頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

秘境 寸又峡

2016-04-30 16:22:51 | メモ帳

昔から東海道の難所として名高い大井川に沿って走るSL(Steam Locomotive)。その車窓から眺める渓流と、里山や茶畑の田園風景は心が和む。

乗務員がハモニカで、「汽車ポッポ」や「茶摘みの歌」など昔の唱歌を聞かせてくれる。

中央に見えるドアに「三等車」と書いてあることに注意。建造は昭和10年代だろう。

夏も近づく八十八夜

野にも山にも若葉が茂る

あれに見えるは茶摘じゃないか

あかねだすきに菅(すげ)の笠

終点の千頭(せんず)でトロッコ列車に乗り換えると、風景は一変する。切り立った崖の中腹を走る列車の遥か下を流れる谷川や湖の景観は素晴らしい。

 

樹木と湖水が織りなす各種の緑色の壮大なコラボレーション

 

選んだ宿泊地は、千頭から峠を越える寸又峡。南アルプス登山の起点でもある。ガイドブックには「秘境寸又峡」とあるが、千頭から路線バスで僅か40分だから「秘境とは少し大袈裟ではないのか」と思っていたが、現地の道路事情を見て納得した。

道路が山裾に沿ってうねうねと曲りくねって見通しが悪い上に、道程の八割ほどは1車線しかない。曲がり角に設置されたミラーで、対向車の状況を確認しなくてはならない。対向車が来ると、数十メートルごとにある退避所でやりすごすか、時には退避所までバックする。対向車が1台ならまだしも、数台だったら渋滞が発生するだろう。寸又峡観光の団体バスツアーがないのは、交通事情に原因があるのではないかと推測する。

宿で聞いた鶯の鳴き声は、下界と違ってホーホケキョで、それも甲高い。出発前のプランでは、タクシーで近くの大吊り橋を見物する予定だったが、、「タクシーは千頭から呼ぶことになります。それに、道路はこの先3百メートルで終わりで、その先は徒歩になります」と聞いて断念。

翠紅苑

「秘境」という形容は正しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


比較日本語論 その2

2016-04-25 16:39:34 | メモ帳

敬語が過剰になった日本語

20年ほど米国に住み、帰国して気づいたことは日本語がバカ丁寧になったこと。例を二つ挙げる。

~してもらってもいいですか

「~してください」という依頼の言葉は、最近「~してもらってもいいですか」と言うようになったらしい。例えば、私は帰国して住民登録に訪れた市役所で、「この書類に捺印してもらってもいいですか」と言われて面食らった。そのわけは、この語句には言外に「捺印する以外のチョイスもあるけど、できれば捺印してくれると有難いのですが」という意味合いを感じたからである。

英語なら、さしずめSign here(欧米には捺印がない)で終わり。丁寧な表現にしたいなら最後に pleaseをつければいいが、この場合は 捺印することが当然であるから(相手に恩恵を与えるわけではない)、please はいらない。

「サインしてもらってもいいですか」を無理に表現するなら、Do you mind, if I ask you to sign here? または May I ask you a favor to sign here? だろうが、たかがサインを依頼するのに、こんなバカ丁寧な表現を使ったら、気違い扱いされる。

~させていただく

例えば、選挙に立候補した政治家が「このたび当県の知事に立候補させていただくことになった△山×男です」などというが、これでは有権者に許可をもらって立候補したように聞こえる。立候補は政治家の自由意思ですることだから、「立候補した△山×男です」で十分だ。それとも、○○党の許可をもらって立候補したという意味なのか。それなら党内の事情であり、有権者にはどうでもいいことだから、「させていただく」という語句は必要ない。

英語に訳すと、 I have decided to run for governor of this prefecture. だが、「立候補させていただく」を無理に表現するなら、I take a liberty to run for governor of this prefecture. しかし、それでは意味が曖昧になる。

もう一つ例を挙げよう。官房長官が「北朝鮮が弾道ミサイルを発射したことに対して、強く抗議させていただきました」と言った。英語に訳せば、We strongly protested North Korea for their unforgivable conduct. であって、「~させていただく」を訳すことは不可能。この場合の「~させていただく」は国民に対しての敬意と取れなくもないが、政府の強い意志を表明するのだから国民におもねる必要はなく、「抗議しました」で十分である。

そもそも、「~させて頂く」は相手の意向を尊重しての行動を示す表現である。適切な使用例は「では、お言葉に甘えて、そうさせていただきます」だ。それが、単なる丁寧語に転化したらしい。

