頑固爺の言いたい放題

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理性を見失ったマンション管理組合 Ⅳ

2014-07-31 11:28:32 | メモ帳

無理が通れば道理引っ込む

≪理性を見失ったマンション管理組合Ⅰ、Ⅱ≫をご覧になった読者から数々のご意見を頂いたが、その中から「ごもっとも」と思われる質問にお答えしたい。

 (1)「否認された立候補者は黙って引き下がったのか?」

答えは「その通りです」である。このような理不尽な意見が大勢を占める組合に私の家内(立候補者の一人)を無理に理事に送りこんでも、家内が苦労するだけのこと。それでは申し訳ないと考えて私はあえて反論しなかった。それに、お願いして理事にさせてもらうというのもヘンな話である。K氏も同じような考えで、反論しなかったと思う。ちなみに、K氏は否認されたあとの、新たに理事を選任する臨時総会には出席しなかった。

 (2)「否認がどうして人格無視、名誉棄損になるのか?」

立候補者を議案通り選任するなら理由はいらない。「ご厚志に感謝します。宜しくお願いします」でお終いである。しかし、理事会決議を経て総会議案になっている案件をひっくり返して否認するなら、それなりの客観的根拠が必要だ。例えば、「貴方は区分所有者ではないはずだ」とか。

しかし、この場合、否認を言いだしたA女史はその根拠を言わなかった。そして大多数の出席者は理由もなくA女史に賛成した。根拠がない否認に大多数が賛成するというのは、どう考えても不自然である。これは小・中学生が集団で「おめぇはウザイんだよ、キモイんだよ、死ねよ」といじめるのとよく似た迫害だ。否認される側に立って、どんな気持ちになるか考えてみてほしい。

ボランティア立候補者の否認が人権蹂躪、名誉棄損になることは、なにも難しい法律に照らさずとも、常識で考えればわかることである。

(3)「I氏は理事長になったのか?」

否認劇があった総会の次に開催された総会(7月20日)の議題は「役員選任の件」で、理事候補者としてI氏・O氏・H氏の名が挙げられていた。前回総会の「否認決議」に法的正当性がないので、この議題は成立しないのだが、そう主張することは現実的ではなかった。なぜならば、否認された二人が理事に就任する意思を失っていたからである。

議決の結果は満場一致の承認だった。つまり、私も承認に賛成した。不本意だが、反対しても代案を出せないからである。否認された立候補者が名誉棄損等で訴えると否認が正当性を失うから次の理事選出も正当性を失うが、否認された二人が泣き寝入りするだろうという希望的観測の上に成立した新理事選任である。

端的に言って、「無理(理がないこと)が通れば道理引っ込む」を実感した次第である。

そして、I氏はシナリオ通り理事長に選任された。しかし、話はこれで終わりではない。次のV完結編をご覧いただきたい。(この1行は8月12日に加筆した)

 

                                                                  終

 

 

 


理性を見失ったマンション管理組合 Ⅲ

2014-07-24 14:53:07 | メモ帳

有料駐車場におきた≪お笑い≫

今年(2014年)6月の通常総会の席上、私は次のように発言した。「前期の収支報告に駐車場の使用料として19台分しか計上されていませんが、スペースは20台分あるはず。使用希望者がいないのかも知れませんが、一応募集してはどうでしょうか」

 この発言を受けて組合執行部が希望者を募ったところ、数日で空きスペースが解消した。満車になったことは喜ぶべきことだが、これまで≪空き≫を放置していたことは大問題である。

 そこで前々期の収支報告書を見ると、やはり予算を19台分に設定し、決算額が100%になっている。では駐車場にいつから≪空き≫があったのだろうか、ことによるとその前の期には満車だったのかと思い、その期の収支報告書を調べたら、逆に18台分が予算に計上されていた。そしてその期の中途で駐車数が1台増えて19台になったらしい。言い換えると、その前の期は年間通じて18台しか使用されなかったために、次の期の予算として18台分が計上されたことになる。こうしたデータから次の推測が成立つ。

このマンションが最初に分譲された際、駐車場は満車にならなかった。大成有楽は毎期、次年度予算を前期実績を基礎にして策定してきたので、≪空き≫があることにだれも気付かず、20余年を経てやっと気づいて≪空き≫が解消した。 

次期予算策定において、他の項目はいざ知らず、駐車場使用料に関しては、満車(20台)になる金額を予算として設定すべきである。企業に例えれば、商品在庫を持っていながら、それを売る計画になっていないということであり、担当部長は譴責ものだ。当事者にとっては、不注意によって発生した逸失利益に歯噛みする悲劇だが、第三者から見れば「アホやなぁ」の≪お笑い≫である。

このお粗末な予算を策定してきたのは管理会社の大成有楽である。しかし、その予算案と収支報告に疑問を持たなかった組合執行部も責任を問われるべきだ。逸失利益の金額そのものは大したことではないが、これは運営理念の問題である。

では、なぜこんなバカげた事態が起きたのか。とどのつまりは、組合員が共有資産の管理に関心をもたなかったということだろう。このエッセイは≪理性を見失ったマンション管理組合≫の続編としたが、この場合≪理性≫は適切な表現ではなく、≪知性≫とすべきかも知れない。

蛇足だが、私が駐車可能台数を知っていた理由を説明しておこう。当マンションの機械式駐車場の収支は赤字で、その赤字は駐車場を利用していない区分所有者の負担になっており、それでは不公平である。そこで、今年の初めに前出のM氏およびK氏とともに駐車場運営改善策を練ったが、その時に駐車可能台数を知ったというわけだ。なお、その改善策はI理事長に握り潰され、陽の目を見ていない。

そこで疑問が生じる。「これまでの組合執行部は、だれも駐車場の収支計算をしなかったのだろうか?」

終 

 


洗浄式便座

2014-07-16 14:13:15 | メモ帳

最近読んだ≪英国一家、日本を食べる≫という本に次のような一節があった。

 僕らが滞在した家(注 京都滞在中に借りていた家)はほぼすべてが古風な様式だったが、ただ一つアポロ13号よりも進んだ超小型演算装置が使われている場所があった。それは水洗トイレだ。…すぐになんでも触ってみたがるアスガー(注 6歳の息子)が、コントロールパネルについている、お尻をすっきりきれいにする洗浄ボタンの機能を調べ始めるのに時間はかからなかった。その後アスガーはこのトイレに夢中になり、京都にいた3週間、しばらく姿が見えないと思ったら、必ずといっていいほど、そこにいた―便座に座って、夢見るようなうっとりとした笑みを浮かべているのだ。

 この一家に限らず、日本に来た外国人旅行者は例外なく、洗浄式便座が気に入るらしい。それならば、帰国してから自宅用に購入しようとするはずだし、ホテルも導入するはずだ。しかし、去る6月にハワイに旅行したとき泊まったワイキキのロイヤルハワイアンホテルには洗浄式便座がなかった。昨年滞在したグアム島のハイアットホテルも同様。

 以前読んだマーケティングの教科書に次のような話が載っていた。

米国のある靴メーカーが発展途上国に二人のセールスマンを派遣した。その一人は帰国後「この国では皆裸足だ。莫大な需要が見込める」と報告し、他の一人は「この国ではみな裸足だ。まったく需要は見込めない」と報告した。

 つまり、需要予測は考え方次第というわけだ。では、靴の代わりに洗浄式便座を当てはめたらどうなるか。上に登場した英国人一家といい他の旅行者といい、価値を認めているのだから、外国には無限の需要あり、と考えていいだろう。ところが、実際には外国では洗浄式便座が普及している様子がない。メーカーの努力が足りないのではなかろうか。