、統一朝鮮は軍事的にも強国になる。

だから、文大統領を始めとする韓国の親北勢力は、北に擦り寄ろうとする。朝鮮戦争の時、韓国人が9万人も北に拉致されたが、韓国は北に遠慮してか、日本ほど拉致問題を騒がない。これも、一種の“擦り寄り”だと思う。

ところが、金与正は韓国の親北勢力をしたたかに蹴飛ばしてしまった。北は深刻な食糧難に喘いでいるはずであり、韓国または中国の支援が喉から手が出るほど欲しい。だから、何らかの形で険悪な状況に終止符を打ちたいはずである。どのようにして振り上げた拳をおろすのかが、北の差し迫った課題だろう。

 


ボルトン回顧録と文大統領

2020-06-22 14:37:33 | メモ帳

ボルトン前大統領補佐官の回顧録は、トランプ大統領が「国家機密が書かれている」という理由で出版を差し止めようとしたが、結局出版が認められた。本日昼のNHKニュースでもこの話題を取り上げたが、韓国では大きな波紋を呼んでいる。6月20日の朝鮮日報の記事から引用する。(赤字)

ボルトン氏「米朝会談は韓国の創造物」 青瓦台は沈黙
最も注目を集めているのは、ボルトン氏が米朝非核化外交の全てのプロセスを「韓国の創造物」と表現した部分だ。「韓半島運転者・仲裁者論」を前面に掲げた文在寅政権が、史上初の米朝首脳会談実現に大きな役割を果たした点についてはボルトン氏も認めている。ただそれと同時に、そのような形で始まった非核化外交が昨年の「ハノイ・ノーディール」と「ストックホルム・ノーディール」を経て座礁した責任も、やはり文在寅政権にあるとしたのだ。

ボルトン氏は、韓国が「創造」した米朝非核化外交を情熱的なスペインの踊り「ファンタンゴ」に当てつけ、「金正恩やわれわれ(米国)に関する真摯な戦略よりも、韓国の統一アジェンダの方により多くの関連がある」と指摘した。文在寅政権が「米朝仲介外交」を駆使し、本質である非核化よりも南北関係改善への意欲が先走った点を指摘したのだ。

「韓国の創造物」という表現は、文在寅大統領が米国には「北朝鮮は完全に非核化するだろう」という見通しを伝え、北朝鮮には「完全な非核化でなくてもいいだろう」という見解を伝えたことを意味するらしい。一方、文大統領の関心事は非核化よりも、南北関係改善であり、トランプ大統領と金正恩委員長をとにかく会わせることだった。米国側としては、「騙された」という認識らしい。

韓国は「谷内正太郎前国家安全保障局長が余計な口出しをして妨害した」と主張している。都合が悪いことは何でも日本のせいにする、韓国の習癖がここでも現れた。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=jQ8A17Ndnwc

最近、北朝鮮が北にある南北連絡事務所を爆破したのも、米朝会談で成果がでなかったことへの腹立ちを形に表した意味があるのではないか。南北連絡事務所は実質的に、韓国の在北朝鮮公館の役割を果たしていたから、それを爆破したということは、通常なら宣戦布告に等しい行為であり、さらに北朝鮮は韓国に文大統領を貶める大量のビラを撒いた。文大統領の南北統一という夢は,儚く消えた。

コロナ対応の成功で支持率が上がったが、対北外交の失敗や尹美香元正義連代表の詐欺疑惑に加え、対日外交でも難題をいくつか抱えている文大統領の前途は、多難の一語に尽きる。


「政権の窮地と受け止めよ」

2020-06-21 10:39:38 | メモ帳

6月19日の産経新聞の社説のタイトルは「政権の窮地と受け止めよ」だった。もちろん、河井克行、案里夫妻にかかわる買収事件の話である。

その社説は、「政権の緩みは深刻である」とし、「安倍晋三政権はガタガタである。これを立て直すには、首相自ら、血を流す覚悟で全力で対処しなければならない」と結んでいる。通常、安倍政権に好意的な産経新聞といえども、今回の大型買収事件ではさすがに安倍政権を批判せざるをえない、ということだろう。

首相は6月18日の記者会見において、「わが党所属だった現職国会議員が逮捕され、大変遺憾だ。かつて法相に任命した者として、責任を痛感し、深くお詫びする」と述べた。任命責任もさることながら、爺はこの事件の核心は自民党が1億5千万円を河井陣営に送金したことだと考える。もう一人の自民党からの立候補者であった溝手顕正陣営に送金した額の10倍だというから、ただごとではない。