では、なぜ日本語がバカ丁寧になったのか。私は、日本ではこの数十年、個人の権利(発言力)が強くなりすぎたからだと思う。相手に悪く思われたら困る、という配慮は理解できるが(特に、政治家は選挙で落ちたら即失業だから、有権者に迎合したい気持ちはよくわかる)、その配慮が度を越すと文章が冗長になり、理解しにくくなる。

表現がバカ丁寧になったばかりではない。単語のあとに「とか」や「のほう」をつけたり、語尾を曖昧にして(例えば、「~かもしれぬ」を付ける)、相手の攻撃を避けようとするのも同根である。

私が米国から帰国してもう10年近くなるが、帰国した当座に感じた違和感はまだ消えない。といっても、正常な姿に戻ることはないだろうが…。

 


比較日本語論 その1

2016-04-19 17:10:14 | メモ帳

長年(30年)アメリカで生活していたため、私は日常生活のあらゆる場面で日本と米国を比較する習慣が身についている。このシリーズでは言葉に焦点を当て、日本語が英語と比較してどんな違いがあるのか考えてみたい。

「すいません」と「どういたしまして」

すいません」という言葉はまことに便利だ。I am sorryというお詫びの意味に使われるばかりでなく、Thank you にもなる。 語尾を上げて「すいませ~ん」と言えば、Excuse me という呼び掛けの言葉になる。ことによると、使用頻度という点ではトップ10に入る語句 (フレーズ)だろう。

本来はお詫びの意味に使われる「すいません」が、なぜ「ありがとう」という意味にも使われるようになったのか。「ご面倒かけてすいません」という語句から、「ご面倒かけて」が抜けたと思えば納得できるが、日本語を多少は解する外国人にすれば「謝意を示すべきときに、なぜ詫びるのか」と奇異に感じるだろう。

では、なぜ「ありがとう」の代わりに、「すいません」が使われることが多いのか。それは、「ありがとう」は目下または同位(友人、兄弟)の人に対しては適切だが、目上の人には丁寧語の「ございます」を付け加える必要があるからだろう。つまり、「ありがとう」は上から目線の語句なのである。その点、「すいません」なら目上の人に失礼にならないから、使い勝手がいい。

相手によって「ありがとう」と「ありがとうございます」を使い分けるのが面倒だからと、「すいません」で代用する習慣が身についてしまうと、Thank youと言うべきときに I am sorryと言いはしないかと心配になる(笑い)。

さて、アメリカ人にThank youと言えば、必ずYou are welcomeという語句が返ってくる。言うなれば、アメリカ人に関するかぎり、Thank you とYou are welcomeはワンセットになっており、使用頻度が同じなのである。

もちろんYou are welcomeは「どういたしまして」という意味だが、日本語の会話では「ありがとう(ございます)」に対して、「どういたしまして」と返すことは稀であり、無言で済ますことが多い。

「どういたしまして」は堅苦しい言い回しだが、だからといってこれに代わる適切な言葉がない。「御礼を言われるほどのことではありません」という言い回しもあるが、これも大袈裟だ。結局、無言のスマイルで済ます方が自然だということになる。

だが、「ありがとう」に対して無言で済ますことが当然になっていると、英語の会話で相手がThank youと言ったときにYou are welcomeという語句がスンナリ出てこない(私自身の経験から申し上げている)。英語で会話する機会がある方は、Thank youと言われたら、反射的にYou are welcomeと言えるように準備しておいていただきたいと思う。些細なことだが、これは人間関係を円滑にする一つのコツなのである。

 


やわらかくて美味しいという価値観

2016-04-10 16:31:28 | メモ帳

最近、TVのグルメ番組を見なくなった。そのわけは、タレント(特にお笑い系)の美味しいという表現がおおげさだから。目を大きく見開いたり、身をよじったり。そういう演出なのだろうが、白々しくて興を殺がれる。それはいいとして、なにを食べても「ヤワラカ~イ」と叫ぶのはどういうことか。あろうことか、豆腐料理を食べて「やわらかくて美味しい」と言ったタレントには呆れた。

この稿では、「やわらかい」が本当に料理の褒め言葉なのかを考えてみたい。

おバカタレントならずとも、日本人はよく「やわらかくて美味しい」と言って、料理を褒める。つまり、やわらかいことが美味のもっとも重要な条件になっている。たしかにビーフステーキはやわらかい方が食べやすいが、それよりも牛肉本来の旨味が優先されるべきではないのか。

