頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

機能不全に陥ったWHO

2020-01-31 17:23:40 | メモ帳

本日(1月31日)、WHO (World Health Organization)はコロナウィルス案件を緊急事態とすると発表した。22-23日に緊急事態宣言を保留したことを撤回した措置である。「保留」とした時点でのテドロス事務局長の説明は「いまだ人から人への感染は、中国以外では、確認されていない」だったが、それは理屈に合わない。

なぜなら、「中国では人から人への感染が確認されていたのだから(12月中旬)、中国以外にコロナウィルスが拡散した現在、その国でも人から人への感染が発生するはずだ」と考えて当然だからである。そんなことは専門家でなくても(頑固爺でさえも)、わかることだ。「WHOは中国に配慮しているな」と感じた人は多かっただろう。

遅きに失した緊急事態宣言だが、テドロス事務局長は次のように発言している(赤字)。

新型の病気が過去にないほどの大流行につながっている。だが、中国の対応も過去にないほど素晴らしい。中国の尽力がなければ中国国外の死者はさらに増えていただろう。中国の対応は感染症対策の新しい基準をつくったともいえる。

私は先日中国に渡航し、習近平国家主席のリーダーシップを目の当たりにした。他の国も見習うべきだ。中国国外の感染者数が少ないことについて、中国に感謝しなければいけない。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020013100172&g=int

まったく“よく言うよ”である。武漢が封鎖されたのは1月23日であるが、春節ということもあり、封鎖前に数百万人(500万人という説もある)が市外に移動していたはずで、それらの人々がすでに各地でウィルスをまき散らしていたと思われる。さらに、初期段階で新型ウィルスの出現を中国当局が隠蔽した形跡もある。誰が考えても、中国の対応は賛辞に値するものではなく、テドロス事務局長のコメントは的外れである。

さらに、「我々は国際的な貿易と渡航の制限を勧めない」というコメントも笑止千万。すでに中国への渡航を禁止した国がいくつかあるし、航空会社は客が少ないと判断すれば、便を減らすから、国による制限と同じことである。関係各国・企業はWHOのコメントに先立って、WHOの意向と真逆の行動を起こしているのだ。

WHOのコメントが“中国の意向を反映したもの”であるのは明らかだが、その背景には中国が“一帯一路”戦略の一環として、テドロス氏の出身国エチオピアに鉄道敷設にかかわる巨額の投資をしている事情がある。

こんなWHO なら、存在すること自体が国際社会に害を及ぼす。今後、国連加盟国でその存在価値が議論されるのではないか。

 


習近平主席の国賓待遇

2020-01-28 16:18:08 | メモ帳

中国の習近平主席が国賓待遇で今年の4月に来日する予定である。この「国賓待遇」に関して、野党はもちろん自民党の一部も反対であり、大手紙も産経新聞含めて、珍しく反対で足並みを揃えている。

保守派論壇誌は、賛成派・反対派の両論併記の立場を取っている。例えば、「月刊Hanada」3月号では、賛成論として“習近平国賓招聘は日本外交の大チャンス”(長谷川幸洋、高橋洋一、石橋文登の鼎談)、反対論として“国賓反対!”(山岡鉄秀)を掲載している。

頑固爺の印象では、全体として反対8分・賛成2分といったところか。

この件は国会でも議論されている。本日(1月28 日)の衆議院予算委員会で、安倍首相は習主席の訪日に関する野党の質問に答えて「(日中間に)問題があるからこそ、首脳会談を行わなければならない」と発言した。

しかし、問題点は日中首脳会談そのものではなく、習近平主席を国賓待遇にすることの是非である。国賓待遇とすることが決まってから、香港で騒動が拡大し、ウィグルでの弾圧が表面化したという事情があり、「国賓」を決めたタイミングが悪かったが、それは結果論。

習主席の最大関心事は、天皇陛下と同じ写真に納まり、それが世界中に発信されることだろう。その写真によって、日本が香港やウィグルにおける中国の人民弾圧を容認しているかのごとくに受け取られる可能性が大である。

頑固爺も基本的には反対だが、この時点で日本政府は“国賓はなかったことにして下さい”とは言えないだろうと思う。すなわち、習主席のメンツを潰すことになり、ここまで積み上げてきた関係改善が水の泡となる。

さて、ここで新型ウィルス肺炎(以下、「肺炎」)という大問題が発生した。現状では、この伝染病がいつ終息するかの見通しはまったく立っていない。2002年末に始まったSARSの場合は終息まで半年以上かかったことを考えると、今回の「肺炎」も、訪日が予定されている4月には終息していない可能性が高い。

その場合、習主席は訪日を延期するだろうから、「国賓」問題は自動的に先送りとなる。安倍首相も今は時間稼ぎして、静観しようという腹ではないだろうか。むしろ、日本の懸念は、「肺炎」がオリンピックに影響しないか、である。

 

 

 

 

 

 


(続)第二次世界大戦に対する認識の変化

2020-01-25 16:25:45 | メモ帳

Franklin Clark Hoover (1874-1964)は1929年から1933年に米国大統領だった人物で、回顧録「裏切られた自由」(Freedom Betrayed)を遺した。その著作は、それまでの歴史観と真っ向から対立するものであったため出版が見送られていたが、2011年にフーヴァー研究所から出版された(日本語訳は2017年に出版)。

藤井厳喜氏の著作「太平洋戦争の大嘘」(副題:47年間隠され続けた元米大統領の告発)は、その「裏切られた自由」に彼の主観をまじえてまとめたものである。

以下、赤字は「太平洋戦争の大嘘」(以下、同書)の引用である。

1939年(S15)9月、ドイツがポーランドに侵攻したところから第二次世界大戦は始まりました。・・・ところが、1940年、ドイツ軍はまたたく間にパリを占領、フランスを降伏させます。さらに、その8月からドイツ空軍がイギリス本土に空爆を開始するなど、イギリスはドイツに本土上陸寸前まで追い詰められていました。

