頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

「アルルカンと道化師」論

2020-11-29 13:23:13 | メモ帳
池井戸潤の新作「アルルカンと道化師」を読んだ。ストーリーは、苦境に陥った善玉がいかにして巻き返して、悪玉をやっつけるかの勧善懲悪物語である。作り話とはわかっていても、ハラハラ・ドキドキするサスペンス性があり、そして謎解きの部分もある娯楽性十分の作品だ。

アルルカン(Arlequinフランス語)とは何なのか知らなかったが、ネットで調べたら道化役者のことだった。ピエロとどう違うのかという疑問が湧くが、それは大したことではなく、アルルカンと道化師を画題にした画そのものが重要な役割を果たしている。


この作品も映像化されるだろうが、その画を登場させないことには画竜点睛に欠ける。そうかといって、あまりチャチな画では面白さが半減する。どんな画を映像に登場させるのか興味深い。

さて、爺はあまり小説を読まないが、池井戸潤だけは別で、新作が出ると必ず読む。池井戸ファンになったのは十数年前で(その前は東野圭吾のファンだった)、「下町ロケット」「空飛ぶタイヤ」「陸王」なども面白く読んだが、特に「オレたち花のバブル組」に始まった半沢直樹シリーズは、TVドラマに主演した堺雅人の顔を思い浮かべて読むから興味が倍加する。

池井戸潤の作品で感心するのは、キャラクター設定もさることもさることながら、適切な部分にヤマ場があり、そして全体を長すぎず、短か過ぎないヴォリュームにまとめる構想力である。

この作品では勧善懲悪のわかりやすいストーリーに謎解きの要素を加えたが、次の作品ではどんな要素をアクセントにするのか。楽しみである。




日本海呼称問題が終わらない韓国

2020-11-26 15:01:10 | メモ帳
11月16日、国際水路機関」(International Hydrographic Organization-IHO)は、日本海の呼称問題に関し、これまでと同様にJapan Seaとするが、デジタル版では世界中の海域に番号をつけると発表した。

これで、1992年以降、韓国が“Japan Seaは日本帝国主義の残滓であるから、東海(トンへ)と呼ぶべきだ”と主張してきた問題にケリがついたはずである。

ところが、11月23日付の中央日報は“Google の地図には Japan Sea の表示があるのは解せない”と報じた。(ただし、YouTubeからの情報であり、頑固爺はその記事を見ていない)


なぜこんな事態になったかというと、韓国政府が曖昧な表現でIHOの結論を発表じたためで、さらに各新聞も韓国に都合のいいように解釈した記事を流したからである。IHOの決定を伝えた中央日報の記事(11月17日)を引用する(赤字)。

「東海」「日本海」という表記を巡る韓日の外交戦で最近、意義深いニュースが伝えられた。
世界の海洋名称の国際標準を定める国際水路機関(IHO)が名称ではなく「固有番号」で海を識別するという仲裁案を提案したからだ。

日帝強占期である1929年からIHOは「日本海」という単独表記を維持しているが、91年ぶりに変更が可能となった。すぐに「東海」が使われるわけではないが、海の名称が数字に置き換えられれば、「日本海」という主張の法的根拠を崩す効果がある。11月のIHO総会で採択される可能性が高いという。

韓国政府は過去30年余りにわたり、国際舞台で「東海単独表記」ではなく、「東海/日本海の併記」を要求してきた。大韓民国で東海単独表記を望まない人はいないだろうが、韓国側が最初からそれにこだわれば、何も受け入れられなかったはずだ。

韓国政府は国際的な条件を勘案した折衷案として国際社会を説得した。同時に水面下の世論戦を展開し、全世界の地図で「東海」表記の割合を40%まで引き上げた。IHOが「併記」と事実上同様の効果を上げる数字体系で韓日間の紛争を解決しようとしたこともこうした環境変化がきっかけだった。

今後「日本海単独表記」という公式基準もなくなれば、東海表記はさらに広まるはずだ。「夢のような100を追って無駄骨を折るよりも、ひとまず現実的な50を取り、残る50のために落ち着いて後の準備を図る」という外交の定石だ。


記事前段で“韓国は日本海・東海の併記を求めてきた”と述べており、それが数字表記になったことで、“結果は100点ではないものの、将来的に「東海」単独表記になる可能性が見えてきた”と述べているように受け取れ、全体として意味が不明確である。

韓国の新聞がどう書こうが勝手だが、事態をしっかり把握していなかったために、Google にイチャモンつける結果になったのではないだろうか。

中央日報の記事はさておき、この「日本海・東海」問題に関する爺の見解を述べたい。
  • 客観的に見て(すなわち日本人としてではなく、地球人的観点で)、この海域は地形的に日本海と呼ぶのが妥当である。
  • 東海では、韓国・北朝鮮を主体とした呼称になる。ロシアから見れば、この海域は南海が適切であり、中國など他の諸国から見れば東海は無意味である。
  • 世界中で東西南北を海域の名称にした例は北海しかない。北海は英国と欧州大陸の国々(ノールウェー、ドイツ、デンマーク)に囲まれた海域であり、欧州の北側にある海域として、周辺諸国が適切と認めているから、この名称でよい。
  • 韓国・北朝鮮の東の海域を東海と呼ぶなら、西側は西海となるが、その海域は黄海という名称が定着している。
  • 韓国は「日本海」が日本の帝国主義の残滓だというが、地形は政治とは無関係である。
  • Japan Sea はロシアがつけた名称だという説がある。
韓国の主張は、1990年代からにわかに叫ばれてきたもので、なんとかして日本を貶めたいという気運が生まれたのと時期が同じであり、反日運動の一環と解すべきである。

これ以上韓国がゴリ押ししても、韓国が国際社会から顰蹙を買うだけであり、韓国にとっても得策ではない。この辺で矛を収めるべきだろう。

【お知らせ】次の投稿は28日または29日になります。


理論的水準を超えた株価

2020-11-25 16:57:19 | メモ帳
株価が異常な高騰を続けている。罫線で株価を予想している専門家たちは、この数カ月「もう下がるぞ、もう下がるぞ」と言い続けてきた。それが、11月17日に日経平均がリーマン前の水準である26,000円をマークしたあと、数日間は下落したが、また24日も上昇し 終値は26,165円。そして、今日(11月25日)も上げて26,296円。