欧米人にすき焼きを食べさせると、みな「美味しい」と褒める。しかし、それはかなり儀礼的賛辞である。親しい間柄なら「美味しいけれども、肉本来の味がしない」と率直な感想を述べるだろう。

肉だけではない。ニューヨークのある寿司店の経営者の話。「日本人はふっくらしたシャリが好きですが、アメリカ人は噛みごたえのあるシャリを好みます」

パンでも好みが異なる。バブル華やかなりし1980年代後半、ロサンゼルスに日本の大手製パン業者が進出し、製造したパン(四角い食パンが主力だが、一部アンパンなどの菓子パンもあった)を日系スーパーで販売していた。1994年ごろだったと記憶するが、私は仕事の関係で同社の工場長に話を聞く機会があった。

「御社はロサンゼルスの日系スーパーのパン売り場をほとんど全部カバーしてますね。業績は順調と推測します」

「実はかなり苦しいんです。そのわけは、日本人とアメリカ人では、パンの好みが違うことです。日本人はフンワリ、モチモチした口当たりを好むんですけど、アメリカ人はしっかりした歯ごたえがあるパンでないとダメなんです。当社では日本人向けのパンを製造してるんですが、それではアメリカ人に受けません。ご承知のようにバブル崩壊後、日本人居住者が減ってますから、売上がジリジリ減っているのが実情です。だからといって、アメリカ人向けのパンに転向すると、値段の点で対抗できないんです」 (その後間もなく、その製パン業者は撤退した)

最近TVで見たセブンイレブンのドーナツのCMの謳い文句は「もっちり、ふんわり」だった。しかし、欧米では「もっちり、ふんわり」がドーナツのキャッチフレーズになることはない。「では何だ?」と聞かれても答えられないが。

なぜ日本と欧米では食感の好みが違うのか。私はその源はご飯にあるように思う。コメは今でこそ消費量が減って、主食とは言えなくなったが、われわれの食事の基本はご飯であり、ふっくらとして粘り気があることをもって良しとする。生まれてからずっと、そういう価値観を身につけてきたから、無意識のうちに「ふっくら、ふんわり」をあらゆる食べものの価値判断の基準にしているのではないか。

しかし、それでも今の「ヤワラカ~イ」万能は行き過ぎだと思う。そして「ヤワラカ~イ」ものを良しとする価値観はこの30年ぐらいにできたのではないか。その証拠に、昔は煎餅は堅くて食べるとバリバリという音がしたが、最近はフワフワしたものが主流になった。その内に日本人は噛む力が衰え、顔の形も違ってくるのではなかろうか。


自然が残る養老渓谷

2016-04-03 11:05:55 | メモ帳

今、有名観光地はどこでも外国人観光客で賑わっているらしい。日本経済としては結構なことだが、私としてはそういう観光地(特に中国人観光客が多いところ)は避けたい。そこで選んだのが養老渓谷

狙いは当たりだった。マイナーな観光地だから、外国人観光客はこない。

そればかりではない。千葉県の中央部であるこのあたりには、人里離れた感覚がある。ファミレスはおろか、コンビニもない。商業施設そのものが少ないから、看板が少ない。自然がそのまま残されている。

最大の観光目玉である粟又の滝は、水量が少ないために迫力がない。ホテルで入手したチラシのイラストには、滔々と水が流れているのだが…。もっとも、水量が豊富なら評判になって、観光客が押し寄せるだろうが。

渓谷にそった遊歩道は静寂そのもので、心が休まる。秋は紅葉で賑わうらしいが、3月末は人影もまばら。

渓谷に次ぐ目玉はいすみ鉄道沿線にある大多喜城。こじんまりした城だから、あまりメディアに騒がれることがなく、したがって観光客が少ない。

内房線の五井から東南へ向かう小湊鉄道(なぜか小湊には行かない)と、外房線の大原から西へ向かう夷隅(いすみ)鉄道の、両者の終点がここ上総中野(無人駅)。左がいすみ鉄道の車輛で、右が小湊鉄道の車輛。もっと先へ行く乗客はここで乗り換える。

泊まった旅館は粟又の滝のそばにある滝見苑。団体客がいない(観光バスを見受けなかったので)にもかかわらず、夕食の時にレストランのテーブルは全部ふさがっていたから、かなり繁盛しているらしい。世の中には私のような変わり者が結構いるということだろう。