頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

立憲民主党の「アベノミクス検証報告書」

2021-10-30 15:58:35 | メモ帳
「月刊Hanada」12月号に興味深い論考が掲載されているので、今回はこの論考「立憲民主党の『アベノミクス検証報告書』はぜんぶデマ!」(上念司)をテーマにしたい。

上念氏はその論考の冒頭で大略、次のように述べている。(青字)
立憲民主党が発表した「アベノミクスの検証と評価」(A4で1ページ半の短いレポート)の中身はトンデモ経済学と事実誤認、統計の恣意的などツッコミどころが満載だ。野党第一党の学力はこの程度なのか、と愕然とする。そして、その冒頭には次のように書いてある。(赤字)

「お金持ち」をさらに大金持ちに、「強い者」をさらに強くしただけに終わった。期待された「トリクルダウン」は起きず、格差や貧困の問題の改善にはつながらなかった。
一方、実質賃金は下がり続け、二度にわたる消費税増税がそれに追い打ちをかけ、GDPの半分以上を占める消費の低迷が続いている。これが、日本経済が混迷から抜け出せない最大の要因である。
(1)実質賃金の低下
(2)消費増税(2 回)が家計を直撃
(3)ミリオネアー(億万長者)、貯蓄ゼロ世帯の増加
(4)産業競争力、潜在成長力の低下
(https://cdp-japan.jp/news/20210921_2145)

上記の(1)に関して:上念氏は「安倍政権下で実質賃金が低下したのは、当たり前である。なぜなら、雇用が増えれば実質賃金は低下するからであり、安倍政権下で雇用は450万人増加した」と指摘している。つまり、立民党は実質賃金の意味を理解していないことになる。

(注)実質賃金の意味は数式によって説明しないと理解しにくいが、長くなるので省略する。いずれにせよ、上念氏のこの批判は的を射ていると思う。

上記の(2)に関して:上念氏は「消費者物価指数がやっとプラス転換した時点で、消費税を上げたのは時期尚早だった」と安倍政権の政策の失敗を指摘する一方、「枝野氏は真正面からの経済論戦を避け、安倍総理を挑発することに終始して論点をそらした」と、枝野氏の態度を批判している。しかし、「2回の増税が家計を直撃した」のは事実であり、「経済理論による論戦をしなかった」と枝野氏を批判するのは、それこそ「論点ずらし」のように思われる。

上記の(3)に関して:上念氏は「富裕層が貧しい人から搾取したわけではない。欧米から見れば、日本は極めて平等な社会である」と主張し、その根拠を統計数字で示している。

上記の(4)に関して:上念氏は、2012年のアベノミクスから労働生産性と潜在成長率がともには上昇していることを数字で立証している。なお、立民党の報告書では「産業競争力」という用語を使用しているが、上念氏はこれに替えて、「労働生産性」を引き合いに出している。

上念氏は上記のごとく報告書の誤りを指摘しつつ、結論として「立民党が政権を取れば、弱者はより貧しくなる」と主張している。

さて、ここで不思議なことがある。冒頭の赤字部分は、爺が本日「アベノミクスの検証と評価」で検索した1ページ半の短いレポート(9月21日付)からコピペしたものである(今でもこのオリジナル版は見ることが出来、上念氏がこのオリジナル版を見て論評したことは確かである)。ところが、10月28日にこのURLを開けたら、そのページは見えなくなっていた。しかし、余白に立憲民主党と書いてあったから、爺がURLを間違えたわけではない。

そして、今日(30日)、同じURLで検索したら、カラーでグラフ入りのA4にして7ページほどの立派な報告書(日付は9月21日で変わらず)が出てきた。そして、そのタイトルは次のようになっている。(オリジナル版もネット上に残っている)

「適正な分配と安心を高めることこそ、何よりの経済対策」枝野代表らが、アベノミクス検証委員会 報告書について会見

「月刊Hanada」12月号が発売されたのは10月26日で、爺がURLを打ち込んで開けた10月28日には当該ページが見えなくなっていた。したがって、立民党は10月29日から30日朝までの間に、日付を変えずに記載内容を充実させたことになる。

こうした経緯を考えると、立民党は「月刊Hanada」 12月号の上念氏の論考を見て、急遽改訂版を作成したと思われる。その根拠の一つは、オリジナル版では「産業競争力」を論じているが、改訂版にはそれがないこと。そして、投票日の僅か数日前になって、改訂版が出てきたこと。