爺が投資の参考にしている投資顧問会社“株株”の橋本徹氏は、先週末に「来週の変動レンジは上限25,880円、下限24,200円」と断言していたから、上限で500円もはずれたことになり、面目丸つぶれ。こんなに大幅にはずれては顧客の信用を失うのではないか。

爺も11月17日に26,000円台を付けた時、“株株”のご託宣もあり「もうピークだ」だと判断して、数年前に仕込んだIndex 投信(日経平均にスライドする方式)を数件売却し、大幅な利益を手中にして、“大勝利!” とバンザイした。

ところが、昨日から本日にかけてまた上がって、“しまった。早まった!”とホゾを噛んだが、最高値で売り抜けることは至難の業。この程度で満足すべきだろう。

とにかく、相場は理論的水準のはるか上に駆け上がった。企業の業績が好転したわけではなく、業績改善の期待先行の値上がりだったが、ここに来てさらにワクチン開発期待が株価を押し上げた。

この足元が緩いフワフワとした頼りない値上がりが、果たして業績改善相場につながるか、またはどこかでドカンと大幅下げになるか。投資家だけでなく、経済界全体が固唾を飲んで見守る展開である。














再録 日韓併合の真実

2020-11-24 09:52:36 | メモ帳
丁度1年前、頑固爺は「日韓併合の真実」を投稿した。それに対して、いくつかのコメントを頂いたが、その一つと爺の回答を以下に再録する。
再録の目的は、投稿から1年経過した時点で、爺の考えが変わったかどうか検証することである。そして、読み直した結果、考えは変わっていないことを申し添える。

日韓併合の真実

韓国の反日思想の根底には、“日本に侵略され、苛酷な統治を強いられた”という被害者意識がある。そして、日本人も贖罪意識によって、韓国人の感情に応えてきた。頑固爺はこの“日本の侵略と苛酷な統治”に疑問を持ち、韓国の近現代史を研究している。

今回は、「韓国がタブーにする日韓併合の真実」(2003年ビジネス社刊、崔基鎬著)を題材にして、併合以前の朝鮮社会について考えてみたい。以下、赤字は同書からの引用、青字は同書の要約である。

●支配階級は民衆から富を収奪した

李氏朝鮮は腐敗しきって、国家の体をなしていなかった。・・・国は八つの道とその下の郡に分かれていたが、道長官に当たる観察使も、元と呼ばれた郡守も、買官することで、その無給の地位を手に入れた。・・・李朝末期には、観察使のポストはおよそ百万両(現在価値で1億円)だった。(16ページ)

地方に赴任する官吏は国王に巨額のカネを払って、無給の地位につき任地での徴税権を手にしたから、可及的速やかに投資を回収し、さらに利益を得るために過酷な徴税を行ったのである。その官僚になるのは両班と呼ばれる支配階級で、身分は固定化していた。

李朝の身分階層は、支配階級の両班(納税義務・兵役義務・建設工事の賦役を免除された貴族)、中人(登用試験の科挙に合格した常民で、官僚の補佐としての技術職になるか、または軍人に登用された)、常民(農民、商人、手工業者)、()に分かれてい両班は、下層階級を支配し、しばしば暴力をふるった。常民が懸命に働いて裕福になると、無実の罪を着せて投獄し、財物を没収した。常民に美しい妻がいれば取り上げて妾にした。

李朝時代の各身分の人口構成は次のようである。(出所:学校指導書)

1700年代 両班 5% その他 95%

1800年代 両班 50% その他 50%

1900年代 両班 65% その他 35% (人口総数:1,300万人)(99ページ)

貴族層の両班は労働を蔑視し、生産活動は行わず、下層階級からその生産物を取り上げて生活した。上記の数字から、両班の苛酷な収奪により下層階級の人口が相対的に減少し、富裕な両班の人口が年々増えたことが窺える(日本の武士階級は全体の約8%)。李朝末期においては、65%を占める両班の生活を35%の下層階級が支えたのだから、その生活がいかに悲惨なものだったかが想像できよう。

ちなみに、日本の統治が終わった1945年の人口は2,800万人だったから、日本統治時代の35年間で人口は倍以上に急増したことになる。李朝時代とは格段の相違である。

●李朝末期の宮廷

国王と支配階級であった両班は、絶え間ない権力闘争に血道をあげるかたわら、農民を中心とした常民を徹底的に搾取し、国の経済が疲弊するのにいささかも顧慮することなく、浪費と贅沢三昧に耽った。

・・・わけても李朝末期にみられる大院君(国王の父)と閔妃(国王の妃)の対立は、その典型的なものである。両派は清国・ロシア・日本の3国から、その時々の優勢と思われる国を選んで、すり寄って保護を求めた。末期症状をさらに悪化させたのは、国王の高宗が愚昧で、酒色に溺れ、国政を一向に顧みなかったことである。(3ページ)

国王とその側近は連夜酒宴を催し、起きてくるのは午後遅くだったという。そんな有様では政治どころではなかっただろう。宮廷費は国家予算の半分を占めたという。予算規模が小さいとはいえ、とんでもない数字だ。施政者の腐敗・堕落は目を覆うものがあった。しかも、国王は日本の近代化要求を拒否した。近代化は自分の権力を弱めると懸念したのである。

李朝は軍隊を所有してはいたが、それは軽装備で暴動を鎮圧することが役割だった。清国の属国だから、軍隊の必要性がなかったし、軍隊を維持する経済力もなかった。そもそも、自分の国は自分で守るという思想も気概もなかった。

そして、閔妃暗殺事件、日清戦争、日露戦争を経て、日本の併合に至るが、国際情勢については別の機会に譲る。 

●日韓併合が朝鮮民族を救った

李氏朝鮮には人権がなかった。日韓併合はこのような社会不正を正した。日本人が汗水たらして、朝鮮の近代化と民衆の生活向上に努力した側面を無視するどころか恨むのは、甚だしい背恩妄徳といわねばならない。(234ページ)

