近所の医院の待合室で時々眺める女性週刊誌を見るかぎり、愛子さまは女性界の大スターである。20歳になって以前より美しくなった感があることが影響しているのだろう。
そんな中、「文芸春秋」2月号に「愛子天皇への道」(石井妙子ノンフィクション作家)という記事が掲載された。
皇位継承順位の第一位は秋篠宮で、第二位は15歳の悠仁さま、第三位は常陸宮であるから、愛子さまが天皇になることはありえない。だが、筆者の石井氏は愛子天皇を願っているようだ。記事から引用する(赤字)。
国民の間では、この数年で、「女性が天皇になってもいいのではないか」、「女性天皇が結婚し、そのお子様が天皇(女系天皇)になってもいいのではないか」という意見が圧倒的になっている(NHKが2019年に行った世論調査では7割以上)。
ところが、こうした国民の声は国会には反映されてはいない。長きにわたった安倍晋三政権は、男系男子主義の立場であり、・・・まったくこの問題には取り組まなかったからだ。
この筆者はあからさまに愛子天皇を主張しているわけではないが、行間にその願望が滲み出ている。そもそも「愛子天皇への道」というタイトルそのものが、愛子天皇を願っていることを示す。
さて、天皇家は初代の神武天皇から126代の徳仁今上天皇にいたるまで、男系継承の伝統を守ってきた。数人の女性天皇はいたが、結婚せず子どもはいなかった。男系にこだわったことが「万世一系」と呼ばれる所以である。
「万世一系」の最大の危機は第26代の継体天皇の時である。第25代の武烈天皇が崩御した時、後継ぎがいなかったため、応神天皇の5代の子孫とされるとんでもない遠縁の人物が即位し,継体天皇となった。即位はしたものの、なぜか大和の都に入ったのは19年後であることはなにかの支障があったことが窺われる。さらに、「継体」という名前自体が<国体を継いだ>いう印象があり、謎を感じさせる。
それでも、天皇家が男系による継承というそれまでの習慣を守ったことは、男系で一貫性を保つことが国民の尊崇の念と権威を維持する根源であると考えたからであろう。
そして、継体天皇以降はさしたる支障もなく男系が受け継がれてきたが、その背景には側室の存在がある。実際に、明治天皇も大正天皇も側室が生んだ子である。
2004年に当時の小泉首相が女性天皇の道を開くことを提唱したが、それは悠仁さまが生まれる前であり、悠仁さまが誕生してからは、女性天皇の案は消えた。
問題点は悠仁さまのあと、男系が支障なく引き継がれるとは限らないことである。万一、悠仁さまに男性の子どもがいなかった場合はどうするか。それには継体天皇の例にならって、天皇家の男系の血統から次の天皇を選べばいい。つまり、「愛子天皇の道」はないのである。
昨日ここまで書いて今日、文面を再度見直してからアップする予定だったが、本日の新聞に皇位継承に関する有識者会議の報告書が提出されたとあった。その記事によれば、有識者会議の案の骨子は、<男系男子の維持を重視する>ことだという。わが意を得たり、である。
今後、この事案は国会で議論されるだろうが、有識者会議の原案通りになることを願う。
・無視ですかな?
何とまぁ、狭量なこと。
さて、継体天皇を持ち出すあたり
お勉強はされてますな。
但し、5代前って殆ど他人同然。
その点の克服に数十年を要し、
大和に足を踏み入れる事が
出来なかったらしい。当たり前だな。
秋篠宮はポンコツ、その息子は
使いものにならないらしい。
常陸宮は論に及ばず。
日本の天皇制は歴史的使命を
終え、終焉ですな。
そもそも120何代って言うけど、
その間、何があったか分からない。
血筋が紛れもなく連綿と続いて
来たなんて誰にも分かりゃしないし。
愛子天皇は男系論からあり得ないし、
今更、旧華族を引っ張りだしたり
したら、国論真っ二つだ。