つい最近、本屋で漫画の新刊書「従軍慰安婦」(小林よしのり著、幻冬舎2020年1月発行)を立ち読みしたところ、頑固爺が知らなかったことがいろいろと書かれていることに気づいて買い求めた。漫画とはいえ、なかなか読み応えがある労作(300ページ)である。
実は、私は1990年代から長年、米国に居住していたため、慰安婦問題に関しては今浦島だった。2006年の終わりに帰国してからこの問題(特に河野談話)に興味を持ち、ずいぶん本を読んだがまだ欠けた部分があり、この「慰安婦」で知識の空白を埋めることにした次第である。
以下、慰安婦問題に関する、1990年代の主な出来事を「慰安婦」から時系列で拾ってみる。なお、「慰安婦」では不十分な部分はWikipedia その他で補った。各位はすでにご承知のことと思うが、復習のつもりでお付き合い願いたい。なお、青字は「慰安婦」等からの引用であり、(付記)は頑固爺の補足または所感である。
1973年(S48)「従軍慰安婦」(千田夏光著)出版
キモの部分:(1)日本軍が朝鮮総督府に2万人の慰安婦を集めるよう依頼し、これに基づき、総督府は面長(村長に相当)に強制的に慰安婦を集めさせた。(2)挺身隊として女性を20万人集め、この中から5~7万人が慰安婦にさせられた。
(付記:これは真っ赤な嘘であることは言うまでもない)
1983年 「私の戦争犯罪」 (吉田清治著)出版
(付記:山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治が、警察官とともに済州島など朝鮮各地で、数百人の女性を拉致したという大嘘が書かれている)
1989年 上記「私の戦争犯罪」の韓国語版が出版
1990年(H2)1月 尹貞玉(女性)韓国梨花女子大教授が「挺身隊、怨念の足跡取材記」を韓国京郷新聞に4回連続で執筆し、これが韓国で大反響を呼んだ。この記事は吉田清治と千田夏光の著作から引用したものである。
(付記:この慰安婦と挺身隊の混同は、千田夏光の著作にある嘘から始まったと解せられる)
1991年5月22日 朝日新聞大阪朝刊が吉田清治の証言を掲載(私たち実行者が警察官の協力を得て朝鮮で若い女性を拉致した)
(付記:1993年の「河野談話」に「官憲」という語句があるのは、河野洋平氏がこの証言を信じたからだと推測できる。ともあれ、この記事は若い記者が裏付けも取らずに書いたのだろうが、常識的に考えればありえない話であり、上層部がこの記事を修正しようと思わなかったことも理解し難い。日本は朝鮮で悪いことをしたという先入観があったためだろうか。
1990年5月30日 国会において社会党の竹村泰子議員が、6月10日に同じく社会党の本岡昭次議員が、「従軍慰安婦は強制連行されたのか」と質問し、当時の労働省官僚が「強制連行はあったが、業者が勝手にやったことで、軍は関与していない」という趣旨の回答をした。
1991年 韓国の「太平洋戦争遺族会」(原告35人、内3名は元慰安婦)が高木健一弁護士を代理人として、日本政府を提訴、 吉田清治も強制連行の証人となった。そして、日本が32億円を補償金として拠出すると表明したため、高木弁護士は訴訟を取り下げた。
1991年8月11日 朝日新聞大阪版が下記のスクープ記事を掲載。
【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第二次世界大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍軍人相手に売春行為を強いられた従軍慰安婦のうち1人がソウル市内に生存していることがわかり「韓国挺身隊問題協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り調査を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。・・・体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
(付記:この原告に名を連ねた元従軍慰安婦は金学順で、「14歳のとき肉親に四十円で妓生(キーセン)に売られた」と、上記の日本政府を相手にした訴訟の際に告白していた。したがって、植村記者は同女の名前を秘す理由はなく、「妓生として売られた」という告白を隠したかったと推測できる。なお、下線部分が誤りであることは言うまでもない)
1992年1月11日 朝日新聞が大スクープ記事を一面トップで掲載(下の漫画参照)
見出し「慰安所 軍関与示す資料、防衛庁図書館に旧日本軍の通達日誌発見 部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
(付記:「軍の関与」という表現は、それまでの朝日新聞の記事からして、誰しも強制連行への「関与」を指すと想像する。しかし、資料をよく読めば、この「関与」とは慰安婦の性病予防など「いい意味での関与」だった)
1992年1月16日 宮澤喜一首相が韓国訪問
慰安婦拉致の大嘘が韓国で広まっていたため、反日デモがあり、天皇の人形が焼かれ、元慰安婦が座り込んで泣き叫んだ。
(付記:1月11日の朝日新聞の大スクープは、5日後の宮澤首相の訪韓とタイミングが合いすぎ、朝日新聞の作為が感じられる。)
1992年7月31日 韓国政府は「日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告」を発表
この報告は吉田清治・千田夏光の著書の記述と元慰安婦13人の証言が主体である。
1993年8月5日 (H5年)河野内閣官房長官が談話を発表
「・・・慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下でも痛ましいものであった。(以下省略)」
(付記:「官憲等が加担した」という表現は吉田清治の証言にあることから、河野洋平氏は吉田清治の大嘘を信じていたことが窺われる。なお、河野氏はまさか当時の一流紙である朝日新聞が嘘を書くとは思っていなかっただろう。河野談話は吉田某の大嘘を真実だと裏書してしまう結果になったのである)
1996年1月 慰安婦について論じた「クマラスワミ報告書」が国連で採択された。
(付記:この報告書は前出の千田夏光と吉田清治の著作を引用している)
2006年 安倍首相が「狭義の強制性はなかった」と発言し、これに対し米国マスコミ(AP電、NYTimes)は「安倍首相は慰安婦の強制性を否定し、河野談話の修正を意図している」と反発。
2007年4月27日 安倍首相はブッシュ大統領との共同記者会見で、次のように発言した。
「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて、申し訳ないという気持ちでいっぱいである。」(以下省略)
2007年6月14日 すぎやまこういち、屋山太郎、桜井よしこ、花岡信昭、西村幸佑5人は、ワシントンポスト紙に意見広告「強制連行はなかった」を掲載したところ、「日本人は慰安婦の人権に対する否定者である」という印象を与える逆効果になった。
2014年8月5日 朝日新聞は慰安婦に関する誤報を謝罪
2015年12月 日本政府と韓国政府(朴槿恵政権)は慰安婦問題終結に合意。日本政府は10億円を拠出
2017年5月 韓国文在寅政権は上記合意を破棄
【頑固爺所感】
河野談話は、当時の世論が強い左派勢力の影響で、“旧日本軍=悪=謝罪”という自虐的思想に染まっていたことに影響されて、生まれたと考えられる。つまり、世間一般のみならず、河野洋平氏自身も自虐思想に染まっていたのであろう。加えて、“謝罪すれば円く収まる”という日本的価値観も作用したと思われる。
要するに、慰安婦問題は日本人が火をつけ、ぞれが風に煽られて大火となり、気がついた時には制御不能となっていた感がある。すなわち、慰安婦問題の失態は、日本人の自業自得だと言わざるをえないのである。韓国人は日本人のミスと怠慢に乗じただけであり、韓国人を非難する前に、日本人が反省すべきことだと考える。