改訂版の立派な出来栄えは高く評価するものの、それが有権者の投票態度に影響することはないだろう。そもそも、こんなどうでもいいことを、ウジウジ考える暇人は爺ぐらいなものだろう(笑)。








新型コロナ:病床使用率が65%の怪

2021-10-27 17:24:14 | メモ帳
本日、TV朝日の羽鳥慎一モーニングショウにチャネルを合わせたら、「東京の病床使用率は65%(今年9月1日時点)で6406床中4218床だった。病床ひっ迫が改善できなかった理由として、医療従事者の確保が課題だったとした」という案件をテーマにしていた。

この話題は記憶にある。十分確保されていたはずの病床だが、実際には入院できず、自宅療養中に死んだ人もいた、といるショッキングな話だった。コロナ患者のためのベッド数は確保されていたにも関わらず、使用率が65%だった理由は医療従事者が不足していたことだという。この失敗を反省して、今後の改善につなげようという趣旨の話であり、それは結構なことである。

ここで気になるのは、補助金の支出である。病床を確保するためには、厚労省が補助金を支出したはずである。ネットで調べてみると、重症者用の病床には1床1,950万円とある。この確保病床数とは、<補助金を支出して確保できた数>と解釈できるが、実際にはそれが不足していたということであるなら、補助金を受け取った病院は詐欺行為を働いたことになる。

それとも、病床確保数とは、病院が「受け入れ態勢ができました」と申し出た時点で、<病床確保>とカウントされ、補助金の支出は病院が患者を受け入れる時点まで保留されたのか。それなら「病床確保見込み数」であるべきだ。

今日のモーニングショウでは、補助金の支出については論じられなかった。これまでの新聞記事も同様である。

まさか、補助金を受け取った病院が、「これから患者を運び入れますよ」と連絡を受けたら、「駄目です」と断ったということではないと思いたい。この点につき、マスコミは明確に報道すべきだと考える。

日本海の呼称

2021-10-25 10:38:33 | メモ帳
かねてより韓国は日本海の呼称を<東海>にすべきであると主張している。この問題に関し、日本の外務省は10月24日、YouTubeに「日本海の呼称は<日本海>(Sea of Japan) とするのが正しい」という主張を日本語・英語・韓国語で掲載した*。一方、韓国も負けじとばかり、自分の主張をYouTubeに掲載した**。

*(注)YouTubeで<外務省日本海>と検索
** (注)同様に、<韓国東海>で検索

この二つの動画を見た所感を述べたい。

日本の動画のキモは「19世紀から国際社会はこの海域を<日本海>と呼んでおり、この呼称が国際慣行になっている」であるのに対し、韓国側の動画は「韓国の古文書に<東海>とあるように、韓国では2千年も前からこの海域を<東海>と呼んできた。しかし、日本が韓国を併合したために、<東海>と呼ぶ機会が失われた。したがって、呼称は<東海>または<東海>および<日本海>の併記とすべき」と主張している。

なお、韓国の動画は日本が併合時代に「創氏改名を強制した」としているが、「朝鮮人も日本名を名乗って構わない」としただけである。実際に、朝鮮人の名前のままで陸軍中将にまで昇進した軍人もいた。枝葉末節の事柄だが、こうした誤りは正すべきである。

さて、<東海>が正しいなら、なぜ戦後47年も経ってから言い出したのか。この論争が始まったのは外務省の動画にもあるように1992 年である。この年は宮澤首相の訪韓にタイミングを合わせて、朝日新聞が「慰安婦には日本軍が関与」という誤報を流したことで、韓国で暴動に近い巨大デモが起きた時であり、「反日元年」ともいうべき時である。したがって、この事案は、2011年に始まった旭日旗問題と同様、反日運動の一環であると認識すべきである。

ともあれ、韓国の動画が<東海>の論拠を「大陸の東にあるから」としているのは、「韓国の東にあるから」では、“自分勝手”感があるからだと思われる。そして、「韓国の東にあるから」と主張すると、「それならば、韓国の西にある海は<西海>であるべきだが、なぜそう主張しないのか。中国の機嫌を損ねたくないからだろう」というロジックで攻め立てられるからだろう。とにかく、「大陸の東にあるから」は説得力に欠ける。

そもそも、地名に東西南北を入れると、なにかと矛盾が生じる。この海域は、日本にとっては西側だし、ロシアから見れば南側である。欧州大陸の北西側と英国の間の海域を北海としたのは、それが周辺諸国にとって中立的だったからだと思う。