その1億5千万円の送金を指示したのは二階幹事長であり、二階氏は「党内の基準と手続きを踏んで支給した」と言うのみで、その使途については答えていない。安倍首相も自民党総裁の立場から、多額の選挙資金供与について知っていたはずである。

河井夫陣営は多額の選挙資金をもらって、“バラマキをやれ”という暗示と受け止めたのではないか。関係者全員が狂っていたとしか思えない。爺は産経新聞に同感である。

ところで、なぜ河井陣営は現ナマで票を集められると思ったのか。その理由は、特定の組織(宗教は団体や労働組合など)に属していない限り、有権者は頼まれたら義理で依頼に応えるという風土があるからではないだろうか。こういう大事件の報道に接し、有権者が選挙とはどうことなのか、改めて考える機会になることを願う。

 

 


「民度」発言に対する海外の反応

2020-06-18 15:32:40 | メモ帳

麻生財務相が「新型コロナへの日本の対応がうまくいっているのはなぜか」という質問に対し、「民度が違う」と答えた件で、国内ではかなりの批判があった。その論議が一段落したこともあり、海外はこの問題にどう反応したか調べてみた。

まず、中国から。
中国のネット民は肯定的に受けとめたようだ。下の動画を見ると

https://www.youtube.com/watch?v=t_wHWoJ5i90

「日本国民の民度は世界最高」
「日本人はほとんどがきちんとした教育を受けているから、民度は高い」
「日本人は他人に迷惑をかけたがらないし、清潔だから」

などのコメントがある。日本人が発信している動画であることで、内容を割引いて考えなくてはならないものの、中国人は民度に関しては、日本人とは勝負にならないと認識していると見ていいだろう。それどころか、中国人は日本人に対し、民度コンプレックス(劣等感)を抱いているという意見もある。

https://news.yahoo.co.jp/byline/miyazakinorihide/20180911-00096500/

Wikipedia は「民度」を次のように説明している。(赤字)

中国でも「民度」の言葉が日本から輸入され、同様の意味を持つ。ある国家の国民や民族に対して、「○○は民度が低い」「××だから民度が低い」「民度を高めよう」と語られる。2018年9月に習近平国家首席も教育が重要だとして、「国民の総合的な民度を高める」と演説している。

「民度」は漠然とした概念であり、他の言語にどのように翻訳するかが問題だが、中国では翻訳する必要がなく、中国人は「民度」を日本人とまったく同じ概念として認識していると考えられる。

そもそも、「民度」という熟語が頻繁に使われたのは東北大震災の時である。当時、日本人が示した行動様式、すなわち自律的に形成される規律、忍耐力、思いやり、マナーなどを綜合したもの、が世界中に報道され、賞賛された。だから、麻生発言における「民度」も中国人は違和感なく受け入れられたのだろう。

では、韓国はどうか。
韓国では漢字を使用していないが、漢語をハングルで読み、そのままハングルで表記するから、漢字熟語はそのままの意味で理解される。しかし、「民度」という熟語の使用頻度は高くないだろうから、韓国人が中国人と同じように理解したかどうかは疑問である。

ともあれ、韓国のメディアが麻生発言を非難した形跡は見つからなかった。その理由として、麻生発言は言外に、韓国がITテクノロジ―を駆使してコロナウィルス克服に成功したことを賞賛しているわけだから、韓国人は麻生発言の副次的テーマである「民度」に反応しなかったという観方も成り立つ。

では、英語圏ではどうか。日本と比較的に利害関係が薄いので、忌憚ない意見を述べるだろうと期待し、英語圏の代表として、シンガポールのThe Straits Times を調べた。すると、日本発の報道として、次の記事があった。見出しは “日本がいかにしてコロナウィルスを克服したかに関する麻生発言が(国内で)激しい非難 (flak) を浴びた”である。

The Straits Times より
Aso draws flak for remark on how Japan beat coronavirus
TOKYO • Japan's success against the coronavirus without having to enforce a strict lockdown is due to its citizens' "cultural standard" which is different from that in other nations, Finance Minister Taro Aso said, drawing criticism from the public that the comments were inappropriate.
"Other countries have called me up and asked me if we're the only ones with some drug against the virus or something," Mr Aso said on Thursday in response to a question from a lawmaker on Japan's success in containing the outbreak.
"When I tell them 'our country's cultural standard levels are different to yours', they're left speechless. That's the simplest way to put an end to the questions."