わが国の人々の多くは、日本統治が犯罪行為であったごとく力説するが、それは事実を知らぬ妄説である。(4ページ)

このように、著者の崔基鎬(チェキホ)は、「日韓併合が朝鮮民族を救った」と認識しており(227ページ)、その見解を補強するものとして、中国の思想家、梁啓超の意見を次のように引用している。

梁啓超は清朝末期から民国の初期にかけて名を馳せた近代中国思想界の先駆者である。彼は隣国の李氏朝鮮にも興味を持ち、その著作の中で、李朝亡国の原因が宮廷、政治、社会の腐敗にあると指摘して、「朝鮮人自身が朝鮮を滅ぼしたのであって、日本を始めとする外国によって強いられたのではない」と論じた。朝鮮は滅ぼされたのではなく、自滅したのであった。(66ページ)

このブログ(10月23日)は、「韓国には不都合な朝鮮紀行」と題して、英国の女流旅行家イザベラ・バードの“朝鮮の改革には他力本願しか手立てがなく、その頼る相手は日本またはロシアである”という見解を引用した。

その見解は李朝崩壊前の状況を指していたが、梁啓超の見解は李朝崩壊後にその原因を述べたものである。要するに、外国人は客観的に見て、朝鮮は自立できなかったと判断した。韓国の教科書は「日本の侵略がなかったならば、韓国は自力で近代化できた」と教えるが、李朝の崩壊は自滅であって、日本は加害者ではなく、韓国も被害者ではなかったのである。

ところで、本日(韓国がGSOMIAの延長を発表した翌日)の産経新聞のコラム“産経抄”は次のような意見を述べている。

「日韓対立の根本的解決には、過去の事実関係を徹底的に調査し、嘘がまかり通る状態に終止符を打つことが不可欠である。短期的には摩擦が増そうとも、嘘を一つ一つ潰していくことが肝要だ」

この意見はまさに、このブログで頑固爺が主張してきたことである。未来志向になる前に過去志向になって、歪曲された歴史を徹底的に修正すべきである。韓国人が正しい歴史を知るまでは、本当の日韓友好は成立しないと考える。
                              終

以上の投稿に対し、いくつかのコメントを頂戴した。その一つと爺の回答を記す。

無名氏のコメント
頑固爺さんが引用した内容はその通りです。その時代を題材にした韓国ドラマでも両班が権謀術策に明け暮れ、庶民と掛け離れた生活を映しています。これって作者の思惑が小生には意味不明です。普通に考えたら、それって韓国人にとって、恥じゃないんですかね?タイトルを見て、秀吉の朝鮮出兵と勘違いしてしまいましたが、明治維新後の朝鮮への日本の関与の評価については、頑固爺さんの評価と小生のそれとは大きく違う事はこの場を借りてはっきり申し上げておきます。

頑固爺のコメント
無名氏さん
韓国ドラマが両班について正直とは知りませんでした。それはともかく、朝鮮への日本の関与に関する評価が、貴殿と私では大きな差があるとのことですが、その差とは何ですか。ご教示いただけませんか。

無名氏 のコメント
頑固爺さんがお嫌いな韓国ドラマをバイアス無しにどれだけご覧になっておられるか知りませんが、製作側が勝手なドレッシングをしようとも、両班と庶民との乖離は想像を遥かに超えています。日本との比ではありません。そう言う意味です。

頑固爺さんとの見解の相違を端的に言えば、如何に日本の安全保障上の必要に迫られたとは言え、その国を併合したのは、何も彼らのことをファーストに考えたからではありますまい。唯 欧米の植民地の如く、搾取のみでなく、あくまでも日本ファーストの観点ながらも、インフラの整備を日本人の精神風土もあって行ったと、小生は理解しています。

頑固爺さん達の持論である、あれもやってあげた、これもやってあげたから、感謝して然るべし!嘘つくな!との言説とは全く違います。我等は国益抜きで韓国の為なんてお人好しな国民でもないし、当時はそんなナイーブな国際情勢では無かった。日本のそして世界情勢を座標軸に置いて思考する基本動作をアメリカだけの駐在歴とは言いながらも、商社マンとして培われたのではありませんかな?ドイツ出張から戻ったばかりゆえ、話がうまくまとまりまりませんが、小生の言わんとすることは、見解の相違があろうとも、ご理解頂けたはずですな。

頑固爺回答 
無名氏さん 早速のご返事有難うございます。
併合が日本の都合であったことはは承知しています。また併合は朝鮮人のアイデンティを奪うことになったことはまずかった、保護国で止めておくべきだったと思います(イザベラ・バードの紀行文を題材にしたとき、そう書いたはずです)。

さて、貴殿が誤解していることがあります。それは商社勤務時代も独立してからも、私のビジネスの主体は韓国産缶詰を米国で売ることだったので、私は韓国に強いsympathyを感じています。憎んでいるのではありません。

だから、私は日本が韓国と友好関係を再構築することを願っており、それには韓国人が歪曲された歴史に気づくことが必要だと思っています。そのために、私のエッセイは常に彼らの嘘を暴くことに重点を置いており、結果的に貴殿の誤解を招いたと思います。
                              
無名氏のコメント
頑固爺さんの真意を知らず、数かずの失礼の段、お詫びします。 











スローガンを間違えた韓国

2020-11-21 13:27:09 | メモ帳
このところ、シリアスな話題が続いたので、今回は趣向を変えて“笑い”を提供したい。

「ユニクロがギルサンダーとのコラボ製品を発売した日は、開店前から長蛇の行列ができた。そして、アイテムによっては、数時間で売れきれになった」というニュースは日本だけではなく、韓国にも共通するものだった。

NO JAPANのスローガンを掲げた日本品不買運動は、ユニクロ、日本車、ビール、文房具などに大打撃を与えたはずだったが、1年余が経過して様変わりしている。

任天堂の「あつまれ動物の森」にも、長蛇の列ができたし、ソニーのプレイステーション5も同様で、韓国メディアはこの傾向を“選択的ボイコット”と自嘲する。こんな支離滅裂なダブルスタンダードをやっていては、韓国人が自己嫌悪に陥らないか心配である(笑)。