こういう細かいことは抜きにして、日本が論点を「<日本海>は国際慣行として19世紀から定着している」という一点に絞ったことは、論理的に適切だと評価する。

こうした中、韓国のロビー活動によって、日本海をThe East Seaと表記している国がいくつかある。韓国は今後もしつこく各国にロビー活動を展開するだろう。この案件は動画の応酬で終わったのではなく、歴史問題の一環としてまだまだ続くことだろう。日本は心して対応しなくてはならない。


「ワニの口」再論

2021-10-22 16:42:11 | メモ帳
前回、矢野財務次官の「歳出が税収を大きく上回って日本の財政は危機的状況にある」という趣旨の「ワニの口」論をテーマにしたが、今回はさらにこの問題を掘り下げたい。

財務省対リフレ論者(高橋洋一、三橋貴明など)の国家財政に関する論争は今に始まったわけではなく、何年も前から議論されてきたことである。だから、財政のプロである矢野次官はリフレ論者の主張を十分承知していたはずだ。それでもなおかつ「ワニの口」論を繰り広げたのはなぜか。

この問題に関して、本日の読売新聞の「主張」欄から引用する。(赤字)

懸念するのは、具体的な数字を列挙する分配政策に比べて、財源論にあいまいさが残ることだ。・・・自民が成長と分配の両面が必要とするのに対して、立民は「分配なくして成長なし」と分配を優先する。成長志向の強いアベノミクスに対抗する意図もあるのだろう。ならば、分配がもたらす発展の姿を丁寧に語ってもらいたい。

朝日新聞も今日の社説で次のように論じている。

かつてこれほど財政規律が論じられない国政選はあっただろうか。財源を棚上げし、経済対策の規模を競い合うような論戦が繰り広げられている

主要国で最悪とされてきた日本の財政は、コロナ禍でさらに急速に悪化した。3月末の国の借金残高は1200兆円超。国内総生産の2・3倍にのぼり、戦時中の比率をも上回る。

コロナ禍で傷んだ暮らしや経済への手当ては必要だろう。だが同時に、各党には収束後を見据えた財政再建の道筋を示すことも求められる。その議論は置き去りにされたままだ。

読売と朝日の意見がこうも一致するのは珍しいことである(笑い)。

こうした中、TVのニュースで、立民の候補者が「分配が先だ!」と叫んでいたが、その叫びは野党が成長への道筋を示すことができないことを物語る。税制の改革にしても、法人税の税率を上げれば企業は海外へ逃避するだろうし、株式配当への税率を上げれば海外投資家は投資を引き上げるだろうから、そう簡単ではない。

一方、リフレ派の「日本経済は破滅しない」という議論の根拠である「国内で国債が消化されるから問題なし」という理屈にも限界がある。遠からず、国債の引き受け手が国内にもいなくなる日が来るだろう。さらに、今は超低金利だが、高金利時代になれば負債の負担が大きくなる。そうなってからでは体勢を変えることが難しい。

コロナ禍では財政収支を均衡させることは無理としても、そう野放図にバラマキをやるわけにはいかないのである。政治家はともすれば人気取りのために大衆迎合的政策(たとえば、給付金とか減税)に走り勝ちだから、衆院選挙を控えて事前に歯止めをかけておこうと矢野次官は考えたのではないだろうか。

矢野次官の「ワニの口」論はネットでリフレ派の総攻撃に晒されているが、彼はこうなることを覚悟の上であえて発言したと推察する。


衆院選各党公約と財務次官の発言

2021-10-20 14:19:07 | メモ帳
来る衆議院選挙の各党の公約を見ると、給付金とか減税など有権者にとって耳触りのいいものが目立つ。それらは確たる財源があるわけでもなく、結局は赤字国債(つまり借金)の発行で賄うことになる。

一方、文芸春秋に寄稿された矢野康治財務次官の「財務次官、モノ申す」は、歳出が税収を大幅に上回る状況が何年も続いており、国家財政が破綻に瀕していることを批判している。そして、この論考は衆院選挙の各党の公約のバラマキ的部分を批判していることになるから、選挙妨害だという声も上がって、論議の的になっている。

この矢野次官の主張はリフレ派(経済成長を優先せよと主張する論者)によれば誤りだという。すなわち、国債が自国通貨で発行されている限りは、国家財政は破綻しない。過去に破綻した例では、2012年のギリシャはユーロ建てで国債を発行していた。また2001年のアルゼンチンはドル建てだった。これに対して、日本は円建てだから問題ないという。