そして、41年6月にドイツ軍は独ソ不可侵条約を破棄してソビエト連邦に侵攻、ソ連もどんどん追い込まれていきました。41年中ごろには、ドイツ軍はヨーロッパの大半と北アフリカを占領するなど圧倒的な優勢を保っていたのです。

もうひとつ重要なのは、中華民国です。日本軍の攻勢により、首都南京は1937年に陥落、中華民国政府は四川省の重慶への疎開を余儀なくされるなど、どんどん追いやられていました。

イギリスのチャーチルも、ソ連のスターリンも、中華民国の蒋介石も、みなアメリカに参戦してもらいたかったのです。・・・ですからみな、ルーズベルト政権に対して、とにかく早く戦争に参加してくれ、ということを一生懸命働きかけていたのです。

以下の青字は同書の要約である。

こうした要請があったものの、ルーズベルト大統領は“戦争はしません”という公約を掲げて選挙に勝った手前、同盟国の要請を簡単に受け入れられる立場ではなかった。一方、ドイツ・イタリー・日本は同盟関係にあったから、日本が米国に戦争を仕掛けてくれば、米国はドイツ・イタリーを攻撃する大義名分が得られるという事情があった。

そもそも、米国は日本がシナ大陸で利権を独占していることが許せなく、1941年(S16)7月に経済制裁(在米資産凍結と石油の禁輸)によって、日本に圧力をかけた。

フーヴァーは「裏切られた自由」の中で、この経済制裁こそ「日本に対する宣戦布告だった」のであり、「アメリカを戦争に誘導したのは、ほかならぬルーズベルトその人だった」と書いている。そして、「日本との戦争は、戦争したいMadman(狂人、つまりルーズベルト)の欲望だった」という厳しく批判している。

さらに、同年11月に米国は日本に対して、シナからの撤兵を要求するハルノートを突き付けた。これは日本にとって到底受け入れない要求であり、最後通牒だった。そこで、日本はたまらず12月8日の真珠湾攻撃に踏み切ったのである。

前回述べたように、ルーズベルトは日本軍の動きを十分に察知していた。すなわち、日本の真珠湾攻撃はルーズベルトがまさに待ち望んでいたことであり、日本は“不意打ち”どころか、罠にはめられたのである。そして、ルーズベルトは空々しく、“Remember Pearl Harbor !”と叫んで、米国人を参戦に合意させることに成功した。

戦後になって、フーヴァーが連合国総司令官だったダグラス・マッカーサーと会談した際、「これは日本が始めた戦争ではなく、ルーズベルトが日本を戦争に追い詰めたのである」ことで意見が一致した、という記述もある。また、マッカーサーは1951年に上院の軍事外交合同委員会で「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言している。

「裏切られた自由」におけるフーヴァーの主張で、さらに二つ重要な点がある。それは、
(1)「1941年の日米交渉では、ルーズベルトは日本側の妥協を受け入れる意図はまったくなく、日本側の誠実な和平の努力をことごとく潰した」
(2)「原爆を投下せずに日本を降伏させることはできた」(原爆投下はソ連に対する牽制だった)

このフーヴァー史観はそれまでのルーズベルト史観と真逆であり、アメリカ人にとって簡単に受け入れられるものではないから、“知る人ぞ知る”程度にとどまり、メジャーの話題にはなっていない。

【頑固爺所感】

アメリカに引っ張りこまれた戦争だったとしても、勝算はあったのだろうか。それはともかく、昭和12年に始まった日中戦争において、日本は目的意識を失ってずるずると泥沼にはまり、身動きできなくなった感がある。その観点で、フーヴァー史観はあまりにも日本寄りのように思える。こういう史観もあることを知っておくだけで十分であろう。

 


第二次世界大戦に対する認識の変化

2020-01-24 17:14:40 | メモ帳

第二次世界大戦(以下「戦争」)は70年以上も昔に済んだことだし、嫌なことは思い出したくもないという意識から、頑固爺はこれまで「戦争」に関する情報から目をそむけてきた。

しかし、米国で50年経って公開される情報に興味深いものが多々あることに気づき、「戦争」を体系的にまとめた著作を探していたところ、 “太平洋戦争の大嘘”(藤井巌喜著、ダイレクト出版刊、初版2017年11月)(以下、「本書」)を見つけた。

ということで、「本書」に書かれている事柄の内、興味深い点を拾って論じるが、その前に私の「戦争」観を説明しておきたい。

【大本営発表の崩壊】
子どもの頃、私が好きなラジオ番組(もちろんTVはなかった)は大本営発表だった。♬ジャンジャンジャガイモサツマイモ(これはイントロに悪童がつけた歌詞)に続いて、「♬守るも攻めるもくろがねの・・・」という軍艦マーチの勇壮で軽快な音楽が始まると、心を躍らせて耳を澄ませたものである。

ところが、勝っているはずなのに米軍の爆撃機B29が頻繁に爆弾を落とすようになり、「これはヘンだぞ」と思っているうちに、サイパン島、硫黄島、沖縄が次々に陥落し、原爆が落されてジエンド。

終戦後、私の好みのラジオ番組は「真相はこうだ」になった。どんな嘘が暴露されたかの記憶はまったくないが、推理小説の謎解きのような快感があったと思う。

その頃、東京裁判があり、東条英機など名前を知っていた政治家・軍人が戦争犯罪人として処刑され、私は「犯罪人として処刑されるのは、悪いことをしたからだろう。日本は悪い国だったんだ」と受け止めた。