車では、確かに日本車各社とも、今年の販売実績は前年比70-80%の大幅ダウンだが、レクサスだけは前年比で5割ほどアップした。確かに、“選択的”である。

12月上旬には、アニメ映画「鬼滅の刃」が封切されるが、これに韓国人がどう反応するか見ものである。

そもそも、「日本が〇〇を売ってくれないから、日本品を買うのをやめよう」ということ自体が矛盾している。それに、日本の韓国向け輸出の94%が資本財で、消費財は6%に過ぎないから(YouTube 情報)、“NO JAPAN”は無理な話なのである。

その消費財でも、ジッパー(YKK)、カメラ、内視鏡などには、韓国品は存在しないし、紙おむつでも日本品に人気が集中している。

つまり“NO JAPAN”では、言葉と行動を一致させることが出来ないのだ。そこで、爺はスローガンを変更することを提案する。

韓国の狙いは“嫌がらせ“なんだから、“HATE JAPAN”ではどうか。これなら、言行一致が実現でき、韓国人の意気込みも違ってくるだろう。

韓国の善処を期待する(笑)。


アカハタが学術会議に関心を寄せる理由

2020-11-18 13:49:42 | メモ帳
日本学術会議新会員の任命見送り問題は、「アカハタ」が火をつけたものである。爺はなぜ「アカハタ」がこの特ダネを報じたのか、なぜ読売や朝日ではなかったのか、に疑問を持っていたが、その答えが本日の産経新聞の記事にあったので、引用する(赤字)。

・・・共産党は学術会議の発足時から並々ならぬ思いを寄せていた。
「人民の科学者に栄冠 共産党公認6名・民主戦線33名」
昭和23年12月24日付の共産党機関紙「アカハタ」のトップ記事にはこんな見出しが躍った。公認とあるが、国政選挙や地方選挙の記事ではない。学術会議の会員を決める初の選挙結果を伝えたものだ。
 
学術会議は連合国総司令部(GHQ)の意向を反映する形で24年に発足した。会員は現在、学術会議の推薦に基づき首相が任命しているが、60年度までは登録した科学者による直接選挙で選ばれていた。・・・

産経新聞によれば、その後も日本共産党は学術会議を重視・擁護する姿勢を打ち出しており、党大会の重要事案だったという。

正直申して、日本の学界がそんなにアカ色が濃いとは、爺は知らなかった。一般社会は昭和20年代後半に比べれば、ずいぶん左派色が薄まったが、学界はどうも違うらしい。共産党が残されたアカい牙城として、学術会議を守りたい気持ちは理解できるし、「アカハタ」がこの問題を大手マスコミに先駆けて報じた背景もわかった。

政府が6名の学者を学術会議の会員に任命せず、その理由も明らかにしないことに、国民は納得していないにもかかわらず、政府の支持率がほとんど変わらないのは、学術会議が国家の運営とは直接的には関係がない雲の上的存在であることに加え、学術会議の強い左派色に対する嫌悪感があるからではなかろうか。その嫌悪感は、任命しない理由を語らないことへの不満よりはるかに大きいということだろう。

左派色が強いことは学者たちの自由である。しかし、その主義・主張が政府の運営方針と相容れないことが明らかである以上、学術会議は政府傘下の組織であることを返上し、自主組織に衣替えして、何人にも干渉されることなく、自由に学問したらいいのではないか。

【お知らせ】次の投稿は11月21日の予定です。


教科書のデジタル化

2020-11-16 17:08:22 | メモ帳
今回は、文芸春秋12月号に掲載されている数学者の藤原正彦氏の寄稿「亡国の改革至上主義」に書かれている学校教科書のデジタル化に焦点を当てたい。

教科書のデジタル化に賛成する意見は、「子どもたちが重い教科書を持ち運ばずに授業が受けられる」、「将来のIT化に対応できる人材を育てる」など。これに対し、藤原氏は真っ向から反対する。以下、同氏の論文から引用する(赤字)。

~本棚に並ぶ本は自らの歩んだ軌跡であり、自分を造った宝物なのだ。・・・記憶は反芻によって深められる。いつでも手許における活字本は反芻に便利で、私などは数学書に関し、「この定理はあの本のあの辺り、右ページの中ほどにあった」というような記憶すらあった。デジタル教科書を子どもに押し付けることは犯罪的である。

新学期が始まり、新しい教科書を手に取った時の喜びは、新しいインクの匂いとともに記憶に残る。デジタル教科書はこの幸せな経験を子どもから奪い、活字本への愛着を阻害する。日本人の活字離れを加速させる亡国の改革なのだ。

爺はかつて、習慣的にデジタル本を購入していた時期があるが、数年前に活字本に戻った。デジタル教科書とデジタル本は論点が多少異なるが、重なり合う部分がかなりあるので、藤原説を爺の観点から考えてみる。

デジタル本は、保管に場所を取らない、読みたいと思えば瞬時にして目の前に現れる、スマホにいれておけばどこでも読める、といったメリットがあるが、デメリットもいろいろある。

それは、今その本のどの辺りを読んでいるのかわかりにくいこと、前のページを見たいと思っても簡単にそのページを出せないこと、目が疲れることなどもあるが、爺にとっての最大の問題点は、デジタル本ではその本に愛着が持てないという情緒的な側面である。この感覚は藤原氏の意見に通じる。

自宅の書棚に活字本が並んでいれば、藤原氏が言うように「自分の軌跡」をいつも眺めているようなもので、満足感・達成感がある。これは藤原氏が言う「宝物」である。

デジタル本でも同じような満足感・達成感が味わえるはずだという反論はあろうが、活字本にはデジタル本にはない触れ合い感がある点が異なる。

爺は学校の教科書にはもう縁がない年齢だが、こどもだった時代もある(笑)。こども時代を想い出して、藤原氏の意見に賛同する次第である。








韓国の3・1運動とその影響

2020-11-15 13:04:03 | メモ帳
今回のテーマは韓国の憲法にも記述がある3・1運動である。

前回取り上げた加藤陽子氏の著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(以下、同書)の中に、併合後の朝鮮で起きた3・1運動について論じている箇所があるので、その話から始めたい。