記事の逐語訳は省略するが、麻生発言を淡々と報じているだけで、否定的表現はない。

では、「民度」をどう訳したか?「民度」に相当する英語(及びすべての欧州系言語)の単語はないから、The Straits Times はcultural standard (cultural standard levels) を訳語に選んだ。ただし、これはメディア界の統一用語ではなく、social manners を当てたメディアもある。

いずれにせよ、two またはthree words で「民度」を説明しており、それで読者は理解したのである。爺の推測では、日本の「民度」の水準は東北大震災の時に、十分世界中に報道されており、さらにその後、増加した旅行者によって実地検証されているから、それ以上の説明は必要なかった。換言すれば、日本の「民度」が卓越していることは世界の常識になっているのだ。

諸外国が麻生発言をどのように報じたか、詳しく知りたい方は下のURLを開けてきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=vaGyNHAKA24

では、世界中が異論を挟まなかった麻生発言を、なぜ日本の野党や一部の新聞だけが非難したのか? 

ネットで<自虐的な日本人>で検索すると、いろいろ出てくるが、その中に<「自国に対して過剰なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いているのだ>というコメントがある。日本に厳しい意見を吐くのは日本人の習性ということならば、麻生発言に対する非難の説明がつくが、日本人全員が麻生発言を非難したわけではない。むしろ、野党と一部の新聞だけが非難したと爺は認識している。

しかし、この日本人の特殊な習癖は今回のテーマとはかけ離れており、話が長くなるので、その議論は別の機会に譲ることにしたい。

【お知らせ】次の投稿は6月21日の予定

 


日本が朝鮮半島の残した資産

2020-06-15 15:28:08 | メモ帳

終戦によって日本は朝鮮半島に巨額の資産を残したが、その事実を金額的に実証することは不可能だろう、と爺は考えていた。しかし、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏によるシリーズコラム「から(韓)くに便り」の「発展のルーツは日本資産」というタイトルの寄稿(6月7日)によれば、李大根(イデグン)著の「帰属財産研究」(2015年刊)という素晴らしい著作があるという。もちろん、韓国語で書かれている。

著者の李大根はソウル大を卒業した世界経済を専門にする学者で、成均館大学の名誉教授であり、日本の京都大学に留学したことがある。この著作は、日本が残した資産がどのように形成され、どのように韓国企業によって引き継がれたかを詳細に論じており、引き継がれた資産の金額は当時の通貨で52億ドル、現在価値にして数千億ドル(数十兆円)になるという。

黒田氏は、「日本人が残した巨額の財産が米国を経て韓国側に譲渡され、これが韓国のその後の経済発展の基礎になった」と述べ、「韓国が手にした膨大な日本資産を考えれば、徴用工補償問題は理不尽極まりない」と主張する。

黒田氏が注目した「帰属財産研究」は、このブログで最近取り上げた「反日への最後通告」(池萬元著)にも引用されており、日本企業が韓国企業に引き継がれた具体例が詳しく説明されている。その中から、日本人にも多少は馴染みがある韓国企業を挙げてみよう。

昭和麒麟ビール→OBビール・・・工場の管理人が買い取った
鮮京織物→SKグループ(大手財閥)・・・工場の生産管理責任者が買い取った
小野田セメント→東洋セメント
朝鮮重工業→韓進重工業(韓進グループの中核企業)
京城電気・南鮮電気・朝鮮電業→(合併して)韓国電力
朝鮮住宅営団→韓国住宅公社

「帰属財産研究」の記述の内の興味深い部分を「反日への最後通告」から引用する。(赤字)

日本は当時の金額で、北朝鮮には29億ドル、韓国には23億ドル相当の財産を残したが、韓国分の23億ドルは当時の韓国経済規模の八割以上を占めた。それから20年経った1965年、朴正煕政権が日本から無償で供与された額は3億ドルだが、上述の23億ドルはこの8倍。このような莫大な財産を、アメリカが日本から無理矢理韓国に引き渡したのだという事実を我々は知らねばならない。

日本の引き揚げに伴って放り出されたそれらの会社を、朝鮮人たちは李承晩政府の時代から、「払い下げ」という名目のもと、タダ同然の価格で買収した。・・・「ぼろ儲け」をした人々がいる一方、財産を奪われた日本人たちはどれだけ胸が張り裂ける思いをしただろうか?・・・だから、日本はサンフランシスコ条約締結時に、韓国に残してきた23億ドルにのぼる財産の請求権を申し立てた。

【頑固爺所感】
● 文在寅政権は、日本統治時代の遺物をすべて破壊し、日本統治に協力した人々を「親日派」として罰しようとしているが、それなら日本からタダ同然で引き継ぐことで発展した大企業も「親日派」として罰せられるべきだ、という矛盾にぶち当たる。(笑)