後年知ったことだが、連合軍総司令部 (GHQ) は日本人に贖罪感を植え付け、精神的に骨抜きにする宣伝工作を実施していたらしく、「真相はこうだ」はそのツールの一つだったらしい。私に限らず、私の世代はその“精神構造改革”政策にうまく乗せられたのである。

私の父親は軍人で、終戦の時には陸軍大尉だったが、運よく内地勤務だったので生き延びた。その父親は戦争に関して、私になにも語らなかった。当時、両親は家族のための食糧確保が最大優先事で、戦争の回顧どころではなかったと思う。だから、両親が“精神構造改革”政策をどう受け止めていたかはわからない。この事情は私の家だけのことではなく、大人たちはみな虚脱状態で、餓死から逃れるのに精一杯だったと思う。

さて、1970年代に見た映画“Tora Tora Tora”では、日本の真珠湾攻撃は米国から見れば、卑怯な不意打ち(sneak attack)だったと描かれていた。在ワシントンの日本大使館が宣戦布告文書作成に手間取り、連合艦隊の空母から発進した爆撃機が爆弾を落下させる時に間に合わなかったという場面が今でも目に焼き付いている。

しかし、たとえ間に合ったとしても、宣戦布告30分後とか1時間後だったら、“不意打ち” であることには変わりはなく、ルーズベルト大統領が“Remember Pearl Harbor!”と叫んで、米国民の戦闘意欲を掻き立てる行動は変わらなかっただろう。つまり、真珠湾攻撃は国際社会に“卑怯な日本”というイメージを生む悪手だった。

真珠湾攻撃の是非はさておき、日本のマスコミは日本の開戦を“大東亜共栄圏”を樹立する“聖戦“と位置づけていた。そして、最初は面白いくらい戦果を挙げていたから、子どもだった私だけでなく、国民はみな「戦争」に熱狂した。

それが、敗戦と東京裁判で暗転した。というのが、私の「戦争」観である。しかし、後年、米国は日本軍の暗号通信をすべて読み解き、連合艦隊の動向を察知していたという裏話を知った。では、なぜルーズベルトは日本が真珠湾を攻撃するのを黙認したのか。

ここまでが、今回のテーマ「第二次世界大戦に対する認識の変化」の前置きである。次回は「本書」を引用して「戦争」を再評価する作業を試みる。

 

 

 

 


(続)台湾への応援歌

2020-01-22 10:26:30 | メモ帳

ある読者から「このブログは読みにくい」というご意見が寄せられたので、今回は下記の通り、14ポイントで作成してみました。ご意見があれば、コメント欄(右下)にご連絡下さい。(ここまでは12ポイントです)

台湾が親日的である理由は、漢字を使用するなど文化的に親近感があること、日本統治時代の誠意ある運営の残像があること、が挙げられるが、1990年から2000年にいたる20年間、総統だった李登輝氏の言動・方針に影響された部分も大きいと思われる。

李登輝総統以前の台湾は、1949年に共産党軍との戦いに敗れ、中国から移転してきた蒋父子(蒋介石・蒋経国)による軍事政権の支配下にあった。そして、蒋政権には中国本土反攻の意図があり、台湾を中華民国台湾省と位置づけ、国民に中国人であるという意識を持つよう指導した。

蒋経国政権において副総統だった李登輝氏は、1988年に蒋経国の他界とともに、中華民国総統、中国国民党主席に就任した。そして、中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めた。

「日本と中国はまったく違います」(著者:台湾「自由新報」前東京支局長、張茂森)によれば、李登輝氏は旧制台北高等学校に学び、その同級生38人のうち、4人だけが台湾人(当時は日本人だが)だった。そして、その高校時代に岩里政男と改名している。1943年に台北高等学校卒業後、直ちに京都帝国大学に入学、1944年に学徒出陣し、終戦時には高射砲部隊の少尉だった。

この経歴から見て、李氏はほとんど日本人、それも戦前の教育を受けた古いタイプの日本人である。現在でも日本語を流暢に話し、「難しいことは日本語で考える」と公言している。その「ほとんど日本人」の李氏(1923年生)は2000年まで総統を務め、退任後も民間人として日台親善に尽力している。

余談だが、李氏は2001年に手術の目的で日本にビザを申請したが、中国の反発を懸念した河野洋平氏が反対し大問題となった。幸いにして、ビザは発給されたが、この件は日台間に心理的しこりを残した。

さて、李氏の功績は、台湾と中国を「特殊な国と国の関係」と位置づける「二国論」を打ち出し、台湾人の台湾アイデンティティーを確立させたこと。李氏の後を継いだ陳水扁総統はさらに一歩進めて、対中関係を「一辺一国」(それぞれ別の国)と位置づけた。その結果、今では自分を台湾人と考える国民が半分以上を占めるようになった。(出典:「日本と中国はまったく違います」222ページ)

では、日本は台湾をどう扱ってきたのか。2009年に出入国管理及び難民認定法を改定し、従来の「国籍欄」の「中国」から「国籍・地域欄」の「台湾」に改めた。つまり、パレスチナ人と同じ位置づけとなった。

このように、台湾人のアイデンティーは内外で変化しているが、その中心に台湾人の独立運動がある。現在、在日台湾人を連帯する組織には、台湾独立建国連盟日本支部、在日台湾同郷会、在日台湾医師会、新世代日台交流会などがあり、それらの団体を綜合的にまとめる全台連が存在する。

独立を求める台湾人たちは、日本を拠点として、水面下で独立のチャンスを窺っている。独立の障害はもちろん中国であり、もし中国に天安門事件のような大きな変化が起きると、一斉に立ち上がるだう。

一方、台湾が中国に飲み込まれるようなことがあれば、それは日本にとって安全保障上の大問題となる。台湾がどうなるかは日本も深い関心を持つべきなのである。

加油、台湾!