3・1運動とは、日本の韓国併合から9年経った1919年(大正8年)3月1日におきた、日本からの独立運動であることは言うまでもないが、同書は“第一次世界大戦”という意外な章の中で、この事件について述べている(赤字)。

このような全国規模の独立運動が起ころうとは、朝鮮総督府も朝鮮軍も予測していませんでした。このときのことは、2007年に刊行された朝鮮軍司令官であった宇都宮太郎と言う人の日記に書かれています。・・・

宇都宮は独立運動の要因を、日本が「無理に強行したる併合」に求め、併合後の朝鮮人への有形無形の差別に起因する」と率直に書いていました。つまり、日本が無理に併合を強行し、併合後の朝鮮人を差別的に扱ったから独立運動が起きてしまったのだと分析していたのです。(P.274)

宇都宮太郎が言う「無理に」の意味が曖昧である。しかし、その結果“独立運動が起きた”と言っているのだから、韓国内部に日本による併合に反対する勢力があったが、それを無視して強行した、とう意味だと解せられる。当時、日本では併合賛成が多数派だった中で、その少数派の一人が軍人だったことは注目に値する。

そして、加藤陽子氏は賛成派の意見には触れず、反対派の宇都宮太郎の発言だけを引用していることから、加藤氏には「併合=悪」という潜在認識があるように感じる。ここでは「併合=悪」については論じないが、同書の記述を理解するには、加藤氏の潜在認識を念頭に置く必要がある。

さて、同書は朝鮮で起きた独立運動を第一次世界大戦終結後のパリ講和会議に関する章の中で論じている(赤字)。

3・1運動は、まさにパリ講和会議が開かれていた最中におきた事件です。日本の朝鮮支配は他の列強などの植民地支配に比べても残酷なものではないかということが、パリ講和会議や米国の上院で議論されはじめるのです。

問題点は、世界の列強が<朝鮮に独立運動が起きたのは、日本の朝鮮支配が残酷だったためだ>と認識していたことである。日本は第一次世界大戦の戦勝国であり、それまでドイツが持っていた中国山東半島における権益を日本が受け継ぐことになるが、植民地を苛酷に支配する国にそんな権益を与えるべきではないという話になったのである。

そして、加藤氏は“パリ講和会議で日本が負った衝撃や傷は、1930年代になってから深く重くジワリと効いてくるのです”と述べて、第一次世界大戦の章を締めくくっている。

1919年以降は朝鮮半島に独立運動が起きていない。むしろ、1930年代後半になると、朝鮮人が日本軍への兵役を志願するなど、朝鮮人の精神的日本人化が進んだ。

この変化の要因は、日本が3・1運動を境に弾圧的運営から宥和的運営に方針を変更したからだが、その方針変更には総督府の反省もさることながら、パリ会議での衝撃もかなり影響したと思われる。

さて、韓国憲法の前文には<悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と・・・>と記されており、3・1運動は韓国人にとって重大な意義がある。

文在寅大統領は<韓国の独立運動は1919年の3・1運動から始まり、韓国人は日本の悪逆非道な支配に耐え忍びながら、闘い続けてついに1945年に勝利した>というファンタジーを創作した。このファンタジーが真実であるためには、日本が併合時代に悪逆非道だったことが必要である。

現在の日韓の軋轢の原因は、韓国が創作したこのファンタジー物語にある。








学術会議に6名だけが任命されなかった理由

2020-11-12 14:23:56 | メモ帳
学術会議の新メンバー候補者の内、政府が6名だけ任命を拒否したことはご承知の通りである。爺はその任命されなかった学者の内、加藤陽子氏の名前だけはかろうじて記憶にあった。そのわけは、同氏の著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)が拙宅の書棚に鎮座しているから。

同書の発行日を見ると2016年7月だから、今から3~4年前に購入したと思われる。爺は買った本はよほど優れた内容でない限り処分してしまうが、この本が残っているのは内容を高く評価したからだろう。しかし、年のせいかその内容は全く記憶にないので、この機会に再読することにした。

同書は高校における近代史講義の体裁をとっており、加藤先生と生徒との問答を軸にして、日清戦争から日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争を経て第二次世界大戦へと続く歴史を綴っている。対象が高校生とはいえ、内容はかなり高度であり、先生の質問に対する生徒の受け答えの質が高いことには爺が白けるほどである(笑)。

題名には反戦的・自虐的ニュアンスがあるが、実際の内容は日本の近代史を淡々と語るだけであり、この題名は新潮社の編集者が考えたものと想像する。

本書の特徴は、戦争そのものの経過、例えば日本の連合艦隊がどのようにしてロシアのバルチック艦隊を撃滅したか、には触れず、なぜ戦争になったのか、その時の国際情勢はどうだったか、戦争のあとの社会状勢はどうだったか、などに重点を置いていること。

学術会議の会員に任命されなかったという事実から判断して、加藤氏にはなにか政府が不快に感じる特別な思想的傾向があったように推測するが、少なくとも本書には偏向した歴史観は感じられない。したがって、任命されなかった理由は別件でなくてはならない。

「文芸春秋」12月号で、佐藤優氏が「6名の内、3名は極左的傾向があるが、その3名だけを対象にすると狙いがあまりにも露わになるから、そうではない3名を“まぶして”、理由が曖昧になるようにした」という趣旨のことを述べているが、爺はその説には半信半疑である。政府がそんな姑息なことをするとは思えないからだ。

さて、本日の産経新聞は「勝負あった学術会議問題」と題した阿比留瑠比氏の論考を掲載した。その論考は毎日新聞、読売新聞、JNNなどが実施した世論調査によれば、「任命拒否は問題」が37%(毎日新聞)でありながら、「学術会議を行政改革の対象にする」政府の方針を「評価する」が70%であり(読売新聞)、内閣支持率が多少ダウンしたとはいえ60%近いこと、立憲民主党などの支持率が変わっていないこと(読売新聞)を指摘している。