● 「日本はサンフランシスコ条約締結時に、韓国に残してきた23億ドルにのぼる財産の請求権を申し立てた」は看過できない記述である。米国が日本の要求を却下したのだろうが、それなら70余年前のことを蒸し返す「徴用工」問題はどうなのか? 「反日への最後通告」を読むと、“韓国は恩を仇で返す国だ”ということになるが、韓国人はどう答えるのか。


 

 


サービスデザイン推進協議会の怪

2020-06-12 15:31:26 | メモ帳

売上が急減した中小企業などを支援する「持続化給付金」事業を769億円で受託した「サービスデザイン推進協議会」(サービス協議会)が電通に746億円で再委託した一件が、国会で激しく議論された。

経産省のHPを開くと、この給付金の対象は中小法人・個人事業者で、ひと月の売り上げが前年同比で50%以上減少した場合、中小法人は200万円、個人事業者は100万円を限度として給付金が支給される、とある。

問題点は、冒頭に述べたように、「サービス協議会」が受託したあと、電通に丸投げされたが、「サービス協議会」の中抜き額が20億円であること。15~16億円は銀行の振込手数料だというが、それでも「サービス協議会」に4~5億円落ちることになる。野党はこの点を突いて紛糾したが、20億円の正当性は全部終了してから、収支を公開させればいいことだからここでは論じない。

爺が不審に思うことは、電通に丸投げするなら、なぜ「サービス協議会」が必要だったのか、である。「週刊文春」6月11日号によれば、かりに電通から事業者に振り込まれると、「政府からの給付金がなぜ民間の電通から振り込まれるのか」という批判が生まれるからだ、と説明されている。しかし、それなら政府の「持続化給付金」口座を電通が管理して、政府名義で振り込めばいいことではないだろうか。

さて、この事業の取り扱い業者の選定にあたり、公開入札が行われ、この「サービス協議会」とデロイト・トーマツ(監査、税務分野では一流のグローバル企業)が応札し、前者に決まったという(TVのニュースショウ)。ところが、業者評価で「サービス協議会」はCクラス、後者はAクラスだったが、総合的観点から前者に決まったという(経産大臣)。最初から「サービス協議会」に発注することが決まっていた出来レースだったとしか思えない。つまり、デロイト・トーマツは当て馬だった!

そもそも、「サービス協議会」が設立されたのは2016年で、それ以降、政府の補助金事業に数回携わった実績があるが、設立当初から経産省が絡んでいたらしい。Wikipedia によれば、「サービス協議会」は電通が主体の組織と記述されている。代表理事の笠原栄一氏はマーケティング分野では定評がある学者だが、“私は「サービス協議会」のお飾りに過ぎません” と公言している(TVのニュースショウ)。

要するに、「持続化給付金」事業に限らず、政府の補助金事業は、すべて実質的には電通が受託することが決まっているのだ。法的には問題ないが、経産省と電通の間に癒着が生まれないか? どうもすっきりしない事案である。

ところで、「サービス協議会」の“怪”は、今回の「週刊文春」のスクープ記事で初めて明るみにでた。「週刊文春」以外のマスコミ(特に政府批判が得意な新聞)や野党は、2016年から今まで気づかなったのだろうか。奮起を望む。

ところで、コロナ対応のもう一つの目玉政策であるGo Toキャンペーンが仕切り直しになった。これから細目を決め、消費者にクーポン券を配るまでに、最低2カ月はかかるだろうから、それまで事業者が耐えられるかが問題だ。このキャンペーンは国民の自粛ムードを一掃する効果が期待でき、観光業界のみならず、食材の生産者含め、各分野が待望しているプロジェクトである。政府当局がスピード感をもって対応することを期待する。

【お知らせ】次回の投稿は6月15日の予定で、テーマは「朝鮮半島に残された日本の資産」です

 

 

 

 

 


疑惑の解明にブレーキをかける文大統領

2020-06-11 10:55:16 | メモ帳

このブログで度々取り上げた尹美香(ユン・ミヒャン)元正義連代表の不正疑惑に関し、これまで文大統領は沈黙を守っていたが、韓国の保守系紙「朝鮮日報」(9日)によれば、青瓦台で開かれた首席秘書官・補佐官会議で初めて次のように述べた。(赤字)

「慰安婦運動そのものを否定し、運動の大義を損傷させようとする一部の試みは正しくない」
「慰安婦の大義は決して否定したり、非難したりできない」
「慰安婦運動は今も現在進行形であり、被害者の傷は完全に治癒されていないし真の謝罪と和解にも至っていない。歴史的真実が明らかになって、記録されて、若い世代と子孫に歴史に記録として刻まなければならない」