この理論を家計に例えれば、次のようになる。月収50万円の家計があったとして、毎月100万円の支出が必要なので、月に50万円の赤字になる。ところが、この家計は多額の資産を所有しているため、銀行が毎月の赤字程度なら簡単に貸し付けてくれるので、家計は維持されている。

この例における「多額の資産」とは、国民の銀行預金残高と企業の内部留保に相当する。そして、リフレ派は、矢野次官説はこの例における「多額の資産があること」を無視しているから誤りだという。

リフレ派の説明はその通りだと思う。しかし、税収をはるかに上回る歳出が毎年続いていることは異常であり、日本の問題点は財政赤字(矢野氏はこれを“ワニの口”に例えているーイラスト)が減るどころか、毎年増えていることにある。さらに、コロナ禍で“ワニの口”はさらに大きく広がった。



税収を増やすには経済を成長させることが必要であり、これまで政府はその努力を続けてきたが実現していない。実際に、日本の経済成長率は年率2%以下で、他国よりも低い。そのために、国民所得は増えず、所得格差が広がりつつある。

これをどう解決するかが、日本の最大の且つ喫緊の課題である。










靖国神社論

2021-10-17 16:38:29 | メモ帳
去る10月15日に産経新聞に掲載された小堀桂一郎氏(東大名誉教授)の「新政権成功の鍵は靖国神社に」と題する論考を今回のテーマとする。その論考の要旨は次の通り。(青字)

▼昭和59年までは、総理大臣の靖国神社参拝は全く問題がなかった。しかし昭和60年(1985年)夏、中国政府は不意に総理の不満と非難の声を挙げた。その中国の不快感とは、靖国神社に祀られている昭和殉難者の中に東京裁判におけるA類の被告が含まれているという事実だった。
▼これは日中平和条約(昭和53年)に記されている相互の内政不干渉の原則に違反する行為だった。この時、日本政府はこの原則を盾に、中国政府の非難を断固撥ねつけるべきだったが、これを怠った。政府は対応を誤ったのである。
▼これに先立って、昭和28年(1953年)8月の特別国会において、東京裁判の被告を含む昭和殉難者を犯罪人として認めないという全会一致の決議を行っている。すなわち、外国がこの人々を戦犯呼ばわりするのは筋違いなのである。
▼現在、日本は中国の覇権思考の動きや新型コロナの猖獗など、未曾有の国難に見舞われている。この日本を救うには国民は結束しなくてはならないが、その国民感情の統合の要となるのは国家国民の守護神である靖国神社である。

この論考を読んで爺が気になったことは、まず次の点である。
それまで靖国問題に関心を示さなかった中国が、なぜ突然1985年から総理の靖国参拝に異を唱えるようになったのか。

この問題については、「朝日新聞が中国をそそのかすような記事を書いた」という記憶があるので、ネットで調べてみると、確かにその記事は存在した。それは1985年8月4日の〈靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。(略)軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実である〉および 同月7日の〈靖国問題が今「愛国心」のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している〉である。

実は、1979年にも朝日新聞は靖国神社に対する懸念を記事にしているが、その時には中国は反応しなかった。しかし、「中国が厳しい視線で凝視している」とまで言われれば、中國は黙っているわけにはいかなかったのだろう(笑)。つまり、中國は朝日に教えられて、靖国神社が日本に対する心理戦の武器になることを覚り、行動に移したわけだ。靖国問題も慰安婦問題と同様、朝日が火付け役だったのである。

ところで、この小堀氏の論考を読んで気になったことがもう一つある。それはなぜ、日本は中國のイチャモンを断乎として撥ねつけなかったのか、である。

日本人は東京裁判で「日本悪者論」を叩き込まれていたところに、朝日新聞に連載された本多勝一記者による「中国の旅」によって、「日本悪者」説がさらに裏書された。だから、日本人は贖罪意識に苛まれて、中國のイチャモンに反論する気力がなかったのではないか。もちろん、この「日本人」には当時の総理大臣だった中曽根康弘氏も含まれる。

当時は巨額の対中援助ODAが進行していたから、中曽根氏はODAを靖国問題と絡めて反論し、有利な立場に立つこともできたはずだが、そうしなかったのは、贖罪意識がよほど強かったのだろう。