端的にいって、国民は任命拒否には疑問を感じつつも、学術会議の暗部をこじ開けたことを高く評価しているわけだ。手前味噌だが、世論調査の結果は爺のこれまでの主張そのものであり、国民の良識が示されたと考える。

【お知らせ】次回の投稿は11月29日の予定です。









OECDの司法制度信頼度調査

2020-11-10 15:51:02 | メモ帳
2019年にOECD(経済協力開発機構)が実施した<自分の国の司法制度を信頼していますか>という調査(各国とも1,000人に尋ねた)において、上位5カ国はデンマーク、ノルウェー、インド、フィンランド、スイスで、下位5カ国は下からチリ、コロンビア、ラトビア、メキシコ、ロシアだった。なお、日本は15位、米国は20位。中国は調査対象国に入っていない。

(注)下に示した動画では調査対象は37カ国となっているが、爺が<OECD 司法制度信頼度調査>で検索したところ、42カ国がランクされている。差異の理由は不明。



ところが、このランキングに韓国が入っていない。この件について、朝鮮日報は「韓国が最下位だったので、韓国政府はOECDに依頼してリストから外してもらった」と報じた。この調査は2017年にも実施され、その時も韓国は下位圏だったため、除外してもらったらしい。

司法制度が国民に信頼されていないなら、信頼度改善に努めるべきだが、そうはせず情報を隠蔽するところが、いかにも韓国らしい(笑)。韓国の司法制度が国民に信頼されない具体的事例については、ネットで<韓国検事スキャンダル>で検索するといろいろな情報が出てくるので、ここでは論じない。

日本のメディアはこの調査について報じなかったが、日本が15位であることで、ニューズヴァリューがないと判断したのではないか。韓国のもみ消しにも気づかなかった可能性があるが、それならばなぜ韓国だけがリストにないのか疑問を持たなかったのか。

ともあれ、韓国が最下位で、韓国政府がその汚名を嫌ってもみ消したとなると、話は違ってくる。徴用工問題で、文大統領は“司法の判断に委ねる“と言うが、韓国の国民でさえ自国の司法制度を信頼していないのに、日本が信頼できるわけはないということになるからだ。

ついては、爺は日本のマスコミがこの“もみ消し”事件を大々的に取り上げることを期待する。韓国のマスコミは、日本で報じられる韓国絡みの情報に非常に敏感だから、日本のマスコミがこの件を報じれば、韓国のマスコミは“もみ消しが日本にバレてしまった!”と報じるだろう。それが文大統領への心理的圧迫になると思う。

それだけで文大統領が徴用工問題で譲歩するとは思っていないが、心理的圧迫要因にはなるだろう。そして、韓国人に脱力感を与えるだろうし、国際社会にも韓国の理不尽さを知らしめることになる。

日本のマスコミがこの件を取り上げることを期待する。















コロナに負けたトランプ大統領

2020-11-08 17:28:08 | メモ帳
世界の注目を浴びた米国大統領選挙。接戦州で開票終盤になると、バイデンが票を伸ばすという奇妙な現象がおきた。これは郵送された票は、コロナ感染を嫌った有権者にバイデン支持者が多かったからだと説明されている。

爺の独断的結論は、“トランプ敗北の最大の要因はコロナ禍“である。大統領は、“コロナさえなかりせば”と悔しがっているに違いない。トランプ有利と予測した評論家たちは、バイデンの息子のスキャンダルを重視したが、有権者の心理を読み違えたようだ。

しかし、残り火はあちこちでくすぶっている。その一つは再集計が行われると思われるジョージア州に起きたスキャンダル。中國在住のジョージア出身者の票を送った宅配会社が中国系だったことは判明したのである。


宅急便の会社が中国系でも、それを問題にするのはヘンな話だし、たとえジョージアの結果がひっくり返っても大勢は変わらないのではなかろうか。爺はトランプ大統領を応援していただけに残念に思っているが、今となってはトランプ氏が潔く敗北を認めることを願っている。



徴用工問題の解決策

2020-11-07 17:05:25 | メモ帳
朝日新聞は徴用工問題に関する社説(11月4日)で、“日韓両国は協議を加速させ、危機を回避すべきだ”と述べた。これに対して、ネットでは“協議を加速させるということは妥協を意味する。あくまで日韓請求権協定の順守を迫るのが筋だ”という意見が大勢を占める。無論、爺も同意見である。

https://www.youtube.com/watch?v=anKiW0Sbxj0

この社説には伏線があった。それは、10月31日付の朝日新聞の記事<韓国「賠償に応じるなら穴埋めする」元徴用工問題で>から引用する(赤字)。

元徴用工への賠償を日本企業に命じた韓国大法院(最高裁)判決をめぐり、韓国政府が「企業が賠償に応じれば、後に韓国政府が全額を穴埋めする」との案を非公式に日本政府に打診していたことがわかった。日本政府は1965年の日韓請求権協定で賠償問題は解決済みとの立場から、提案に乗らなかった。2年前の判決を機に悪化した日韓関係は、改善の見通しが立たない状況が続いている。

日韓請求権協定で解決済みとの原則を崩さない日本政府は「大法院判決は国際法違反」とし、韓国側に日本が受け入れ可能な解決策を示すように求めてきた。日本政府は「現金化となれば深刻な状況を招く」(茂木敏充外相)と繰り返す。安易に韓国側の提案を受け入れれば、前例となって同様の訴訟を次々に起こされかねないとの懸念もある

日韓両政府の関係者によると、韓国大統領府は今年に入り、日本との関係改善に向けて、盧英敏大統領秘書室長を中心に徴用工問題の解決案を検討。大法院判決を尊重するとの文在寅大統領の意向を踏まえ、今春に穴埋め案を打診したが、日本政府側は「企業の支出が補塡されても、判決の履行には変わりなく、応じられない」と回答した。(以下省略)

