日本の焼肉は終戦直後、朝鮮系住民(韓国系&北朝鮮系)が大阪の鶴橋とか東京の御徒町などの露店で牛や豚の臓物を焼いて提供したのが起源である。それが所得水準の向上とともに、食材が牛肉のスライスにグレードアップする一方、テーブルの上に置いた炭火コンロで客が自分で焼くスタイルが一般的になった。経営者は朝鮮系が多かったので、焼肉店イコール朝鮮料理店というイメージが定着したが、ソウルオリンピック以降は日本人経営の店も増えた。
卓上調理の難点は煙が室内に充満し、その臭いが衣服や髪の毛に染み付くこと。だから焼肉店を敬遠する女性が多かった。この難点を解決したのが無煙ロースター。テーブルに焼き台を埋め込み、段差部分に無数の穴を開け(写真)、モーターで煙をその穴に吸引し、それを床下のダクトから外部に排出する。天井から吊るすダクトがなくなるから、店内がスッキリする。無煙ロースターは完全に煙を排除しないが、かなりの効果はあるから、たちまち日本全国に普及した。
韓国ではどうか。私は1970年代から80年代にかけて何度も韓国で焼肉を食べたことがあるが、いずれも厨房で焼きあげてからテーブルに運ばれてきた。私ばかりでなく、日本人旅行者が本場の韓国で焼き肉を食べようと意気込んでいたにもかかわらず、客が自分で焼く日本式焼き肉にはついぞお目にかかれなかったという話を何度か聞いたことがある。つまり、卓上で客が自分で焼くスタイルは日本オリジナルなのである*。
さて、韓国式の特徴は、骨付き牛肉(カルビ)を客の目の前でウェートレスが鋏で肉を骨から切り離すデモンストレーションつきで提供すること。韓国人は骨付きを珍重するからである。そして、タレに漬けこんでから焼く。ところが、日本人はサシが入っていることをよしとするから、タレに漬けこまず、焼いてからタレをつける。もちろん、タレに漬けこむとサシが見えなくなるからである。
このように、同じ焼肉でも韓国式と日本式では細部において違いがある。では、両者が同じ地域に店を構えたらどうなるか。
1960年代にニューヨークの韓国人街に韓国人経営による韓国人相手の焼肉店がぼつぼつ出来ていたが、1970年ごろ韓国の有名店Woo Lae Ok(又来屋)がマンハッタンの中心部にオープンし、日本企業の駐在員を始めとする日本人客で大繁盛した。そのWoo Lae Okが1990年代半ばにロサンゼルスのビヴァリーヒルズに進出し、お洒落な内装で現地メディアの注目を集めた。日本で開発された無煙ロースターを備えていたから煙害がなく、白人客を集めて繁盛した。
それに遅れること数年、Woo Lae Okのすぐ近くに日本の有名店「牛角」がGyu-Kaku Japanese BBQというネーミングでオープンした(写真)。日韓焼肉バトルの勃発である。
結果は日本の大勝利になった。韓国系焼肉店の客のほとんどが韓国人であるのに対し、Gyu-Kakuは白人客を集めて大繁盛。今や米国全体で32店ある。かたやWoo Lae OkはBest Korean Restaurants in NY or LA による検索に見当たらない。ただし、Gyu-Kakuの成功は日本食ブームという素地があったからで、ラーメンと同様、Japanese Barbecue は日本食の一つのジャンルと認識されていることが成功の理由である。
さて、私がロサンゼルスで主宰していた「フード業界情報USA」紙でGyu-Kakuを取り上げた際、≪Barbecue は韓国の代表的料理だが、Japanese barbecue は日本で独自に発達したのであり、朝鮮半島から伝わったものではない≫と述べた。すると間もなく、韓国訛りの英語で猛烈な抗議の電話があった。小紙は日本語・英語の対訳で、日本食レストラン経営者を対象としていたから、寿司店を経営する韓国人読者も多かったのである。ともかく、その抗議は「日本の焼肉は韓国を真似たもの。アメリカで日本人が焼き肉をJapanese BBQと称するのは許せない」という趣旨だった。
私が「日本の焼き肉は朝鮮系人が始めたもの」という認識を示し、さらに「焼き肉は韓国の代表的料理」と明記しているにもかかわらず、「Japanese BBQ は許せない」とはあまりにも偏狭ではないのか。日本人が日本流に進化させた焼き肉もKorean でなくてはならないのか。韓国人のナショナリズムは明らかに行き過ぎである。
* (注)ロサンゼルスのコリアタウンでは、中央がコンモリと高い独特の網を使って自分で焼くスタイルが主流になった。客がテーブルで自分で焼くという点では、韓国式が日本式を真似しているのである。