さらに、中曽根氏は朝日新聞の「靖国神社は軍国主義の象徴」等の主張を無視するわけにはいかなかったのではないか。その理由は、今と違って当時は、朝日新聞は日本でもっとも権威あるクオリティーペーパーとして評価が高かったからである。小堀氏は「政府は対応を誤った」と述べているが、中曽根氏は「誤った」というより、靖国参拝を控えることが日本人の総意であると解釈したのではないだろうか。

さて、小堀氏は「日本人は靖国神社を精神的支柱として団結すべきである」と述べている。爺はこの意見に不賛成ではないが、今の日本人は靖国神社に対する関心が薄れているので、現実には無理だと思う。

そうした中、2013年に当時の安倍首相が靖国神社に参拝したときは、米国政府が不快感を表明した。しかし、今は米中の激しい対立があり、日本の首相が靖国に参拝しても、米国が同じ反応を示すとは思えない。国際情勢は確実に変化している。

一方、「靖国神社は軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設」(朝日新聞2021年8月17日社説)という主張は、戦後76年を経過した今、時代錯誤である。軍国主義どころか、自衛隊の存在を認めることさえも出来ていないではないか。(笑)

ここまで書いたところで、NHKの昼のニュースは、菅前首相が本日、靖国神社に参拝したことを報じた。そして、岸田首相は真榊を奉納したという。現状ではこれが精一杯だろう。

そもそも、日本の総理大臣が日本国内で行くことができない場所があるということ自体、馬鹿げている。こんな国家主権を無視するような状態は、早急に打開を図るべきである。


日本人のふりをして日本食を売る韓国人

2021-10-14 11:04:06 | メモ帳
早稲田大学の有馬哲夫教授が、Moving Beyond Hate という学生団体からネット上で批判されている。事の発端は有馬教授が次のようにツイートしたこと(9月26日)。(赤字)

ヨーロッパでもアメリカでも韓国人とか韓国系〇〇人は日本ブランドを利用して商売している。いかにも日本人がやっているように見せかけて、寿司とかラーメンを売っている。ヨーロッパ人やアメリカ人はそれを見抜いてる。・・・

この発言をMoving Beyond Hate なる日本の学生グループが次のように批判した。(赤字)

有馬氏はふだんから「慰安婦」ヘイトや歴史否定を用いて中国人、韓国人を攻撃しています。社会的地位を利用して差別や歴史否定を煽ることは許せません。私たちは早稲田大学が有馬氏を処分し、講義中にも差別が行われていなかったかを調査し再発防止措置をとるよう要求します。

この文面に使われている「慰安婦ヘイト」とか「歴史否定」という用語から判断して、このMoving Beyond Hate なるグループは在日韓国人が主体のように思える。一方、有馬教授は最近「慰安婦はみな合意契約をしていた―ラムザイヤー論文の衝撃」(WAC新書)を上梓して、慰安婦の嘘を暴く活動をしている。

なお、この論争は韓国の中央日報も取り上げて(10月7日)、韓国では評判になっているようだ。

さて、本稿では慰安婦問題の観点ではなく、有馬教授の「韓国人が日本人になりすましている」と発言した部分に焦点を当てたい。

韓国人の常日頃の反日的言動に接していると、彼らが「いかにも日本人がやっているように見せかけて寿司とかラーメンを売っている」のは怪しからん、と憤慨したくなる気持ちは十分に理解できる。

しかし、その韓国人たちは韓国料理店よりも寿司店やラーメン店の方が、集客力があると判断しただけで、単なる経済的選択にすぎない。そして、彼らは「われわれは日本人です」と嘘を言っているわけでもない。この点で、有馬教授の発言は過剰反応といわざるをえない。

このブログで、繰り返し述べてきたように、海外の日本食ブームは主に海外在住のアジア人のお蔭である。彼らに感謝する必要はないが、非難するのは的外れなのである

発展する「日本食レストラン株式会社」

2021-10-11 10:31:04 | メモ帳
前々回、海外の日本食レストラン業界の大部分はノンジャパニーズが支配する世界になったと述べたが、今回はその結果どういうことが起きたかについて述べる。

1990年代の初頭、米国東部のノースカロライナ州の日本食レストラン業界の動向を調べに行った時のことである。アッシュビルという田舎町を探索していた時、Akata Japanese Steak & Seafoodなる店を見つけた。多分、ベニハナの模倣店だろう。(写真)