言うまでもなく、「企業が賠償に応じれば、後に韓国政府が全額を穴埋めする」という韓国の提案は、とんでもない話である。この提案が表沙汰になれば、韓国政府は国民に弱腰と非難されるだろう。実際に “土着倭寇(親日派)は青瓦台にいたのか、事実だとすれば大きな問題になる。青瓦台が国民をだまそうとしたことになる”という意見もある(陳重権元東洋大教授)(朝鮮日報)。

また、朝日も指摘しているように(下線部分)、次から次へと何百人、いや何千人の自称「徴用工」が名乗り出ることが予想されるから、これでは根本的解決にはならない。

要するに、この提案は韓国政府のメンツを守ることが目的であることが明白であり、極秘事項でなくてはならない。その極秘事項を朝日がすっぱ抜いた。「今春」の出来事がなぜ今頃表面化したのか不思議だが、見事な特ダネである。

さて、この特ダネ記事の後を追うようにして、朝日は「協議を加速せよ」と社説で主張した。特ダネ記事を契機として、社内に問題意識が高まったのだろう。冒頭に述べたようにネット民はこの社説に反発しているが、爺は朝日の宥和的態度を素直に受け止めたい。

しかし、残念なことに朝日は具体的な解決策を提示していない。その点で、数週間前、産経新聞紙上で黒田勝弘氏が、“日本は韓国をホワイト国(輸出管理問題)に戻して文大統領に花を持たせる一方、徴用工問題は韓国内で解決させる”ことを提案していたが、適切な意見だと評価する。

但し、無条件にホワイト国に戻すのではなく、韓国が輸出管理態勢における改善の跡を具体に証明することが必要である。さらに、ホワイト国に戻すことを先行させず、徴用工問題と並行して交渉すべきである。

要するに、文大統領を窮地に追い詰めるのではなく、文大統領に外交上の凱歌を上げさせて点数を稼がせ、徴用工問題で譲歩するマイナス点と相殺させることがキモである。

輸出管理問題と徴用工問題を較べれば、後者の方が重要度において格段に高いが、輸出管理問題から日本ボイコットが始まったのだから、韓国ではホワイト国外しは我々より重く受け止められているのではなかろうか。

こんなことは爺が考えるまでもなく、日本政府がすでに検討中(もしくは交渉中)だと想像する。菅政権の手腕に期待する。



公職追放の真実

2020-11-05 16:17:40 | メモ帳
前回のテーマ「学術会議の赤い影」に引用した桜井よしこ氏の論考の下記の部分(赤字)に対し、「世界史も大好き」氏から、否定的なご意見を頂いた(前回のコメント欄参照)。ついては、今回のテーマを「公職追放」として、公職追放を大局的観点から論じることにする。

当時20万人もの優れた日本人が追放されて生まれた空白を、共産主義者や社会主義者をはじめ、GHQの意向に従う二流三流の人材が埋めた。学術会議の学者もその状況下で選ばれた。

【公職追放とは何だったのか】
1946~8年(S21-S23)に占領軍総司令部(GHQ)は戦争に協力した人々を公職から追放した。しかし、それは名目上の理由であり、実質的には日本弱体化作戦の一環だった。

被追放者のリストはWikipedia から<公職追放>で見ることが出来るが、鬼籍に入って今なお名を残している人々を思いつくままに挙げてみよう。

政界では、石橋湛山、鳩山一郎、河野一郎、市川房枝、岸信介、など
財界では、五島慶太(東急電鉄)、堤安次郎(西武鉄道)、松下幸之助(松下電器)、出光佐三(出光興産)、渋沢敬三(日本銀行)、伊藤忠兵衛二代目(伊藤忠商事)、小林一三(阪急電鉄)、など。
マスコミ・文学界では、正力松太郎(読売新聞)、武者小路実篤(思想家・ジャーナリスト)、山岡荘八(作家)、徳富蘇峰(ジャーナリスト・元国民新聞)など。

要するに、被追放者は当時の各界の指導的立場にあった人たちで、地方公務員も含めて、総数は約20万人。この時、日本は柱を失ったのである。

ところで、桜井よしこ氏は「・・・共産主義者や社会主義者をはじめ、GHQの意向に従う二流三流の人材が埋めた」と述べた。この「二流三流の」という表現には差別的ニュアンスがあるが、この形容句は「共産主義者や社会主義者」に対するものではなく、「GHQの意向に従う(人々)」に対するものである。つまり、桜井氏は「GHQの意向に従う人々」を暗に批判したのであって、差別的感覚はなかったと解釈すべきである。


【公職追放のデメリット】
GHQの狙い通り、公職追放による各界の打撃は大きかった。しかし、GHQが予想しなかった事態がおきた。企業や官庁のトップによる指導力低下が共産党勢力の伸長をもたらし、労働組合や教職員組合の力が強くなったのである。また、学界やマスコミ界に共産党もしくは極左勢力が浸透した。

そこで、GHQは方針を変更し、公職追放を解除した(1950~1年)。しかし、走り出した勢いは止まらず、労組・教職員組合(日教組)における極左勢力は生き残った。また、学界やマスコミ界でも、極左勢力は温存されたままになっていた。

その結果が今議論の的になっている学術会議の勢力図であり、朝日新聞や毎日新聞の反政府的傾向である。

さて、前段で公職追放は「実質的には日本弱体化作戦の一環だった」と述べた。では公職追放以外の日本弱体化作戦は何だったか。それは三菱・三井・住友・安田の四財閥解体である。しかし、この件は本稿とは無関係なので論じない。










学術会議の赤い影

2020-11-02 14:48:43 | メモ帳
本日の産経新聞に、“やっぱりそうか”と思わせる興味深い情報を見つけた。それは、「学術会議の民営化を」と題する桜井よしこ氏の論考に述べられている学術会議と共産党の関係である。その論考から引用する(赤字)。

・・・学術会議は設立当初から連合国軍総司令部(GHQ)および日本共産党と深い関係があった。昭和21年夏から秋にかけてGHQ科学技術部は東大の茅誠司氏らに日本のあるべき科学研究体制を作るよう指示した。・・・日本国の工業力を徹底的に破壊しようとしたのである。こうした状況下、24年1月に誕生したのが学術会議だった。