この発言に対し、同紙は、“誰が慰安婦運動を否定していると? 使途を明かせと言っているだけだ”という見出しの社説で、疑惑の数々を列記して、次のように締め括っている。(赤字)

慰安婦運動を巡る問題は、補助金と寄付金によってつくり出された慰安婦基金が被害者を支援する本来の目的ではなく、関係ないところに使われたのかどうかという問題だ。検察の捜査を通じてこれらは明らかになるだろうし、責任を取るべき部分があれば責任を取ればよい。慰安婦運動の大義を生かすためにも、一日も早く疑惑を解明しなければならない。

日本としては、2015年の朴槿恵前大統領との間に結ばれた“慰安婦合意”で決着している立場だが、文大統領の発言から、彼は慰安婦問題が終わっていないと認識していることは明らかである。そして、マスコミも「慰安婦問題は終わっていない」という点では、文大統領と同意見である。

ちなみに、2015年に拉致なぞなかったことを承知の上で、日本が支払った10億円は手切れ金の役割を果たしたわけで、結果的によかったと思う。そのお蔭で、正義連の活動を封じることになった。そして、尹元代表は慰安婦問題の甘い汁は吸いつくしたと判断し、政界に転身したと推測する。

ここまでは想定内だが、「運動の大義を損傷させようとする一部の試み」という下線の部分は、疑惑の解明にブレーキをかけたい文の意向を明確に示している。検察がどう動くか注目される。

また「中央日報」は“市民団体が政府の金・要職の通路になった非正常社会=韓国”という見出しの社説で、政府が正義連に5年間で19億ウォン(1億7200万円)もの巨額の補助金を支出していたことに関し、次のように述べている。(赤字)

正義連がこのように政府から多くの金を受け取っていたことを国民の大部分は知らなかった。被害者の海外訪問、集会開催などの契機があるたびに後援者を集めて募金をしてきたため、市民の寄付で運営されている団体だと思っていた国民が多かった。

金と要職で市民団体を味方に引き込めば、権力と市民社会の健康的な緊張は直ちに崩れる。市民団体を政府系団体にしていつも批判の代わりに満場の拍手が起こるようにしてしまえば、権力の堕落に対する早期警報音は永遠に失踪する。

市民団体(正義連)と政府が癒着していたことが明らかになったが、それ以上に文大統領の痛手は、正義連の代表だった尹国会議員が補助金のかなりの部分をくすねていたこと。文大統領のメンツは丸潰れであり、腹の中が煮えくり返る気持ちだろう。

その一方で、文大統領は疑惑解明にブレーキをかけたい意向を表明しているわけで、この矛盾をどう処理するのか。選挙に大勝した文大統領は順風満帆に見えたが、このスキャンダルと北との不和が表面化したことで、局面が変化した。いずれにせよ、日本としては高みの見物である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


民度論

2020-06-09 15:10:03 | メモ帳

1週間前の出来事で董(とう)が立った感があるが、どうにも腹立たしい言葉の応酬があったので、遅ればせながら論じたい。6月6日の産経新聞に掲載された「産経抄」から引用する(赤字)。

麻生太郎財務相は4日の国会で、新型コロナウィルス感染症による死者が、欧米主要諸国に比べ日本で極端に少ない理由についてこう述べた。「国民の民度が違う」
(中略)
これに早速、立憲民主党の蓮舫副代表がツイッターでかみついた。「貴方はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣」
(中略)
国民の文化程度の高さに自信を示すことが、どうして麻生氏自身が偉いという話になるのか文脈が分からない。蓮舫氏は「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わず・・・」とも批判していたが、牽強付会に過ぎよう。
(中略)
麻生発言に関しては、予想通り数紙が5日付け朝刊で批判的に取り上げていた。「他の国をおとしめることになりかねない発言だ」(朝日)、「波紋を広げる可能性がある」(毎日)。
(以下、省略)

なぜ爺が腹を立てたかというと、爺もこのブログで麻生財務相と同じことを述べたので、爺も蓮舫氏や朝日、毎日に批判されているように感じるからだ。すなわち、4月13日の「要請と強制」において、<日本の要請+国民性=欧米の強制>という式を示して、「日本では『強制』する法律はないが、日本人の国民性で補える」と予想した。日本政府が緊急事態宣言を発出し、欧米諸国からその内容が手緩いと批判された時である。