その看板を見ると、AKATAの左側のスペースが不自然に空いている。近づいてよく見ると、以前はNAKATAだったようで、Nの字を塗りつぶした跡がある。近くの飲食店で聞いたところでは、そのオーナーは中国人らしい。新しいオーナーが、看板を全部書き変えなくても、一部を塗りつぶすだけで済むから経費を節約できるという理由で、店名をAKATAにしたとしか思えない。日本食レストラン業界は、何でもありの戦国時代に入ったのである。

こうしたノン・ジャパニーズの参入で起きた現象の一つは、アジア系料理店が寿司バーを併設するようになったことである

▼Asia Sushi & Chinese Cuisine は中国料理店に寿司バーがある店、Cuisine Malaya & Sushi Barはマレー料理店に寿司バーがある店、Arirang Hibachi Steak & Sushi Barは寿司バーが併設されている紅花式鉄板ステーキ店で、アリランの文字から韓国人の経営だと推測できる。

店名にSushi と謳ってなくても、寿司バーがあるアジア料理店も出現した。サンタモニカのMonsoon Café には巨大な寿司バーがあった。(写真)


▼寿司の人気上昇は「日本」に対する好感度が増すことにつながり、その結果Japanese food 全般の人気上昇をもたらした。Teriyakiという単語は寿司ブームが始まる前から英語になっていたが、Beef Teriyakiをメインにするファーストフード店が急増した。Papa’s Teriyaki、Seoul Teriyaki (これは韓国人の経営だろう)など。Yoshinoyaの牛丼(Beef Bowl)の急成長もこの線上にある。

▼ショッピングモールの中のフードコートでは、ハンバーガーやピザ、チャイニーズフードに並んで、カリフォルニア・ロールなどのJapanese food をメインにする店が現れた。

▼ビュッフェ形式の食べ放題店がJapanese foodをメニューに入れるようになった。Taipei Tokyo Buffetは台湾出身者が経営する中国料理プラス日本食のビュッフェである。

さて、米国ではインスタントラーメンが日常の食べ物として定着していたが、なぜかラーメン店は成功しなかった。1970年代後半、ドサンコがニューヨークで数店舗をオープンしたが、集客力がなく、間もなく撤退した。

昔から、ベトナム料理にPho(フォー)というスープ麺があるが、客層はアジア系人で、一般アメリカ人には人気がない。ベトナムそのものに馴染みがないことが理由だと思う。

こうした中、2004年にニューヨークの下町に日本人のミュージシャンが副業でオープンしたMincaというラーメン店に、にわかに客が押し寄せるようになった。NYタイムスが取り上げたことで火がついたのである。

NYタイムスがこの店を記事にしたのは、日本食人気という下地があるからだが、1990年代に始まったアニメブームも、日本に親近感を持つ理由だったと考えられる。その後、ラーメン店は急速に増え、ラーメンは寿司に次ぐ大スターに成長した。

これまで日本食レストラン業界は理想的な形で発展してきた。地域的、人種的拡がりは言うにおよばず、メニューも多岐化した。業態も高級店、大衆店に加え、ファーストフード店もある。あたかも、「日本食レストラン株式会社」という大企業が存在し、統一した経営方針のもとに事業を拡大してきたような感がある。「同社」は、今後も新しいスターを産みつつ発展を続けるだろう。


試行錯誤を重ねた日本食レストラン業界

2021-10-07 14:36:47 | メモ帳
前回の「寿司ブームの主役は巻物」で書き足りなかったことを、今回と次回のテーマにする。

1980年代の終わり頃、LA郊外のベニスにあるHAMAという店がとてつもなく繁盛しているという噂を聞いて、実地見分に出かけた。ベニスは芸術家の住人が多く、スケボーが盛んな所である。

その店は大通りからややはずれた所にある一戸建てだった。店頭にはなんの飾り気もなく、倉庫のような外見で、おまけにHAMAのMの部分のネオンが消えている。寂れた感じだが、駐車係に渡される車がベンツとかBMWなどの高級車。そして、店の前には10人ほどの空席待ちの客。「ナニこの店は? どうなってんだ?」が率直な印象だった。

15分ほど待ってようやく店内に案内されたが、その賑やかなことにビックリ仰天。待たされたのだから満席は当然だが、20席のカウンター席含め50席ほどがすっかり埋まり、音量を上げたロックミュージックと大声の会話で騒がしいいことこの上なし。店いっぱいに熱気があふれている。(写真)


客は寿司シェフにグラスを渡してビールを注ぎ乾杯して、シェフは冗談で場を盛り上げる。客は白人がほとんどだが、黒人もちらほら。ジャパニーズ、熟年、家族連れの客は皆無。