前年12月に学術会議の会員120名が選挙で選ばれたが、共産党候補者61人の内26人が当選し、40人ほどの同調者も当選した。共産党および同系統の学者たちは学術会議の3分の1に迫る66人の勢力を形成したことになる。・・・

当時20万人もの優れた日本人が追放されて生まれた空白を、共産主義者や社会主義者をはじめ、GHQの意向に従う二流三流の人材が埋めた。学術会議の学者もその状況下で選ばれた。(以下省略)

学術会議が“軍事に関する研究は行わない”と何回も宣言してきたことを知った時、爺は“これは臭いぞ。左派が動いている”と感じたが、その直感は当たっていた。これが冒頭に述べた“やっぱりそうか”の意味である。それにしても、共産党系が3分の1とは驚きである。

戦後、GHQは日本を骨抜きにする計画を実行したが、薬が効きすぎ、各分野で共産党が異常に勢力を伸ばした時期がある。そこでGHQは計画を修正して、政界ではかなり共産党の動きを封じこめることができた。しかし、学術会議ではその修正が行き届かず、左派勢力がかなり温存されたままで今日に至ったと思われる。

学術会議と左派勢力のつながりの例を挙げる(青字)。

●2011年に学術会議会長だった広渡清吾氏は、2019年の衆院大阪12区補選における共産党系候補の応援演説で、「市民連合の目的は、市民と野党の共同の旗を掲げて安倍政治を倒すことであります。その活動で、もっとも誠実に私たちと闘ってくださったのが日本共産党です」と述べた。(月刊Hanada 12月号 「学術会議の暗部」)

これでは政府は倒閣運動をしている相手を、学術会議を通じて助けたことになる。それでも学術会議に税金を投じなくてはならないのか。爺にはとんでもない理不尽なことのように思えるのだが・・・。
 
●慰安婦問題で、韓国側の立場で活動している吉見義明氏(中央大学)は2014年と2018年に科学研究費を獲得した(金額不明)。(月刊WILL 12月号 「任命拒否6教授の身体検査」)

吉見氏は爺でも知っている反日日本人である。こんな人物になぜ税金を投じなくてはならないのか。しかも、2018年とは日韓慰安合意が成立した後である。なぜ、研究費が必要なのか。

国会では、自民党の杉田水脈議員が科学研究費の配分は誰がどのような基準で行っているのか追求したが、なんとなく立ち消えになった(2018年)。

左派勢力とは関係ないが、次のような疑惑もある(青字)。
●2019年、京都大学霊長類研究所は動物実験施設の工事費(5億円)を予算より安く受注させ、浮いた分を別の研究費に回したと疑われたが、その決着はついていないようだ。なお、学術会議前会長の山際寿一氏は、同研究所の助手を経て京大総長の座についた人物である。(月刊 WILL 12月号 「任命拒否・・・」の記事)

学術会議は叩けば叩くほど、埃がでてくる印象がある。よくまぁこれまで、安泰でいたものだ。今回、やっと菅政権がメスを入れることになったが、徹底的に調べ上げて、しっかり学術会議の今後の方向づけをしてもらいたい。

【お知らせ】
都合により、次の投稿は7日または8日になります。コメントへの返事も遅れるかも知れません。ご了承下さい。



「君が代」論

2020-11-01 11:38:13 | メモ帳
爺はアメリカ在住当時、プロの野球やバスケットボールのゲームをよく観戦したが、その時感動したのはゲーム開始前の国歌斉唱の光景である。観客全員が起立し、片手を胸に当てて、目を輝かせて歌う。そこには人種差別もなければ貧富の格差もない。観客がアメリカ人であることに誇りを感じ、連帯意識が高まる数分である。

冒頭に「感動した」と述べたが、そのわけは日本では「君が代」に嫌悪感を抱いている人がいることと比較して、羨ましいと感じたからである。

ネットで調べてみると、「君が代」が忌避される理由のひとつは、「君が代」が軍国主義の象徴であったというもの、もうひとつは「君が代」は天皇賛歌であり、国民主権である現在、国歌として相応しくないというもの。

この根拠に対して、論評する。

(1)軍国主義との関連
どこの国でも戦争となれば、戦意高揚・意思統一の目的で国家を歌うのは当然であり、戦争に敗けても国歌は国歌であることに変わりはない。また、戦争に敗けたからといって、“戦時中のものごとをすべて悪”と決めつけるのは理窟に合わない。

そもそも75年も経過して、戦争を経験していない世代が圧倒的多数派になったにもかかわらず、未だに敗戦気分を引きずっていること自体がおかしな話である。

(2)「君が代」は天皇家賛歌か?
古今集の時代から、「きみ」は主人、家長、友人、愛人の意味で使われてきた。今でも、「きみ」は二人称として使われている。一方、天皇を意味するなら「君」でなく「大君」であるはずだし、「代」は「御代」でなくてはならない。

したがって、「君が代」の「君」は天皇を意味するのではなく、単なる二人称、三人称であり、自分以外の全ての人と考えるのが適切である。すなわち、「君が代」は世の中のすべての人の幸せを祈る歌である。

偉そうなことを言ったが、正直に申して、爺もつい最近までは「君が代」は天皇家が永遠に続くことを願った歌だと思っていた。だから、同じように受け止めている人はかなりいると想像する。そういう方々が上記の説明に納得し考えを変えて頂けたら幸いである。

ところで、「さざれ石(小石)が巌に成長する」のは科学的にありえないという議論があるので、これにについて反論する。

「小さな石が巌になる」とは、古来自然を崇拝する文化があったこと(例 お天道様、お月様、山の神)に関連があり、石を擬人化して敬う気持ちがあって、こういう表現になったと思う(但し、こういう学説があるわけではなく、爺独自の考えである)。

話を本筋に戻す。爺は「君が代」が平和を希求する日本に相応しい国歌だと認識しており、すべての日本人が誇りを持って「君が代」を歌うことを願うものである。