 

 

 

 

 


台湾への応援歌

2020-01-20 15:16:50 | メモ帳

4年前にリオデジャネイロで開催されたオリンピックの時、台湾代表の選手たちの所属国・地域はTaipeiだった。中国との関係でTaiwanとすることができなかったにせよ、私は「Taipeiは都市の名称だから、適切ではない。なにか別の表現がないのか。TaiwanにはFormosaという名称もあるではないか」と感じた。

最近になって、台湾と国交がない国では、代表処(事実上の大使館)の名称に、「台湾」ではなく、「台北」を使用していることを知った。例えば日本では、「台北駐日経済文化代表処」となる。その理由はもちろん、中国が「中国はただ一つで、台湾は中国のものだ」と主張しているからである。だから、五輪でもTaiwan とせず、Taipeiとしたということだろうが、どうもしっくりこない話である。

ここで疑問が生じる。それは、「台湾は中国のものであると言う中国の主張は、国際法上正しいのか」である。

簡単に台湾の歴史を辿ってみよう。

1895年の日清戦争の結果、清朝は台湾を日本に割譲し、その後の50年間は、日本が統治した。1945年の日本の敗戦により、台湾は中華民国に帰属することになった。しかし、その後、中華民国と中国共産党の間に内戦がおこり、中華民国軍が敗れ台湾に逃れて(1948)、現在にいたるまで台湾を統治してきた。一方、中国共産党は1949年に中華人民共和国(中共)を樹立し、それ以降、チャイナ本土を統治してきた。

この経緯からすれば、1948年までのチャイナは、台湾を統治地域とする中華民国と、チャイナ本土を統治地域とする中華人民共和国に分裂し、70年間も膠着状態にあると考えられる。現在、中華人民共和国(中共)は「中国は一つであり、台湾は中国に帰属する」と主張しているが、歴史的経緯を辿ってみれば、中共は台湾の帰属権を主張することはできないはずである。

ところが、そこに国連が絡むことで、事は理屈通りに運ばない。国連の常任理事国は第2次世界大戦の戦勝国である米国、英国、フランス、ロシア、チャイナの5ヵ国となっているが、戦勝国という資格要件からすれば、チャイナは中共ではなく、中華民国(台湾)であるべきだった。国連において中共がチャイナの継承国として認められたことで、中共が常任理事国になった。これは国際的力関係によるものだが、論理的には矛盾している。

さて、台湾の人口は2,300万人で、人口も統治能力も経済力も独立国としての資格は十分である。しかし、蔡総統は現状維持を基本方針として、独立したいとは言っていない。もちろん、独立を言い出せば、ただちに経済制裁を科せられ、場合によっては武力制裁の可能性があるからである。

タイトルと上記の文面から容易に想像できるように、頑固爺は台湾贔屓であるが、台湾に肩入れするもう一つの理由は親日であること。2019年のインバウンドにおいて、台湾は489万人で中国、韓国に続いての第三位だった。人口当たりのインバウンド数では第一位だから、世界でもっとも親日度が高い国(地域)であるということになる。

それにもかかわらず、日本は台湾と外交上の国交がないために、「もっとも親日度が高い国(地域)」に相応しいもてなしをすることができず、いろいろと不便が生じているようだ。残念なことである。

 


日韓融和への突破口

2020-01-18 17:51:54 | メモ帳

これまで歴史問題における日韓の対立は、まったく解決の糸口を見出せなかったが、新な展開が起きつつある。

(1)法律家グループのアンチ反日

1月16日付の産経新聞のオピニオン欄に掲載された西岡力氏の論考「始まったアンチ反日の日韓連携」によれば、昨年1223日に東京とソウルで、日韓の法律家たちが「1965年請求権協定を尊重することを求める」共同声明を発表した。日本側の代表は高池勝彦弁護士で賛同者は17人、韓国側代表は高永宙氏(元ソウル南部地検検事長で、筋金入りの反共主義者)と9人の賛同者。その中には「反日種族主義」の共同執筆者である李宇衍氏も含まれる。事務局は歴史認識問題研究会(会長は西岡力氏)。

この共同声明は、「元徴用工に関する韓国大法院の判決を批判し、原告の請求権は1965年の請求権協定によって最終的に解決されており、原告が主張する請求権は韓国の国内問題として処理されるべきである」というもの。この部分は日本の主張そのものである。

一方、この共同声明には、原告が「不法で反人道的な植民地支配」の被害者であるとする判決の歴史解釈には日韓学者の異論があり、司法が特定の歴史解釈をすべきではない、という批判も述べられている。つまり、この声明を発表した法律家グループは、日本の植民地支配が「不法で反人道的」であったかどうかについては、あえて議論を避けたと思われる。その理由は、歴史問題は法律家が判断する分野ではないということである。

頑固爺の見解:

そもそも、日韓請求権協定の議論が交わされた1965年時点でも、両国は日本による朝鮮併合の合法性について意見が一致せず、その部分を曖昧にしたまま合意した。つまり、「曖昧にしておくこと」に合意したのであるから、法律家グループが歴史問題を議論しなかったのも当然である。

換言すると、この声明に参加した韓国人の法律家たちは、反日ではないものの、親日になったわけではなく、法的見地でのfairness(公正性)を追求しただけである。それでも、融和の出発点に立ったのだから、画期的進展である。

ところで、この共同声明の一件は西岡氏の論考に書いてあったから知ったことで、産経を含め、新聞報道で知ったのではない。この件はニューズヴァリューがあると思うのだが、なぜ報道しないのだろうか。

(2)一般市民レベルのアンチ反日

「反日種族主義」を上梓した李栄薫氏も韓国の歴史歪曲を糾しただけであり、日本の朝鮮併合をfair だったとは言っていない。(1)における韓国人法律家と同じ立場である。