日本では、焼き鳥やおでんなど、客の目の前で調理するのはこくごく当たり前の光景だが、米国では少ない*。ところが、寿司バーではシェフが魔術師のような手つきで寿司をこしらえるのを目の前で見ることができる。おまけに、客とシェフの間に会話があるのも新鮮である。Sushi Barはアメリカ人にはまったく新しい文化だったのである。

*注 例外は紅花式の鉄板ステーキ。また、カウンター席につけば、シェフが調理している様子を見ることができる大衆食堂もある。

オーダーは注文書方式。あらかじめアイテム名(マグロ握りとか)が印刷されていて、食べたいアイテムに✓マークを入れ、個数を記入して接客係に渡す。これなら魚の知識がなくても間違いがおきない。ただし、注文する品はほとんどがアメリカンロール。

寿司ブームとは分かっていたが、こんな形もあるとは想像していなかった。カルチャーショックである。

Hamaのような超繁盛店はほかにもあった。ベニスから車で20分ほど南のハモサビーチのCalifornia Beachは、大きなモールの一番奥の2階にあったが、HAMAとまったく同じ熱気があった。

HAMAとCalifornia Beachには共通項がいろいろあったが、その一つはロックミュージック。寿司バーとロックは相性がいいらしい。そういえば、ディスコの中にある寿司バーもあった。ニューポートビーチ(エンゼルスの本拠地アナハイムの隣町)のマリオットホテル内にあるディスコに寿司バーがあった。(イラスト参照)


横道にそれたが、話をCalifornia Beachに戻す。この店が大通りに面した1階の、前面が総ガラス張りの物件に移転した。立地条件は以前の店よりいいはずだが客が来ず、移転後半年ほどで閉店した。なぜ客が消えたのか。想像だが、以前の店はわかりづらい場所にあって,隠れ家的雰囲気があったから客が集まったのではないだろうか。

HAMAも数年後に訪れてみると、繁盛ぶりは変わりないが、客の車は大衆車に変わっていた。明らかに、客層が変化したのである。

こうした超繁盛店がある一方、苦戦する寿司店もあった。HAMAのあるベニスの隣町のMarina del Rey にあった「真里奈」は、ファミリーレストランを思わせる明るい雰囲気で、アメリカンロールがメニューにあるものの、日本人経営の、日本人が握る正統派寿司店だった。しかし、なぜか客が集まらず、5年ほどで閉店した。

総体的に考えてみると、HAMAやCalifornia Beachでの熱気は、われこそは時代の先端をいくと自認した人たちが、Sushi Barという未経験の食文化にエキサイトして生まれた連帯意識の結晶だったのだろう。

日本食レストランの店舗数の推移というマクロ的データだけ見ているとわからないが、日本食ブームは右肩上がりに一本調子で伸びたのではない。ミクロの部分では幾多の試行錯誤があり、紆余曲折を経た結果なのである。

追記 この文章は、拙著「アメリカ日本食ウォーズ」(2006年発行)を参照しつつ書いた

寿司ブームの主役は巻物

2021-10-04 13:18:49 | メモ帳
今回は9月28日の「日本食レストラン業界を牽引するノンジャパニーズ」の続編である。

日本食ブームは寿司の人気が高まったことに端を発するが、その寿司人気を支えてきた主役は伝統的な江戸前握り寿司ではなく、巻物(ロール)である。

元来アメリカ人はあまり生魚を好まない。そこで、寿司職人は生魚を使わないか、またはナマの印象を薄める工夫をした。そこで生まれたのがアボカドとカニカマを具にして、寿司飯を外側にして巻いた巻物(ロール)であり、カリフォルニア・ロールと呼ばれる。