ちなみに、「民度」という言葉を使わず、代わりに「国民性」を使用したわけは、日本人の場合、「民度」には過去の実績から、その言葉自体にpositiveなニュアンスがあるからだ。その点、「国民性」ならpositive でもなく、negative でもなくneutralである。控え目な表現にしたが、爺の気持ちとしては、「民度」も「国民性」も同じである。

爺は予想において「国民性(=民度)」を根拠とし、麻生財務相は結果に対して高い「民度」を挙げた違いはあるが、批判されるなら、予想でも結果でも同じである。

自国の「民度」を賞賛すると、「他国をおとしめることになる」になるのか。それなら、韓国の文大統領が「K検疫は世界に賞賛されている」と自画自賛したとき、なぜ「他国をおとしめている」と批判しなかったのか。

施政者が国民を賞賛することは国民を励まし、自信を持たせる効果がある。施政者を批判するタネをみつけては、つっかかる蓮舫氏や左派系新聞は反省してもらいたいものである。

 


映画「タクシー運転手」の意義

2020-06-07 13:36:51 | メモ帳

このブログのコメント欄の常連である「草莽崛起」氏から、NHKのBSプレミアムで、光州事件(当ブログ5月28日の“光州事件の謎”参照)をテーマにした映画「タクシー運転手」が放映されるという情報を頂いたので、幸いにして見る機会を得た。「草莽崛起」氏のご配慮に深謝する。

まず、この作品のあらすじをWikipedia から引用する。(青字)

1980年5月に韓国の全羅南道光州市で起こった民主化を求める民衆蜂起の光州事件が描かれている。史実においては全斗煥らによるクーデターや金大中の逮捕を発端として、学生や市民を中心としたデモが戒厳軍との銃撃戦を伴う武装闘争へと拡大していった。

作中ではソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、高額な運賃が得られることを期待し、ドイツ人記者のピーターを乗せ光州へと車を走らせ、検問を掻い潜り光州へ入る。そこでピーターは軍による暴虐を目撃し、その事実を全世界に発信するため撮影記録を持ち帰ることを決意する。

キムも、仲間や市民との出会い、そして無残にも次々に死んで行く彼らを見るうち、次第にピーターの使命を理解するようになり、クライマックスではピーターのカメラを没収しようとする政府の追手とカーチェイスをしながらソウルへと戻る

この作品は2017年に作られ、アカデミー外国映画賞を受賞した。単なるサスペンスドラマとしても楽しめる作品である。韓国軍が市民を銃で虐殺する場面は、9年後の北京で起きた天安門事件を思い起こさせる。

さて、去る5月18日、文在寅大統領は光州事件40周年式典において、「(光州事件における)発砲命令者と軍が行った民間人虐殺など、国家暴力の真相を必ず明らかにしなければならない」と述べた。裏を返せば、真相は解明されていないということになる。

当ブログの「光州事件の謎」(5月28日)では省略したが、この事件に北朝鮮が関与したと主張しているのは、池萬元(「反日への最後通告」の著者)だけではない。元北朝鮮の人民軍大佐で、脱北して韓国に帰順したキム・ヨンギュの著書「対南工作秘話・声なき戦争」に次の記述がある(「反日への最後通告」からの引用)。(赤字)

民主化とは1960年代から北が韓国の不満勢力を煽動するために使った偽装用語だ。韓国の民主化運動は北の指令によるもので、韓国に民主政府を樹立することが金日成の目標だった。四・一九を北朝鮮では「四・一九民衆抗争」と呼んで、・・・五・一八も同様に「五・一八民衆抗争」と呼んでいる。四・一九も五・一八も北の工作によって惹き起こされた事件だ。

*注 「4.19事件」は、1960年4月19日、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領の率いる自由党政権が、長期独裁統治を図って不正な選挙を行ったことに反発して、大学生を中心とする市民が大規模なデモを繰り広げたもので、李承晩大統領の退陣につながった。

「反日への最後通告」には、上述のキム・ヨンギュの著書「対南工作秘話・声なき戦争」からの引用が延々と続くが、省略する。

池萬元は「反日への最後通告」において、『五・一八光州事件は1980年から1997年4月までの18年間、「金大中一派と北朝鮮による工作によって起こされた内乱事件だ」と公に認められてきた。しかし、1980年代に・・・主体思想派たちが徐々に勢力を広げて、いつのまにか「崇高な民主化運動」として祭り上げた』と主張している。

この文章を読むかぎり、親北勢力が光州事件に北朝鮮が関与した事実をもみ消して、自然発生的な民主化運動だったことに歪曲したということになる。池萬元はこの歪曲を糾した「捜査記録で見る12・12(粛軍クーデター)と5・18(光州事件)」全四巻1720ページを2008年に出版した。その真偽を巡って今なお裁判が進行中である。