一方、日本に移住した韓国人が歴史の歪曲に気づいて、ネット上で嘘を暴き始めた。それはシンシアリー氏であり、WWUK氏であり、この下の動画(Korean Boy TV)に出てくる青年である。

https://www.youtube.com/watch?v=AQWpv7pnmJ4

このKorean Boy が対談している92歳の老婦人は、真実の思い出を語っているように見える。浦項製鉄をポハン製鉄と表記しているのも芸が細かい。かりにやらせだとしても、話している内容は頑固爺には思い当たることばかりで、情報としての価値がある。

おばぁさんの「韓国人は日本人と平等ではなかった」という話に一言付け加えたい。頑固爺は子どもの頃、ガキ大将にけしかけられて、朝鮮人に向かって「チョウセン、チョウセンとカにするな」と囃した記憶がある。濁音を話せない朝鮮人をからかったと気づいたのは何年も経ってからのこと。今、ここに謝罪する。80年近くの年月が経ってからでは遅すぎるが…(笑)

話が横道にそれたが、こうして真実を知った韓国人がネットで情報を流しているのは日本人としては有難いことだが、その情報を韓国語で流す手立てはないものか。韓国人が知らなければ何にもならないのである。

ともあれ、日韓融和の突破口がいろいろなところに見えてきた。これらの突破口が大きく広がることを期待する。

 

 

 

 

 

 

 

 


河井議員夫妻の不可解

2020-01-17 17:26:36 | メモ帳

河井案里参議院議員が車上運動員(いわゆるウグイス嬢)に法定上限額の2倍に当たる報酬を支払っていた疑いがあること、そして夫である河井克行衆議院議員もこの事件に関与していた可能性があることが大問題になっている。

 この事件には不可解な点がいくつかある。

(1)   規則違反の知識

案里氏は広島県議を4期務めており、公職選挙法には通暁しているはずであるにもかかわらず、なぜ規則違反を犯したのか。これまでも同じ違反を犯しながら、バレなかったので今回もバレないと思ったのか。夫の克行氏も選挙違反については十分な知識があるはずで、妻の違反行為に気づいていたはずだが、なぜ諫めようとしなかったのか。

(2)   車上運動員の養成

案里氏は数少ない熟練運動員を獲得するために、高額の報酬を払うことになったと推測する。熟練者が望ましいとはいえ、素人でも短期間の訓練で運動員として使えるようになると思うが、なぜ限度額の3倍もの報酬を支払う選択をしたのか。

(3)   熟練運動員の不足

運動員はいつ仕事があるか分からない上に、短期間の仕事である。一方、人手不足という事情があるし、地域差もある。こうした事情を勘案すると、運動員の謝礼に上限を設けることに無理があるのではないか。たまたま案里氏の違反が明るみに出ただけで、他の地域でも同じ問題が起きているのではないか。

(4)   案里氏の説明責任

昨日の記者会見において、案里氏は法定上限額を超える報酬を支払ったことを否定しなかった。領収書の存在が明らかである以上、否定しなければ肯定したも同然である。それでも同氏が口を割らないのはなぜか。

(5)   違反の罰則

公職選挙法に違反したら、どういう罰則があるのか調べてみると、公職選挙法第221条第1項に次の規定があることがわかった。

「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたときには3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金に処する」

この規定において、50万円以下の罰金はともかく、「3年以下の懲役もしくは禁錮」が課せられたら、事実上議員の職を続けることは不可能である。案里氏が肝心なことについては口を割らないのは、この罰則があることを知っているからなのか。一方、選挙違反を犯した議員がこの罰則を適用された実例はないように思うが、頑固爺が呆けて記憶が薄れただけなのか。

いずれにせよ、天下国家を揺るがす大事件ではないから、あまり気にすることはないか。(笑)

 

 

 

 


このブログにご意見を発表しませんか

2020-01-15 14:31:14 | メモ帳

このブログを皆さんのご意見の発表の場として提供したく存じます。掲載は無料ですが、謝礼もありません。

手順:この右下にある「コメント」をクリックすると、コメント記入画面が出ます。一番上の「名前」欄に実名または投稿ネーム(例えば、頑固爺)を記入し、2番目の「タイトル」欄にその投稿のタイトル(例えば、「慰安婦の嘘」)を記入してください。3番目の「URL」欄にはURLをお持ちの方だけ記入してください。ご意見はその下の「コメント」欄にご記入ください。

コメントの最初に「転載希望」とご記入ください。その「希望」がない場合は、ブログへの転載をしません。(つまり、これまでと同じです)

なお、旧い記事に対する投稿でも、ブログ管理者(つまり私)にはメールで連絡されるので、私が見逃すことはありません。

ブログ欄への転載:コメント欄に記入された文章を私がコピーして、このブログ本文欄に貼り付けます。ブログの記事はどんどん更新されるので、旧い記事に寄せられたコメントは読む人が少ない。ブログ欄に転載することで、より多くの人が閲覧するはず。

コメントの内容:私の投稿記事に対する批判、賛同意見、または全く関係のない話題、書評など、なんでも構いません。感情的誹謗中傷の類でもそのまま掲載します(投稿者が恥をかくだけです)。ただし、公序良俗にそぐわないコメントはお断りします。

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プライバシー:投稿者のメールアドレスは、私含め誰にもわかりません。

私の狙い:私の新しい記事の投稿は週に2-3回が精一杯ですが、皆さんのご参加によって投稿回数(更新)が多くなれば、このブログの閲覧者も増えるはずです。なお、今のところ、当ブログの閲覧件数は2~3千件(週)ですが、皆さんのご協力があれば、倍増するのではないかと期待しています。ご質問があれば、コメント欄をご利用下さい。

各位のご協力をお願いします。

頑固爺

 