これが大ヒット商品となったので、いろいろなヴァリエーションが生まれた。
▼カリフォルニア・ロールを油で揚げたフライド・カリフォルニア・ロール。

▼エビの天ぷらを具にしたシュリンプ・テンプラ・ロール。

▼ソフトシェル・クラブを具にしたスパイダー・ロール。両端にはみ出たカニの脚が蜘蛛(スパイダー)のように見える。

▼アボカドのスライスを外側に張りつけたキャタピラー・ロール。触覚や目玉もつけるので、まるで巨大な芋虫(キャタピラー)である。

▼スライスしたマグロ、ヒラメ、サーモン,ハマチを外側に貼り付けたのがカラフルなレインボー・ロール(写真)。

こうした定番ロール以外に各店それぞれ工夫をこらして、オリジナル・ロールを考案するから、20種類ぐらいのロールがメニューに載ることになる。

ところで、なぜ海苔を内側にしたのか。そもそも、アメリカ人は海苔を知らないし、黒い紙のような食べ物は異様に見える。和英辞書には海苔の訳語としてsea weedと記載しているが、weedは雑草だから印象が良くない。おまけに、磯の香を好まないアメリカ人が多い。それなら、いっそのこと海苔を見えなくして、香りも消してしまおう、ということだったのではなかろうか。結局、業界では海苔をnoriのままで押し通すことになった。

ともあれ、アメリカ人を主な顧客とする寿司店では、握り寿司にはあまり重きを置かないからネタ数が限られる。そして、ノンジャパニーズの寿司シェフは寿司の握り方を知らない。手が空いた時、セッセとシャリ玉を拵え、魚をスライスしておく。これではネタもシャリ玉も乾いてしまうが、意に介さない。注文があると、用意してあったスライスをシャリ玉にのせて、ハイ出来上がり。

握り寿司の達人は三手で握るというが、彼らはシャリを何度もこねくり回して、なんとか楕円形にまとめる。

寿司飯はその日の内に使い切るのが常道だが、彼らは余ると翌日に使う。それでは寿司飯が水分を吸い込んで柔らかくなってしまうが、客もそんなものだと思っているから苦情を言わない。

握り寿司は素人でもなんとかそれらしき形に作れるが、巻物はそう簡単ではない。そこで巻物ロボットが寿司店の必需品になった(写真)。


生魚の管理も心配である。実際に食中毒も起きているようだ。

今や、寿司に限らず、日本食ビジネスは日本人の手を離れた。ノンジャパニーズが経営者で、ノンジャパニーズが調理し、ノンジャパニーズが客である店が大部分なのである。イタリア発のスパゲッティがイタリア人抜きの世界になったのと同じ構図である。

それでは、日本食ブームでも日本人には何のメリットがないのか、といえばそうではない。必需品の醤油はキッコーマンの独壇場だし(但し、主力工場は日本ではない)、日本酒や味噌、寿司ロボットのメーカーも我が世の春を謳歌している。

コロナ以前は外国人観光客が激増したが、本場の寿司やラーメンに興味があった人も多かった。業界はコロナ収束をさぞ待ちわびていることだろう。

それやこれやで、日本食の人気上昇は日本経済の拡大に多大な貢献をしているのである。



高市氏の靖国参拝に期待する

2021-10-01 14:18:57 | メモ帳
自民党総裁選が終わった。爺が支持した高市氏が落選したのは残念だが、まずは穏当なところに収まったと思う。われわれ一般国民としては高見の見物だったが、いくつか興味深い出来事があった。

▼小石河連合プラス菅首相のサポートもあり、マスコミはあたかも河野氏の楽勝のごとく報じたが、現実は違った。石破氏、小泉氏は男を下げた感がある。

▼河野氏決起集会に参加した人数よりも、河野氏の議員得票数が2票少なかった一件には笑った。

さて、高市早苗氏が自民党政調会長に就任した。次期総裁への布石になることを期待する。注目すべき点は、高市氏が靖国神社参拝を明言したこと。これまでの高市氏ならともかく、自民党の要職にある人物ともなれば、その靖国参拝には中韓が反発するのは必至である。

韓国の反発は無視すればいいが、中國についてはどう対応するか。尖閣国有化の際はレアアースの対日輸出禁止という手を打ってきたし、日本品ボイコット運動も記憶に新しいところである。

しかし、中國の立場はこれまでとは違う。米中の対立激化という新しい要素があるから、ここで日本も敵に回すことは得策ではないはずだ。高市氏が靖国参拝を強行した場合、貿易問題に絡めるとか日本品ボイコットなどの強硬な報復措置は、国際社会の目には過剰反応に映るだろう。したがって、せいぜい口頭での非難に終わる可能性が高い。

ついては、中國が反発してきたら「主権の侵害である」と一蹴し、堂々と論破して中国の理不尽ぶりを際立たせてもらいたい。靖国問題は大局から見れば些細なことだが、国家主権の問題であり、いつまでも放置しておくわけにはいかない。

米中の対立激化は、靖国問題を潰すにはいい機会である。高市氏が約束通り靖国参拝を強行するよう期待する。