*注 粛軍クーデターは、光州事件直前の1979年12月12日に大韓民国で起きた軍内部の反乱事件である。後の韓国大統領で、当時保安司令官で陸軍少将だった全斗煥、同様に後に韓国大統領で当時第9師団長で陸軍少将だった盧泰愚などを中心に軍内部の秘密結社「一心会」が起こしたクーデターである。

池萬元は「結論から言えば『北朝鮮軍介入がなかった』という主張は虚偽である。北朝鮮軍介入の有無を明らかにするのは、国防部だけができることであり、司法部における判断領域ではない。さらに国防部は2019年2月12日『国防部はこれまで北朝鮮軍介入の有無について調査したことがなく、これを明らかにするのが今後の課題』と発表した。北朝鮮軍介入がないというのは、共産主義者たちの謀略行為なのだ」と述べている(P.291)。

さて、文在寅大統領は「真相を明らかにする」と言明したが、もしも光州事件における北の介入が明らかになったら、結果をもみ消すだろう。日本の併合時代における日本の善政をもみ消して、国民に反日意識を煽っていることに較べれば、国内における歴史の歪曲ぐらいなんでもない。歴史の歪曲・隠蔽は韓国の宿痾なのである。

爺は前回(5月28日)、「この事件は日本に関係ない」と述べたが、よく考えてみれば、そうではなかった。それは、文大統領が朴正熙や全斗煥などの軍事政権を親日(=悪)と決めつけていること。特に、1965年の日韓基本協定を締結したのは朴正熙大統領であるから、日韓基本協定を否定することになりかねないのである(現実に、徴用工問題はそうした流れになっている)。

話を映画「タクシー運転手」に戻す。この映画には、もちろん北朝鮮ゲリラは登場しない。この作品は2017年に作られており、その当時はすでに北朝鮮介入はなかったことにされていたからだ。

文大統領もこの作品を鑑賞したらしいが、文としても当時の軍事政権の暴虐ぶりが示されているこの映画は、その後の「民主化政権」の正当性・公正性を際立たせることになるわけで、文の歴史認識を具現したものと言っても過言ではない。全国民必見として推薦したい気分だろう。

 

 

 


26日のデコレーションケーキになったマスク

2020-06-04 14:40:31 | メモ帳

5月29日、10万円の給付金が爺の口座に振り込まれた。申請書を郵送してから10日であり、予想外の速さである。オンラインで申請しても、時間的には同じくらいだったのではないか。地方自治体(湯河原町役場)の頑張りを称えたい。

各世帯2枚のマスクも届いた。この施策は4月1日に発表されたから、丁度2ケ月かかったことになる。それでも、未入手の世帯がかなりあるらしい。不良品があったという不測の事態があったにせよ、2カ月(or longer)はかかりすぎだ。

同封されていた案内文を見ると、問い合わせ先は、<厚生労働省医政局経済課(マスク等物資対策班)>とある。このプロジェクトは給付金と同様、スピードが命だっただけに、時間がかかりすぎたのは痛手だ。不慣れな仕事に狩りだされたこの「班」の人々には同情するが、結果が全てである。

4月8日に、爺はこのブログに次のように述べた(赤字)

頑固爺の関心事は、各世帯に2枚ずつ配布されるマスクが間に合うのか、である。・・・国民が皆なんとか手に入れてしまったあとに配布されても無意味であり、税金のムダ使いになる。

今ではマスクは自由に入手できるから、この施策は完全にタイミングを逸したと言える。六日の菖蒲(しょうぶ)、十日の菊、現代風に言うなら二十六日のデコレーションケーキか(笑)。

爺でさえ、マスクの配布がタイミングを逸することを懸念したくらいだから、首相と補佐官たちもこの事態は予測できたはずだ。この失敗は結果論ではない。

給付金プロジェクトは及第点、マスク・プロジェクトは落第点。残念である。

付記:次の投稿は6月7日の予定。テーマは「韓国映画 タクシー運転手」の意義。

 

 


朝日新聞を嫌う理由

2020-06-03 13:46:33 | メモ帳

このブログのコメント欄の常連である某氏(朝日新聞の講読者)から、爺が朝日新聞を嫌う理由を尋ねられ、下記のように答えた(青字)。某氏と同じ疑問を持つ方もおられると思い、ここに本文として掲載する次第である。

私が朝日新聞を嫌う最大の理由は、安倍政権批判が過剰であることです。

新聞の権力監視機能は必要ですが、国民に前向きに進む希望を抱かせ、日本を発展させる方向に導く機能も期待しています(そこまで期待するのは、無理かも知れないが)。その観点で、朝日の論調は「我々はこんなお粗末な人物に任せているのか」と国民を意気阻喪させるものです。