日韓関係を悪化させた日本の謝罪

2020-01-13 16:19:29 | メモ帳

日本人の特質の一つは、争いが起きると簡単に謝罪すること。謝罪して下手(したて)に出れば、相手も態度を和らげ、互いに過去を水に流して争いは治まる。しかし、外交の世界では、謝罪は悪行を認めたことになり、謝罪する側の立場を悪くすることが多い。

そのいい例が2015年の慰安婦合意である。裏で米国の要請があったとはいえ、謝罪とともに十億円払ったことで、韓国人および国際社会に「日本軍が女性を拉致して性奴隷にしたのは、やはり本当だったんだ」と認識させる結果を招いた。

さて、Wikipedia の「日本の戦争謝罪発言一覧」を見ると、1972年の田中角栄首相を始めとして、ほとんどの歴代首相は戦争に対する謝罪の言を述べていることがわかる。そして、1970年代の謝罪が相手国を特定していなかったのは適切だと評価する。

しかし、宮澤喜一首相以降は、謝罪の対象を韓国に特定していることが多い。例えば、1992117日、宮澤喜一は韓国を念頭にして次のように発言している。(以下、役職・敬称略)

我が国と貴国との関係で忘れてはならないのは、数千年にわたる交流のなかで、歴史上の一時期に,我が国が加害者であり、貴国がその被害者だったという事実であります。私は、この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが,私は、このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております。

下線の部分に注目されたい。宮澤は、日本を加害者とし全面的に日本に非があったと認めているわけだが、彼は本当にそう信じていたのだろうか。

宮澤は1919年(大正8年)の生まれで、1942年(昭和17年)に東京帝大法学部政治学科を卒業し大蔵省に入省した。言うまでもなく、戦前の教育を受けた世代である。昭和10年代の日本は軍部独裁で、以前にこのブログに書いたように、「鬼畜米英」「八紘一宇」「内鮮一体」などのスローガンを掲げ、勝利を信じて人心が統一されていた。

終戦後、GHQによるWar Guilt Information ProgramWGIP)によって日本人は贖罪意識を植え付けられた。GHQは7年で解散したが、WGIPの思想で書かれた歴史教科書は、「日本は戦争を引き起こした悪い国です」と教えているし、朝日新聞・毎日新聞などの左派系新聞もWGIPの思想を受け継いでいるから、戦後世代の多くが贖罪意識を抱いている。

しかし、戦前の教育を受けた宮澤が、WGIPで洗脳されたとは思えないし、朝鮮併合時の経緯とその後の良心的統治については十分な知識があったはずである。したがって、宮澤が“日本は加害者で、朝鮮人に耐え難い苦しみを与えた”と、本気で思っていたとは考えにくい。

ではなぜ宮澤は上記の謝罪をしたのか。私は冒頭に述べた日本人特有の「謝れば丸く収まる」という習性によって、自分の主義主張を横に置いて、韓国との融和を優先したのではないかと想像する。ことによると、韓国政府の意向を汲んだ可能性もあるが、今となっては調べることはできない。そして、宮澤以降の歴代首相たちは、前例を踏襲しただけではないだろうか。

戦後の教育を受けた首相はどうか。民主党政権の菅直人を例にとる。菅は1946年(昭和21年)生まれ、東京工業大学理学部に学び、学生運動に熱中した。戦後のWGIP教育を受けた菅の謝罪の内容は、宮澤謝罪とほぼ同じである。WGIP教育と「謝罪すれば丸く収まる」意識がどのように組み合わさったのかは、本人でないとわからない。

では、安倍晋三はどうか。安倍は1954年(昭和29年)生まれだから、WGIP教育を受けた世代である。しかも、中曽根康弘、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎などの「宮澤式」謝罪を知っているはずだから、同じような謝罪を述べても不思議ではない。しかし、その謝罪は2015年の慰安婦合意で終わり、その後は強硬路線に転じた。

日本的習性であれ、WGIP思想であれ、謝罪したことには変わりはない。しかし、謝罪は決して日韓の外交関係を好転させることはなく、むしろ悪化させただけである。一方、韓国は日本悪者論を拡大再生産しており、その虚像は膨らむばかりだ。朝日新聞は「日本は何度でも謝罪すべきだ」と主張するが、謝罪したら嘘の部分まで謝罪することになることが分かっているのか。謝罪が決して日韓関係を好転させなかったことが分かっているのか。

問題点は、韓国人が膨らませた虚像を正しいと信じていることである。この状況は「反日種族主義」のような自律的修正運動で、徐々に修正されるだろうが、時間がかかる。当分、日本は静観するしかないだろう。

 

 

 


なぜ「500 .com」は領収書が不要だったのか?

2020-01-11 15:25:42 | メモ帳

首題を論じるに当たり、まずこれまでの事実関係を確認しておく。

中国企業の500.com(以下「500」)は日本のカジノ・ビジネス参入を目指して、数人の国会議員にカネをバラまいた。対象に選ばれたのは、すでに逮捕された秋元司衆議院議員以外に、岩屋毅・中村裕之・宮崎政久・船橋利実・下地幹郎の各衆議院議員5名で、いずれもIR議連のメンバー。「500」の元顧問である紺野昌彦・仲里勝憲の自供により、名前が明らかになったものであり、提供した資金はそれぞれ100万円だという。(以下、役職・敬称略)

この「500」の自供に対し、岩屋毅は受領を認めたが、それは講演料として中村裕之から受け取ったものなので、収賄であることは否定。中村裕之は北海道の観光会社を経由して受け取ったことを認めたが、たんなる政治献金だと主張。下地だけは収賄および外国人による献金を禁じる法律に違反することを認めた。残る宮崎政久・船橋利実の2名は資金の受け取りを否定している。なお、下地は「500」が領収書受け取りを頑なに拒否したと述べている。

