「反日種族主義」(以下、本書)は慰安婦問題が反日種族主義の典型であるとして、全体の三分の一のページを費やしている。以下、赤字は本書からの引用、青字は要約である。
本書の慰安婦に関する論旨の基調は、「慰安婦は日本軍を相手にしたものばかりではなく、米軍を相手にしたケース、韓国軍を相手にしたケース、そして民間人を相手にしたケースがあるが、日本軍慰安婦だけを批判の対象にするのは公平性に欠ける」である。以下、本文から日本軍向け以外の慰安婦の背景と人数に関する記述を拾ってみる。
(1)米軍慰安婦
解放後の慰安婦の代表は「米軍慰安婦」であり、米軍基地の近くにセックスを売る女性が自然発生的に集まった。一般的には,洋嫁(ヤンセクシ)とか洋姫(ヤンゴンジュ)と呼ばれていたが、公式的な行政用語は「米軍慰安婦」である。各地の米軍基地に存在し、およそ2万人と推定される。(226ページ)
米軍慰安婦の半分は契約同居で、慰安の相手が固定されており、収入も一般民間人相手の慰安婦よりも多い。
(2)韓国軍慰安婦
1956年に陸軍本部が編纂した『六・二五事変後方戦史』によると、特殊慰安隊は将兵たちの士気を高揚し、性的欲求を長時間解消できないことで生じる副作用を解消する目的で設立されました。(222ページ)
「特殊慰安隊」の発想は日本軍と同じだが、日本軍の場合は民間業者が慰安婦を募集し管理・運営したのに対し、韓国軍の場合は軍隊の一部である点が異なる。総数は700人前後で、1954年に任務を終了した。なお、「六・二五事変」とは1950年6月25日に始まり、1953年に終わった朝鮮戦争を指す。
(3)民間慰安婦
全国のほぼ全ての都市で私娼街が形成されており、約4万人の女性がそこで性売買を専業とする慰安婦として生活していました。・・・(朝鮮)戦争によって家庭が破壊され、極貧階層の子供として父母の保護を受けられず、孤児院を転々としたり、家庭の不和で家出したり捨てられたりした女性が、女中生活、あるいは他の職種の接客業に従事したあと慰安婦になるのが最も一般的な経路でした。(P-224)
性売買に従事する女性は韓国戦争の破壊と混乱により、激増しました。その総数はなんと、日帝期の10倍でした。(P-286)
日本では1958年(昭和33年)に売春は禁止されたが、韓国では公式記録上1966年までは慰安婦が存在したし(注)、実際には1970年代前半までは生き残っていた。(「反日種族主義」論 (1)参照)
(注)「保健社会統計月報」によれば、1966年に性病の検診を受けた女性の数が391,713人だったという記録がある。なお、一人が年数回受診したと思われるので、この数字は慰安婦の総数を示すものではない。
さて、本書は日本軍慰安婦の実態を詳細に説明している。すなわち、慰安婦になった理由として、すでに売春婦だった女性が応募に応じたケースとか、親または戸主が韓国人の女衒(ぜげん)に娘を売り渡したケースがほとんどで、日本軍の強制連行はなかったこと。そして標準的賃金の何倍にもなる収入があったこと、日常生活でもかなり自由があったことなど、性奴隷ではなかったことを確実な資料により明確に証明している。
慰安婦が問題化したのは、故吉田清治が日本軍による強制連行の嘘を発表した1989年からである。1990年に「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺隊協)が設立され、にわかに政治問題になった。しかも、工場で働く女性を徴用した挺身隊と混同したから、名前にも「挺身隊」が入り、人数も20万人というとんでもない数になった。
その後の経緯については、末尾に時系列に示したので、それをご覧頂く。
ともあれ、本書では日本軍慰安婦の数を約3,600人と推定しており(P-262)、解放後(終戦後)に発生した米軍慰安婦や民間慰安婦の数と比べると、はるかに少数派である。それにもかかわらず、挺隊協は慰安婦だけを取り上げているのは不自然で、「反日」意識が働いているのは明白である。この矛盾について、本書は次のように述べている。
性奴隷説を主張する運動家と研究家が本当の人道主義者であれば、彼らは解放後の韓国軍慰安婦、民間慰安婦、米軍慰安婦に対しても、彼女たちは性奴隷であったと主張し、韓国男性、国家、米軍に責任を問うべきでした。・・・1937年~45年の日本軍慰安婦だけを切り離し、日本国家の責任を追及しました。(P-288)
50年過ぎて新たな記憶を作り出し、日本を攻撃し続けて、結局韓日関係を破綻寸前まで持っていったこと、まさにこれが1990年以降の挺隊協の慰安婦運動でした。我々は、この慰安婦問題の展開の中に最も極端な反日種族主義を見ます。(324ページ)
【慰安婦問題の経緯】
1989年 吉田清治「私は朝鮮人をこのように強制連行した」を出版
1990年11月 「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺隊協)設立
1991年8月 金学順(1924年生まれ)が、親に平壌の妓生組合に売られたと証言→後日証言を変更
1992年1月 中央大学の吉見義明教授が「性奴隷説」を発表
1992年1月 宮沢喜一首相が韓国国会で慰安婦問題を謝罪
1993年8月 河野洋平内閣官房長官が日本政府の関与を認め「甘言、強圧による等、本人の意思に反して集められ・・・官憲等が直接関与した」ことを謝罪
1995年8月15日 村山富市首相が日本の植民地支配と侵略を謝罪
2011年12月 挺隊協はソウルの日本大使館前に少女像を建立
2015年 日本政府は朴槿恵政権と慰安婦合意が成立、日本は10億円を出資して「和解・癒し財団」を設立、34人の生存慰安婦と58人の遺族が慰労金として受け取った。
2018年 文在寅政権は2015年の和解を破棄して「財団」を解散させた
(注)本書は朝日新聞の吉田発言に関する誤報と謝罪には言及していない。
次回、「反日種族主義」論を終了