安倍政権はわれわれが選んだのであり、選んだからには盛り立てていくべきだと考えます。安倍晋三氏は能力的にはわれわれと同じ程度の凡人であり、間違えることもある。凡人としては、驚異的頑張りだと評価します。朝日の論調を見ていると、安倍がスーパーマンであるという前提に立っているように感じる。

もう一つの理由は、慰安婦問題での誤報の謝り方が姑息だったこと。原発事故に関する謝罪を主にして、慰安婦問題を従とし、後者の矮小化を図ったこと、そして「慰安婦問題の本質は人権問題だ」と論点のすり替えを図ったこと(言うまでもなく、慰安婦問題の本質は拉致があったかどうかです)。あの謝罪の時までは、私は朝日新聞を購読していました。

慰安婦に関する誤報を謝罪した時の「矮小化」については、下の写真をご覧頂きたい。まったく別件の、それも発生時期が異なる事案を同時にまとめて謝罪し、さらに別件が慰安婦事案よりも重大であるかの如く扱っていることがお分かりいただけるだろう。

同じ謝るにしても、頭を深々と下げるのと、ふんぞりかえってニタニタ笑いながらするのとでは大違いであり、朝日の謝罪は後者に近い。

誤報自体はやむをえないとしても、それを30年も放置し、国益を大いに損なう結果を招いた挙句、誠意がまったく感じられない形で謝罪したことが許せないのである。


再録:朝日新聞の未練

2020-06-02 13:49:59 | メモ帳

昨日、「森友騒動の総括」をアップした後、最近この問題を取り上げたことがあるような気がした。俗に言う déjà vu (既視感) である。調べてみたら、最近ではなく、昨年6月1日に次の記事(青字)をアップしていた。文中、豊中市の某市議とは、昨日の記事に登場する木村真氏である。

朝のウォーキングに出掛けた帰り、たまたま立ち寄ったコンビの新聞売り場で、朝日新聞の第一面に「森友、売却額不開示は違法」という大きな見出しがあるのを見つけた(5月31日)。他紙の第一面を見ると、皆それぞれ別件である。ことによると、朝日のこの記事は特ダネかもしれないと思って、すぐさま買い求めた。

帰宅してじっくり読んでみると、その記事は2年ほど前に大騒ぎになった森友学園事件に関し、大阪府豊中市の某市議が学園への国有地売却額が一時不開示とされたことで精神的苦痛を受けたとして、国に11万円の損害賠償を求めたのに対し、大阪地裁は国(近畿財務局)に3万3千円を支払うよう命じた、というもの。

「なにこれ、ずいぶんケチ臭い裁判があるものだ!」が私の印象その(1)。そして「この程度の話が一面トップ!?」が印象その(2)。 

講読している読売新聞と産経新聞をみると、この話題は第18面とか19面とか、紙面の終わりに近いところに小さく掲載されており、内容は朝日の第一面と同じである。

改めて朝日新聞をじっくり読んでいくと、裁判の判決要旨を報じる別の小さな記事があり、さらに38面に“森友判決「すっきりせず」”という見出しの補足説明記事があった。「すっきりせず」は原告の豊中市議のコメントからの引用だが、そのコメントを借りて、朝日の所感を述べているように感じた。ともかく、念がいった扱いである。

そして、その記事は「問題の発覚から2年あまり。国会でも裁判を通じても、国はなお説明責任を果たしていない」で締め括っている。その言外に意味するところは、「この件にはまだ裏があるはずだ。安倍政権はその裏をしっかり説明しなくてはならない」であろう。しかし、裏がないなら、安倍政権は説明の仕様がないではないか。これは明らかに言い過ぎであり、安倍政権を貶める印象操作だ。

2年ほど前、朝日新聞は連日、森友問題をトップに据えて、「安倍は怪しいぞ!」というキャンペーンを張ったが、なにも出てこなかった。朝日は、その「なにも出なかった」ことと倒閣に失敗したことがよほど悔しかったのだろう。この一面トップの扱いと補足記事には、その悔しさが滲みでている。朝日の往生際の悪いことには呆れるばかりだ(笑い)。

籠池親子の手記を読んだ後にこの1年前の投稿を読み直して、当時、朝日新聞が異常なまでに「森友」を追及し、それが不発に終わったことへの未練を今更ながら感じ取った。その「未練」は今なお続いているのではないかと想像し、ここに旧投稿を再録する次第である。