下線の部分に注目したい。「500」が領収書の受け取りを拒否したわけは、仲介役だった紺野・中里がなんらかの理由により、宮崎・船橋には資金提供を果たさなかったために、その200万円を自分たちが着服したからだ、と推測する。

領収書の受け取りを拒否したのは、着服した宮崎・船橋分に領収書がないこととの整合性を保つためだろう。もしも、紺野・中里が宮崎・船橋分の200万円を「500」に返却したのであれば、下地分の100万円には領収書が必要だったはずである。

この突拍子もない推測は、宮崎・船橋の両人が嘘をついていない限り、論理的にこれしかないという帰結である。

今ごろは、「500」の中国人ボスは紺野・中里の両人に、「新聞によれば、宮崎・船橋は受け取っていないと言っているらしいが、あんたたちがチョロまかしたのではないのか」と迫っていることだろう。(笑)

それにしても、議員たちは収賄ではなくても、外国人からの献金が禁じられていることは十分承知しているはずで、下地には国会議員たる意識が欠けている。中国企業の迂回献金に気づかなかった中村も、IR関連の献金だったことには気づいていたはずで、軽率のそしりは免れない。岩屋は下地・中村に較べれば、情状酌量の余地があるが、頑固爺には100万円という講演料は彼には身分不相応だと思う。(笑)

一方、100万円程度で国会議員を抱き込めると考え、そして相手に選んだ議員たちに決定権があると思い込んだ「500」も、経営戦略がお粗末な企業だ。同社の本業は左前らしいが、これまでの盛業がラッキーだっただけだろう。そんなお粗末な会社に抱き込まれる連中もお粗末だが・・・。

間もなく始まる国会では、この茶番劇が主要テーマになるだろう。こんな低次元の事案に時間が空費されることを考えると、今から気が重いのである。

 

 

 

 

 

 


胆を冷やしたイラン騒動

2020-01-09 16:17:38 | メモ帳

1月8日昼のNHKニュースは「米軍がスレイマニ司令官を殺害したことに対し、イランがイラクにある米軍基地を弾道ミサイル12発で報復攻撃をした。米軍の死傷者はゼロ」と報じた。

この“米軍の被害なし”は、どう考えても不自然である。米軍基地が12発のミサイル弾を浴びて、死傷者が出ないはずがない。夜のNHKニュースは、「米軍はイランのミサイル発射をレーダーで探知し、着弾前に安全な場所に退避できた」と報じたが、これもヘンだ。

なぜなら、ミサイルが発射されたことを直ちに探知したとしても、着弾まで数分しかないから退避する時間的余裕はないはずだし、発射以前の兵士の行動はレーダーでも探知できないと思われるからである。

命中しないように、ミサイル弾を発射した」と解説者もいたが、それもありえない。なぜなら、そういう命令が下されても、リベンジに燃えている現場の兵士が命令に服さないだろうし、かりにそうだったとしても、その事実を外部にばらすことが予想されるからだ。

理詰めに考えれば、“イラン側が事前に攻撃の時間と場所を漏らしたのではないか”という疑いが生じる。リークする理由は “米軍による連鎖反応的報復を恐れた”である。

本日(1月9日)の読売新聞は、このイランによる報復攻撃を一面トップで報じているが、その最後を次の記述で締め括っている。

イラクのアブドルマハディ暫定首相は8日、イラン側から攻撃を事前に口頭で知らされたことを明らかにした。イラク政府がこの情報を米軍に伝え、死傷者の回避につながった可能性がある

これである。つまり、イラン政府も国民をなだめるために、なんらかの報復はする必要はあったが、米国の強大な軍事力で連鎖報復されることは避けたかった。トランプ大統領が何をするか予測できない人物だ、ということもある。だから、攻撃情報を意図的にリークし、米軍に死傷者がでないように取り計らうと同時に、“米軍の死者80人”というフェイクニュースを流して、イラン国民のガス抜きを図ったーこれで全体がしっくり収まる。

イランの報復攻撃のあと、トランプ大統領は“軍事行動は控えたい”と述べたが、イラン側の融和的意図を受け止めたということだろう。

1月8日、東京の株式市場は大暴落し、下げ幅は一時600円を超え、最終的には370円安で終えたものの、ムードは悲観的だった。ところが、そのムードは、トランプのフレンドリーな発言によって一掃された。株式市場は、この騒動はこれ以上拡大しないと確信したのである。

実は、頑固爺は少ない資産の大部分を株式市場で運用しているので、この数日は連日の乱高下に胆を冷やす思いだった。これでヤレヤレである。市場参加者も皆、私と同じ思いだったに違いない。その思いが株価に反映されている。

 

本日の東京株式市場は535円の上げで終わり、結局株価はイラン騒動の始まる前と同じ水準に戻った。経済活動そのものは堅調だということだろう。今年はまだ始まったばかりだが、残りの356日が平穏無事であることを祈るのみである。

 

 

 

 


皇位継承論

2020-01-06 13:50:19 | メモ帳

最近の女性週刊誌を見て気づいたことだが、女性・女系天皇に賛成する人が8割いるという。これは次の天皇として期待されているのは愛子様だ、ということでもある。愛子様人気の急上昇は、彼女自身が利発であることが知られてきたことと、雅子妃殿下の優雅で知性溢れる振る舞いが評価された結果だと考えられる。

現在の皇位継承順位は(1)秋篠宮文仁親王、(2)その長男の悠仁親王、(3)常陸宮正仁親王であるが、常陸宮はすでに84歳であり、継承の対象から除外してもいいだろう。となれば、順当なら秋篠宮文仁親王が次の天皇になり、悠仁親王がその後を継ぐ。この場合は男系継承の伝統が守られることになるので、問題ない。

しかし、今上天皇の在位が長いと、文仁親王の出番はなくなるから、悠仁親王か愛子様のどちらかということになる。男系継承という観点では悠仁親王だが、愛子様派は男女同権と今上天皇の直系であることを主張し、簡単に決められないだろう。

小泉純一郎政権当時の2005年に、有識者会議が女性・女系天皇を認める決議をしたが、その時は悠仁親王 (2006年生まれ) がまだお生まれになっていなかったからで、その決議は無視していいのではないか。

では、かりに愛子様が天皇になったら、その次は愛子様の子どもになるのか。その場合は、二千年続いてきた男系継承制が女系継承制に変わることになり、伝統が崩れる。

一方、悠仁親王には精神未発達という噂があり、これが本当なら大問題である。宮内庁が女性・女系天皇容認論に意見を述べないのは、これが理由かもしれぬ。

このように、皇位継承問題は複雑な要素が絡んでおり、簡単に結論が出る事案ではない。また有識者会議が結論を出し、それを押し付けるのも適切だとは思えない。まずは天皇家内部で話し合い、その結果を宮内庁と調整して、それを公表すべきである。皇位継承の歴史や現在の問題点をもっともよく分かっているのは天皇家だと考えるからである。

 

 


日本よ、誇りある歴史観を持て!

2020-01-04 13:34:00 | メモ帳

頑固爺が子どもの頃、自分と親の名前の次に覚えた漢字は、撃墜、轟沈、真珠湾、航空母艦、戦闘機、大東亜戦争などの戦争関連である。当時講読していた「こども新聞」には漢字に振り仮名がついていたので、難しい漢字でも読めたのである。

当時の世界地図では、本土と朝鮮半島、台湾、樺太の半分が赤く染められており、太平洋の三分の一ほどが赤い枠で囲まれていた。満州は何色だったか記憶にないが、ことによったらピンクだったか。軍国少年の私は地図を眺めては「日本は大きいなぁ」と胸を躍らせ、「一億一心」「鬼畜米英」「欲しがりません、勝つまでは」などのスローガンを口にして、気分が高揚するのを覚えたものである。

そして敗戦。軍国少年はサンキューとかグッドモーニングなどの英語を片仮名で覚え、ジープに乗ったアメリカ兵に手を振った。「鬼畜米英」はどこかに消えた。なぜそう簡単に頭が切り替わったのか、今思うと不思議である。(笑)

新聞を読んでも(こども新聞ではない)、プロ野球の結果と漫画だけしか関心がなかった。軍国少年は川上哲治の赤バット、大下弘の青バットに熱狂する野球少年に変化した。

中学に入って習った日本史は明治維新で終わった。多分、教師は戦争の部分を避けたのだろう。お蔭で自虐史観を習わずに済んだ。今の教科書では日本の敗戦をどう教えているのか。ことによると、未だに70年前のGHQの指示を忠実に守り、「日本は悪いことをしました」となっているのではないか。

前置きが長くなったが、ここからが本論である。

第二次大戦を日本の視点で見ると、白人優越秩序への挑戦だった。戦争の直接的誘因は石油の対日禁輸だったが、その根源には日本の躍進に対する警戒感と有色人種蔑視の思想があった。

不幸にして日本の指導者たちに戦略的思考が欠如していたため、その挑戦は白人列強によって潰された。しかし、日本の挑戦は有色人種諸国に勇気と希望を与え、戦後東南アジア諸国とアフリカ諸国が続々と独立を果たす契機となった。日本の理念だった「大東亜共栄圏」はASEANとして実現された。

有色人種国すなわち後進国の独立は、その国民に自立精神と誇りを与え、経済的発展と生活水準の向上をもたらした。後進国の躍進は、新しい消費市場の創出となり、先進国の輸出が増加した。後進国の独立と経済的発展は、先進国にも恩恵を与えたのである。

一方、敗戦国の日本も軍備にカネを使う必要がなくなり、経済発展に注力できるようになったことで、国民の生活水準が急速に向上し、世界有数の経済大国にのし上がった。

こうして世界史の大きな流れを俯瞰すると、日本の敗戦はそれまで抑圧されていた有色人種たちを白人諸国のくびきから解き放ち、世界の経済発展をもたらす契機となったことがわかる。すなわち、日本の挑戦は人類の発展に大きく貢献する結果を生んだのである。

以上が頑固爺の歴史観である。歴史にはいろいろな側面があるから、自虐史観を否定するものではない。しかし、自虐史観は日本人を卑屈にして、不必要な贖罪意識を抱かせる。

未来の日本人には、日本人であることに誇りを持てるような歴史観を持ってほしいと願うのである。

 

 

 

 

 

 

 


正月二日の日の出

2020-01-03 11:01:20 | メモ帳

元旦の早朝、湯河原の海浜公園に初日の出を期待して、およそ千人とワンちゃんが数匹集まった。しかし、あいにく雲が厚く、初日の出は出なかった(下の写真)。

元旦は残念だったが、正月二日目は晴れたので“初”ではないが、日の出は見ることができた(下の写真)。この時期の日の出の時刻はラジオ体操が終わって10~15分後だから、毎朝海浜公園で催されるラジオ体操の会に出席している頑固爺には、タイミングが合うのだ。

なお、写真の左に見える陸地は真鶴半島で、右手の島影は大島である。

ベストの日の出は、空にうっすらと靄が立ち込めた状態に現れる。その時は太陽が赤い目玉焼きのようにくっきり見え、しかも眩しくない。そして、上空の白い雲が金色に輝く。

その状態を100点とすれば、この日の出は80点といったところか。減点の理由は、靄がなく大気が澄んでいたので、太陽が上がるやいなや眩しくなったこと、そして水平線に横長の雲があり、太陽はその雲の上から出てきたこと。上空にどす黒い雲があるのも気に入らない。

さて、今年の日本の運勢はいかに。悪くはないが、ベストではなく、丁度この日の出のように80点ぐらいではないだろうか。(笑)